(35)永い時をこえて

先日の新聞で「現代に警鐘!ハリウッド製の二つの大作映画トロイとデイ・アフター・トゥモローが日本でもヒットしている」という記事を読みました。特に「トロイ」は、私が以前会ったことのある魂さんを思いだし、興味をもちましたのでお話ししましょう。「トロイ」は、ホメロスの叙事詩「イリアス」を、CGを駆使して映像化した作品で、堅守を誇った都市国家トロイがギリシャの大軍によって滅ぼされていく過程を描くものです。「図らずも戦争に突き進んでしまう人間の愚かな性(さが)がテーマ、人間は戦争になると、アドレナリンが分泌されて一種の中毒状態になる。観客も同じ高揚感を味わっている。しかし、戦争で得をする人は誰もいない。イラクを見て欲しい。米国はこの戦争で何を得たというのか。『トロイ』の登場人物は我々の反面教師だ」とウォルフガング・ペーターゼン監督は新聞記事の中でコメントしています。 私が会った魂さんとは、まさしくこの時代を生きていた人だったようなのです。セッションで私から氣を受けていた女性が、突然顔を歪め、握りこぶしを床に叩きつけ始めたのです。すぐに私は氣を受けている人とは全く別の意識(魂)が出てきていると分かりました。ずいぶん長い間、そんな状態が続きました。何かよほど深い理由があるのでしょう。声も涙も出ないと言った感じです。私は、真氣光の光がその方の奥深い所にまで届くように、氣を送るしかありませんでした。さらに2、30分経過したでしょうか。だんだん悲しさに歪んでいた顔が、緩み始め、話しができるようになったのです。その人は、数千年もの間、闇の中に居たようです。古代ギリシャ時代だと思うのですが、その頃の王の娘だったようで、戦争で敵に攻められ城もろとも敵の手にわたってしまったのです。両手は縛られ足に重しを付けられて、その後は捕虜として、たいへんな目に会います。とても生きてはいられず、死のうとして舌をかみ切ろうとするのですが、口に何か入れられていて、それもできなかったようです。ずっとチャンスを伺っていたようですが、ある時ほんの少しの隙をみて、岸壁から身を投げることができたと言うのです。しかし、死んだ後もその深い苦しみや悲しみ、人としての尊厳を傷つけられたという屈辱と怒りで、真っ暗闇の中を漂っていたようです。しかし、そこに光が届いたのでしょう。最後に彼女は「この光はすばらしい。これで私のように苦しんでいる人達を救える。私に新たな役割が与えられた。」と言って消えて逝きました。真実の事なのかどうかは分かりませんが、人類は何千年も昔から戦争を繰り返してきました。マイナスの魂が影となって、また次の争いを生むのです。しかし、光となって輝ける人たちにより、世の中は少しずつ確実に変わって行く事でしょう。そして真氣光が大きな助けになるのです。

パーソナルHG発売のお知らせ

4 /22 付け本紙で初めて皆さんにお話し、月刊ハイゲンキ6月号で詳しく解説した、新しいハイゲンキのパーソナルHGですが、やっと発売準備が整い詳しいお話しができるようになりました。間もなくお手元に届く月刊ハイゲンキ7月号でも、できるだけたくさんの紙面を割いて解説させていただきましたので参考にしてください。先週から全国のセンターにも配備しましたので、もうすでにご覧になった方、氣を感じてみた方がいらっしゃったかもしれません。何人かの方から、体験の報告をいただきました。より個人に集中して深い部分に光が当たるこのパーソナルHGですが、評判も上々のようで私も嬉しいです。今回のパーソナルHGの発売によって、真氣光の光がさらに強くなるようです。宇宙から降り注ぐエネルギーが強くなるのですから、皆さんが使っているハイゲンキも自然にパワーを増します。その分、今までは表面化できなかった影の部分も、一見マイナスの現象となって浮き上がってくるかもしれません。しかし、それは一時的にマイナスの影響を与えるだけであって、光に変わって行く過程です。くじける事なく真氣光を受けることによって、大きくプラスの方向に進めるのです。しかし実際にマイナスの出来事に直面すると、一人の力だけでは挫けそうになったりするものです。家族や友達、センターでのスタッフや会員さん同士の交流が、強い味方になってくれるでしょう。このような大事な時期ですので、私はかねてから考えていた正会員枠の拡大を実施することにしました。SASでは、毎年会員費を払ってくださる正会員の方は、センターで氣を受けられたり、限定グッズが購入できたりなど、いろいろな氣のフォローができる特典を設けております。また同居する家族も同等のサービスが受けられるようにしておりますが、これを機にこの枠を拡大して、同居していない親・子も登録していただければ正会員家族と同じように扱うことにしたのです。ハイゲンキは先代が「神棚のようなものだ」と言っておりましたが、使う人を中心に家族にも広く氣のエネルギーを与えるものです。パーソナルHGは、それに比べ「お守り」のように特定の個人に氣を集中させるものです。今までのものとは全く構造も違いますから、その効果も厳密には違うでしょう。ヘッドのバージョンアップのようにはデータも十分ではありませんので、皆さんに使っていただいて、どんなものかを感じてもらうしかありません。そこで、発売から3カ月ほどは、できるだけ安い価格にさせてもらいました。多くの方に使っていただけることを願っております。

(34)姥捨て山

先日のリーダー研修講座でのことです。特にこの講座では真氣光の時間をたっぷりと取り入れ、氣を受けることによって自らが気づけるということを重視するように企画しています。講座も中日を過ぎたころだったと思います。氣を受けていた一人の女性が、苦しそうにしていました。私は、「何かマイナスの魂さんが出てきたのかなぁ」と思いながら、近づいて氣を送りました。苦しそうに唸りながら、身体を動かそうとするのです。どうも起きあがろうとしているようなので、「どうしたのですか?」と尋ねると、「杖はどこだ、帰らなくちゃならない」と辺りを手で探りながら、息も絶え絶えにやっと答えるのです。私は直感的に出てきているこの魂さんは老人で、山に捨てられたのだと思い、「山に置いてきぼりにされたのか」と聞くと「そうだ」と頷くのでした。力を振り絞って必死で身体を動かそうとする姿を見て、私は何も言えず一生懸命に氣を送りました。すると次第に、身体から力が抜けて少しずつ穏やかになり、最後には安堵の表情を浮かべ光の世界に逝かれたのでした。 私はかつて姥捨て山という昔話を聞いたことがあります。貧しさのあまり、食い扶持を減らすために親を山に捨ててくるという話です。当時は真氣光も知らない時でしたから、「昔の日本には、そんな事もあっただろうな」ぐらいの軽い感覚でしかなかったように思います。私が、あちらこちらで「歴史が苦手で…」と話していたところ、ある方が「飢餓と戦争の戦国を行く」(藤木久志著、朝日選書)という本を貸してくれました。本には11 世紀から16 世紀まで毎年のように日本のどこかで旱魃、水害など天災による飢饉や疫病、さらには度々勃発する戦争があり、私達の先祖がいかにたいへんな時代を生きて来たかが記されていました。真氣光によって、いろいろな魂さんに出会うことになり、少しずついろいろな人達の苦しみや悲しみが見えてきました。時代は変わり、今では日本は世界の中でもトップクラスの経済大国です。物は豊富になり餓死する人は居なくなりました。しかし、このような世の中になったのは、本当にたくさんの人達のかけがえのない一生があったからです。豊かになった生活の中にも、辛いことやマイナスの氣が絶えません。貧しい時代には生まれて来たくなかった人達の辛い気持ちは、マイナスの氣の連鎖として消えぬまま、まだまだ私達の周りに残っています。しかし一方で力強く生きてきた人達の応援が光となって、真氣光の光とともに私達にサンサンと降り注いでいるのです。

(33)周りからの温かい心

先日の会長セッションで、私がAさんに氣を送っていると、彼女とは別の人が出てきました。Aさんと何かご縁のあった魂でしょう。Aさんではないと思ったのは、それまで静かに氣を受けていたA さんが、突然怯えるような表情で「もうしません」と繰り返し言い始めたからなのです。「良いと思ったことでも、もうしません。」と言うのです。話しを総合すると、何かの都合で亡くなった人なのですが、亡くなる前に良かれと思い何かをしたのだけれど皆の反感を買い、責められる恐怖と失意のうちに亡くなったようです。かなり周りからバッシングされたのでしょう。なかなかマイナスの心が消えません。しかし氣を受けるうちに少し楽になったようで、「良いことだと思ったのに」と繰り返し訴えるようになりました。「良いと思うことができなくなったら…、誰も良いことをしなくなったら…、この世はどうなるの」「恐い、みんなが私を非難する」その魂さんの心はすっかりマイナスの方向に行ってしまっているので、周りのマイナスの氣に同調し、常に非難されているような状態が続いているのでしょう。私は、一生懸命に氣を送りました。しばらくするとA さんの顔が穏やかになってきました。「光がわかるかな。なんとなく周りが明るいだろう?」そう言って声をかけると頷くので、私は話しを続けました。「光の方を見てごらん。あなたを待っている人がたくさんいるよ。あなたは良くやったよ。皆がそう言ってるよ。」しばらくわからないような表情をしていましたが、どんどん顔がほころび始めたので、「光の世界に行けるかな」と聞くと「行く」と言うので、見送りました。 こ の人の良いと思ったことは、この世では受け入れられなくても宇宙的には間違っていなかったから、あの世からたくさんの応援が集まり彼女は安らかになれたのでしょう。彼女の言うとおり、誰も良いことをしなくなったら…と考えると怖いことです。 先 日の新聞に、『社会経済生産性本部が今年の新入社員意識調査をした結果、「自分の良心に反しても会社の指示に従う」と答えた新入社員の割合が43.4 %、と初めて4 割を超え、「できる限り避ける」(40.8 %)を上回った。厳しい就職環境が、新入社員の意識の変化に影響しているようだ。』とありました。イラクでの人質問題でもそうでしたが、私には世間が『周りの温かさ』というものを感じさせないほど、余裕が無くなっているような氣がします。温かい心がプラスの氣の環境をつくります。宇宙からのエネルギー、真氣光もそれを応援していることでしょう。

(32)広がる光

 先日の会長セッションでの出来事です。もう何年も一生懸命真氣光を続けてくれているAさんご夫婦ですが、毎回センターでの会長セッションに二人仲良く参加してくださいます。奥さんが霊的に敏感な方で、氣による反応を通して私にもいろいろな気づきをくださっておりますが、今回は氣を受け始めると突然ご主人の首を絞め始めたのです。昨年1月30 日のこのコラムでも紹介したAさんですが、その時にも突然奥さんがご主人の胸ぐらを掴んだことがありました。Aさんのご先祖を恨んでいる魂さんが出てきて「おまえにわかるか。俺達の苦しみが。」と叫びだしたのです。
ご主人のご先祖は、かつて広い畑を持つ有力な農家で、まわりの小さな農家などにお金を貸していましたが、不作の時にも強引な借金返済を迫り、たくさんの恨みを買ったという話でしたが、結局氣を受けているうちに恨みを持ったたくさんの魂達はそれが間違いだということに気がついて、光の世界に行ったのでした。
そして最近は、そのような事が無かったので、今回同じような事が起きて「今度は何だろう」と私は少々不思議に思ったのです。さらに首を絞めながら「こいつに殺された。畑を取られた。ひどい婆さんだ。」と訴えます。もちろんAさん達が、そんなことに関わったことはありません。言っている内容を聞いているうちに、ご主人を、ご主人のお母さん(婆さん)だと思っているようなのです。つまり実際に氣は受けていないのですが、お母さんを恨んで憑いている魂が、奥さんを通して出てきたのでした。後で分かったことですがAさんご夫婦とお母さんは一緒に暮らしていますが、お母さんは真氣光の事が大嫌いで、全く氣に理解を示さないということです。戦中戦後の大変な時期を女手一つで切り抜けてきた苦労人だと聞いて、私は相当辛い体験をしてきた結果いろいろなこだわりが「殺された」と思い込むマイナスの魂を引きつけることになったのだろうと推測しました。その後、私が真氣光を送るうちに幾人かの魂達が「光が見えてきた」と言いながらいなくなり、最後には奥さんも楽になって目をあけたのでした。
 真氣光は、まず氣を受ける本人にエネルギーを与えます。毎日するハイゲンキも、ご本人とその方に直接関係する魂に光を送り始めます。そしてそれらに充分光が行き渡ると、今度は身近な家族とそこに関係する魂たちへと順々に光の輪を広げるのです。ですから氣を受けることに終わりはありません。身体のためにハイゲンキをしている方も、健康になっても末永く使っていただきたいと思うのです。

(31)自らが光る努力を・・・

 先日の会長セッションで出てきた魂さんの話です。私が氣を送ると、氣を受けている人とは全く別の人(女性?)が出てきて、左半身が痛いと強く訴え始めるのです。私は、よく交通事故で亡くなった人にそういう人が多いので、事故で亡くなったのかと聞いてみたのです。すると事故で死んだのではなく、事故で左半身に大きな障害を受けそれを苦に自殺したというのです。その人は自分が身体を既に無くしていることもわかるし、早く光の世界に行かなければならないこともわかる。だけど、光が少ないので、もっとたくさんの光が欲しいと懇願するのです。私はその後一生懸命氣を送ったのですが、その人はまだまだ足りないと訴えます。どうも、その魂さんにどんどん光が吸収されてしまい、一向に光が集まらない感じです。私は「まだ足りない、まだ足りないと思う気持ちが光を吸収してしまっているよ。
前に比べたらずいぶんと楽になっているんじゃないの。」と聞きました。そうすると「確かに前に比べたら楽になっています。」と素直に答えるではありませんか。私は「良くなったところを見つけて、楽になってよかったと思うことだよ。
そうすると自分自身が光を発し始めるから、外からくる光と一緒になってどんどん光が増えるよ。そうすれば光の世界に行けるよ。」と言ったのです。その魂さんは氣がついたようで、その後、加速度的に真氣光の光が集まり始めたらしく「この人に求めるばかりで迷惑ばかりかけていた。自分が良くなっていたことに気がつかなかった。自分の気持ちが大切だった。」と言葉を残していなくなったのでした。氣を受けている人にも必要な氣づきだったのでしょう。
 よく真氣光研修講座では「いいとこ探し」が重要ですと話すのですが、自らの魂の輝きになることを行動に移せることで、それが魂から発する光となり、ハイゲンキや氣グッズが出す真氣光のエネルギーと同調して急激に魂の輝きが増すものです。
私は光の循環と言っていますが、自分から光を出すから光が入ってくるというプラスのサイクルがどんどん自然に回り始めるという現象です。どんな事でも良いですから、自らが光る努力をするということです。私達は、ついまだ足りない、まだ足りないと真氣光の光に頼り自分の心の持ち方をチェックすることを忘れがちになります。また強いエネルギーを引き出せるヘッドも登場していますが、それを使いこなすには、より一層この心の持ち方が重要になってきます。「まだまだ・・・」という方は、もう一度洗心の指標を思い出し、大きく光の方向に進んでください。

(8)風邪は万病のもと

 今日の東京は少し寒いのか?私は、家の仕事部屋でこの原稿を書こうと取り組みましたが、なかなか部屋が暖まらず筆も進みません。さらには我が家の暖房器具は温風が出るエアコンタイプですが、部屋が非常に乾燥します。ふと、温湿度計を見ると湿度31パーセント(壊れているのだろうか?)、その表示を見てから何か加湿出来るものはないかと探してみたり、何か喉を潤せるものを探してみたりしています。そういえば最近のセッションでは、風邪をひいて喉が痛いとか咳が出るという人が増えているようです。
昨年の今頃は日本でもSARS騒動がありましたが、今年は鳥インフルエンザの記事が新聞紙上を賑わせています。先日新聞の報道で『山口県で発生した鳥インフルエンザのウイルス解析結旺は、韓国や香港、ベトナムで見つかったウイルスと同型だが、香港のウイルスとは違う系統のものだと分かった。』とありました。インフルエンザウイルスというのは遺伝子の突然変異を起こしやすく、同じ型でも系統の違うものが出来てしまうとか。つまり、どんどん相手が変わってしまうのですから、それに対抗できる薬の開発がなかなか追いつかない。だから発想を変えて、私達の免疫力自体を上げることが重要だと教えてくれているようです。
「風邪は万病のもと」「身体には、くれぐれもお氣を付けて。」と言います。ことわざ辞典を調べてみると、中国の古典に「風邪は百病の本」があり、言い換えたものとありました。さらにはその後に「馬鹿は風邪をひかあ」とか「風邪を人にうつせば治る」を、俗言や軽口として紹介しています。よく先代は、「風邪とは邪氣(マイナスの氣)がくっついてくるからかかり、良い氣を付けて浄化することを昔の人は知っていた」と言っていました。確かにマイナスの氣の影響で風邪をひくとすると辻褄が合います。「馬鹿」とは悩むことなく生きられる人を例えて使った言葉だと思いますが、そういう人はマイナスの心に支配されませんから、外からマイナスの氣を引きつけてしまうこともありません。また風邪は人にうつると、本人からマイナスの氣が少なくなりますから、「治る」ことになります。
日頃から真氣光を受けることが、生活の中で集まるマイナスの氣を浄化してくれます。もし風邪をひいてしまった人も、真氣光の氣でプラスの方向に浄化することで、同じようなマイナスの氣に引きつけられることなく、結旺として免疫力が徐々に上がるのでしょう。ですからこの季節、ハイゲンキのみならず甘氣飴にヘルシー氣サポートシリーズ等々、真氣光でがっちりと「お氣をつけて」みてください。

(30)罰を与える

ある日の会長セッションで、Aさんが腰の痛みを訴えるので、私は一生懸命氣を送っていたのでした。するとAさんが、まったく別の女性の口調になって苦しそうに話を始めたのです。内容は次のようなものでした。その女性の魂さんはキリスト教を信仰していたのですが、当時あったキリスト教への弾圧により、「本当の事を言え」と役人からの厳しい拷問にあったらしいのです。今まで私は、氣を送っていて“隠れキリシタン”といわれる魂に、何度か会ったことがあります。彼らは皆、神を信じていたのですが、肉体に加えられる苦痛によって自分自身の心に光を失い、神の存在を信じ切れなくなることで神という光も見失っていたのでした。
彼女もまた同じような深い苦しみに陥っていたようだったので、「私は過去に、隠れキリシタンの人に会ったことがあります。」と、彼女に話しかけました。すると彼女は、「その人たちは、どうなったのですか。」と尋ねるのです。真氣光で皆、光の方に逝かれたので、私は「皆さん、神様からの光によって天国に行きました。」と答えると、彼女は急に泣き崩れ「私は踏み絵を踏んだのです。神様は私に罰を与えた。だから姿を現わしてはくれない。本当の事を言っても言わなくても罰を受ける。」と言ったのです。彼女は役人から拷問を受け、さんざん思い悩んだあげく踏み絵を踏んだようなのです。その後悔も手伝って暗く苦しいところに永い間、閉じこめられていたのでしょう。私は「神様からの光が、きっと届きます」と一生懸命氣を送りました。
やがて彼女にだんだん光が届いてきたらしく、穏やかな表情になって「光が見えてきた。神は罰を与えなかった。人間だけが罰を与えるのですね。」と言うのです。私はその言葉にハッとしました。確かに考えてみると、一見悪いことは起こるかもしれませんが、それは神が罰を与えているのではなく、何とか気づいて欲しいとメッセージを与えているのです。人だけが他に対して罰を与えるのですが、他の生き物には見られません。強い者が弱い者へ、罰を与えて気づかせるということですが、強い罰が相手に恐怖や深い憎悪を与えます。それはマイナスの氣を呼び込み、その人の心に深い傷となるのです。最近の報道をみると、体罰によって幼い子が亡くなる事件が相次いでいます。自分自身にあるマイナスの心のはけ口に、軽々しく罰を与える例がたくさんあるようです。罰を与える人・受ける人、両者のマイナスの心に、少しでも多くの真氣光が届くことを願っています。

(29)自由と平等

ある日の会長セッションでの出来事です。Aさんが頭が痛いというので、みんなでハイゲンキをしていると、してあげていたBさんのお腹が急に痛くなってきたのです。結局Bさんの方が苦しそうなので、皆で二人を囲むことになりました。私も一緒に氣を送らせてもらいました。しばらくすると、Bさんは隣に寝ているAさんを叩き始めたのです。どうしたのかと思っていると、Bさんが「こいつの先祖に、苦しめられたんだ。」と、叩くのをやめて、話を始めたのです。「俺は悔しいんだ。一生懸命、精魂込めて大事に育てた米を、こいつの先祖は全部持って行きやがった。もともと、人は皆平等じゃないか。だけど生まれたところがちょっと違うだけで、俺達みたいな者は、こんなひどい目に遭うんだ。」そう言って拳を床に叩きつけるのです。私は氣を送りながら、昔の不平等なくらしの事を思いました。武士の子は武士に、地主の子は地主、小作人の子は小作人に、生まれでほとんどすべてが決まる時代です。一生懸命やっても、何も変わらないんです。さぞ辛かったろうなぁと思いました。この人達が辛い中を生きてくれたからこそ、私達はそんな制度の過ちに気づき、少しづつ世の中が変わって来たのです。今、私達が何不自由なく生きられるのは、この人達のお陰だなぁと、しみじみ思いながら私は一生懸命氣を送りました。光が届いてきたのでしょうか。「俺達は土の奥底でずっと苦しんでいた。そこに一筋の光が差し込んで来たんだ。ああ、ありがたい。本当にありがたい。こいつが土地に埋めてくれた石から、光が差し込んで来たんだ。やっと俺達がこんなに辛いっていうことを、わかってもらえた。」Aさんが以前土地の四隅に埋めた水晶から、真氣光が届いていたのです。そしてハイゲンキをしてくれている周りの皆にたくさんの光をもらって、どんどん楽になっているのです。魂は永遠です。死んで終わりではありません。私は、その人に言いました。「あなたには、まだまだ出来ることがあるんです。」すると「地位も名誉も金も無い、こんな俺にできることがあるのか?」と尋ねます。私は「こんなに苦労したあなただから、同じように苦労している人の気持ちがよくわかり、本当の意味で力になれると思います。」と答えました。「そうか、出来ることがあるのか。・・・ありがとう、ありがとう。」と、光の世界に旅立って行きました。まだまだこの地球上には、自由や平等が十分ではなく陰で泣いている人がたくさんいます。その魂は、苦しんでいる人たちの強い力になってくれることでしょう。折しも選挙シーズンが始まりました。当時の人にとっては、考えられないほど羨ましいことでしょう。私も本社での会議の前に、不在者投票に行って来ようかと考えているところです。

(28)いいとこ探し

 私は、「いいとこ探しをしましょう」と、よく言っています。日常生活の中でラッキーなことを見つけるのは、コツをつかむと案外できるものですが、いいとこ探しの対象が不幸な出来事だったり、身近な人だったり、自分に肉体的、精神的苦痛を与える人だったりすると途端に難しくなるものです。その出来事や相手側が一方的に悪いと、自分を振り返り見つめ直す材料にすることを、すっかり忘れてしまうのです。以前、このことについて考えさせられる二つの体験がありましたので紹介します。真氣光を送っていると、氣を受けている人とは全く違った人格の魂が出てくることがあります。両方とも、すでに身体をなくした魂の話です。
 一人の魂さんは、若そうな漁師さんでした。雇われ漁師というのでしょうか、自分の船ではなく他人の船に乗っていたのです。ある時、その船は大シケに遭い転覆してしまったのです。日頃から船長に対して強いマイナスの感情を抱いていた彼は、その船を早く降りずに、その日も乗ってしまったことを後悔していました。「その船に乗りさえしなければ死ななかったのに」と、ずっとそのことが頭から離れなかったのです。まだまだやりたいことがあったでしょう。私もただひたすら氣を送るしかありませんでした。しかし、真氣光を受けているうちに彼は思い出したのです。海に自分の身体が沈んで行く時、下から一生懸命自分の身体を押し上げようとしていたのは船長だったということを・・・。それに気がついた瞬間に、彼は光の世界に消えていったのでした。
 もう一人は、お百姓さんです。地主から土地を借りて米を作っていましたが、ある年、大飢饉にみまわれました。しかし地主の年貢の取り立ては厳しく、結局一家は生活を苦に心中しなければならなくなるのです。しかし死んでも苦しさから逃れられません。こんな風になったのもあの地主のせいだと、地主を恨んだのです。しかし、苦しさは募るばかりで、代々その家を恨み続けてきたのでした。私は話を聞いても、氣を送ることしかできずに送り続けました。すると、彼は思い出したのです。以前、同じように大変な時に、米を分けてくれたことがあったと…。彼は恨んでいた地主にも何か理由があったのかもしれないと言いながら、光の世界に旅立ちました。
 真氣光の氣は、氣づきの氣です。死んでしまった魂にとっても、生きている我々にとっても、マイナスの場面に直面した時に、難しくなる〈いいとこ探し〉ですが、真氣光が氣づきを促してくれるものなのです。