先週は、センター試験があり、「子どもや孫が本来の力を発揮できるように氣を送って欲しい」ということから、私のところには、たくさんの方から遠隔真氣光の依頼がありました。
人間万事塞翁が馬、私などは大学入試に失敗して一浪したことによって、その後の考え方、生き方が大きく変わったばかりか、得難い友人や妻と知り合うことになったのですから、後で考えると試験に失敗したのが良かったことであり、長いスパンで考えれば何が良いのかわかりません。
ですから、その方が輝き最適な方向に進めますようにという気持ちで氣を送っています。
どんな人にも、守護霊のように働く明るいプラスの氣と、足を引っ張ったり邪魔をしたりと一見悪い影響を与える影のようなマイナスの氣が関係しています。
そしてプラスの氣にも階層があり、次元の高い、その人の人生を長いスパンで見守るように働く更に上位のプラスの氣の存在もあります。
試験というのは、難しい問題などで行き詰まると、何かしらのマイナスの感情が起こり、それが悪い連鎖を起こして、できるものもできなくなってしまうことがあるものです。
自分のマイナスの気持ちに同調して集まるマイナスの氣と、そうならないよう守るように働いているプラスの氣の両方が存在していて、さらに、それらを掌で操るように上位のプラスの氣がコントロールしてくれているから、私の場合、最適な結果になったのでしょう。
しかし、そうは言っても、マイナスの氣がどんどん集まってくるような環境であれば、どんなプラスの氣もなかなか思うように行かなくなるのは、当然のことです。
マイナスの氣は、怒り、不満、イライラ、辛さ、苦しさ、心を痛めるほどの心配心など、人のマイナスの心に同調して集まりますから、それを引き寄せないようにすることなのですが、ストレスを直接受けている本人には難しいことですから、周りの人で、できる人から、マイナスの心と無縁にしていくことです。
さらには、少しでも良い所を見つけようとする「いいとこ探し」などプラスの心を多く持ち、光のようなプラスの氣の応援を受けやすくすることです。
誰でもが見えない光のような氣を持っていますし、さらには家族や家系、職場など人が構成しているグループにも全体の光があります。
強いストレス等で誰かの光が減っても、周りの誰かによって補えるというのが私たちのシステムです。
別々の体を持っている私たちは、それぞれに起こることはどうすることもできないと考えがちですが、そうではありません。
私は多くの方に、氣の考え方を身に付け、真氣光というプラスの氣をより積極的に利用していただきたいと思うのです。
(中川 雅仁)
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カテゴリー: うまく生きるためのコツ
今できること
私は、マンションのエレベーターで、小1ぐらいの男の子と2歳ぐらいの女の子を抱いたお母さんに会いました。
男の子は元気があり余っていて、エレベータに乗るなり、手すりで鉄棒を始め、お母さんは女の子をあやしながら「迷惑になるから止めなさい」と叱っています。
子育ては、本当にたいへんそうです。
私にも気を使われ、「すみません」と何回も言われるので、私のほうがかえって恐縮してしまい、咄嗟に「いいえ」と言ってしまったのですが、後になって、もっと気の利いた言葉はなかったものかと後悔してしまいました。
男の子にも、お母さんにも最適な、良い言葉があったはずです。
日頃から感じていることですが、言葉は難しいものです。
一度自分の口から発してしまうと、取り返しがつきません。
言わなくてもよい余計なことを言ったばかりに、誤解が生じたり、喧嘩になったなどという話は、よく耳にします。
だからといって、言葉を選びすぎて何も言えなくなってしまっても困りものです。
私は、後になって後悔しても仕方がないのに、少々考えてしまいました。
以前、このニュースのことわざと氣のシリーズで「後悔先に立たず」という話を書きました。
後悔がマイナスの氣を呼びこみ、さらなる後悔を生み、悪循環に陥ります。
私はこのような場合、真氣光を受けながら、どうするべきだったかを良く考え気持ちに整理をつけ、その後も考えさせられるような時には「次に繋がる練習だ」とか、「これは将来に生かそう」などと言い聞かせるようにしています。
真氣光のエネルギーで魂に光が増えると、今できること、しなければいけないことに気がつけるということは、ある魂に教えて貰ったことでした。
ある人に真氣光を送っていると、その人の口を借りて、自分の采配ミスから多くの部下を戦で失った大将の魂が出てきたのです。
強い後悔の気持ちを持ったまま体を失うと、魂の光を失ってしまい、周りが何を言っても、その気持ちを変えられなくなってしまいます。
しかし、真氣光のエネルギーが届くと、その魂は自然に気持ちが変わって、今できるのは自分が光になり苦しんでいる者を救うことだと気がついたのでした。
過去のことは変えられませんし、それを考えてもどうすることもできません。
できるのは今のことだけで、それによって未来も変わる可能性があるのです。
だから今できることは何かを考え、それに集中することですが、それがわかっていてもマイナスの氣が邪魔をしようとします。
ですから、真氣光を受け、その手にのらないようにすることなのです。
(中川 雅仁)
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目標に向かっている途中での失敗
先週は、「プラスの氣の応援を受けるには、目的や目標を具体的に、より明確に、何回も意識すると良いでしょう」と書きました。
その目標を達成しようとする時に、いろいろなことが起こり、すんなりとは行かないことがよくあります。
きょうは、私の体験から、先週の続きを書きたいと思います。
昨年末のことです。
本ニュースに加え月刊ハイゲンキの原稿締め切りも重なり、大忙しの状態でした。
私は、やっと書き上げた原稿をメールで送信しようとしたのですが、パソコンが突然動かなくなり電源が落ちてしまったのです。
パソコンを再起動しても、なかなか立ち上がりません。
この時間の無い時に、どうなったんだ?とばかりに、私の心は、一瞬ネガティブな状況に陥りましたが、ぶつぶつ言っていてもしかたがありません。
まずは、パソコンにお祈りして(笑)、無事に立ち上がってくれるのを待ちました。
すると、時間は少しかかりましたが、起動してくれたのです。
出来たと思った原稿は全く見当たらず、諦めざるを得ませんでしたが、パソコンだけでも何とかなったのですから、まずは「良かった、良かった」と、いいとこ探しをして、気を取り直しました。
そして、今まで考えていたのですから忘れないうちにと、思い出せる言葉をどんどん入力しました。
書いているうちに、ポイントが少々変わりましたが、前よりも良くなって出来上がり、少々疲れましたが、何とか期限時刻までに終わらせることができたのでした。
目標に向かっているときに、何かにつまずいたり、失敗をすると、がっかりしてしまいます。
しかし、クヨクヨしたり、不平や不満、愚痴を言っていたら、マイナスの氣の思うツボです。
だいたい、そういう時を狙っているのがマイナスの氣です。
私は、いいとこ探しに加え、失敗した事実を、「これも良い原稿にするため」とか、「逆境に強い自分にしてくれている」とか、かってに良い方向にねじ曲げ、自分を適当に納得させました。
マイナスの氣の影響を遠ざけるのです。
さらには、失敗の原因究明も忘れるわけにはいきません。
マイナスの氣が二度三度狙って来ようとするからです。
また、目標に向かっている途中に、そのままの目標では実現が難しいと分かる時があります。
そんな時には、少しずらしてみると、進みやすくなることがあるものです。
それは、プラスの氣の応援による誘導ということもあります。
とにかく、気落ちしている暇はありません。
自分で考えて、乗り越え、少しずつ経験にする、この日々の取り組みを地道に強化するしかないのです。
プラスの氣に加え、真氣光のエネルギーも応援してくれますので、それもお忘れ無く。
(中川 雅仁)
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プラスの氣の応援を受け、光溢れる一年を
あけまして、おめでとうございます。
皆さん、年末年始は、いかがお過ごしだったでしょうか?私は、たっぷりと氣の充電ができましたので、今日から会長セッションの始動です。
今年も、よろしくお願いします。
ところで、今月の氣配り画像は、3日に行った浅草寺の表参道にある仲見世商店街の活気ある風景から、日の丸の旗がやけに私の目に飛び込んできましたので、それを入れて撮りました。
今年、日本は、働き方改革法施行、平成が終わり新元号へ、さらには消費税率の引き上げも予定され、来年のオリンピックに向けても、「変わる」ことが目白押しです。
私の頭の中に、2019年のそんな日本が意識されていたのかもしれません。
日本が変わるということは、そこに住んでいる私たちも、もっと良い方向に変わる時なのです。
私は、どんな人もプラス・マイナス両方の氣の影響を受けていると説明しています。
良い方向に変わるとは、できるだけマイナスの氣の影響を少なくし、プラスの氣の影響を強く受けられるようにすることです。
いつもは、マイナスの氣の影響を少なくする話をしていますので、今日はプラスの氣に「いかにしっかりと働いていてもらうか」という話をしましょう。
プラスの氣は、私たちをマイナスの氣から「ただ守ってくれる」という働きばかりではありません。
私たちの手足となって働いてくれるような存在もあります。
見えない所で、後押ししてくれたり、力になってくれると考えたら良いでしょう。
ただマイナスの氣と同じように、プラスの氣にもたくさんの種類があります。
例えば、まだ良く分かっていない指示待ち状態のような魂から、何も言わなくても人の気持ちを察して、至れり尽くせり、丁度よい手助けをしてくれるようなベテラン的な存在の魂、さらには真氣光のエネルギーのように広く利用者の魂の成長を促すエネルギーや、宇宙創造の神のような存在まで、いろいろです。
氣のエネルギー(光)がとても強いプラスの氣なら、どんどんいろいろなことができてしまうのでしょうが、光がまだ弱めなプラスの氣なら、何をどのように手伝ったらよいのか、応援したらよいのか、わかりにくいかもしれません。
そう考えると、プラスの氣による効果を十分に上げるには、目的や目標を具体的に、より明確に、何回も意識すると良いでしょう。
そして、その目標には、できるだけ細かいステップに分かれたスケジュールがあることです。
それにより、マイナスの氣の影響も抑えることができるでしょう。
一年の始まりですから、プラスの氣をしっかりとイメージして、良いスタートを切りたいものです。
(中川 雅仁)
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メンバーズの集いと新たなスタート
22・23・24日の三日間で開催した真氣光メンバーズの集いでは、皆さん、ありがとうございました。
昨年より200名以上多い、のべ2322名の方が参加してくださいました。
気持ちを合わせて一人ひとりが氣を受けようとすることで、波動が共鳴し、とても強い真氣光のエネルギーを集めることができました。
当日、参加者の皆さんから、たくさんの氣づき(いいとこ探し)と質問を寄せていただきました。
プラスの氣を発する「いいとこ探し」は、周りから更なるプラスの氣を呼び集めますから、読んでいる私まで、幸せな気持ちにさせてくれます。
時間の都合でご紹介できなかったものを、月刊ハイゲンキやこのニュースでも掲載させていただこうと思っています。
また、いつもそうですが、質問をいただくことで私の勉強にもなるものですから、こちらも感謝に堪えません。
当日は多くの人に、より強力な真氣光のエネルギーを体験していただけたようで、来年に向け、また新たなスタートが切れたように思います。
ところで、この年末年始には、ご自分でも新たなスタートが切れるように準備をしていただきたく思います。
真氣光研修講座では、今日一日の反省をし、明日への誓いをたてるということをしています。
一日一日をそうやって、少しでも努力しようとするから、それに真氣光のエネルギーの応援が手伝って、魂がますます輝くほうに向かえるのだと思うのです。
一日という節目、一年という節目、そういう機会を持つのと持たないのでは、大きく違ってしまいます。
一年の反省といっても、ポイントは「あなたは本当に良くやっている」と、宇宙は言ってくれているということを忘れてはいけません。
何もできなかった、こんなにダメだったという人も、その背後にはマイナスの氣の強い影響があって、いろいろな邪魔を受けていたかもしれないのです。
人と比較する必要はありません。
真氣光を受けようとする人は、どんな人も、外からのエネルギーを利用して、自分をより輝かそうとしている人です。
つまり、それを良く思わないマイナスの氣に対して一生懸命に抵抗しながら、それにも光を送っているということであり、真氣光を欠かさず受けられていること自体が、宇宙から見ると「良くやっている」ということになるわけです。
しかし、私たちは、それに甘んじているわけにはいきません。
知恵を絞って、もう少し何かができれば、もっと変われるのではないかと意識を向けるのです。
それが、さらなるマイナスの氣への追い打ちになり、大きく光を増やすきっかけになるでしょう。
私も、例年のように「お籠もり」をして、音氣三昧、氣だくさんの、自分だけの真氣光研修講座を受けようと考えています。
(中川 雅仁)
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年貢の納め時という時期
私は、今週火曜日の夕方に米国から帰国しました。
テキサス州オースチンでの2泊3日の真氣光&沖ヨガセミナーは、ボストンの桑原浩榮先生と現地在住のメアリー・ニコシアさんの主催で、地元やカナダから鍼灸師やカイロプラクター、気功家、病院勤務など医療に携わっている方が多く、総勢十数名の参加となりました。
自然に涙されたり、声が出たり、体が動いたりなど、真氣光を受けることで体や気持ちがラクになり、マイナスの氣はプラスに変わるということを体験によって理解していただけました。
セミナー開催地のテキサス州は、奴隷が多かった米国南部にあります。
たまたま私は、飛行機の中で、リンカーンという実話をもとにした映画を観ていました。
リンカーン大統領は、南北戦争の中、奴隷制度廃止の憲法を困難のうちに成立させ、最後には暗殺されてしまいます。
基本的人権が失われ、たくさんの苦しみや悲しみ、辛い気持ちを抱えたまま亡くなった多くの人がいたのです。
参加者の中にも、そのようなご縁を持つ方がいたことでしょう。
私は、今後益々生活の中で、真氣光を活かして欲しいとお話ししました。
帰国後、水・木曜に個人セッションを行いましたが、ここでも人権を失い苦痛の中で亡くなった農民の魂が出てきたのです。
彼らは「働いても、働いても…」と、重い年貢に苦しめられた辛さを強く訴えていましたが、最後には真氣光によってラクになり、光の世界に逝かれました。
その時、私の頭に「年貢の収め時」という言葉が浮かびました。
江戸時代まで農民は、年に一度、年貢を納める必要がありました。
しかし、天候や災害で思うように作物を収穫できない、働き手が足りていないなど、年貢を払えない家も少なくなかったようです。
滞納が見つかれば、最後は無理してでも年貢を納めるか、受刑するかを選択しなければならず、これがこの言葉の由来です。
つまり、もともとは納めていなかった年貢を清算する時期のことを指すもので、これが物事の見切りをつける時期という意味になりました。
この年末に向かう時期は、このような年貢やお金、見切りをつけなくてはいけなかったことなどによって、悲しみや苦しみのうちに亡くなった、多くの人がいたことでしょう。
世界中には、現代においても、まだまだ人権が確立していないことが多いのですが、私たちの先祖は、たくさんの苦しみを抱えながらも、命のバトンを私たちに繋げてくれています。
私たちは、恵まれています。
努力できることもたくさんあります。
感謝の光とともに、真氣光の光が届きますようにと、お祈りしたいと思うのです。
(中川 雅仁)
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真氣光のエネルギーを集中させよう
私は、米国テキサス州はオースチンでの2泊3日のセミナーのため、まずは乗換地のロサンゼルスに向かっているところです。
あっという間に師走に突入し、毎年恒例の慌ただしさに加え、出張前ということもあり、やらなければならないことが目白押しの状態でした。
現在、真氣光プレートブースターが303台、プレートブースターミニ282台の累計出荷となり、年末の真氣光メンバーズの集いに向け、例年にも増して、真氣光のエネルギーは強くなっています。
光が増えると暗い影のようなマイナスの氣は存在できなくなり浮かび上がる、いわゆる好転反応が、現れることがあります。
私は、月刊ハイゲンキの真氣光教室で説明しましたが、マイナスの氣はちょっとした隙に集まるようにして現れます。
そのような時には、真氣光のエネルギーも集中させる必要があります。
マイナスの氣を意識して光を集める気持ちに加え、氣グッズを活用するのです。
家族の中の誰かがポイントになっていることもありますので、私はハイゲンキミニ・ハンドルタイプのパワーアップサービスを始めることにしました。
(正会員価格170,100円税込)ハンドルタイプは円筒状アクリルの中にエッチングシートが1枚入っている構造でしたが、シートを10枚に増やしてパワーアップさせるというものです。
もともとハイゲンキミニは、真氣光のエネルギーを一人に集中させるものですが、日光を虫眼鏡で集めるように、その集中度を上げるのです。
人は必ず周りの家族や先祖などの影響を受けているので、一人だけ光を受ければよいというわけではありません。
ハイゲンキや各種プレート、さらにはブースターなどで周りにも光を行き届かせてはじめて、今回のパワーアップサービスは効果を発揮することでしょう。
(中川 雅仁)
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目には目を歯には歯を
体と心と氣は、相互に強い関係があります。
ですから、体のいろいろな部位にマイナスの氣の影響を受けると、その部分の見えない光のような氣が下がり体の調子が悪くなることがあります。
時には、私たちの心と、マイナスの氣の心や気持ちが関係することがあり、それが体の症状となることがあるものです。
例えば、地団駄を踏んで悔しがると言いますが、悔しがったり怒ったりして激しく地を踏むような気持ちのご先祖がいたり、ご先祖が誰かにそのような思いを向けられていると、その人に悔しい気持ちが多くなったり、足が痺れたようになるのです。
さらには、歯を食いしばると言いますが、苦痛や無念さなどを懸命にこらえてきた方の影響を受けると、歯の調子がわるくなったり、かみ合わせや額関節症のような症状がでたりなど、すべてがこのようになるとは言えませんが、とても興味深いことです。
マイナスの氣は、苦しさや辛さを生きている人に知って貰いたい、分かって貰いたい、恨んでいる魂であっても思い知らせてやりたいということですから、体の部位と心や思いとの間に何らかの関係性が生じるのでしょう。
ところで、目に症状が現れる場合は、悲しいマイナスの氣の影響が多いものですが、やられたからやり返す、「目には目を歯には歯を」という言葉に関係することがあります。
この言葉を調べてみると、『受けた害に対して、同等の仕打ちをもって報いること。
ハムラビ法典の言葉。
旧約聖書の出エジプト記などにも見え…』とありました。
私たちは、やられたらやり返すものだと、それを正当化する時の言葉のように捉えていますから、マイナスの氣も、それを知っているのでしょう。
やられたからやり返したり、倍返しなどにすれば、その時気持ちはスッキリするかもしれませんが、さらなる強い報復の連鎖となって、後々の自分や家族、子孫にまで及ぶものになります。
私は「償え」と言うマイナスの氣にも、「それを繰り返しても苦しくなるだけだ。
その代わり、この子孫に光を送って貰い、ラクにして貰ったらいい、それができますよ」と言い、真氣光を送っています。
どんどん光が届くうちに、自然に恨みの気持ちが消えラクになるものですから、最後、光に向かって逝くときには感謝の気持ちをむけてくれるのです。
目や歯に症状はなくとも、何かおかしいと感じたときには、背後のマイナスの氣を意識して、自分がじっくりと真氣光を受けることです。
マイナスの氣に光が届かなければ、同じようなことが繰り返されてしまうからなのです。
(中川 雅仁)
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ご先祖に力をもらっています
気象庁は先日「エルニーニョ現象が発生したとみられる」と発表し、暖冬になる可能性が高く、この1週間の気温も全国的に平年並または高いと予想しています。
東京では朝晩少し寒くなってきたという今日この頃ですが、「足が冷え、足先にしびれを感じる」という方が、セッションに来られました。
氣を受けると、寒いところで一生懸命に働いていたご先祖が、辛さを分かって欲しいと出て来られ、氣を受けることでラクになり光になって逝かれました。
私のご先祖も、北海道ですから、さぞかし寒かっただろうと思います。
私は、除籍謄本をとり真氣光フレームの中に入れているのですが、謄本を見ると、いろいろなことがわかりました。
私の祖父の、さらに祖父にあたる人が明治初期、富山から札幌の丘珠という地域に渡りました。
それから、石狩川に沿って遡るように開墾できる土地を求め移住して、曾祖父の時代に、先代が生まれた今の深川市の山間の部落に落ち着きます。
本当に山の中ですから、交通も医療もなく、冬は馬そりが最も強力な交通手段だったとか…、今は、ブルドーザーなど機械がありますが、当時は主には人力で木を倒し、根を取り払い藪を切り開いて畑をつくったのでしょう。
私の父・先代もそうですが、東洋医学の治療家だった祖父も働き者で、95歳で亡くなりましたが、亡くなる直前まで仕事をしていました。
その祖父は、ある冬に積もった雪を除け、硬くなった土を掘って、少しずつコツコツと潅漑のために川の流れを変えてしまったと叔父たちが話していました。
私は、父をはじめ、そんなことができる祖父やご先祖を誇らしく思い尊敬しています。
また、そんな先祖に思いを向けると、少々朝が早くても、どんなに体が疲れていても、不平・不満・愚痴など、こんな事ぐらいで弱音を吐いてはいられないという気持ちになるばかりか、ご先祖が力を貸してくれるように思うから不思議です。
体と心と氣は相互に関係しています。
たぶん、体は疲れてマイナスのほうに傾いていても心が疲れない、つまり心がプラスの氣を引き寄せ、体を氣の面からケアするカタチになるとともに、真氣光を受け外からも氣を補充するので、仕事が出来ているのだと思うのです。
昔々は電気も機械もなく、水や食料も不十分など物質面ばかりではなく、無理矢理戦いに駆り出される・奉公に出される・嫁がされるなど自由もなければ人権もない、たいへんな時代を乗り越えて来た、ご先祖が一生懸命に生きてくれたお蔭で私たちが存在しています。
今は今で現代特有の辛さがあるかもしれませんが、恵まれているプラスの部分に目を向け、真氣光を受けながら乗り越えていただきたいのです。
(中川 雅仁)
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氣のエネルギーを大きく増やそう
昨日から、富士山での真氣光研修講座が始まりました。
私は、一昨日からこちらに来たのですが、散歩を兼ねて研修施設そばのスターバックスまで歩いてみました。
コーヒーを飲みながら、ふと見ると、僅かなスペースに毎年開催されている『富士山「絆」フォトコンテスト』での作品が十数点、展示されていました。
富士山登山での風景や友人・家族の写真なのですが、山頂で嬉しそうに映っている写真などがありました。
私も、サラリーマン時代(25歳の時)に、組合主催の富士山登山のイベントに参加したことがあり、それを思い出しました。
会社の同僚達に誘われて、仕方なく重い腰を上げたのですが、今思えば、その時に登っておいて良かったと思います。
それからは、仕事が忙しくなってしまい、そのうちに結婚したり、サラリーマンを辞めたり、先代が亡くなったり、いろいろなことがありましたから、富士山に登るという機会は、もう無かったことでしょう。
今では、体力が落ちていますので、はたして山頂まで辿り着けるか(笑)疑問です。
遠くから見ると、なだらかそうな山ですが、日本一の山だけあって、いざ登ってみるとけっこうな急勾配で、当時やっとの思いで、何とか山頂まで辿り着いて、ご来光を拝みました。
登り切った達成感と、眼下の景色で、とても気持ち良かったという記憶が残っています。
よく人生は、山登りに例えられます。
私は、氣のエネルギーというものが、生まれてから死ぬまでの間に、下から上へ富士山の稜線のように増えて行くものだと考えています。
ただ順調に増えるのではなく、いろいろな問題に直面して悩み、苦しみ、時には体調を崩して一時的に氣が落ちるのですが、そこから気づいたり、回復して、前よりも氣のエネルギーが上がる…そうやって上がったり、下がったりを繰り返しながらジグザグに、少しずつ上がっていくのです。
私は、真氣光のエネルギーを受けることによって、そのピッチが上がると言っています。
真氣光をやっていても、時には直面する問題に悩み、体調を崩すこともありますが、宇宙からのエネルギーを取り入れることで早めにクリアできるのです。
私も、いろいろな問題に直面しましたが、真氣光のお蔭で、これも何か意味があることかもしれないと、気持ちを大きく落とすことなく、前向きに乗り越えられてきました。
つまり、早めにクリアし、次に進むことができたのでしょう。
そうやって、頂上という死に向かって氣のエネルギーを大きく増やしながら、最後はどんな思いが湧いてくるのか?…出来れば希望を胸に光のほうに進みたいと思うのです。
(中川 雅仁)
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