我慢の話パート2

 今朝は、どうしても行くところがあり、一杯のコーヒーを飲みたいと思ったのですが、グッと我慢して出かけたのでした。
そんな我慢なら良いけれど、真夏の炎天下で喉が渇くという時に、我慢し過ぎたら、酷ければ熱中症で死んでしまいます。
寒いのもそうですが、空腹も我慢できません。
体に応えます。
私はサラリーマン時代、会社でのストレスが過度になったようで体調を崩し、氣のことがわかるようになりました。
 ところで、日本の漢方薬の会社が、今年1月、全国の20~50歳代の女性1万人を対象に「隠れ我慢」の実態を調べた記事が公開されていました。
結果は、▽疲れ・だるさ(23.8%)▽イライラ感(16.2%)▽不安感(15.6%)▽PMS(月経前症候群)(13.7%)▽寝つきにくい・目覚めが悪い・眠りが浅い・不眠(11.6%)▽冷え(11.3%)▽頭痛(11.2%)▽生理痛・生理不順・生理前後の腹痛(11%)▽言葉にしにくい不調(10.9%)▽便秘(10.7%)など、およそ8割の女性が不調を我慢して仕事や家事をこなしていることが分かったそうです。
そして、そのような不調があってもいつもどおり家事や仕事を行う女性(20~50歳代1000人)を対象に、不調を感じても我慢してしまう理由(複数回答)を聞いたところ、半数の人が休むと仕事や家事などに支障が出るからと、周囲との関係の中で葛藤する人が多く、更に半数以上の人が不調を我慢したことを後悔した経験があるそうです。
この記事では、隠れ我慢について周囲の誰かに相談する女性は半数もいない結果なので、一人で抱え込まないで下さいとありました。
 私は先月、極度に我慢しているマイナスの氣のことを書きました。
そのような氣の影響を受けると、我慢し過ぎる傾向になります。
また過度の我慢が、マイナスの氣を引き寄せ、氣を下げます。
だからといって我慢は悪いものではなく、例えば美味しいものを食べることでプラスの氣が集まりますが、だからといって我慢無く食べすぎると体を悪くします。
何が過度な我慢なのか?適度な我慢とは、どのあたりまでかが分かりませんから、自分で確かめることしかありません。
 しかし、氣の観点から一つ言えるのは、マイナスの氣が本来の自分をわからなくさせるということです。
真氣光を受け、マイナスの氣を遠ざけることによって、どんな人もストレスと感じていたことがそうでもなくなるように適度な我慢、つまりだんだんに辛い我慢をしなくてよい方向に進みますし、あるいはプラスの氣の応援により、一気に事態が解消する方向に進んだりします。
ですから、日頃から真氣光を受けることをおススメするのです。

大谷選手の活躍から氣のはなし

 きょうの朝のテレビでは、大リーグ・エンジェルスの大谷翔平選手が今シーズン、最も活躍した選手に贈られるMVP(最優秀選手)に選ばれたと報道していました。
大谷選手はピッチャーとして9勝、バッターとしてホームラン46本など、投打ともに自己最高の成績をマークしたということですが、投手かバッターか、ふつうはどちらかの道を進むというところですが、未知の道を進んでいる彼の姿は、実に素晴らしいと思うのです。
 大谷選手と言えば、高校一年生の時に監督の指導で目標達成シートを書いていると、話題になりました。
このシートは自分の強い目標(夢)を中心に置き、周囲9×9の計81マスに細分化した目標を書き込んだものですが、そんなに若いうちから、こんな事を目標にしていたかと感心させられます。
 大谷選手が中心に書いた目標は「8球団からのドラフト1位指名」で、これを達成するために必要なこと8つ「コントロール、キレ、スピード160キロ、変化球、体づくり、メンタル、人間性、運」を外周に記入し、さらにこれらを達成するための具体的な目標を8つずつ記入しています。
 私が感心したのは、ボールのスピードやキレなど技術的なこと、もう少し言えば体づくりやメンタルなどは磨く必要があると考えるでしょうが、高校1年生で「人間性」や「運」を高めるべく目標に掲げているのですから驚きです。
さらには、運を高めるためにゴミ拾い、部屋のそうじ、プラス思考、あいさつ、道具を大切に扱う、応援される人間になる、本を読むことを上げています。
 確かに技術的なこと、目に見える部分ができていないと、お話しにはなりませんが、どんな人にもプラスの氣による応援があれば、マイナスの氣が邪魔するように働く場合があるものです。
大谷選手は、技術的なことはもちろん、感謝や思いやりなど人間性を磨くこと、運を高めることを目標にして努力できたことで、プラスの氣の応援を得、マイナスの氣を遠ざけられたのだと思うのです。
 私たちには、仕事でも家庭生活でも、それぞれの目標があります。
どんなに良い方法がみつかって、一生懸命にそれを実行しても、マイナスの氣を集めることをしていては、良い方向どころか、勢力を増すマイナスの氣によって足をすくわれ潰されてしまうことにもなるでしょう。
 今日から、オンラインでの真氣光研修講座が始まりました。
どんな気持ちがプラス・マイナスの氣を引き寄せるのか?研修最初は、それを分類した「洗心のための指標」から始まりますが、この基本的なことが、やはりとても大事だと思うのです。
さらには、外からプラスの氣を集める真氣光も、お忘れなく。

食にまつわる氣のエネルギー

 9/17付このニュースで、私が再婚した話を書きました。
(今のところ)私の生活で一番変わったことは、食べるものです。
以前も、できるだけ自分で作ってはいましたが、忙しいこともあって決まったメニューが多く、どうせ一人分だからと余り物で済ませ、週末の出張では外食とコンビニ弁当でした。
最近は、家での食事が多くなり、味を感じる私の舌も変わったようで、塩分控えめが普通になったようです。
塩気などは中毒性があるようで、以前は味がはっきりしたものでないと旨いと感じなかったのです。
今でも、甘い物は好きですが、うす味好みになったことで、繊細さ?が戻り、特に野菜など食材そのものが持つ美味しさを感じられるようになった感じです。
つまり以前は素材のおいしさが良く分からず、塩味などで、元々の味が少々悪くても誤魔化していたように思うのです。
 そんな私のところに「本ができました」と、一冊の本が届きました。
「SHARE THE LOVE 大地を愛する人々」会員の尾崎靖さんが編集を担当したものです。
帯には『地球で、ともに生きるために、私たちに何ができるのか。
「大地にやさしい農業」を実践する57人の生き方』とあります。
写真付きで57人の農家さんの農業についての考え方や生き方が紹介されている本です。
全ページカラーのこの本は、写真が多く、志を持つ皆さんがカッコよく、美味しそうな野菜で溢れていて、見応え・読み応えのあるものでした。
尾崎さんの話では、日本は食料自給率が先進国中で最も低い37パーセント、離農する人が増えている状況です。
志ある人達と日本の食を少しでも支えられないか?と、この本はできたとのことです。
月刊ハイゲンキでも、定期的に農業に関わる方々を取り上げてきましたが、少しでも私たち消費者と地球を生かす農家さんとで日本を変えたいと思うところです。
 ところで尾崎さんは、9月の富士山での研修講座に参加していたのですが、講座前に編集作業終了の予定が終わらずに、講座中に徹夜して、ギリギリまで作業をしていました。
私は講座参加者の皆さんと応援しながら「意味の無いことは起こらないということだから、こんなことになって、この本には講座の良い氣が届いていますね」と、話していたのです。
 生き物をいただく「食」は、かつて生きていた命のエネルギー、つまり氣を貰うばかりではなく、生産者の氣、さらには流通・販売とそこに関わった沢山の人達、そして調理した人の氣を一緒に体の中に取り込むということですから、とても大事なことです。
この本もきっかけとなり、地球と全ての命のために、人々の意識が良い方向に変わることを望むのです。

チャレンジする気持ちを忘れない

 昨日、YoutTubeのライブ配信を始めて一年ということで、今までを振り返るという番組をやりました。
'13年より私はラジオ番組をやっていますが、それと比べて難しいことは、音に加え映像があるということと生放送ということです。
音と映像を出来るだけ綺麗に撮って、それを配信するとなると難易度がグーンと上がります。
また、この生放送の難点は、試験的に配信すると、それも流れてしまうので、予め準備が出来ないことです。
事前に収録して編集すれば問題が減るわけですから、良いものを見てもらうためには、収録映像を編集して配信すればよいのですが、私には、それをやっている時間がありません。
結局、少しでも何か氣のことを世の中に伝えたいという思いだけが先行し、ぶっつけ本番だから時間も費用も最小限という生放送に踏み切ったわけです。
よく言えばチャレンジですが、ズブの素人ですから、ある意味、あまりに無鉄砲。
しかし、ありがたいことに会員の皆さんが、これまでお付き合いしてくださいました、本当にありがたいことです。
反省点は多々ありますので改善していきます。
 チャレンジという言葉を調べてみると「挑戦すること、困難な問題や未経験のことなどに取り組むこと」と、あります。
氣の観点からみると、マイナスの氣による影響が、困難な問題を起こしたり、未経験なことに取り組む際に心配・不安や恐怖を感じさせるということが多々あります。
また、私たちを応援するように働いているプラスの氣は、親が子どもに思いを向けるように、私たちに挑戦して欲しいと願っているものです。
つまりチャレンジしようとすることは、マイナスの氣を遠ざけ、プラスの氣を近づけるというわけです。
 チャレンジというと、特別なことと思いがちですが、そうではありません。
よく考えると、未経験なことは周りにたくさんあります。
厳密に言えば、昨日と同じ事が、今日も起こるとは限りません。
さらには少しでも違うことを選択すれば、それは格段に未経験なことになる確率が増えるわけです。
何かフッと思いついて、昨日と違うこと、少しでも良いと思えることであればプラスの氣の応援でしょうから、それをやってみることなのです。
 困難な問題は、考えれば、いろいろあります。
パソコンが苦手、人間関係が上手く行かない、体の調子が悪い、等々。
それらを何とかしようと取り組むことは、そう思わせているのがプラスの氣の応援ですから、努力できることでマイナスの氣の影響が弱まるのです。
 真氣光の応援もあります。
マイナスの氣に負けないようチャレンジの気持ちを忘れないことだと思うのです。

過度の我慢

 今週、私は京都での真氣光研修講座を終えて、ほっとひと休みということで、長野で休暇をとっておりました。
講座参加者の皆さん、ありがとうございました。
先週も書きましたとおり、真氣光35周年のこの年に京都、それも御所近くで開催できたことは、とても意義あることでした。
1200年のあいだ政治や経済、文化、宗教の中心として栄えた京都は、古くからの佇まいが残っていて、とても落ち着く街です。
しかし、古くに生きた先人たちの中には、その伝統を変えられず、いまだに苦しみの中で耐え忍んでいる魂がいます。
 例えば、宗教に携わっていた人たちの中には、お経を唱えるなどの方法だけに囚われてしまい、本質を理解するところまで進めなかったことで、未だに光の方に向かえない魂もたくさんいます。
 私は、苦しむ彼らに、宇宙からのエネルギー・真氣光を使ってもらいたいと光を送るのですが、その光を受け入れずに、頑なに自分たちのやり方を変えることなく、変わるまいと、頑張ろうとします。
時代が進み、誰にでも宇宙やエネルギーといったことが分かるようになりましたが、彼らには分かりませんので、私は「お天道様と同じですから、この光を受けてみて下さい」と言うのです。
 そのような変わりたくない魂が、研修初日に出てきて「おまえは変われるかもしれないが、おまえの仲間たちは変われまい」と言っておりました。
研修が進むうちに、「氣づきの時間(いいとこ探し)」では、変わろうとする人たちの良いお話がたくさんあり、講座最終日には彼らに、私たちの大きな変化を見ていただけたように思います。
真氣光のエネルギーの素晴らしさを、私たちの変化をとおして理解して貰えたようなのです。
 私は、今年を変革の年と捉えていますが、このような時に、彼らを光に導くことができたことが、さらに私たちを大きく変化させるように思います。
 変わって良いこと、変わらないほうが良いことはありますが、変わらなければいけないのに、我慢し続けることで変われない魂たち、さらには変わってしまわないようにと、我慢と辛抱をし続ける魂たちを、今回の研修では、たくさん目の当たりにしました。
我慢することが大事な場合は多々ありますが、過度の我慢が氣を下げ、心や体を傷めつけることもあります。
この過度の我慢の裏には、プラスの氣が変わるべき道を一生懸命に教えてくれているのに、頑なに「変わるまい」と、マイナスの氣が影響を与えていることがあるのです。
 私も、必要な我慢と、不要な我慢をしっかりと見極めて、周りの人たちの力を借りて我慢を取り払い、良い方向に変わって行こうと思うのです。

京都御所を前にして

 今日から、京都での真氣光研修講座が始まります。
初めて京都で講座を開催できたのが、比叡山の麓で2013年のことでした。
その地にご縁を持って集まる人たちに、たくさんの真氣光を受けてもらうことで、集まる人が大きく変わるばかりか、その土地のエネルギーが上がることがわかり、私は'07年から日本全国で講座を開催してきました。
しかし、ご縁がなかったのか、当時なかなか京都で良い場所が見つからなかったのです。
それが比叡山の麓に良い研修施設があるとわかり、それから毎年のように開催できるようになったのですが、このコロナ禍で、そちらの施設が休業となってしまい、昨年から京都御所の近くで開催しています。
特に今年は、御所に面しているばかりか蛤御門から百数十メートルという立地の会場ですから、私は、すごくワクワクしているのです。
 真氣光のエネルギーは、生きている人ばかりではなく、苦悩する多くの魂を光に変えます。
しかし、このエネルギーが遠い宇宙から送られてくる強力な光であり、これまでの宗教のように地球由来のものではない異質さから、なかなか理解されないばかりか、最初は畏れや恐怖を抱く魂も多いようです。
 しかし、私たちが体験して真氣光を理解していくように、そのような魂たちにも徐々に光があたり、その変化から次第に、この氣の良さが理解でき受け入れてくれるようになるばかりか、積極的に利用したいと思ってくれるようになります。
京都にはそのような先人がたくさんいて、これまで多くの方をとおして応援の光になっていただきました。
 '13/8/23付のこのニュース(https://shinkiko.com/blog/?p=1769)に、『京都は歴史のあるところです。平安時代から明治時代に入るまでの千二百年という永い間、日本の首都であり、政治・文化の中心地だったわけですから、全国各地にもこの「京の都」に特別な思いをもっていた先祖など、ご縁のある方は多いと思います。読者の皆様も研修に参加しているつもりで、波動合わせをしていただければと思います』と、書きました。
私は、今年が真氣光にとって大きな変革の年と捉えていますが、その中でも今月の京都が大きな節目だと考えています。
個人的にも私にとって思い出深い土地ということもありますが、日本の歴史的中心から暗い部分を少しでも光あるものに変えられることで、真氣光の土台が確立されるように思っています。
氣というものの性質上、強い光を放てることで、その波動は自ずと周りに拡がります。
日本から世界に向けて光が拡がる時代の足がかりとなることでしょう。

富士山を目の前に

 富士山での2泊3日の真氣光研修講座が始まりました。
私は昨夜こちらに着き、今日は朝から良い天気なので、氣を送りながら富士山をバックに数枚の写真を撮りました。
富士山は、どっしりと雄大で、実に優雅なシルエットです。
私は35年ほど前に登ったことがあるのですが、先日の大掃除の際に、サラリーマンをやっていた頃の写真が、まだ整理されずに段ボールから出てきたのです。
入社同期の友人が労働組合の活動をしていて、「富士山登山をやるのだけれど人数集めの為にどうしても参加してくれ」と言うので、「しかたがない」ということで登ったのでした。
 この企画は、チャーターした大型バスで夜10時に職場前を出発して、山頂で日の出を見るというツアーでした。
登り始めは真っ暗ですから頭に着けたヘッドライトだけが頼りですが、あちらこちらから集まってくる人達で駐車場は一杯になり、ラッシュアワーの状態から一列になって細い道らしき所を登ります。
遠くから見るのと実際に登るのとでは大違い、登り始めると、すごく急な勾配で、まだ七合目、まだ八合目と、一合分を登るだけでもたいへんなことでした。
当時、体力には自信があったのですが、高山病でしょうか?寝不足からでしょうか?頭が痛くなり、そのうちに一歩足を前に出すのも難しくなりました。
何度、もうここで終わりにしようと思ったことか。
でも一緒に登っている友人達が「登るぞ」と声をかけてくれ、最後は「ここまで来て山頂まで行かなければ後悔する」という思いだけで必死に登りました。
何とか山頂に辿り着き、雲一つ無い晴天の中、ご来光を拝んだときには、何とも言えない気持ちになりました。
いま再び登りたいという気持ちにはなりませんが(笑)、本当に登って良かったと思います。
 何事もそうですが、外から見るのと実際に行動してみるのとでは、大きな違いがあります。
自分のこともそうですが、周りの人達のことも同じです。
私たちは、体をもって行動して、魂の光のような氣のエネルギーが増えるようになっていて、その大・小はありますが、誰もが体を維持し「生きる」ことで、それをやっています。
行動して何か達成できれば良いですが、結果が思うようにならなくても、やらないのとは大きな違いです。
もう一つ富士山を見ていて思う事は、たいへんな時こそ、どっしりと雄大に構えられるように、心に余裕を持ちたいと思うのです。
そのためには、日頃から、真氣光のエネルギーをしっかりと受け、私たちを生かしてくれている宇宙を信じ、与えられることに前向きで臨むことですね。

思い出に「片を付ける」

 私事でお恥ずかしい話ですが、9/14のYouTubeで、先月末に私が再婚したという話をしました。
本ニュース9/3号で近藤麻理恵さんの片づけ術をやってみた話を書きましたが、話の内容はこれを実践する中で最後の部分でもある「思い出のもの」に着手した話でした。
コンマリさんによると、片づけとは過去の思い出に「片を付ける」から片づけというのだそうですが、思い出のものは、片を付けるのが難しものです。
ほのぼのと良い思い出が湧き上がってくるものは、取っておいて、いつも身の周りに置いて見られるようにできるのですが、悲しい辛い思い出がよみがえるものは、取っておくのか捨てるのかと判断しなければいけないのに、手に取ることさえ難しいものがあります。
私も、亡き妻にまつわる思い出のものの中には、そのようなものが沢山ありました。
それも、時間とともに自分の中で少しずつ変化していき、今回の大掃除でしっかりと片づけられたのです。
 再婚も、いろいろなことがずいぶん頭の中をめぐり、考え抜いて決心したことです。
困ることもありませんでしたから、将来に渡って暫くは、これまで通り生活できるはずですが、もっと人生を楽しく、豊かにできるのではないか、どうせ生きるなら、よりワクワクする道を選ぼうと思ったのです。
自分が輝くから周りが明るくなる、真氣光はマイナスをプラスに、絶望を希望に変えてくれる宇宙エネルギーです。
最後は、自分の中から湧き上がる思いと、それを信じて、宇宙にお任せしたわけです。

大は小を兼ねる?

「大は小を兼ねる」ということわざを調べてみると『大きいものはそれ自体の役割の他に、小さいものの代わりとしての役目も果たすが、小さいものは大きいものの代わりにはならない。小さいものより大きいもののほうが、幅広く役に立つということ』とあります。
 真氣光の氣グッズは、一般的に値段が高くなると、取り出せる氣のエネルギーも強くなり、確かに真氣光を受ける際にも、大きな氣中継量のものは、暗くて強いマイナスの氣にも光が浸透しやすく氣の充電が早く進みます。
 では、氣中継量が小さなものは役に立たないのでしょうか?
氣の観点から重要なポイントの一つに、取り出せる氣の量は、その人の意識と強く関係しているということがあります。
 「氣を受けよう」と意識を集中することで、小さな氣中継量の氣グッズからでも、多くの氣を受けることが可能になるのです。
 もう一つが、いつも継続して使えることで結果的に多くの氣が入るということです。
 小さな氣中継量の氣グッズでも、いつも使っていることで、長い年月の間に水滴が岩をも削るように、マイナスの氣を光に変えるのです。
 このようなことから先代は、氣中継量の大きなものから小さなものまで、生活の中で使える様々な用途の氣グッズを商品化したのです。

 

ワクワクする心を大切に

 昨夜、YouTubeの生放送で我が家の大掃除の話をしました。
近藤麻理恵(コンマリ)さんの片付け術にのっとって、インテリアコーディネーターの田屋さんに指導を受けながらの、私には大仕事となりました。
このコンマリメソッドについては、このニュースの2011年末に紹介していますが簡単に言うと、トキメキという観点から必要と感じるものだけを残して、そう感じないものは感謝して捨てるということです。
捨てるというよりは、私の考えでは、自分との縁を切り離して地球に戻すということでしょう。
 当時私は、コンマリさんは氣のことを良く理解しているものだと感心したのです。
そういう私も、この10年の間に、トキメキを感じるかというと、そうでもないモノが大きなゴミ袋で100袋以上と、かなりの量になりました。
使われないモノには悲しいマイナスの氣が入ります。
収納には余裕があり、問題を感じていませんでしたが、知らないうちにマイナスの氣の影響を受けやすくなっていました。
 買う時には、トキメキを感じて買っていても、人はどんどん変わりますし、時代も変わります。
全てのモノを一度目の前に出してみて、一つひとつ実際に手に取って氣を感じるということでしょう。
氣の波動と物理的な役割、両方を感じて残すか残さないかを決める、つまり私の場合は、忙しさで、モノに対峙して感じようとすることが疎かになっていたわけです。
 全てのものには科学で捉えられないエネルギー、氣があります。
動物、植物、鉱物、‥人が作ったモノにもです。
例えばモノであれば、作ろうと考えた人の意識という氣、工場などで作った人の氣、流通させた人の氣、販売した人の氣、場所や使う人によって後から入り込む氣等です。
それを前にしてトキメキを感じる心からは、プラスの氣が発せられ、それに合わせて周りからプラスの氣が集まります。
良い氣が集まるから、よりいっそう良い方向に進めるのです。
 今の我が家は、すっかりモノが無くなってしまい、少々寂しい気もするのですが、これからは収納なども考え、新しくトキメキを感じるモノを増やしていく段階です。
私の場合、トキメキというよりはワクワク感と言ったほうが良いでしょうか。
ワクワクも嬉しい楽しいことを期待して心を躍らすということですから、トキメキと同様にプラスの氣を集めることになるのはもちろんです。
年齢が進むと、日頃の慌しさに翻弄されて、感じようとしないとワクワク感が少なくなるものです。
どんな人でも毎日の生活の中に、ワクワクする瞬間はあります。
マイナスの氣の影響を受けていると感じ難くなりますから、プラスの氣の応援がより受けられるよう真氣光を受けることもお忘れなく。