真氣光のエネルギーに波長を合わせる

 強力な氣中継器が活躍してくれていますので、きょうは氣のエネルギーを効率よく利用するには?という話をします。
真氣光は、先代が氣中継器ハイゲンキを夢で教えられて作ったことが始まりで、私はよく「氣が出る物がある」ことが他のヒーリングなどと違うところですと、お話ししています。
物から見えないエネルギ−が出ているとは、科学的にも証明できないので、なかなか信じられないのですが、使ってみて、それを体験できると、こんなに凄いことはありません。
なぜなら、24時間365日ずっと氣を受けられるということと、もう一つ、氣中継器の仕組みがある程度わかれば比較的容易に引き出すエネルギー量を強くできるからです。
 ところで、私たちの身体の中には、見えない光のような氣があるのですが、それは一様ではなく、調子の悪い所などは影のような暗い氣(マイナスの氣)の影響を受けて氣の滞り(暗くなっている部分)があるわけです。
そこに真氣光という光(プラスの氣)を入れていくと、光を失っているところに光が入って明るくなる、つまりそこに関係しているマイナスの氣がプラスの氣になる、ということが起こるわけです。
これは、すごく当たり前のように思うかもしれませんが、本当は凄いことです。
光(プラスの氣)と影(マイナスの氣)は水と油のように全く性質が違いますから、ふつうは油の中に水を注ぐと分離してしまいます。
水で、ある程度油を取り除くことはできても、油は変わらずに何処かに行くだけです。
ところが、交じりあって性質が全く変わるのですから、大量な光と、そこに強力な何かしらの作用があると考えるべきで、それが可能になるのは、やはり氣を出す物を私たちが使えるからなのです。
 ところで、氣は量ばかりではなく方向性があり、意識の向ける方に働く性質があります。
氣を受けよう、気づきを得よう、理解しよう、影響を受けているマイナスの氣は何だろう、プラスの氣の応援を受けよう等々・・、私たちが意識するから、氣の効果が上がりやすくなります。
たとえば私が氣を送る場合、氣を受ける人が、氣を受けようと意識してくれるから、真氣光のエネルギーの効果が引き出せるわけで、私一人がいくら頑張っても、寄せ付けないところには、氣は届き難くなってしまいます。
意識することで氣の同調作用が働くということなのですが、これはエネルギーの大小に関係しません。
ですから、真氣光のエネルギーをできるだけ効率良く使いたければ、よりいっそう意識をうまく使うことなのです。

個性を大事にしよう

 昨日まで、東京センターで2泊3日の真氣光研修講座を開催しておりました。
今回は、ゴールデンウィーク期間中ということもあってか、若い人、ご年配の人、ご家族、何十年も前から何回も参加している人に加え、初めての人も多い研修になりました。
 研修講座はいろいろな人がご縁を介して集まるものですが、この「いろいろな人」というところがポイントで、似たような人が集まるのも良いのですが、多種多様な人が集まるのも、また違った観点から、それぞれの学びが多くなるものです。
 普通のセミナーなどでは知識に応じて、初級、上級などクラス分けするような構成になりますが、この研修はそうではありません。
真氣光を受けて、いろいろなことに気づいていこうという場ですから、そういうことでは気づくことに初級、上級はないばかりか、多様なことでいろいろな気づきのチャンスが生まれるから良いのです。
かくいう私も、初めての人や若い人から、「なるほど」と思うことや感心すること、さらには質問されて初めて考えることで、自分の気づきになることなどが、たくさんあります。
 宇宙は、私たちに敬愛の心が大切だと伝えて来ています。
どんな人にも、尊敬するべきところ、自分には無いところがあるものです。
ですから「凄いなぁ、よく頑張っているな」等、その人の良いところを見つけられるようにすることです。
それには、それを感じられるセンサーを敏感にしていかなければいけません。
マイナスの氣が邪魔をするように、人の良いところを見えなくさせようとしますから、それに負けないように、「いいとこ探し」を心がけることなのです。
 また、私たち一人ひとりが、自分が生きるうえで、自分なりの考え方や生き方を培っていくこと、個性を磨いていくことも大事です。
これは他の人と違っていて良いわけです。
逆に違っているところに、その人の存在価値があるということにもなります。
ただ、マイナスの氣が、本来のその人らしさを歪めてしまうことがありますから注意が必要です。
 どちらもマイナスの氣が影響を与えることがありますので、真氣光を受けマイナスの氣をプラスに変えることは大切です。
そうすることで、人の良い部分が見えやすくなったり、プラスの氣の応援を受けやすくなることで自分の個性が本来あるべき方向に伸ばしやすくなるからです。
 SNSなどが発達して一人ひとりが情報を発信しやすくなりました。
このような時代ですから、一人の個性が、他に影響を与え、さらに連鎖反応のようにして、多くの人に影響を与えるなど良い氣の伝播が世の中を変えるのだと思うのです。
宇宙も、それを望んでいることでしょう。

言われた・言えないとマイナスの氣

 私たちは、夫婦や家族、職場の仲間や上司、友達等々、人間関係に悩むということが多いものです。
でも、その人間関係のお蔭で、嬉しいことや楽しい事、喜びもたくさん感じられ、自分自身を大きく成長させることができるというのが、私たち「人の間に生活している人間」ということなのでしょう。
ですから、できるだけ悩みあることも、そこから学びにして良いことにしたいものです。
 私などは口が重いので、意志の疎通が言葉無しにできると、どんなに便利なのかと思いますが、思ったことがそのまま伝わってしまうのも少々困ったことになりますから、やはり言葉を通して、しっかりとわかり合えるようにする「努力」というものが必要ですね。
 よく皆さんから聞く言葉に関するトラブルを考えてみると、大きく二通りだと思います。
一つ目が、誰かに暴言を吐かれて、それによって苦しめられたということです。
二つ目は逆の立場で、言いたいことが言えずに苦しんだり、悩むということです。
この場合、暴言でも何でも言えればスッキリするのに、周りの人のことを考えすぎたり気を使いすぎて、自分から言葉に出せなくて苦しむということです。
 どちらの場合も、氣の観点から考えると、マイナスの氣の影響を受けていることが考えられますので、それを考慮しながら真氣光を受けることによって、悩みが少なくなるのではないかと思います。
 一つ目の場合ですが、暴言を吐いている人は、たいていマイナスの氣の影響を受けているし、聞かなければいけない人も、その影響を受けています。
つまり、暴言はマイナスの氣によって言わされているし(ですから言ったことを忘れていることもあります)、それを聞いて落ち込むようにさせられているわけです。
このような場合、気にしないようにすることなのですが、そこが自分の弱いところだから気になり、マイナスの氣が付け入ってくるわけで、それに負けないためには何をしたら良いかを考えてみることです。
 二つ目の場合は、言いたいと思っている自分の魂が、口という体の一部を使えないということですから、そのまま放置すると、ますますマイナスの氣の影響を受けて、氣のエネルギーが落ちる方向になります。
まずは、誰か聞いてくれる人に話せれば、思っていることを口に出来るわけで、マイナスのループから抜けやすくなり、肝心な人にも言えるようになることがあります。
自分は何を気にしているのか、なぜ気を使っているのかを考えてみることです。
 どちらの場合も氣を受けながら、自分を見つめることで、そこに関係しているマイナスの氣が変わりやすくなりますので、真氣光をうまく使ってほしいと思います。

何か意味があることかもしれない

 先週末は宮島での真氣光研修講座が終了して直ぐに、私は飛行機の関係で宮島を離れなければいけませんでした。
時間があれば、もう一泊して、島の中央にある弥山に登りたかったのですが、残念でした。
実は一昨年、研修終了のあと1日滞在し、カメラを用意して登っているのです。
写真を撮って皆さんに、Instagramなどで山頂からの様子をお見せしようと、準備は万端でした。
当日、山に登ってみると快晴で、とても見晴らしがよく、アングルやカットも吟味して写真や映像をカメラにしっかりと収めたはずだったのですが、下山してみてビックリです。
あんなに一生懸命に撮ったものが、全く写っていなかったのです。
唖然としました。
カメラが動作しなかったのか?記録されずに消えたのか?理由がわかりません。
私は、カメラがメモリに記録する時にランプが光るので、しっかりとそれを確認していたのです。
何らかの操作ミスだったのかもしれません。
本当に力が抜ける程、ガッカリしたのを覚えています。
 私は、このような時に、カメラなどの技術的、物理的な問題や私の未熟さ等もあるかもしれないですが、何か氣の関係があるのかもしれない、何か意味があるのかもしれないと、考えるようにしています。
 宮島は、小さな島ですが、人との関わりが深い、とても歴史ある所です。
神社やお寺など宗教的なものが多いですし、戦いの碑も多く見かけます。
氣という観点では、いろいろな氣が、存在しているということになります。
今回の研修でも、真氣光を嫌がるマイナスの氣がたくさん光の方に行かれましたが、そのような氣の関係があったのかもしれないということなのです。
 私の場合、写真を撮って皆さんに見てもらうことで氣が届きやすくなりますから、それを嫌がるマイナスの氣の影響が考えられますし、逆に光が必要なので、もう一度来て登ってほしいというプラスの氣の影響かもしれない等と考えています。
 一般的に氣が関係している場合には、ただ単に邪魔をしたい、足を引っ張りたいというマイナスの氣ばかりではなく、応援してくれているプラスの氣が関係していることも考えられます。
どちらにしても、途中でやめてしまわないで、またトライしてみるのが良いでしょう。
私も、また今度の時には、時間を十分にとって、さらにはカメラもよく点検して、再度トライしたいと思っています。
ところで、今回の研修が始まる前でしたが、私の早朝散歩の様子を写真と映像に撮ってみました。
写真は既にInstagramで紹介したのですがYouTube でも配信しようと思っています。
お楽しみに。

牡蠣の産地・広島で研修講座が始まります

 今日から、広島は宮島での真氣光研修講座が始まりました。
広島といえば牡蠣が有名です。
こちらの宿泊施設は今年で6回目、滞在中の食事には必ず牡蠣が出ておりました。
スタッフが気を利かせて「会長は牡蠣アレルギー」と伝えており、今朝は私の分だけ牡蠣無し味噌汁が配膳されました。
ところが今回私は「牡蠣は大丈夫になりました」と説明して、残りの食事には気兼ねなく出していただくようにお願いした次第です。
 実は私、浪人時代に牡蠣にあたって以来、食べると気持ちが悪くなりトイレから出られなくなるという、もともと好きなものなのに、身体が受け付けなくなってしまったのです。
食後数時間して苦しい目に合うのですが、それ以降は後遺症もないので、いろいろ食べて調べてみました。
判ったのは、鍋やフライなどの調理法や新鮮さには関係なく、無意識に少量食べても駄目ということと、ニューヨークやボストンなど東海岸のものは大丈夫だけれど、同じ米国でもサンフランシスコでは駄目、つまり太平洋産ついでにインド洋産も駄目だったのでした。
 この話は2000年11月2日の本ニュースに書いており、その時に食べて駄目だったのが最後ですから、22年程試していませんでした。
それが今年の正月休みに、恐る恐る食べてみると「全く問題なし」晴れて解禁となったのでした。
近所の魚屋では、岩手産の殻付き牡蠣が美味しそうに並んでいますので、最近では頻繁に堪能しています。
 牡蠣の話ばかりではなく、人は氣の影響が変わることで、体質や性格も変わることがあります。
私も牡蠣については、さんざん試してはみたけれど、何か諦めのように捉えてしまっているところがありました。
さらには、40歳迄は試すという勇気もあったのですが、ある時から、苦しい目には合いたくないという気持ちが先行しておりました。
 人も動物ですから危ない事に遭遇したときは、それを恐怖として、しっかり記憶しておくようにできています。
そうしないと、命の危険に曝されやすくなり、場合によっては死に直結するからです。
ですから、酷い目に合った、大変だった、辛かった等の記憶は、とてもよく記憶され、それが強いと、時には喜び・楽しみや活躍の場を狭めることにもなりますので注意が必要です。
過去のマイナス体験に、マイナスの氣が影響を与えていて、心配や恐怖によって、本来なら出来ることが出来なくさせられていることがあるわけです。
毎日、真氣光を受けていると、そういうものもいつしか光に変わります。
そうすると、変わらないと思っていたことも変わることがありますので、命に関わることは難しいですが、勇気を持って試してみるのも良いでしょう。

勇気を持って踏み出そう

 今日は、4/1ということもあって、街中で新入社員らしき人達が、先輩社員を先頭に一列になって歩いているところに出会いました。
少々不安げな、それでいて明るい未来に希望を持つ姿に、かれこれ三十数年前の自分のことを思い出し、頑張って欲しい気持ちになり心のなかでエールを送りました。
 誰でもそうですが、先が分からない所に飛び込むのは、少々勇気のいることです。
会社に入社となれば、会社訪問から入社試験や面接まで、いろいろあったでしょう。
もう、やるしかないことなら、開き直って勇気を持ってやるしかありませんが、やらなくても許される場合は、なかなか勇気が出なくて困ってしまいます。
失敗するのではないか?後悔するのではないか?などと考えれば、より一層勇気は出てきません。
私も、過去を振り返れば、いろいろな場面がありました。
しかし、今となって思い出せるのは、勇気を出して良かったという思い出ばかりです。
 ところで、私たちの体の中には、目には見えない氣のエネルギーがあり、私は氣と体と心が相互に関係していると説明しています。
気持ちが下がると氣は低下し、体の調子が悪くなります。
一方、自分の頭で考え決心して(心を使う)行動する(体を使う)と、氣のエネルギーは増える方向に働きます。
行動した結果、自分にとって都合の良いことになるとは限らないので、私たちは良く考えたり、どうしようかと悩むのです。
しかし、勇気を持ってやってみて、仮に不都合な結果になったとしても、そこで大きな学びがありますから、無駄にはなりません。
あるとすれば、後悔や反省のし過ぎによってマイナスの氣の影響を受けてしまうことでしょう。
「失敗を次に活かすぞ」と、希望というプラスの氣を出す思いで対処すれば、それは発せられた光の効果で、よりいっそうマイナスの氣がプラスに変わりやすくなるわけです。
 一方、どんな人にも影響を与えているマイナスの氣は、その人の光が増えることを嫌います。
辛く苦しい思いがあるのですが、自分の力では変われません。
ずっとそこにいたいと邪魔をするように働きかけて来ますが、その手に乗っていると、いつまでも変われず少しずつ氣のエネルギーは下がることにもなるのです。
ですから、よく考えて、勇気を持って行動することです。
また、真氣光を受けることでも、マイナスの氣は、徐々にラクになると同時にプラスの氣へと変化しますから、勇気を持って行動しやすくなるでしょう。
 プラスの氣の応援により、決心しなければいけない状態にさせられることもあります。
ぜひ、必要な時には勇気を持って踏み出していただきたいと思います。

「真氣光庵・あかり」を開所します

 今週は福岡・志賀島での研修講座を終えた後、沖縄センターに行って来ました。
沖縄センターが閉所になることは、月刊ハイゲンキ誌でお知らせしましたが、後片付け等の作業が必要だったのと、スタッフの河地さんと相談&私のYouTubeチャンネルで取材したいと思いインタビューに行ったのです。
コロナ禍でセンターの来所数が激減したことで、私は昨年末「3月20日で閉所」と決めたのですが、実は河地さんの今後の予定については、この日まで未定でした。
インタビューの中で話していますが、河地さんは今月の誕生日で67歳、まだまだ若いので、私はもっと活躍できる場が無いかと、沖縄ばかりではなくあちらこちらに視野を拡げて探していたのです。
私は最近、センターという役割が、どんどん変化して来ていると感じています。
便利の良い都会に大きくて広いスペースも良いですが、このご時世ではそれも必要が無いですし、既に皆さん御自宅で強力な氣は受けられる環境にありますから、この役割も昔ほど強くなくなっております。
一人ひとりの生活に合わせた問題点の解決に向けて相談できる場としての、サロンやカフェ的なもの等々、いろいろなカタチも必要だと感じていたわけです。
 そのようなことで結局、河地さんのご実家を使わせてもらい、「真氣光庵・あかり」という、これまでに無い全く新しい形態でスタートしていただくことになりました。
場所は鹿児島県姶良市です。
市の文化会館「加音ホール」という所に、私も行ったことがあるのですが、そちらを借りてもイベントが開催できるでしょう。
 さらに今後も河地さんには、沖縄地区をはじめ昔からご縁があり会員さんも多い奄美大島などへ気功体験会で行ってもらいますし、九州あるいは他の地域にも活躍の場を拡げて貰いたいと考えています。
 ところで、先代が薬事法違反で1989年5月に48日間拘留されたところが加治木警察署だったと聞いています。
いま分かったのですが、調べてみると市町村合併で加治木警察署は姶良警察署に変わっていて、住所は河地さんのご実家から歩いて10分程、これもまた何か深いご縁を感じて驚いてしまったというわけです。
 先代が拘留された加治木署の話は「真氣光とご縁のある鹿児島」('14/7/25号)に書いていますので参考にしてください。
また、このインタビューはYouTubeで3/27(日)19:30〜私のチャンネル「それ、気のせいです【中川雅仁】」で配信します。
録画も観られますので、まだの方は、チャンネル登録をよろしくお願いします。

小言に注意してます

 先日の真氣光レッスンで、「7型と8型の登場で強いマイナスの氣もプラスに変わりやすくなっています。
恨みを持つようなマイナスの氣に付け入る隙をみせないよう、月刊ハイゲンキ3月号の真氣光教室を参考に注意して下さい。
怒り、不平不満、陰口、噂話などのちょっとしたことも隙になります」とお話ししました。
そういう私も、小言が多いということが最近わかりました。
ぶつぶつ文句を言っているように聞こえ、「また言ってる」という感じになり、結局何も妻の耳には届いていなかったということです。
よく考えると、これは要注意です。
洗心のための指標には小言は無いので見逃していました。
そこで調べてみると、小言を言う人の心理として良くまとまっているものを見つけましたので抜粋します。
 ①イライラを発散したい「自分の状況に余裕がなくストレスを抱えており、それを発散するために言う、八つ当たりのような心理状態」
 ②自分が絶対に正しいと思っている「どんなことでも他人に責任があると考え、自分とは違う行動をすると言ってしまう」
 ③人から褒められたい「小言を言ってミスを指摘することで、こんなことに気づくなんてすごい!と思ってもらおうとしている」
 ④人の幸せが妬ましい「幸せそうだったり能力のある人に嫉妬して、少しでも貶めたいと感じ言ってしまう」
 ⑤きちんと注意しているつもり「目に入ったことを的確に注意している、と思っており、ネチネチと言っている自覚はない」
 ⑥この人になら小言を言っていいと思っている「自分よりも立場が上の人には言えず、下の立場にいると思っているから言う」 とありました。
私の場合は、⑤に当てはまるようです。
対処法は
 ①言われたことをオウム返しする→それにより小言を言っていることを自覚させる。
 ②とにかく相手を褒める→人に辛く当たって自信を得ようとしている人には「そんなことに気づくなんて、さすがですね!」と褒める。
 ③子供をあやすように対応する→精神的に未熟な人には「そんなに怒っちゃダメですよ」「酷い言い方をしてはいけません」と大人っぽく対処する。
 ④余裕を持って受け流す→小言を受け流し続ければ言っても意味がないと感じるようになる。
 ⑤素直に謝る→謝ることで相手に非を認めさせたいという思いが無くなる。
 ⑥小言を言わないで欲しいと伝える。
 とありました。
 小言については、言っているほうも、それを聞かなければいけないほうも、マイナスの氣の影響を強く受けていることがあります。
もし、これらの対処法でも、なかなか解決がつかない時には、真氣光をじっくりと受けるなど、対処法と真氣光の組合せも有効かと思いますので、是非どうぞ。

誰にでも有効な真氣光

 先日、妻が受けた健康診断で、ある数値が初めて正常値外だったというのですが、三食きちんと食べることの重要性を先生に指摘されたそうです。
また「この食物は太りやすい」などとの思い込みにも気がつき、間違った食習慣を改善しているようです。
最近私も、昔から食べているものや、好きなもの、作りやすい物、食べやすいものなど、食べているものに偏りがあったことに気づきました。
 食物が体を作ると言いますが、人によって、いつも食べているもの、食べてきたもの、食べるタイミングが皆違います。
そのようなことから、顔ばかりではなく身長も違えば体重も違うし、先祖も違いますから遺伝子が違います。
どこに生まれたかということで、文化や生活習慣も違います。
ですから、十分にある栄養素もあれば不足がちなものもあるでしょう。
さらには、心の持ちようが違います。
チョットしたことも重く受け止める人と気にもしない人、結局それが体の状態の変化に繋がります。
つまり、当たり前のようですが、人間だから同じではなくて、私たちの体は一人ひとり皆違うということですよね。
 このようなことから、健康になるための方法(健康法)について考えれば、これも皆違うということだと思うのです。
同じようにすれば、誰でもが良いというわけにはいきませんし、ある人に効いたものが、ある人には効かなかったということもあるでしょう。
ですから、「〇〇が体に良い」とテレビで放送されれば、スーパーからその食材が無くなるというようなことは、気持ちは分かるけど、はたしてどうなのかな?と、私は思うのです。
 真氣光について考えれば、このような十人十色の体や心にアプローチする健康法とは違い、どんな人にもある氣を増やすという方法です。
真氣光という宇宙からのエネルギーを取り入れると、私たちの氣のエネルギ-は増える方向に働きますが、氣は体や心に関係していますから、自然にそれらが良い方向に変化するということなのです。
真氣光を外から取り入れて人の氣のエネルギーが増えるということについては、浸透のしやすさに違いはあっても、皆が同じ、人と人の区別はありませんから、誰でも同じように使えるわけです。
日本ばかりではなく、世界に目を向ければ、肌の色や骨格、風習や文化、宗教の違いなど、もっと多様化しています。
しかし全ての人に同じように使えるものが宇宙からの真氣光ですから、この特性を生かし、ますます多くの皆さんに使って欲しいと思うのです。

今できることに集中しよう

 昼ごはんの時でした。
私は、サバの塩焼きを食べていたのですが、骨がなかなか取れません。
それでもさらに一心不乱に取ろうとしていたようなんです。
妻に、横から「お茶碗、置いたら」と声をかけられて、はじめて自分が左手に茶碗を持ち、右手で格闘していたことに気づいたのです。
「あれ、そうだ」あまりにも、夢中になりすぎていました。
私は、ついついやらなければいけないことがあると、それが頭から離れなくなり没頭してしまう傾向にあります。
何か作業をしていると、それに夢中になるあまり、横で何か言われても頭にしっかり入っていない時もあります。
適当な返事は返しているようで、「さっき言ったでしょ」と言われて、「あ、このことか」と、はじめて認識できることもあるから危ないです。
私の場合、少し周りにも目配り、気配りすることが大事だということですが、私のこの集中力もけっこうためになることがあるものですから、結局は集中と分散、何事もバランスと言うことでしょうか。
氣の観点からは、集中できて良いことが多いので、今月の氣配り画像の言葉は、これにしました。
 何よりも、物事に集中できることによって効率が上がります。
特に、やらなければいけないことが多い人、取り組むことの難易度が高い時には、一つ一つに集中して順番にやることです。
 さらには、過去に囚われ後悔が多くなる時、不安・心配事に苛まれる時、困難や問題となることに直面し「どうしよう」と焦る時など、マイナスの感情に陥っている時は、まず何をしなければいけないか、何ができるのか、それをしっかり考え、今できることに集中しようとすることで、マイナスの氣の付け入る隙が無くなります。
 逆にマイナスの氣は、考えがまとまらないよう、あの手この手で邪魔をして来ます。
ですから、そのような時には、マイナスの氣の影響を受けている可能性があることを意識して、真氣光をしっかり受けることです。
 また、この真氣光を受ける時にも、氣を受けているうちに眠ることなど無いよう、気持ちを集中させて受けることで、プラスの氣とも波長が合いやすくなるのです。
 ところで、まもなくお手元に届く月刊ハイゲンキ誌4月号にハイゲンキ8型の詳細を解説し、今月から発売するとお知らせしました。
高い氣中継量を集中させて照射する7型に続いて、広く照射する8型の発売となります。
広く物事を見ながら、集中して問題や課題を解決するのと似ていますが、この二つのタイプの氣中継器が、今後ますます、より深いところにあるマイナスの氣をも効率よく光に変えてくれることを期待するのです。