岡山での研修講座から

今月は、つくばみらい市を離れ岡山で真氣光研修講座です。私は昨日水曜日15時の便で一日早く羽田空港から岡山にやって来ました。こちらは小高い山の上、まだ少し桜の花が残っていて、そこにツツジが咲き始めており、日本のエーゲ海と言われるそうですが、眼下には朝日百選に選ばれる絶景が私たちを待っていてくれました。今日は昨晩からの強い雨にもかかわらず、地元岡山を始め四国、中国、関西地区から61人の受講生が無事時間通りに集合し、熱気に包まれる中、一日目のスケジュールを終えたところです。
ところで私はと言えばこちらに来る際、予約していたはずの羽田→岡山の飛行機チケットが、何を間違ったのか次の日の予約になっていてドキリとする一幕がありました。私の場合、交通宿泊関係は全部自分で予約しているので、誰に文句を言えるはずもなく、私のうっかりミスであることは明白です。滅多にこのようなことは無いのですが、カレンダーの読み間違いとしか言いようがありません。結局は飛行機に空席がありましたので無事に乗れたのですが、来月の連休など旅行シーズンであればまず無理だったでしょう。念を入れて日時のチェックをしているつもりでしたが、チェックの仕方を変えた方がよいようで、早速自分なりに対策を立てたのでした。
ところで念とは(1)思い・気持、(2)心くばり・注意ですから、念を入れるとは、まちがいがないよう気を配って物事をする。つまり強く意識することにより自分自身の魂の光が増え、それは自分にとってプラスの氣となり作用することになり、マイナスの氣が邪魔をしようと狙っていたとしても、それを浄化する力を有するものです。真氣光研修講座は参加者とそのご縁のある方々の魂に、たくさんの光が届きます。光が増えることで今まで存在してこられた魂の中には、もう居られなくなって、より次元の高い世界に旅立たなくてはならないものもいます。研修講座は始まる前から、好転反応のように一見マイナスなことが出て来ることがありますと、皆さんに話しているのですが私にも当てはまるわけで「研修講座に行かせたくない」、いつまでも止まっていたい、そのようなマイナスの氣の抵抗ともとれるわけです。念には念を入れるというスタンスを忘れてはいけないということでした。しかし、そんな状況でも事なきを得られたのは、いろいろ守ってくれているプラスの氣のお蔭です。今回たくさんの受講生の皆さんが無事に来られたのも、その大きな力のお蔭であり、感謝するとともに、この4日間期待に応えられるよう精一杯光を送りたいと思ったのでした。

思いがけない出会い

先週の土曜日に、熊本の方々が中心となって、鹿児島で「会長を囲む会」を開催していただきました。私は一年ぶりの鹿児島で、久しぶりにお会いする方もいらして、有意義な一日を過ごさせていただきました。皆様ありがとうございました。ところで帰りの飛行機での出来事です。私はパソコンなどを開いていたものですから、最後のほうになりながら慌てて搭乗したのです。座席を確認して座ろうと思ったら「会長!」と声がかかりました。「あれっ」と隣を見ると東京女子医科大学の助教授(今は同大付属青山自然医療研究所クリニックの所長です)川嶋朗先生がニコニコしながら座っているではありませんか。なんと奇遇なことか、通路を挟んで隣の席だったのです。川嶋先生は皆さんもご存じでしょうか?月刊ハイゲンキ2005年7月号での対談記事でご紹介しましたが、それ以前からハイゲンキ誌では連載をしていただいたり、真氣光を活用した結果を論文にしていただいたりと、ずいぶんお世話になっている方です。川嶋先生は女子医大元教授の阿岸先生の紹介で14年ほど前に生駒での研修講座を受講されています。その阿岸先生は、退官される前に『外気功が下肢閉塞性動脈硬化症(ASO)に及ぼす効果』という論文を出していますが、その研究にたまたま研修講座の卒業生が協力したという繋がりなのです。後で分かったことですが、お二人とも学部は違いますが私と同じ大学出身でした。私は対談の取材からお会いしていなかったので3年ぶりです。先生も鹿児島は一年ぶりとのことで、講演して日帰りとのことでした。私は先日ある会員さんと川嶋先生のことを話していたところだったので、「おうわさをしていました」とお話ししました。先生は一年前に「心もからだも「冷え」が万病のもと 」(集英社新書)という本を出されていますが、その関係で講演を頼まれることも多いようで土曜日もお仕事と、かなりお忙しいようです。お互いに、一年に一回行くか行かないかの場所から同じ飛行機に乗り、たくさんある座席から、通路を隔てたとは言え隣の席を選ぶ確率は、いったいどれぐらいになるのか?ちょっと見当がつきません。奇遇という言葉が日本語としてあるぐらいですから、このような偶然の出会いは、確率論では考えられないぐらいの頻度で、日常の場では起きているのでしょうね。私には見えない力(これも氣の一種でしょうが)働いているとしか思えません。川嶋先生は、お子さんやクリニックの皆さんにお土産をと…大きな荷物を持って「来週は韓国です」と言っておられました。「それでは、また」とお別れしましたが、私は後ろ姿をお見送りしながら、ご活躍をお祈りしたのでした。

お彼岸に真氣光

今日から、つくばみらい市での真氣光研修講座が始まりました。3月の研修は、お彼岸に合わせて開講ということもあって、遠隔真氣光の申し込みには「ご先祖に氣を・・・」という方が多いのですが、研修講座の受講生の中にも、「ご先祖に氣を送りたくて毎年この月に受講しています」という方もいらっしゃいました。講座を受講することで、たくさんの氣を取り入れることができますので、それが周りの方々やご先祖にも届くのです。ついつい自分の目の前のマイナス的な出来事に心を奪われがちになりますから、そのように考えられることは本当に素晴らしいことだと思います。ご先祖と私たちは繋がっていますから、今自分に現れているマイナス的な現象は(それは身体に現れることだったり、心の悩みになって現れることだったりするのですが)、かつて先祖の誰かも苦しんでいたかもしれないということであり、そしてそういう場合、自分が癒されるのと同時に、その人達の魂も癒されるということなのです。
私は小学生のときに肝臓を患って一ヶ月ほど学校を休んだことがありました。病院に行くと「直ぐに入院」と言われたのですが、父や祖父の指導による家での食事療法と東洋医学で良くなったのでした。次の学年に上がる頃には、そんな病気をしたとは思えないくらい元気になってしまいましたが、氣を知るようになって分かったことは、私の母方の祖父が肝臓癌で亡くなっていますから、その繋がりがあったのかもしれないということなのです。さらには祖父のもっと上にも何か同じようなことが原因の人がいたかもしれません。私の病気がきっかけで、自然食や東洋医学などに興味を持った父が、我が家に一大健康ブームを持ち込み、それが二十年後にはハイゲンキの発明に繋がることになったとも言える一件だったのです。
皆さんの中には、身体の不調や心に悩みがあるから氣を知るようになったという方がいらっしゃるかもしれません。そういう一見マイナスの出来事から氣づき学べることで魂は輝きを増し、その光は周りにも及びます。さらには真氣光を受けることで、それが加速されるのです。ですから、ご先祖様の中には子孫の誰かがより一層光り輝くことを、今か今かと待ち望んでいることがありますし、さらにはご先祖や守護霊のような存在がハイゲンキに縁を持たせたいと導いていることも多々あります。生きている人、一人ひとりが光の入り口なのです。直接お墓参りに行けなかった方も、そんなことを意識しながら、まずは自分自身にたっぷりと真氣光を充電していただきたいと思います。

バイキングと洗心

私は真氣光セッションやセミナーなどで、北は札幌から南は沖縄まで全国8カ所のセンターを月に一度のペースで回りますから、だいたい週末は出張でホテル住まいをしております。このような生活を十年以上していると、すっかり当たり前のことになり、「出張がたいへん」だとか「旅ができて嬉しい」さらには「あそこに行ったら何を見よう、何を食べよう」などという感覚もあまりなくなってしまっています。人に言わせると「もったいない」ということかもしれません。しかし数年前あたりから苦悩?になっていることは、食べる時間と食べるものに氣を付けないとアッという間にメタボ体型になってしまうということです。夜遅くホテルに着くことが多いので、夕食は軽く適当になりがちですから、その分朝食はできるだけしっかりといただくようにしています。
ところで最近はどんなホテルでもバイキングが多く、ついつい朝から食事の量が多くなって困ります。バイキングについて調べてみました。食べ放題(ビュッフェスタイル)の飲食サービスを指す和製英語。日本で初めてビュッフェスタイルを導入した帝国ホテルの担当者が、‘57年のアメリカ映画「バイキング」に着想を得てその名をつけた。当時上映していたこの映画に出てくる船上での食べ放題、飲み放題のシーンを見た数人が「バイキング料理」を提案し、「インペリアルド・バイキング」という名前が採用されたということです。それから約50年、今ではランチバイキング、カレーバイキングにケーキバイキング、自然食バイキングと、人気があるのかどこでも順番を待つ列を目にします。
たくさんの種類に弱いのだと思います。あれも美味しそう、これも美味しそうと、いろいろなものがありますから、ついつい食べ過ぎてしまいます。経済学に「限界効用低減の法則」というのがありますが、おなかがすいている時に食べるご飯は、とてもおいしいけど、腹がふくれてくるとおいしさを感じなくなるものです。しかし気持のどこかに「値段以上に食べないともったいない」などという貧乏根性が潜んでいるのでしょうか、氣を許すと洗心の指標にある「よろしからぬ欲」に引っ張られ、それに負けない「強さ」を見失いがちになります。洗心の「強く」とは希望を見失わない強さでもありますが、誘惑に負けない強さでもあります。腹八分が実に難しい。そういう意味では私にとって朝食バイキングも精神修養の場になっているようです。

よろこんで

ある居酒屋に入って注文したところ、「はい、よろこんで」と、店員皆が「よろこんで」を連呼しており、少々圧倒されてしまいました。言葉も言霊と呼ばれる氣のエネルギーを持っていますから、プラスの言葉が飛び交うことで、店員も店の氣も良くなることでしょう。先日私は妻に「廊下の電球を付けて」と言われて「んーっ」と生返事をしてから、まだ取り替えていないことを思い出しました。どうせやるなら「よろこんで」と引き受ければ、どんな反応をしただろうかなどと想像しておりました。それと同時に、昔父に言われたことを思い出したのです。確か小学生高学年の頃のことです。時々、私は父や母に用を頼まれると「え〜、勉強しようと思っていたのに」とか「嫌だな〜、僕じゃないといけないの」と、ひと言何か言っていたようなのです。ある時、父に何かを頼まれたのですが、その時も何だかんだと不平を言っていたら、「おまえ、どうせやらなきゃいけないのだから、気持ちよく引き受けなさい」と注意されたのです。父は笑いながら言っていたのですが今でもしっかりと思い出せます。洗心の指標の御法度の心の中に不平・不満という項目がありますが、私の場合、もう決まっていて、どうしてもしなければならないことなのに、ひと言何か不平不満を言っておかないと気が済まなかったようなのです。もちろん直ぐに気持が切り替わることはありませんから、頼まれたことをやっているときも、ずっと面白くない気持のままだったことを覚えています。その癖が大人になっても抜けなかったので、勤め始めても上司に対して不平不満の心がたくさん残り、だんだん調子が悪くなって当時下田でやっていた真氣光研修講座に行くことになったのだと思います。
氣の観点から言うと、自分から進んで「やろう、やってみよう」と思えると、その時に魂の光が増すのです。逆に後ろ向きの気持では、それがありませんから、上手く事が運ぶ確率も低くなるばかりか、不満のマイナスの氣が周りからたくさんのマイナスの氣を集め、足を引っ張るのです。当時、上司から私に声がかかったことは、いつも「私で、いいんですか」「私が、ですか」と言っていたように思います。しかし研修講座を受講して、そういう心がマイナスの氣となって自分に集まることを勉強して、来るものには理由がある、どうせやるなら「私で良ければ、よろこんで」という気持になったのでした。私も随分変われたようなのですが、まだまだです。やはり身近な人が一番手ごわいようです。

真氣光を体験してもらって

昨日は、昨年より新宿で毎月一回開催している、「氣のお話と体験」という初めての方を対象にした無料体験会の日でした。2時間ほどの体験会ですが、いろいろな方が来られるので私自身も良い刺激になり勉強にもなります。この体験会は真氣光の体験を主にしたものですが、氣の同調作用という観点から氣と真氣光について少しでも理解していただくと吸収力があがりますから、簡単に説明した後、真氣光を10〜15分ほど受けていただき、さらにもう少し詳しい話をした後もう一度15分ほど真氣光の時間を設け、2回に分けて氣の体験ができるようにしています。
皆さんは、氣をあまり知らない人にハイゲンキや音氣などの氣グッズで氣を体験してもらった事はあるでしょうか。真氣光を受けた後、どんな感じだったか、その反応を聞いてみると(1)良い感じがする、(2)よく分からない、(3)辛くなったり重くなったりといった好転反応が出る、というように大きく3つタイプに分かれます。(1)の人はあまり抵抗なく真氣光を続けてくれますが、(2)(3)に当てはまる人に真氣光を理解してもらうのは少し難しいものです。特に(2)の人は、いろいろなマイナスの氣が邪魔をしていたり、真氣光の波動になかなか同調しづらいということで、もう少し氣の充電をしてもらうと良い効果が出てくるものです。氣グッズなどを活用するなど続けて氣を受けてもらえるような工夫が必要です。(3)の人のように一見悪い症状が出てきた時には、普通は「もう止めよう」と思いがちですが、私の経験では氣を受けて短時間に変化すればするほど氣の効果が出ている状態であり、もう少し氣を集中させることによって、あるところでどっとマイナスの氣がプラスに変わり、(1)の人以上に良い効果が得られるのです。そのような時は、もう少しマイナスの氣に意識を集中させて、より強い真氣光のエネルギーを集められるように促します。私は、氣を受ける人に気になる所はどの部分か、どんな具合かなどを質問して、その人の意識をマイナスの部分に向けさせるようにし、身体に入ってくる氣の光がその部分に集まるように想像してもらうようにしています。人によって溜まっているマイナスの氣が違いますので一概には言えませんが、マイナスがプラスに変わるとき、咳やあくび、涙などが出ることもあります。辛かったところが軽くなったなどの効果があったときは、その人ばかりではなく周りのプラスやマイナスの霊的な存在の力にもなれたということなのです。ですからそのようなとき、私は何とも言えない嬉しい気持になるのです。

漢字を思い出せない

私はこの原稿をパソコンで書いておりますが、もはやこの電脳箱がないと時間がかかって文章を全く書けない有様です。サラリーマンをやっていた20 年ほど前、報告書をワープロ書きしている同僚を眺め、当時キーボードアレルギーだった私は、綺麗に書くために時間を掛けるなどあまり意味がないと冷ややかな目で見ていたものです。そのうちに、どうし
ても使わなければならない状態を当時の上司に強制されたのが始まりで、今ではすっかり依存症になってしまいました。パソコンを使うと、読みをローマ字で入力して候補に出る漢字から良さそうなものを選択すればよいだけです。こうなると漢字を忘れてしまって、読めるけれど書けない、つまり「こんな感じだ」とだいたいの形や雰囲気は分かるのですが、文字の詳細がはっきりしなくなります。
先日新聞に、何でもランキング「書けなかった漢字は?」という記事が載っていました。パソコンなどのヘビーユーザーを対象に漢字テストを実施し、「書けない漢字」を探ってみたというものです。参加したのは20 代~60 代以上の男女67 人。まずは「小学校で習う漢字」からの出題。そのワースト1 は人工?(えい)星で正答率53 .7 %。私は「衛」の字は書け、他の出題も難なくクリア、10 問全部書けて一安心したのですが、次の常用漢字になると途端に分からなくなりました。正答率の良かった10 位「注意?(かん)起」正答率25 .4 %も駄目で10 問全敗という結果に少々自信を無くしました。 実 は今年に入って妻が、頭の体操にと漢字検定3 級試験問題集を買ってきて、一人でやっているのを横目で見ていたのです。聞けば中2 終了程度ということ、頭を使っていない妻には丁度良かろうぐらいに、私は少々馬鹿にしておりました。ところがこの一件で問題集をよく見てみるとこれが難しい。合格率5 割程度、二人に一人は落ちるという問題で、日頃使っていない脳の衰えに愕然とした次第です。身体の筋肉同様、脳も使わない部分は血流が悪くなったり衰えるのでしょう。血流が悪くなり老廃物が溜まると細胞のもつ生命エネルギーが下がる、つまりマイナスの氣の影響も受けやすくなることでしょう。良い氣=真氣光を取り入れて十分な効果を引き出すためにも、マイナスの氣を寄せ付けない工夫は大事です。便利な物が溢れる世の中ですから、頭の使い方も意識して変えないといけない。そんなわけで目下、ぼんやり頭を気にしている妻が問題集と一緒に買ってきた「脳が冴える15 の習慣」(築山操著、生活人新書)なる本にも興味が引かれ、脳トレ実践方法を勉強中です。

房総に行ってきました

先週の初雪、大寒を挟んで昨日は東京でも若干の積雪があり、雪を楽しんだ方もいらっしゃったのではないでしょうか?北国育ちの私にとって、小さい頃には「雪が降って嬉しい」という感覚があったにも関わらず、それをすっかり忘れ、「寒い、寒い」とマイナス気分になっていたところを、逆に楽しそうにしている人にお会いして、思い出させていただきました。
ところで先週、私は東京湾アクアラインを通り房総半島を縦断して太平洋側にまで足を伸ばしてきました。3月号の月刊ハイゲンキ「新紀行」というページで、皆さんに一足早い春を感じていただきたいと、房総の花の写真を撮りに行ったのです。当日、快晴ではありましたが、「初雪降る」のニュースとともに幾分冷たい強めの風が吹いておりました。中には心なしか凍えている様子の花もありましたが、そんなことは諸ともせず大方の花たちは、あちらこちらで、色とりどりに咲いておりました。彼らのおかげで取材は無事終了、この様子は誌面でゆっくりご紹介したいと思います。
ところで、かつて日本史上の大きな変わり目で、ここ房総の果たした役割は非常に大きなものがあります。1180年に源頼朝は、石橋山の合戦で数にまかせる平家の大群に敗北を喫し、ひとまず房総半島に逃れるべく三浦半島から海を渡ります。そしてわずか40余日という短期間で関東の武者を束ね、巨大な反平氏勢力のリーダーとして、その存在をきわだたせたのでした。もし、この地の武士達が居なかったら、歴史は一体どうなっていたのでしょう。
源平の時代から戦国時代にかけて、たくさんの武士達の戦いがありました。武士ばかりではなく、巻き込まれた家族や農民に至るまで、数えきれないほどの悲しみや憤り、さらには無念の思いがあったことでしょう。私が氣を送っていると、その頃の魂たちが、氣を受けている人の口を借りて出てくることがあります。昨年は「たくさんの武士達に光を与えて欲しい」という魂もあり、何百年経っても辛い思いは変わらずに残り続けることを痛感しました。
観光とは「光を観る」と書きますが、その地の素晴らしいところ、つまり光の部分に触れるということがあるのだと思います。さらに私は、氣を知るようになってからは、その地の歴史に触れることも大事だとつくづく思うようになりました。当時の人々の気持ちを感じることで、「その時に生きてくれていた人々があったから今がある」という感謝や畏敬の念を抱くことができ、それが良い氣(光)となって、かつてそこに生きた人々を輝かせるのです。そういう意味では今回、短い旅でしたが良い観光ができました。

より意識して氣を受けよう

昨年12月のメンバーズの集いに合わせてホワイトセラミックヘッドを発売し、これまで本紙や月刊ハイゲンキでいろいろと説明してきました。多くの方に購入いただいたお蔭で、今年に入り真氣光の波動がさらに大きく変化しつつあることを実感しましたので、少しお話ししたいと思います。
変化したと言っても、真氣光のベースは変わることなく、魂に浸透し氣づきを促すエネルギーです。私は、新しいヘッドの発売によって身体にも作用する波動がプラスされたようだとお話ししました。私のホワイトセラミックヘッド開発の狙いは、電気で氣を作っているわけではないけれど、振動や熱を発生させることによって、従来よりも身体に大きな刺激を与えることができるので、自ずと意識され注意が向くことで氣の吸収力が上げられるという効果でした。氣は目に見えるものではありませんが、氣を感じようと強く意識することによって宇宙の波動にチャンネルを合わせることになるのです。どうも新しい波動は、より繊細で浸透力のある強力な、より高次元の波動のようで、それにチャンネルを合わせることがとても重要なようなのです。しかし逆に言えば、チャンネルが合いさえすれば、瞬時に今までにない大量のエネルギーが受けられるため、長い時間氣を受ける必要がないと思われます。今まで私は、「氣の充電」と「意識的に氣を集める」という二つの氣の受け方について説明してきましたが、この新しい波動は後者の「氣を集め・送る」という方法に適している波動とも言えるでしょう。
ですからホワイトセラミックヘッドを使う時には、通電して振動と熱を発生させ、見えない光のような氣が身体に吸収され、氣を必要としているところに集まっていくように想像出来る方が良いわけです。しかし、そのように集中して意識するには、時間的な限界があります。私の場合はせいぜい10〜20分で、それ以上の長時間は難しいのですが、従来よりは氣が集まりやすく短時間で良いようです。時間を掛けなくてよい分、自分の氣づきに基づいて決心して行動する時間に当てられるという利点があるでしょう。
このような傾向は、新しいヘッドばかりではなく、次第にいろいろな氣グッズやヘッドにも現れてくると思います。そして将来的に、氣の受け方がもっと変わってくるかもしれないのです。これは時間が少なくなっている現代人には適したものと言え、さらには宇宙から、もっといろいろなことを活動的にしていくことが要求されているのかもしれません。詳しい話は、19日に行われる今月の真氣光レッスンでお話ししたいと思います。

皆様、あけましておめでとうございます。

たくさんの年賀状と年賀メールをいただきありがとうございました。本年もよろしくお願いします。私は、5日から沖縄、東京と会長セッションで周り、今日は新年最初の真氣光ニュースとなります。皆さんは、年末年始をどのようにして過ごされたでしょうか?久しぶりにご家族とゆっくりされたでしょうか。あるいは、お仕事の方、中には入院中、療養中の方もいらっしゃったかもしれません。
私は、年末ギリギリまで忙しくしていたのですが、郷里札幌で高校時代の同級生が数名集まるというので、2日に全国的に有名な歓楽街ススキノに繰り出して来ました。私はお酒をあまり飲めませんので年に数えるほどしか居酒屋にも行く機会がありませんから、正月早々貴重な体験でした。今年は高校を卒業して30年、取りまとめの幹事期ということで、夏の同窓会開催のために、皆いろいろ準備をしているそうです。土日を活動に当てているそうですが、残念ながら私は週末は仕事ですので、すっかりご無沙汰状態です。
ところで、私は真氣光のことを理解してもらうためのセミナーを随分開催していますが、同級生など昔の友人達に氣のことを理解してもらうのが一番たいへんです。高校、大学さらにはサラリーマン時代、私は氣とは無縁の生活をしていました。どちらかというと優等生というよりは劣等生で、健康というよりは不健康、さらには行動的でもなく、私の父・先代に言わせれば「邪気だらけ」のタイプでした。そんなことから、彼らにとって私のやっていることは、全く理解できないということなのでしょう。私が説明しても頭ごなしに、いかがわしいという顔をして、最初から「聞く耳持たず」という状態なのです。まぁ昔の私を知っていれば頷ける気もします。よく会員の皆さんが氣のことをわかってもらうのに苦労するという話を耳にしますが、私もそれを痛感し、逆にとても勉強になりました。
「先代のように白髪に白髭、仙人のような風貌であれば信じてくれやすいのに」と思うところですが、私はごく一般的な、普通のおじさん的風貌です。しかし、逆にそれが良いのだと思っています。先入観ではなく、よく説明を聞き氣を理解してもらうことができますし、さらにはじっくり納得するまで氣を体験してもらうこともできるからです。先代が亡くなった時に、私に会長の役が回ってきたということは、宇宙が欲していることなのでしょう。ですから、今年も真氣光をたくさんの人にじっくり体験していただこうと思っています