父の日のプレゼント

 私が帰宅すると、妻はパソコンに向かいインターネットで何やらお買い物中でした。
またダイエット関係の物でも?と思い覗いてみると、父の日に実家にプレゼントを送るのだということ、そういえばもうそんな時期なんですね、忙しさに追われすっかり忘れておりました。
反省です。
ところで妻は、以前いただいたお菓子が美味しかったので、それを送るのだと言います。
昔ならデパートに行って何にしようかと悩むところから始まるのでしょうが、今はインターネットで買い物ができるから、プレゼントの買い方もずいぶん様変わりしたかもしれません。
電車に乗って、あちらこちらに出向き、時には店員と話しをして選び、伝票を書いて送ってもらっていたのですから、インターネットが普及して体力と時間が随分と節約できたというものです。
 ここで氣の観点から重要なことは、便利になった分だけ、プレゼントする人への思いが少なくならないようにしたいということです。
人の思いは見えないエネルギーであり、それは氣です。
思いやりなど誰かのことを思うということはプラスの氣が届くと言うことで、逆に妬みや恨み、怒りなどマイナスの氣とは相手に与える影響が全く違います。
さらに大事なのは自分が出している氣に同調して周りから似たような氣が集まりますから、どんな心で生活するかということは自分のためにも大切なことなのです。
プレゼントのように、その方の立場にたって何をすれば喜んでくれるかということを考えたり、それを頭に描いて面倒でも体を動かしているあいだは、プラスの氣が送られているということになるわけです。
 思いを向ける、気にかける、さらには生きている人ばかりではなく既に亡くなっている人への思いも、同じように氣というエネルギーです。
そして宇宙からの真氣光というエネルギーは、自分がそれを受けながら誰かを思うことで、プラスの氣を上乗せして送ることができるのです。
 先代である私の父は、たくさんの気功師を養成したいと20年前に研修講座を始めた人です。
真氣光の気功師とは医療に携わる人ばかりではなく、主婦がお友達に氣を送ったり、学校の先生が生徒達に、サラリーマンが上司に、美容師がお客さんに等々、使われ方は実に様々です。
父は生前、すべての人が良い氣の中で暮らせるようになることを望んでおり、今でもあの世で活躍していると思います。
そういう意味では、私がこの記事を書けたことも父の日の僅かばかりのプレゼントということになるかもしれません。
(中川 雅仁)
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良くないことでも いいとこ探し

 熊本・阿蘇での真氣光研修講座が火曜日に終わり、東京から今日は名古屋に移動中です。
アメリカでのセミナーに引き続いて自然溢れる場所での開催でしたので、42名の参加者とともに私もまたまた癒されました。
私は久しぶりに東京に戻り、妻と近所を歩いていたのですが、何とカラスの襲撃に遭ってしまいました。
正確には私の頭をめがけてカラスが急降下してきて軽く接触し電線に止まり、こちらを振り返って、さらにもう一度私めがけて飛んできたのです。
二度目は私も避けましたので、さすがに接触はしませんでしたが、どちらも私がターゲットだったようです。
突然のことで、びっくりしていると、どこかに飛んでいってしまいました。「何だろう?」実は、わたしが鳥に狙われたのは、これで二度目なんです。(笑)
一度目は約20年前サンフランシスコ市内で、カラスより一回り小さな白っぽい鳥でした。
妻は、咄嗟にそのことを思い出し、「あなたは、前にも狙われたわよね」とばかりに可笑しそうです。
私が「何だ、あのカラスは」と面白くない顔をすると、すかさず妻に言われたのが「良くないことでも いいとこ探し」と、先週の真氣光ニュースで氣配り画像にした言葉でした。
 自らの身に起こった悪い出来事は、災難のように振って沸いたものから誰かとの仲違いまで、見えない氣の部分に問題が隠れている場合があり、対応によっては悪い影響が長引くことがあるものです。
私はよく交通事故の例を使って説明していますが、道路や当事者同士にあったマイナスの氣は急激に同調して集まり大きな力となるので、いつも一定の力で守っている守護霊さんのようなプラスの氣もマイナスの氣を抑える限界を大きく越えてしまう結果、事故が起きてしまうというものです。
事故が起こったときに、マイナス面ばかりに氣を取られるとマイナスの氣の方に波長が合い、そこにあったマイナスの氣といつまでも同調してしまうのです。
そんなとき「不幸中の幸い」のような良い面を探せると、その後プラスの氣も守りやすくなるということなのです。
 今回の私のカラスによる襲撃事件は、何も良いところが思いつきません。
強いて上げれば「狙われたのが私で、妻でなくて良かった」ということかと妻に言ったところ「何か違う感じ、いい人ぶってる」と笑いながら一言。
そういえば、いつも持っているヘッドやペンダントをしていなかったなぁと思いつきました。
研修講座から帰って来て気がゆるみ、私も氣不足になっているのかもしれないと気がつき、家に帰って音氣とホワイトセラミックヘッドを使って真氣光タイムにしたのでした。
(中川 雅仁)
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ひとくち歳時記『梅雨』

沖縄地方はすでに梅雨入りしてますが、関東地方もまもなく梅雨の季節となりそうです。
梅雨という言葉は、ちょうど梅の実が熟す頃に雨が降ることからつけられたと言われています。
雨や曇りなどの天気が1週間ほど続き、かつ梅雨前線が日本の南海上に観測できたら、ぐずついた天気の中間の日を「梅雨入り」とします。
また梅雨前線が北上して不明瞭になり、快晴が続けば「梅雨明け」とします。
雨が降り続くと部屋で過ごす時間も多くなりがちです。
湿気対策をしてカビを防ぐことも大切です。
例えば、炭は部屋の湿気を吸収するだけでなく、脱臭やアルカリイオン発生効果もあります。
しかし、真氣光のアクアシリーズなら黒カビが消えるなどもっと大きな効果があったことが報告されていますので是非ご活用ください。
(本社 加藤)
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無事に帰国しました

 先週お知らせしたとおり、私はニューヨークで体験会を、さらには2時間ほどの郊外に場所を移して2泊3日のセミナーを開催し、水曜日に無事帰国しました。
今日は、明日からの熊本・阿蘇での研修講座準備のため、熊本行きの飛行機の中で、この原稿を書いています。
今回の米国でのセミナー参加者は40名、そのルーツの国籍まで数えると、実に30カ国ほどに広がる氣のご縁ということになりました。
毎年の米国訪問も、私にとっては日本とはまた違った学びがあります。
まず米国は、軍隊があり、戦争をしなければならない国だということです。
参加者の中に友人が戦場に行かねばならず、兵士ばかりではなく老人や子供まで殺してしまったことで、霊的な影響を受けて苦しんでいる人がいました。
真氣光を受けることで、亡くなった人々が光の世界へ旅立ったとき、私にも平和の尊さが日本とはまた違う角度で思い知らされたのでした。
さらに米国では、容易に麻薬が手に入る環境や、銃が身近にあるために、それがきっかけで苦しんでいる参加者もいましたが、全員が一つになって真氣光のエネルギーを送り、互いの幸せを祈ることができました。
国が変わると歴史も違い、そこに生きている人達ばかりではなく関わっている魂達の苦悩も変わります。
しかし皮膚の色や言葉ばかりではなく、文化や習慣がどんなに違っても、真氣光という宇宙からのエネルギーによって、同じ人間として理解し合い、氣で繋がれることが強く感じられたセミナーでした。
研修施設は、山間の自然が豊富なところでした。
広い敷地に、食堂のある中央棟、宿泊棟、研修棟などが点在しています。
周りは森になっていて小川が流れており、時々リスや鹿が顔を出します。
夜には、満天の星に蛍も見ることができました。
日中は陽射しが強く、少々暑いぐらいでしたが、風が心地よく、私もずいぶん癒されました。
 最終日の夜、今年に限って、たくさんの目に見えないほど小さな虫が研修会場に入って来ていたようで、気がついたときには私もみんなもあちらこちらを刺されていました。
蚊ほど大きくないですし、日本では見たこともない虫です。最初は刺されても気にはならなかったのですが、後から症状が悪化して痒くて痒くて、結局腕中にぶつぶつ小さな赤い斑点ができ、少々恥ずかしいくらいです。
さらには私の場合、裸足で正座をしていたものですから足の裏まで刺されてしまい、それが歩く度に刺激され痒くて思うように歩けないのです。
この憂鬱、しばらくは続きそうです。(笑)
米国でのセミナーの様子は、今月の月刊ハイゲンキをお楽しみに。
(中川 雅仁)
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アメリカに行ってきます

 私は、ニューヨーク近郊で行うセミナーのため、今日から米国出張です。
昨年はインフルエンザ騒ぎで一年抜けてしまいましたが、毎年の恒例行事になって十数年になります。
現地で二泊三日のセミナーと体験会開催ですが、今回も真氣光を通してどんな人たちとご縁ができるのか、今から楽しみです。
一週間ほど日本を留守にする関係で出発直前まで慌ただしく、成田から飛び立ってから落ち着いてこの原稿を書こうと思ったのですが、飲み物が運ばれてきたかと思うと次は夕食、終わるとまた飲み物と、機内ではとてもサービスが良いのです。
さらには、目の前のディスプレイで面白そうな映画をやっていますので、(言い訳のようですが)ついつい見ることになってしまいました。
「こんなことをしていたら原稿ができない」と、誘惑に負けないよう心を強く持ってパソコンを開けたところです。(笑)
 しかし、文明の利器の進歩は目を見張るものがあります。
三代前あたり、私のひい爺さんの時代には想像も出来なかったことでしょう。
快適な空の旅、食べ物・飲み物はおいしく、映画や音楽に溢れ、楽しんだり、飽きたら眠っていればよいのです。
ニューヨーク便は時間が掛かると言いますが、昔を思えばアッという間のことです。
 私たちは心や魂だけではなく体という一見不自由なものを持っている以上、モノや道具とは切っても切れません。
もしも原始時代のようにモノが無ければ、不自由なばかりか今や生きていくこともできないでしょう。
人類はこのモノや道具を進化させて可能性を広げてきたとも言えます。
 真氣光は、父が夢を見てハイゲンキを作ったことから始まりました。
それは魂に光のようなエネルギーを注入し、その結果その人に気づきを与え意識を変えていきます。
昔には知り得なかった、こんな機械もあるのです。
私もこれを使うことで体調不良とは無縁になったばかりか、自分の事だけではなく他の幸せを願えるような人間に変わり、実際に各地でたくさんの人に氣を送るという仕事ができるようになりました。
昔なら、山に籠もり滝に打たれるなど、特別な修行をしたりして手に入れたのかもしれません。
 私は今、アメリカの会社が造った飛行機に乗り、アメリカの会社の機械で音楽を聴きながらパソコンで原稿を作っています。
日本のエスエーエスという会社が作るハイゲンキは、そういう物とは少々違い、心や魂を変えるという機械ですが、人ができることを大きく増やすという点では同じ道具です。
利用することで、その人のもつ可能性を飛躍的に高めてくれるハイゲンキと真氣光を、たくさんのアメリカの人たちに体験していただきたいと思っています。
(中川 雅仁)
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氣の世界、真氣光の世界

 私は電機会社でのサラリーマン時代、小さな機械(マイクロマシン)の研究をしていました。
大きなテープレコーダーが、ポケットに入るウォークマンになって大ヒットしたように、いろいろな物がサイズを小さくすることでその価値を上げるということ、それが当たり前になりつつある時代でした。
コンピュータの部品はどんどん小さくなり、その技術を応用してロボットのようなものが、どこまで小さくできるかという限界に挑戦していたのですが、力を作り出すためのモーターやエンジンなど人の作る物は小さくなると取り出せる力が極端に小さくなるのです。
ロボットを動かそうとするとモーターが必要になるのですが、あるところまで小さくしていくと、自分の重さも支えられない、自走もできないということになってしまうのです。
 当時定期的に大学などと研究会が行われて、参考のために細菌やゾウリムシ、昆虫などのビデオも観たものです。
小さい頃は、当たり前に思っていたようなものが、実はトンデモないほどすごいもの、科学技術を突き進めて行くと、とうてい人間の手には及ばないということが歴然となるのです。
そんなときに92年、体の不調から初めての真氣光研修講座受講となり、工学博士の故関英男先生の話から、この宇宙には自然界全体を統制する神のような存在がいるのかもしれないと思ったものでした。
以前の私は、「人間は死んだら終わりだ」とか「科学で証明出来ない物は存在しない」と考えていたのに、氣の世界=スピリチュアルなことに目覚めたわけです。
目には見えない氣の世界を知ると、住む世界が広がるのです。
氣の世界とは見えないエネルギーの世界、その範疇には神社仏閣など神や仏の世界から、霊・魂、風水や占いまでいろいろなものがあります。
そういうものが存在していることに納得できるようになったわけです。
しかし、それらのもの全てが必要かと言うとそうでもありません。
 私は、人が生きる目的とは自分の置かれた状況において魂を輝かせることで、そのために重要なことは、他人・家族・先祖と自分との繋がりの中で、何か一つに集中してエネルギーを取り入れることだと思います。
そうすることでその吸収力が上がり、毎日の生活の中で大いなる力に生かされていることが分かり、考えや行動が自然に変われるということです。
私は、たまたま縁のあった、真氣光を生活に取り入れてみて、たくさんの氣づきがありましたが、それらは他のいろいろなことをやっていたのでは得られなかっただろうと思います。
私は真氣光の世界しか知りませんが、自分の体験で得られた真氣光の良さを皆さんに伝えていこうと思うのです。
(中川 雅仁)
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素直になろうとする心

 皆さんゴールデンウィークは、いかがお過ごしでしたか?
私は毎年のことながら、真氣光研修講座を開催していました。
参加していただいた受講生の皆さん、ありがとうございました。
講座中はテレビからの情報も無く世の中がどうなっていたのかよくわかりませんが、お天気に恵まれたようで、家族で出かけられた方も多かったのではないでしょうか。
 しばらく家を留守にしていましたので、妻は予約録画していたテレビ番組を楽しみにしています。
先月から新しい番組が目白押しのようですが、彼女のお好みは多岐に渡っており、バラエティ、韓国ドラマ、男女の恋愛もの・・・私にはどうにもついて行けないものもあります。
恋愛ドラマなどは、単刀直入に「好きだ」とか「結婚しよう」と素直な心を表現してしまえば直ぐに終わってしまうところが紆余曲折、途中のハラハラ・ドキドキ、一筋縄でいかないところが良いということでしょうか。
私は嫌いではありませんが、はっきりしなくて興味がもてない人もいるかもしれません。
 今月の氣配り画像には「素直に」という言葉をキーワードに選びました。
先代も素直な心とは無邪気(邪気というマイナスの氣が無い状態)につながるとよく言っておりました。素直を辞書で調べると、ありのままで飾り気のないさま、性質・態度などが穏やかでひねくれていないさま・・・とあります。
私は、マイナスの氣が周りに多くなりすぎると、その影響を受けてしまい、素直に自分の心を相手に伝えられなくなることがあります。だからといって、何でもかんでも、ありのままに吐き出せば良いというものではないでしょう。
私たちには良心というものがあり、素直になるとはそれに従って、飾ることなく、ひねくれず、ありのままに振る舞うということなのだと思います。
それが自分の魂にある本来の心であり、それに従い行動できることで、魂が成長するということなのでしょう。
 マイナスの氣が猛威を振るっているときには、素直になれない自分を発見することは難しいものです。
しかしそれを発見し、素直になろうとする方向に自分の心を向けたとき、魂が輝き始めるのだと思います。
マイナスの氣にとっては、いつまでもそこで変わらずに影響を与えていたいので、ご本人には素直になって欲しくありません。
あの手、この手で邪魔をすることもあるでしょうが、それに負けないことなのです。
恋愛ドラマではありませんが、視聴者であるマイナスの氣を楽しませてばかりはいられません。
真氣光のエネルギーは、それを受ける人の魂に浸透し周りに存在するマイナスの氣に光を与え、素直になろうとする心を応援してくれるのだと思うのです。
(中川 雅仁)
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真氣光で通じ合える心を増やそう

 昨日22 日は「良い(4)夫婦(22)の日」だとか・・・、確か11 月22 日も夫婦の日だったと思いながら調べてみると、両方存在するのですね。
語呂合わせからこのような日がつくられているのですが、良い夫婦になるために意識する日が多くなるのは結構なことです。
 昨年の夫婦の日にあわせて、既婚者を対象にしたアンケート調査があって、夫婦円満のために大切だと思うことは何ですか?との問いに ①話をする・聞く、②信頼する、③言葉にして感謝を伝える・・・との順で回答があり、コミュニケーションのあり方が大切だと考えている人が多いと分析されていました。
 我が家の場合、時々私が余計なことまで言ってしまい失敗することが多く、コミュニケーションの質を上げるのが課題というところでしょうか。
とりたてて言葉で説明せずとも心が自然に通じあうことを以心伝心と言いますが、心と心で通じ合えると便利だと思うのですが、なかなかそうはいかないようです。
 氣は目には見えないエネルギーの総称です。
人の心も氣であり、その状態により、いろいろな種類の氣を発しているということになります。
怒っているとき、悲しんでいるとき、辛いとき、楽しいとき、それぞれに発している氣のエネルギーが違うのです。
ところで氣の性質として、電波や音のように波動的な性質があると私は考えています。
伝わってくる氣が感じられるか、感じられないかは、氣を受ける受信側の人がとても大事なのです。
他人の悲しむ姿を見て自分まで悲しくなる、もらい泣きという現象がありますが、自分に他人の悲しさが分かる体験があるから、そのようなことが起こるわけです。
誰でもが悲しいと感じる共通した体験なら、受信側の用意ができているから、氣を感じられて「以心伝心」が成り立つというわけです。
 しかし、自分と周りの人との間で、同じ体験はなかなかありません。
仮に同じ体験があっても、立場が違うと同じようには思えない場合もあります。
ですから、「何も言わなくても、私の気持ちがわかるだろう」ということは、実際にはなかなかあり得ないことであり、言葉を使って分かってもらおう、分かろうとする努力は、とても重要なことになるわけです。
 ところで、研修講座を一緒に受講したご夫婦に、「お互いの気持ちが通じ合えた気がする」との感想をいただくことがよくあります。
真氣光のエネルギーを受けることで、お互いの間を壁のように邪魔していたマイナスの氣が消えて、受講中特に言葉を交わしたわけではないのにお互いの氣を感じやすくなったのだと思います。
真氣光は言葉に加え、心と心で通じ合える機会を増やしてくれるのかもしれません。
(中川 雅仁)
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樹齢2000年の桜を観に行きました

先週、山梨県の実相寺の樹齢2000年の神代桜(じんだいざくら)を観に行って来ました。
園内の桜もちょうど満開で、あちこちでカメラで撮影している方も多くいらっしゃいました。
奥まで歩きお目当ての桜に出合えた時は、枯れそうな幹もありましたが、支えも設置されて、見事に立派な花を咲かせてくれていて、ありがたさが湧いて来ました。
立て看板には、国宝である事、昨年宇宙ステーションに苗が運ばれ地球を周った事等色々説明がありました。
今年は長く桜を楽しめ、有難い年ですね。
寒い地方の開花宣言が待ちどうしいですね。
(東京センター 両角まゆみ)
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氣力も真氣光が後押しする

 東京は、お花見の季節になりました。
あいにく今日は天気が悪いのですが、会社の近くの公園にも桜の木があり、綺麗な花をつけておりました。
今月の氣配り画像は、先日撮った桜の写真です。
進学、就職のシーズンですが、新しい生活に胸躍らせている人、家族が新生活を始める人も多いのではないでしょうか。
真新しいスーツに身を包んだ新入社員らしき若者が先輩と一緒にカバンを持って会社周りをしており、それを眺めながら私も、25年以上昔の新入社員時代を思い出しておりました。
 私は学生時代の成績から判断して優秀なタイプではなかったので、「体力で勝負」と自負する新入社員でした。
しかし配属先は忙しいところだったので残業、残業の毎日で、3年程そんな生活をしていたら、だんだん疲れが溜まってきたのか体力が低下し、さらに数年で気力も落ちてしまいました。
私の上司、当時はまだ課長でしたが、今思うと気力の人でした。
問題山積みのところを、どんどん突き進むというタイプで、随分いろいろな事を教えてもらいました。
今、氣のことを仕事にしているのですから、当時教わった気力も、必要なことだったのです。
 気力とは、辞書で調べると『困難や障害に負けずに物事をやり通す強い精神力。気持ちの張り、気合い。』とあります。
つまり心が持っている見えないエネルギーですから、氣の一種であり、氣力とも言えるでしょう。
 5月号の月刊ハイゲンキ誌の対談ページには、その氣力で突き進んでいるアートディレクター水谷孝次氏に登場いただきました。
北京オリンピックの開会式に、ご自分の笑顔の傘の企画を、中国政府がなかなか許可を出さないところ、氣力で実現させた経験をお持ちの方です。
 また、先代も氣力の人だったように思います。
どんなに逆境に陥っても持ち前の精神力で乗り越えて、真氣光の基礎を作りあげました。
 私は、自分の性格を分析すると、氣力で・・・と言うよりは、すぐ気弱になりがちです。
洗心の指標の「いつも心に持つべき感情」(強く、明るく、正しく、我を折り・・・・)一番目にある「強く」が、いつもテーマです。
 しかし、真氣光をやることで、“常に”というわけには行きませんが、どうしても必要な“ここぞ”という時には、何とか心を強く持つことができて、ピンチも切り抜けられているような気がします。
これから新生活を始められる方も、そうでない方も、人生にはいろいろな困難な事があるかと思います。
真氣光を利用して、ピンチに陥った時にも氣力で乗り切ってほしいと思います。
(中川 雅仁)
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