私は月曜日に広島・宮島での研修を終え、夜遅くに東京へ戻ってきました。
27名の参加者の皆さん、ありがとうございました。
今回もまた、縁のある御先祖様や開催した土地に関係する多くの見えない氣という存在の方々にも、たくさんの光が届いたであろうということを参加者の皆さんの最終日の表情から実感できました。
私はこれまで多くの人に氣を送ることで、氣を受けている人の口を借りて出てくる全く別人格の魂たちの思いを知ることができました。
昔々たいへんな環境に置かれたことにより、怒りや憤り、憎しみや恨み、後悔等々、マイナスの思いに強く支配されて亡くなっていった人々。
そのような魂達も、生きている時には気づけなかったことが、真氣光というエネルギーを受けることで、現実を受け入れ、もっと違う生き方、考え方があるということに気づき、光の世界に旅立っていかれます。
人は何かとても辛い状況にあるとき、また存在の理由がわからずに価値さえ見出せなくなっている時、なぜこの世に生まれて来たのだろうと思い悩みます。
しかし、どんな人も自分の意思で生まれて来ているわけではないのですから、それを考えても仕方がなく、それはあまり意味の無いことと言えるでしょう。
それよりも、その人が与えられた環境で、どう生きるかということ、それがとても大切で意味のあることなのです。
人は育っていく過程で生きる方法をたくさん知り、そして自分の意思というものも確立していきます。
さらにその意思は誰のものでもなく、皆平等に与えられている個人一人ひとりのものなのです。
だからたとえ自分の思いどおりの生き方、環境で生活ができなくても、自らの意思を使って、そこで自由に生きることはできるのです。
そして、その中で生まれて来る、いろいろな感情により、幸・不幸が決まってくるのです。
だから、今ある環境を生かすも殺すも自分次第ということなのです。
病気や悪い出来事、さらには人間関係で受けるストレスなど、自分にとってマイナスな環境に置かれたことで、思い悩むことはたくさんあります。
また、たくさんの情報の中で、ともすれば自分の存在など、とてもちっぽけで、とるに足らず、いてもいなくてもいいのではないか等ということを思ってしまうことがあるかもしれません。
しかし、それもまた考え方一つで、どうにでも変われることなのです。
真氣光を受けながら、何に目を向けて、何に心を寄せて生きていけばよいのか、よくよく考え、観てみることです。
人は皆、生まれてきた理由、存在の理由にあまり意味はなく、どう生きて、死んでいくかが大切なことだからです。
(中川 雅仁)
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投稿者: 中川雅仁
良いことを見つけながらマイナスをのりこえよう
今日から、今年で2回目の開催になる広島県は宮島での真氣光研修講座が始まります。
私は昨日からこちらに来ましたが、宮島を前にして、昨年の研修を思い起こしておりました。
ここは歴史ある土地ですから、昨年は参加された方をとおして、たくさんの御先祖たちに真氣光のエネルギーが届きました。
宮島のシンボルでもある厳島神社は平清盛が社殿を造営していることから、平氏・源氏など武士同士の争い・権力争いによって生じた強い憎しみを持った人達、その後の戦国時代にも戦の地となっていますので、その戦で亡くなった人達、さらには対岸の広島には原爆も落ちていますから、それによって亡くなった多くの人達がいます。
これらの遠い昔から近代にかけての実に様々な人達の辛い苦しい思いは、魂だけの存在になっても、変わることなく続いてしまうのですが、そのような魂に真氣光のエネルギーは浸透していくのです。
いろいろなことに折り合いをつけながら、前に進んでいくことは、時にはとても大切なことであり、生きている私たちだからできることなのです。
人は何か問題が起こったり嫌なことがあると、ついついそのことに気をとられてしまい、全てのことがそうなってしまう錯覚に囚われてしまうことが多かれ少なかれあるものです。
また、それが何か小さなことだとしても完全に解決するまで、または自分との関わりが無くなるまで、何となくすっきりとしない嫌な毎日を送ってしまうことがあるものです。
それは過去にマイナスの気持ちを持ったまま体を失ったマイナスの氣が影響しているということがあります。
しかし、そんな毎日の中にでも、楽しいことや嬉しいこと、良かったと思えることは、たくさんあるものです。
ただ、それらに気を向けようとしていないだけなのです。
この世の中は全て、良いことと悪いこと、プラスとマイナスの両方が存在しています。
同じ時を生きるのならば、できるだけ良い方、プラスの方に意識を向け生きていきたいものです。
しかし、ここで間違ってはいけないのは、ただマイナスを見ないようにして、プラスだけで過ごしてしまうことです。
私たちの生きる目的は魂の成長で、そのためには、マイナスはなくてはならないものなのです。
だから、ここで大切なのは、良いことやプラスの出来事に意識をもっていき、自分自身の魂のエネルギーを増やしながら、そのプラスのエネルギーを使って、マイナスをクリアしてプラスにしていくことなのです。
真氣光のエネルギーも応援してくれています。
(中川 雅仁)
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わかりにくい咎めの心
私は、研修講座などで洗心の指標を皆さんに紹介しておりますが、これは奥の深いもので、私自身なかなか卒業することができません。
どうしても人は、身近な人には、ついつい甘えが生じますし、マイナスの事柄に直面した時には、ついそれに同調してしまうものです。
イライラしたり、心配や不安になったり、その中でも一番厄介なのが、咎めの心を感じてしまうことでしょう。
何故なら、咎めの心はマイナスに同調していることがわかりにくいからなのです。
そうなっている時、自分自身はとても冷静で、客観的で、正しいと思っているのです。
しかし、その時の心の状態を見てみると、実際は少々の憤りに加え、心がざわついていることが多いのです。
そしてそこからは何もプラスを見つけられなくなっているのです。
だからそのような状態で人に対して何かを伝えても、マイナスの氣のキャッチボールにしかならないでしょう。
ここで大切なのは冷静にふるまうことでも、自分の正しいと思うことを伝えることでもなく、ただその事柄から良いことを見つけて伝えてあげることです。
そして、どうして咎めの心が出てくるか、自分のことを少し振り返る必要があるのです。
悩みや問題が解決して、平穏な日々や、とても順調な生活を送っているときは、敢えて自分の状態がマイナスの状態になってはいないか、よく見てみることが大切です。
人は何か大変なことや悩み事がある時は、それを何とかしようと、いろいろ努力をしていますが、それがなくなると、ただただ幸せを感じながら、努力をせずに過ごしてしまうことが多いからです。
そして、その大変だった時のことをすっかり忘れてしまい、そのことを乗り越えたという優越感だけに浸ってしまい、人を咎めたりするのです。
そして、その咎めの心は、とてもわかりにくいモノなのです。
優越感という一見プラスの心のようなものから生まれてくる感情は、とても悪いこととは思えずに、そのわかりにくいマイナスの感情に集まってくる咎めという感情もそれが咎めであるとは思いもよらずに、それを当然のように他の人に表しているのです。
そしてまた少しずつマイナスの氣を集めてしまうことになるのです。
だから、そうならないためには、自分が辿ってきた成長過程を時々思い出しては、忘れないことです。
自分はどんなことに気づき、どのようにして今があるのかをしっかりと覚えておくことが大切です。
そうすれば、優越感とか、おごり、高ぶった感情からはマイナスの氣を集めなくてすむ生活ができるのです。
(中川 雅仁)
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おかげさまで、良いことがあるものです
今週の月曜日まで、私は富士山での真氣光研修講座のため富士山麓にいました。
空気もおいしく、木々の緑も美しい、さらに三日間雲一つ無い秋晴れで、朝昼夕の富士山が美しかったこと。
そして何よりも参加してくださった 24 名の皆さん、ありがとうございました。
このように天気に恵まれたのも皆さんと、さらにはいろいろな見えない方々のおかげと、心より感謝した次第です。
今週水曜日には強い台風が上陸しましたが、大丈夫でしたでしょうか?今年は自然災害が多くなっているような気がします。
「備えあれば憂いないし」常に気をつけて生活していきたいものです。
ところで、私たちの毎日の生活では、思いがけず何か良いことがあったり、ひょんな事から何か良い方向に進んだり、今まで気になっていたこと、抱えていた問題などが解決してしまうということがあります。
それは本当にラッキーなことで、偶然のように思うかもしれませんが、それもまた見えないエネルギーによって起こっているということもあるのです。
私たちのことをいつも一生懸命見守ってくれていたり、私たちに氣のエネルギーを与えてくれている、プラスの氣という存在がどんな人にも存在しますと、私はよくお話ししています。
そしてここで大切なことは、そうなったからといって、いつもそうなることを期待して、見えない御利益のありそうなものにすがってはいけないということです。
さらに「自分はそれに値する人間だ」などと調子にのるなどということは、もっての外なのです。
なぜなら、そのような心に付け込み、上手く利用してやろうとするマイナスの氣が寄ってくるからです。
さらに、そのような心と態度は、人の妬みを買うことになります。
今生きている人と、既に亡くなっている人、両方から妬まれるのですから、並大抵のものではありません。
だから何か良いことが思いがけずに目の前に現れたときには、ただ良かった、嬉しいと思うのではなく、それと一緒にそうしてくれた自分以外のものに感謝を忘れてはいけないのです。
そして常に謙虚になることです。
そうすることで、余計なマイナスの氣を増やすことなく、今まで通りの生活ができるのです。
マイナスの氣との縁をできるだけ結ばない生き方をすることが、まず大切なことなのです。
真氣光のエネルギーを受けるということは、真氣光のプラスの氣がマイナスの氣に届いて、その影響を少なくしていきますので、プラスの氣の影響のほうが強くなっていくということです。
つまり良いことが多くなる人もいるでしょう。
ですから、より一層、マイナスの氣に付け入る隙を与えないよう、感謝と謙虚さを身につけることが大切なのです。
(中川 雅仁)
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富士山での初めての研修が始まります
昨日夜から私は、今日からの真氣光研修講座開催のため富士山麓に来ています。
昨日は雨模様でしたが、今日は朝から天気も回復し、真っ青な空をバックにした大きな富士山を目の前に、この原稿を書いています。
こちらの研修施設に来て『世界遺産「富士山-信仰の対象と芸術の源泉」』というポスターを目にしました。
こちらの研修施設も両隣が新屋山神社と北口本宮冨士浅間神社であり、この地もまた信仰の中心のようなところです。
富士山に限らず、日本人は八百万(やおよろず)の神と言いますが、いろいろなところに神様を見出しています。
富士山は、そんな日本人の心のよりどころであり、今回の世界遺産登録は本当に喜ばしいことで、この時期こちらで研修をさせていただくご縁を有難く感じるのです。
私は小さい頃、悪いことをしたり、言われたお手伝いを分からないだろうと手を抜いたりしたときに、祖父母や両親から「神様が見てるよ」とか「罰が当たるよ」などとよく言われたものです。
昔は、本当に何処からか、いつも何かに監視されているのかと思ったものですが、氣をやるようになって、それも合点がいきました。
私たちは、何かをすることで、その行動による経験で、魂のエネルギーを増やし成長していくのですから、何もしないとか適当にしてしまうことで、せっかくプラスになるはずのものが、ほんの少しのプラスまたはゼロになってしまうことにもなります。
さらには、分からないからといって蔭で悪いこと、自分の利益になることだけをしてしまうと、とんでもないマイナスの氣の影響を受けてしまうことになるのです。
それが仕事であれば、なおさらのことです。
仕事とは本来やるべきことをやり、さらに工夫・努力をして自ら成長させてもらいながら生活の糧となる、お金をいただけるわけですから、それができなければマイナスの氣のエネルギーから、なかなか離れられなくなるのは当然のことなのです。
見えないこと、自分の良心、他の人の気持ちを軽く扱うと、自らの心も何ものからも尊重して貰えなくなり、やがては何かに支配されたように落ち着きのない不安を抱えた心になってしまうのです。
ですから楽な方に流されるのは一瞬でも、その道から抜け出すのは、とても時間とエネルギー、心の強さが必要になるということを肝に銘じて、一つ一つのことを努力して生きていくのが大切なことなのです。
そのことが「神様が見ている」と言われた理由だったのです。
(中川 雅仁)
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強いプラスの氣を味方につけよう
私は、氣を受けるだけではなく、気がついたら行動に移すことが大事ですと、お話ししています。
それは、なかなか難しいことだと思うので、これまでこの氣配り画像に書く言葉にも、度々それに類するメッセージを入れていたのですが、今月の氣配り画像の言葉には、そのような行動に至る経緯を少し考えたメッセージを入れてみましたので、参考にしていただければと思います。
人は何かをする時、何かを決める時、何かを選択する時、いったい何を基準にするでしょうか?それは今まで生きてきた経験で、自分にとってこうありたいという思いから決めることが多いでしょう。
とても身近で簡単なことであっても、人生に於いて重大なことであっても、大切な事は変わらないものです。
それは自分や自分の周りにとって、良いことなのかどうかを考える点においてです。
もしそうでなければ、やがて後悔することになるでしょう。
なぜならその時は、そうすることが気持ちよかったり、何か見栄を張ってしまったり、誰かと競ってしまったり、また何も考えずに人の意見に流されたりして、ついそうしてしまうのですが、結果はあまりよくないことになることが多いからです。
かといって日常の一つ一つの事柄に意識を向けて真剣に考えていたのでは、少々疲れてしまいます。
そこで重要なのは、日々気をつけて自分の為・周りの為になる事とは何か、どういう心持ちで暮らすのが良いことなのかを考えていることです。
そのように良くなるために意識を向け、日々過ごしていることで、プラスのエネルギーに同調しやすくなり、弱いマイナス、強いマイナスにあまり影響を受けなくなるのです。
でもマイナスの誘惑はいつでも私たちの周りで、手を繋ごうとしているので気をつけなければいけません。
それには強いプラスを味方につけると良いでしょう。
私たちの日常には、マイナスの氣はつきものです。
どんな人も、その影響を受ける可能性があり、何かを決心するときの基準が自分の魂が輝く、つまり本来進むべき方向ではなく、マイナス方向に引っ張られる可能性があるのです。
しかし、必ず一生懸命応援してくれているプラスの氣も存在しています。
プラスの氣とマイナスの氣、どちらの影響も受けるのですが、問題はどちらから強く影響を受けているかということです。
ですから、できるだけマイナスの氣に隙を突かれないように良くなるほうに意識を向けること、そして毎日の生活のなかで真氣光を受けて、プラスの氣の影響を強くし、マイナスの氣の影響を少なくすることが大切なのです。
(中川 雅仁)
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真氣光で強く、たくましく
月刊ハイゲンキ11月号の巻頭対談では、静岡大学大学院農学研究科教授の稲垣栄洋先生に「雑草」のお話を伺いました。
上手に生きる上での考え方を自然から学ぼうという発想は日本人特有のものがあるそうです。
先生のお話によれば、「雑草のようにたくましく」と私たちは言いますが、雑草はもともと弱いので、彼らは競争相手のいない困難な環境を敢えて選んで、戦略を持って芽を出すそうです。
お話を聞いていて、今の日本人だからこそ雑草から気づけることが多いと感じました。
詳しくは11月号をお楽しみに…。
ところで、人は育った環境によって考え方や習慣がそれぞれ違っていますが、もし、それらがあまり良くないと思われるものであっても、それで、もうどうにもならないということではありません。
なぜなら、それは外から与えられたものであり、心の持ち方を変えることによって如何様にも変化するもの、つまり人の本質は魂の輝きにあるからです。
ですから、子供の頃の境遇が不幸だったからといって、大人になってもずっと不幸が続いているとは限らないはずです。
しかし、私たちは心を持っているために、昔を思い出して今が辛くなってしまうことがあるのです。
その思い出を手放すことができずに、いつでもその感情に浸って、今なお不幸が続いていると思ってしまうのです。
これは氣の観点から言うと、今まで多くの苦しみ、悲しみを体験して死んでいった人たちがたくさんいて、それらのマイナスの思いが消えることなく受け継がれているということです。
そして、たくさんのマイナスの思いが積み重なっていることで、マイナスの思いを手放すことが出来なくなっている状態なのです。
生きていく上で、このマイナスの感情は、その人の心を強くするために体験させられ湧き上がるものであり、ずっと持ち続けるべきものではないのです。
もし何か強いマイナスの思いが、時として感情を支配しているとすれば、それは私たちの経験以外のものであり、昔からの別の人のものだということです。
ですから、それを自分と思わずに、早く手放す努力をするべきなのです。
真氣光のエネルギーを受けることで、自分自身の魂に光が増え、少しずつ自分の心とそれらが分離できるようになるものです。
その時に、マイナスの思いを持つ誰かが自分の気持ちに影響を与えているということを意識できることで、それらにエネルギーが届きやすくなります。
より客観的に自分自身の心を観られるようになるばかりか、マイナスの思いに強く立ち向かうことができるようになるのです。
(中川 雅仁)
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良くなろうと努力すること
私は月曜日に、熊本での真氣光研修講座を終え、今週末の大阪・岡山・広島に向けて準備をしているところです。
研修に参加していただいた 38名の皆さん、ありがとうございました。
私は、研修講座ばかりではなく会長セッションやセミナー等あちらこちらで、ストレスを受けてたいへんだという相談を受けることがあります。
氣の観点から言うと、たいていは自分が不幸だから、その人も同じように不幸にしたいというマイナスの氣が働いていて、その影響を受けて昔から身の周りに良くないことがいろいろと起こっているということなのです。
例えば「仕事で上司から叱られて職場がイヤになっています」という相談の場合、確かに、その方には苦手なことがあり、そのことで強く叱られることが大きなストレスになっているのかもしれません。
しかし、その原因は、職場や上司にあるのではなくて、マイナスの氣が強いストレスを与え、その人が「自分を変えよう」という意志を持って、良い方向に努力して変わって行くということを邪魔しているのです。
この世に完璧なものなど存在しません。
なぜなら全てのものは常に変化しているからです。
ましてや人などは、最も常に不完全であり、完璧などとは一番ほど遠い存在であるはずです。
それでも人は、知らず知らずのうちに完璧を求めてしまいます。
それはもちろん悪いことではないのです。
なぜなら、もっと成長しよう、良くなりたいという思いから、そうなっているからです。
ここで問題なのは、それを自分、そして自分以外の人や物事に求め、そうならなかったからといって落胆し、悲しみ、他を咎めたり、イライラしたり、さらに努力しないことへの言い訳にしてしまったりすることです。
そうありたい、そうであってほしいという願望は、生きる上で必要なことです。
ならば限りなくそうなれるように努力することなのです。
努力することで、だんだんと「こうなりたい」という自分がより明確になっていき、やがては、その希望や目標は、もっと良いものへと変わっていくはずです。
希望通りにならなくても、それが努力をした結果なら、必ずや良い方へと向かっているはずなのです。
人は常に変化しています。
それならば、良い方へ変化できるように常に意識して生活することが重要です。
全ては学びなのです。
自分自身のために起こっていることと思えば、マイナスの感情などに付き合っている暇はないはずです。
自らの成長のために、全てに感謝し、前へ進むことが大切であり、真氣光のエネルギーもそのことを応援してくれるのです。
(中川 雅仁)
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本当の意味での大往生のために
私は、熊本・阿蘇での研修講座のため、昨日夕方東京を発ち、夜にはこちらの温泉でゆっくりさせていただきました。
自然溢れる阿蘇では、山々の緑が目に眩しく、たくさんのトンボが飛んでいます。
研修会場の窓の外はとても広い芝生になっていて、グランドゴルフのコースになっています。
評判の良いコースなのでしょうか、数十人の泊まりがけでゴルフを楽しむお年寄りも来ています。
今回の研修講座は今日13日から敬老の日の16日までですから、私たちの研修講座の期間中、窓の外のコースにはたくさんのお年寄りが訪れるのかもしれません。
私は今まで、氣を受ける人の口を借りて出てくる、いろいろな魂に出会ってきました。
私たちは、体を持って生まれ、数十~百年あまりを生き、そしてどんな人も死を迎えます。
私が魂達の言葉から分かったことの一つに、魂だけの存在になってからの時間がとても長いということがあります。
先祖として、子孫に迷惑を掛けても良いと思って亡くなる方はいません。
良いものを伝えたい、遺して逝きたいという思いは誰にでもあるものです。
しかし、それは強い信念を持って生き、ある程度、志が達成された人にしか為し得ないことでもあるのです。
人として、どう生きるのか?どのような道に進み、何を成し遂げるのか、それは人それぞれ、そしてその時代、時代でも大きく違ってくるでしょう。
しかし多くの人は、目の前のことに追われ、ふと気がつくと一生を終える時ということもあるのです。
その一生を終えた後が、とても長い時が待っていることは誰も気がつかないものなのです。
そして、その時の自分の魂の状態で、その長い時の過ごし方が変わってこようとは、思ってもみないことなのです。
だから、生きているうちに、できる限り魂を成長させて、その長い時を少しでも良いものにしなければ、自分のためにも、家族のためにも、世の中のためにもならないということもあるのです。
人は死んで終わりではないということを、今一度よく心に刻み、今の生き方を真剣に考えてみることです。
そうすれば、今の生活の中で起こっている嫌なこと、許せないこと、ついつい避けてしまうような些細なことも、簡単に乗り越えることができるようになるでしょう。
そのためには、すでに亡くなっていて、良いものが遺せずに苦しんでいる魂、とりわけ関係の深い先祖に光を送ることと、自らが光を受け成長し、取るに足らないマイナスとは、たった今から関わりを持たないようになることなのです。
(中川雅仁)
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原因を見つけて光をあてよう
「キューバから米フロリダへ177キロ遠泳 64歳米女性、53時間かけ」という報道を見ました。
米国人のベテラン遠泳者ダイアナ・ニヤドさんが、フロリダ海峡を世界で初めてサメよけのおりを使わずに泳いで渡たったというものです。
ニヤドさんが初めてこの海峡横断に挑戦したのは1978年、28歳の時で、今回が5回目、最後の挑戦だったということです。
冒険やスポーツさらには宗教的な修行の世界で偉業を達成されている人の強い精神力というものについて、私たちは感心させられる場面が多いものです。
体は苦しい状態に曝されながらも、不屈の精神力が、肉体的限界を超越させる力を持っているということです。
彼らの偉業の百分の一、いや千分の一の精神力でもあったなら、私たちは日常の生活の中で成長していける場面が多くなるのです。
しかし実際には、なかなか難しい。
そのような時に私たちは真氣光のエネルギーを利用することができるのです。
私たちは精神力の弱さから、「やめたいと思ってもなかなかやめられない」「本当はこうしたいと思ってもなかなか出来ない」…そんなことがあるものです。
そのことは、それほど重大なことではなく、でもやめたほうがいい、やったほうがいいことです。
一日一回、そのことはほんの少しの時間です。
だから、それほど生活に支障はないと思ってしまい、真剣には考えていないのがほとんどです。
でもそれをやめることができたなら、それをやれたなら、とても良いことに繋がるのです。
それにはまず、どうしてやめたほうがいいのか、やったほうがいいのかを考えてみることです。
例えば、タバコがやめられないとしましょう。
どうしてやめたほうがいいのか、それは体に悪いし、自分以外の人にも迷惑が掛かるし、お金もかかる、だからやめたほうがいいと、すぐにわかるでしょう。
では次に、なぜ自分はタバコを吸っているのかを考えます。
忙しさの中での一服は心の清涼剤、イライラを抑えることができる、暇で時間を持て余しているから、みんなが吸っているから、いろいろあると思います。
問題はタバコを吸っていることではなく、このどうして吸っているのかということで、そこに意識を向けて原因を見つけ、そこを改善しようとすることでやめられるものなのです。
ですから、やめたいと思っていてやめられないこと、やりたいと思ってもできないことは、何が原因なのかを自分で探すのです。
その原因に関係したマイナスの氣が邪魔をするように働いていることがありますので、それを意識しながら真氣光を受けることで、光が届きやすくなり問題解決が容易になるのです。
重要なことは原因を見つけ光をあてることなのです。
(中川雅仁)
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