月刊ハイゲンキ11月号の巻頭対談では、静岡大学大学院農学研究科教授の稲垣栄洋先生に「雑草」のお話を伺いました。
上手に生きる上での考え方を自然から学ぼうという発想は日本人特有のものがあるそうです。
先生のお話によれば、「雑草のようにたくましく」と私たちは言いますが、雑草はもともと弱いので、彼らは競争相手のいない困難な環境を敢えて選んで、戦略を持って芽を出すそうです。
お話を聞いていて、今の日本人だからこそ雑草から気づけることが多いと感じました。
詳しくは11月号をお楽しみに…。
ところで、人は育った環境によって考え方や習慣がそれぞれ違っていますが、もし、それらがあまり良くないと思われるものであっても、それで、もうどうにもならないということではありません。
なぜなら、それは外から与えられたものであり、心の持ち方を変えることによって如何様にも変化するもの、つまり人の本質は魂の輝きにあるからです。
ですから、子供の頃の境遇が不幸だったからといって、大人になってもずっと不幸が続いているとは限らないはずです。
しかし、私たちは心を持っているために、昔を思い出して今が辛くなってしまうことがあるのです。
その思い出を手放すことができずに、いつでもその感情に浸って、今なお不幸が続いていると思ってしまうのです。
これは氣の観点から言うと、今まで多くの苦しみ、悲しみを体験して死んでいった人たちがたくさんいて、それらのマイナスの思いが消えることなく受け継がれているということです。
そして、たくさんのマイナスの思いが積み重なっていることで、マイナスの思いを手放すことが出来なくなっている状態なのです。
生きていく上で、このマイナスの感情は、その人の心を強くするために体験させられ湧き上がるものであり、ずっと持ち続けるべきものではないのです。
もし何か強いマイナスの思いが、時として感情を支配しているとすれば、それは私たちの経験以外のものであり、昔からの別の人のものだということです。
ですから、それを自分と思わずに、早く手放す努力をするべきなのです。
真氣光のエネルギーを受けることで、自分自身の魂に光が増え、少しずつ自分の心とそれらが分離できるようになるものです。
その時に、マイナスの思いを持つ誰かが自分の気持ちに影響を与えているということを意識できることで、それらにエネルギーが届きやすくなります。
より客観的に自分自身の心を観られるようになるばかりか、マイナスの思いに強く立ち向かうことができるようになるのです。
(中川 雅仁)
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