わかりにくい咎めの心

 私は、研修講座などで洗心の指標を皆さんに紹介しておりますが、これは奥の深いもので、私自身なかなか卒業することができません。
どうしても人は、身近な人には、ついつい甘えが生じますし、マイナスの事柄に直面した時には、ついそれに同調してしまうものです。
イライラしたり、心配や不安になったり、その中でも一番厄介なのが、咎めの心を感じてしまうことでしょう。
何故なら、咎めの心はマイナスに同調していることがわかりにくいからなのです。
そうなっている時、自分自身はとても冷静で、客観的で、正しいと思っているのです。
しかし、その時の心の状態を見てみると、実際は少々の憤りに加え、心がざわついていることが多いのです。
そしてそこからは何もプラスを見つけられなくなっているのです。
だからそのような状態で人に対して何かを伝えても、マイナスの氣のキャッチボールにしかならないでしょう。
ここで大切なのは冷静にふるまうことでも、自分の正しいと思うことを伝えることでもなく、ただその事柄から良いことを見つけて伝えてあげることです。
 そして、どうして咎めの心が出てくるか、自分のことを少し振り返る必要があるのです。
悩みや問題が解決して、平穏な日々や、とても順調な生活を送っているときは、敢えて自分の状態がマイナスの状態になってはいないか、よく見てみることが大切です。
人は何か大変なことや悩み事がある時は、それを何とかしようと、いろいろ努力をしていますが、それがなくなると、ただただ幸せを感じながら、努力をせずに過ごしてしまうことが多いからです。
そして、その大変だった時のことをすっかり忘れてしまい、そのことを乗り越えたという優越感だけに浸ってしまい、人を咎めたりするのです。
そして、その咎めの心は、とてもわかりにくいモノなのです。
優越感という一見プラスの心のようなものから生まれてくる感情は、とても悪いこととは思えずに、そのわかりにくいマイナスの感情に集まってくる咎めという感情もそれが咎めであるとは思いもよらずに、それを当然のように他の人に表しているのです。
そしてまた少しずつマイナスの氣を集めてしまうことになるのです。
 だから、そうならないためには、自分が辿ってきた成長過程を時々思い出しては、忘れないことです。
自分はどんなことに気づき、どのようにして今があるのかをしっかりと覚えておくことが大切です。
そうすれば、優越感とか、おごり、高ぶった感情からはマイナスの氣を集めなくてすむ生活ができるのです。
(中川 雅仁)
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