氣を意識して自分を省みる

 8月に入り暑い日が続いています。
夏休みやお盆などで、ふだんよりは時間が自由になる人も多いかと思いますので、このような時こそプラスやマイナスの氣を意識して、自分を省みるチャンスにしていただきたいと思い、今月の言葉を氣配り画像に書き入れました。

 私は、身の周りには暗いマイナスの氣や明るいプラスの氣があり、それが私たちの氣に影響を与えているとお話ししています。
真氣光もまた、この宇宙にある見えない光のようなプラスの氣で、真氣光を受けるということは、どんどん光が外から取り入れられ、私たちの体の中に浸透し氣の光が増えるということに繋がります。
その時、影響を与えていた暗いマイナスの氣が、光を得て外れ、それによって自分の体や心が良い方向に変化していくのですが、時には一見良くない出来事も起こるので注意が必要です。

 このようなことは、真氣光を始めて間もない人と、長く続けている人とは違うし、強いマイナスの氣の影響を受けている場合と、そうでもないものの場合によっても違います。
マイナスの氣は、軽いものであれば比較的外れやすいのですが、より強いものは、昔からその人の意識にピッタリと同調していたり、先祖の時代から影響を与えていたりするので外れにくく粘着質です。

 しかし、強いマイナスの氣であっても、それらとの縁を切り離す力を持っているのが真氣光のエネルギーです。
ポイントは、その時に自分の気持ちが大きく落ち込む、マイナス方向に体や心が大きく振れる・苦痛を伴う、いわゆる好転反応が現れるので、注意が必要です。
理性的に考えるとおかしなくらい感情的になったりすることがあるので、しっかりと頭で考える、自分を客観的に省みるようにしないといけません。
自分の感情がマイナス方向に引っ張られているのは、マイナスの氣の影響だと認識することです。
後で考えると、「なるほどそうだったのか」と思えても、その時にはなぜこんな目に合うのだと、他者に対して「悪いのは、あの人だ」という気持ちが強くなることもあります。
それを相手のせいにしていたら、自分を省みることはできません。
マイナスの心が出てきたら、マイナスの氣を意識して、しっかりと自分自身を省みることなのです。

 また、いつもマイナスの氣を意識していては、辛くなることもあるものです。
プラスの氣の応援があって、自分は良い方向に変われているはずですし、楽しいことや周りに良いこともあるはずです。
プラスの氣を意識しながら、いいとこ探しの観点から、自分を省みる必要もあるでしょう。
プラスの氣、マイナスの氣、両方を意識して、自分を見つめて欲しいと思います。

(75)やめろ、光を増やすな!

 

 私は、月に一度のペースで全国の真氣光の会員を中心に、いろいろな人に氣を送っています。
その中には、氣を受けると反応して、その人に影響を与えている魂が、その人の口を使って話し始めることがあります。
自分の苦しみを少しでも分かってほしい、ラクにしてほしいと、氣を受ける人の体を辛くさせることもあります。

 私は、苦しみを訴える魂に氣が届くと穏やかになり「光が見えて来た」と消えていくことから、どうやったら早くラクにできるのか?セッションの後も潤沢な氣が届くようにするにはどうすればよいか?と、「氣が出るモノ」を少しでも強力にしようと改良してきました。
そうしているうちに、「やめろ、これ以上、光を増やすな」と真氣光の光を嫌がる魂が出てくるようになったのです。
マイナスの氣の中には、「いつまでもその人から離れたくない」「その家系を恨んでいて不幸にしたい」…等と奥の方に潜む魂もあります。
氣を受ける人に真氣光のエネルギーが浸透していくと、彼らには、思うようにならなくなる、あるいは光に吸収されてしまうという危機感が出るのです。
また彼らは、極端に光が増えているから危機感を持つのです。
私の氣を受けるセッションだけなら、その時にしか光が入りませんから、月に一回…せいぜい増やしても2、3回でしょう。
しかし、先代は白髭の老人によって、氣中継器ハイゲンキに加え、いろいろな氣グッズの作り方と、それらを足し合わせて使うと良いと教えられました。
私もこの原理を利用して高密度化することで氣グッズを改良してきました。
このような真氣光のシステムでは、簡単に10倍…100倍…にすることが可能になるのです。
マイナスの氣にとっては、光が極端に増えること、さらには各種プレート類やプレートブースターなどの氣グッズのように、24時間途切れることなく真氣光のエネルギーが向かって来るもの、それが最も嫌なのです。

 ところで、嫌がるマイナスの氣が画策することによって、一見悪い反応つまり好転反応が出ることがあります。
ここで注意したいことは、マイナスの氣は脅かされると思うからこそ必死で抵抗するわけで、真氣光のエネルギーが来ること、そしてそれによって味方のマイナスの氣がパタパタとプラスの氣に変わって行かれては困るのです。

 好転反応の最中は、気持ちもネガティブになりがちですが、そこでマイナスの氣を集めることになっては、事態は長引くばかりで、形勢を逆転したいマイナスの氣の思う壺です。
こちらはどんどん強気で行くしかありません。
影よりも光が強いのです。
気持ちをしっかり持って、確実に真氣光を取り入れることなのです。

お世話になった人

 北海道での真氣光研修講座には、道外あちらこちらからも多くの皆さんに参加していただき、ありがとうございました。
お陰様で、より深いところに光が届いた講座となりました。
北海道は明治以降の開拓ですから歴史は浅いのですが、極寒・不毛の地があり、訳あって移住することになった人が多く、その分たくさんの苦悩があったことをひしひしと感じさせられました。
私の先祖も、明治初期に富山から札幌は丘珠に入ったのですが、そのような先祖のお蔭で今の自分が居ることを再認識しました。
今の私たちがどんなに恵まれているか…講座を終え翌日早朝から、そんなことを考えながらお墓参りに行って来ました。

 ところで講座中に私は、受講生とのランチタイムでの会話から、札幌で一浪していた時のことを思い出していました。
新聞奨学生として店の2階の3畳間で一人暮らしをして、たいへんだったけれど多くのことを学べた貴重な一年でした。
その時に、ホッと一息つける珈琲店が又隣にあったのです。
ご夫婦二人でやっていた小さな店でしたが、当時そこのカウンターに座って、いろいろな話ができたことで、癒され、エネルギーチャージができたのです。
スマホよりも話ができる、今はそんな珈琲店が少なくなったように思います。

 その店は、私が大学に受かって新聞店を出る時に、少し郊外の新店舗に引越をしてしまいました。
移転場所は聞いていて、いつか行こうと思っていたのですが、なかなか機会が無いままになっていたのです。
そんなことを思い出し、お墓参りの後、札幌で半日時間をつくり、行ってみたのです。
40年ぶりですから、店があるかどうかも分かりませんでしたが、路地を曲がると看板が見えるではありませんか。
恐る恐る入ってみると、客はおらず、マスターがカウンターに座って本を読んでおり、奥さんが珈琲を焙煎していました。
40年ぶりにお店に来た人は今までいなかったようで(笑)、私も変わらないご夫婦の姿が懐かしく昔の話に花が咲き楽しい時間を過ごせました。
未だ現役のマスターは75歳、もはや札幌では最高齢の焙煎士のようです。

 私は、小さい時から周りの人…恩師をはじめ良い人達に恵まれてきたと、真氣光を始めてから、つくづく思えるようになりました。
研修講座での石井光先生による内観法の講義に合わせて考えてみると、私の場合、いろいろな人に「していただいた」ことが多く、本当に感謝に堪えないと思うと同時に、それによるプラスの氣の影響で、何か温かいものがしみじみと感じられます。
そして、お世話になった人に、少しでものご恩返しと感謝の気持ちを持ちながら、自分もまた誰かのためになれる人になりたいと思うのです。

定期的に自分の心を省みる

 明日から、北海道小樽は朝里川温泉での真氣光研修講座です。
私は、きょう出発しますので、少々朝からピッチを上げています。
研修講座前なので、氣の充電という観点も大事ですが、目に見える部分のお仕事も(この原稿もそうです)集中してやっています。
私は一人住まいですから、家を数日にわたって留守にする時は、特に台所周りの掃除とゴミ出しも気をつけています。
以前、うっかり生ゴミを捨て忘れて出張したことがあって、返って来てから反省したことがありました。
嫌な臭いが出迎えてくれるほど、不快なものはありませんね。
また、私は月刊ハイゲンキなどの原稿書きや校正で、家に缶詰状態で仕事をすることがあります。
以前、あまりにも立て込んでいて、2日ほど備蓄した物を食いつないで、家から出ずに過ごしたことがありました。
全てが終わって、やれやれとゴミをまとめてマンションのゴミステーションに持って行き、家に戻ると、家のドアを開けたとたんに何となくさっきのゴミの臭いが残っていたのです。
あまりにも周りを省みずにいると、少しずつ臭いが出ていても全く気づけないことがあるもので、それ以来これも教訓にしています。

 これと同じようなことは、自分の生活習慣の中にもあるものです。
自分の中では、何の違和感も無いものが、周りとの比較など客観的に自分を見られることによって、自分を修正しなければいけないことに気づくというものです。

 マイナスの氣は、昔からその人に影響を与えながら、いつまでもそこに居続けようとします。
また、少しずつ自分の影響を与えられる領域を増やそうとすることもあります。
どのような場合にも、分からないように、そーっとやっています。
ですから私たちは、人の悪い所は分かるのに、自分の短所、欠点、マイナスの氣の影響を受けていそうなことに気づけなかったり、他人に指摘されると素直に聞けない等、それを直視することがとても難しいのです。

 定期的に受ける健康診断は、体の面でのチェックをしてくれて、悪い食生活や運動不足などの生活習慣を省みるきっかけを与えてくれます。
体に表れるマイナスの氣の影響は、違和感や痛みなどの症状になることもあるので比較的わかりやすいのですが、心に影響を受けている時には分かりにくいものですから注意が必要です。
自分では分かり難いので、他の人との間で自らが気づこう、発見しようとすることがとても大事になるのです。
またこのようなことから、真氣光のエネルギーを強力に取り入れ、マイナスの氣を浄化しながら団体生活をする真氣光研修講座の定期的な受講が、とてもオススメと言えるわけです。

真氣光でリフレッシュ!

朝起きて、「気分を変えたいなぁ」と思ったので、夕方まで休みにして、車で1時間半程、山の中の温泉に行って来ました。
温泉に行くと言っても、車の中には薄型大判プレートやプレートシート、音氣、さらにはいろいろな種類のヘッドを持ち込んで、行き帰りの時間が3時間、温泉に浸かっているのが正味2時間程ですから、真氣光を受けに行くと言うほうが正しいかもしれません。
お湯に浸かった後は、1時間ほど渓流の音や鳥の声を聞きながら、ホワイトセラミックヘッドをお腹にのせて、チェアの上でのんびりします。
すると、何やら贅沢な気分になって、すっかりリフレッシュされるのです。

気分を変えたいと思うことがあるものです。
スポーツで気分を変える、カラオケや趣味など好きなことをして気分を変える等々、皆さん、いろいろな方法で気分をリフレッシュすることと思います。
私も、散歩や水泳、ジョギング、毎日の生活の中でスッキリする時間を作るようにしています。
しかし、少々疲れが溜まっている時には、それらが面倒になったり、洗心のための指標にある「マイナスの氣を引き寄せやすい心」が多くなったり、プラス思考など自分の中からプラスの氣を作ることが、なかなかできなくなるものです。
私は、マイナスの氣の影響を受けていると、そうなるのではないかと考えていて、そのような時には「気分を変えよう」と、真氣光をしっかり受けるようにしています。

疲れだけではなく、嫌なこと・心配ごと・気になることが頭から離れなかったり、良い発想が湧かなかったり、マイナス思考に陥ったりすることがあるもので、そのような時に、「マイナスの氣の影響を受けているかもしれない」と、まず自覚できることがとても大事です。
そして、それを変えたい、一新したい、リフレッシュしたいと思い何か行動できることで、影響を与えていたマイナスの氣にも光が届き、より強い自分に変われるのだと思います。
そして、真氣光のエネルギーが受けられれば、さらにそれが促進されるのです。

また、真氣光を受けても、より強く重たいマイナスの氣の影響を受けている時には、気分がなかなか変わらない時があります。
そのような場合には、真氣光の受け方を工夫してみたり、センターや気功体験会で氣中継量の大きな氣グッズを使ってみる、スタッフからハイゲンキセッションを受ける、会長セッションを受ける、真氣光研修講座を受講するなど、より強い真氣光を受けてみることをお薦めします。

(62)石の上にも三年

私は、サラリーマン時代の’92年、初めて真氣光研修講座を受講して、「私のようなものこそ氣は必要だ」と感じ、父である先代がやっていたこの会社に入社しました。
当時は電機会社で研究開発の仕事をしていて、テーマが変わって間もない頃でしたので、上司からずいぶん慰留されました。
しかし、私の決心は固く、一年かけて周りの人に仕事を任せ、辞めさせてもらったのです。
私は、上司に相談する前に一人でじっくり考え、妻とも相談して悩んだ末に決断したのでした。
新しい仕事を任されてたいへんな時期でしたから、「石の上にも三年」ということわざも頭を過ぎりました。
その時は、このことわざを浅くしか知りませんでしたが、氣の性質をよく理解できるようになって、この言葉の深い意味がわかりましたので、氣の観点から説明します。

このことわざを、辞典で調べてみると「辛く困難なことも、辛抱していればいつか必ず成し遂げられることのたとえ。江戸時代から常用されていた」とあります。
単純に言葉の表面だけを捉えると、変化の激しい現代の世の中では、大事な決断をするときに誤った判断をしてしまいます。
辞典には、辛抱する場所がなぜ石の上なのか、現代では分かり難いであろうが、江戸時代には不安定な生活を言う慣用表現に「石の上のすまい」があったと説明しています。
さらには「不安定な石の上に長く座り続けることが忍耐につながり、自らの体温で世間という冷たい石も温められる」とあります。
これは、まさしく「自らの体温」という自分にあるプラスの氣が、年月をかければ、邪魔をするように働くマイナスの氣をも浄化し「世間という冷たい石」も温められる、つまりいろいろなことが変えられるということだと思うのです。

私は、私たちの心の状態によってプラスの氣・マイナスの氣が発せられ、それに応じた氣が周りから集まりますと説明しています。
強いマイナスの氣の抵抗勢力が影響していると、少々のプラスの氣が集まって来ても、なかなか事態は変化しません。
辛く困難なことには、更なるマイナスの氣を引き寄せることなく、じっくりと辛抱することが必要です。
そのうちに、プラスの氣は、自分をはじめ周りにもジワジワと伝わります。
私は、研修講座を受講して、「まず自分と自分の周りの氣を変えることから始まる」ということ、つまり何事も自分次第だということを知りました。
自分の側にあるマイナスの氣、周りの人に影響を与えているマイナスの氣、それらに打ち勝てるよう、真氣光という宇宙からのプラスの氣の応援もありますから、自らの氣を高めて周りに良い氣を広めていきたいものです。

「反省と誓い」の重要性

今日から愛知は三ヶ根山での真氣光研修講座が始まりました。
三ヶ根山のこの季節は、沿道に植えられた色とりどりの紫陽花(あじさい)が出迎えてくれます。
この辺りでは6/1から、あじさい祭りが開催されているそうですが、山の上は少し涼しいようで今が見頃の綺麗な色合いです。

ところで研修講座では、とても大事な講義「研修生活行法」から始めています。
オリエンテーション的なものなので見落としがちになるのですが、ここで私が最も知っていただきたいのは「反省と誓い」ということの大切さです。
研修では、たくさんの真氣光のエネルギーを受けていただくのですが、「反省と誓い」ができるかできないかで、その効果は全く違ってしまいます。
毎日の生活の中で、なかなか進歩が感じられない人には特に注意していただきたいことですので説明しましょう。

講座で配られる行持集には、「・・・自己自身の過去の生き方をふりかえり、新しい自分、本来の尊い自分、与えられた能力を最大限発揮する自分として生まれ変わるために必要なことを決心することと、その実現のために意識的に自分で自分を教育し、精進することが必要です。
・・・参加者一人一人が自分の目標を設定し自分に必要な誓いを、 自己の生命に誓い、またその反省をして、また新たな誓いをたてる(眠りの誓いの時)という形で一日一日を精神的進化の生活にします」と書かれています。

「氣とは自分の意識に同調して集まる」というものですから、ただ受け身的な意識であれば、その効果は小さくなってしまいます。
ですから、どのような自分に変わりたいのかを意識し、一日を反省して、変わっていこうと誓いをたてることが重要なのです。
しかし、いざ実行となると、なかなか難しいものですから、行持集では誓いのたて方のコツを『
1.無理のない、自然なこと。自分にも他の人にも良いこと。
2.簡潔、且つ断定調に(~したいと思います。ではなく~します)
3.段階的、具体的に(何日、何時、何曜日、何回など)
4.長期、中期、短期に分けて(1年、3か月、1か月、今週、本日など)
』と説明しています。

氣の観点ということを知ると、全てのことが自分次第であることが分かります。
私たちは、真氣光のエネルギーを取り出せる各種の氣グッズや氣中継器が利用できるので、誰の手を煩わせることなく宇宙からの応援を受けられます。
自分が一歩一歩変わろうとすることが周りをも変え、どんな壁も乗り越えられるのです。
真氣光を受けるとともに就寝前には、一日の反省をして明日への新しい誓いをたてていただきたいと思います。

聞こえていても聞けていない

私は、ボストンでの真氣光セミナーと個人セッションを終えて、水曜日の夕方に帰国しました。
毎年の米国行きですが、日本とは違って移民の国ですから、いろいろな人がいるものだということをあらためて感じます。
今回また新しい方ともお会いでき、皆さんのご先祖を通じて世界あちらこちらの国へと、ご縁が拡がっているようで嬉しく思いました。

ところで、私は英語が得意ではないので、同じように話されても、聞き取れる人とよくわからない人がいます。
母国語の訛りによるものですが、「聞く」ということには、マイナスの氣の影響もあるので注意が必要です。
30年以上前になりますがサラリーマン時代に、私はニュージーランドに行ったことがあります。
現地でレンタカーを借りて走っていたら、スピードがオーバーしていて、パトカーに止められてしまいました。
警察官が英語で何かを言っているのですが、私は気が動転していたせいで何度同じ事を言われても全く分からなかったのです。
ゆっくり言ってくれているのですが、サッパリわかりません。
取り敢えず免許証を出して、必死に聞き取ろうとするのですが、頭に入って来ないのです。
かろうじてホテルという単語から何処に泊まっているのかという質問がわかり、安宿のパンフレットを見せたら哀れに見えたのか、有難くも見逃してくれたのでした。
毎回たいてい同じ事を聞かれる入国審査も、はっきり言ってよく聞き取れません。
筆談なら何の問題もないのだと思いますが、耳からの音を単語や文章に置き換えることが、緊張することにより難しくなるのだと思うのです。
耳からの情報というものは、意識がそちらに向けられない・向かない・向きにくいということがあるもので、マイナスの氣が影響を与えやすいところではないかと思うのです。

日本語でも、注意や意識を向けないと頭に入って来ないものです。
話上手な人がいます。
どんどん相手の人との話が盛り上がっていくのですが、こういう人は、相手が気持ちよく話せるように考えて話す、つまりよく相手の話を聞いている人だと思います。
その人の身になって、自分と重ね合わせることで、波動の同調作用が働き、氣の部分までよく聞けるということになるのでしょう。
よく聞く・聞けるということが、マイナスの氣の影響を受けると難しくなるものです。
自分のテンポと違うからイライラして聞けない、意見が違う・聞きたくないことを言っているから聞けない、同じ事を何回も言うから聞けない、聞けない理由はいろいろですが、自分のほうにあるマイナスの氣を意識して真氣光を受けることです。
私の場合は、英語の上達を邪魔するものも含めて意識したいと思います。

決心が光を増やす

今日から私は、毎年恒例のボストンで開催するセミナーに行ってきます。
出発前に、この原稿もでき上がっていると、飛行機の中ではラクなのですが、そういうわけにはいかないものです。
なんだかんだと、いろいろなことが舞い込んで来て、今回もいつものような調子で、結局あと1時間後には家を出ないといけないという時間になってしまいました。
今週は第1週目ですから、月に一度の氣配り画像の配信もあるのに、まだ書くことも決まっていない状態でした。
今までの経験から、「もうダメかな」と思ってしまうと絶対にできないので「やってしまおう」と強く決心するべきだと、改めて思い直したところで、私のこの話をテーマにしようと思い立った次第です。

私は、決心することがマイナスの氣を遠ざけ、それによって行動ができると、魂のエネルギーつまり見えない光のような氣が一気に増えるということを、これまで数々の出来事から経験してきました。
「何とかなる」「どうにかなる」「やればできる」「やってしまうぞ」と、まず強く意識してトライしてみると案外簡単にできてしまうのです。
決心とは「心を決める」ということですが、決心する前の状態は、心が決まらない・決められないということ…これは中途半端な気持ちだったり、迷いや未来への心配があったりして、ただ時間だけを経過してしまうなど、マイナスの氣の影響を強く受けている状態とも言えるでしょう。
マイナスの氣は、その人の魂の光が増えると、そこに居られなくなるので、決心できないように邪魔をするのです。

簡単なことでも「いつかできるだろう」「できればやろう」「できるかなぁ」等と考えていたら絶対にできません。
強く決心しなければマイナスの氣には打ち勝てないのです。
そういう意味では、今回の私のようにタイムリミットがあるということは、非常に有難いことです。
逆に考えると、これがないとなかなかできません。
ですから、タイムリミットを自分で決め、それができると達成感が自信になりますから、私は何事にもこの繰り返しが大切だと思っています。

また、決心できても途中でくじけることがあるものです。
マイナスの氣も、あの手この手で邪魔をしてきますが、それに負けていては、あちらの思う壺です。
そんな時は、また新たに決心をすればよいだけで、その分だけ光が増えていますから、何回もやればやる程、実行に移すのが容易になるはずです。
6月、今年も半分となる月になりました。
真氣光のエネルギーも応援してくれますので、もし何かできていないことがあれば、まずは決心してみることをお薦めします。

(61)泣き面に蜂

忙しい時に限って、いろいろな用事が舞い込んで来ることがあるものです。
以前、締め切り間際に原稿執筆をしていた時、やっと一つ出来上がってメールしようと思ったら、パソコンが壊れて書いたものが消えたばかりか、執筆と修理で大変な目にあったことがありました。
「泣き面に蜂」ということわざがあります。
災いが続けざまに起こることのたとえで、「江戸いろはかるた」に出典があるといいます。
皆さんの話を聞いていても、もともと左足が痛かったのに、さらに転んで右足も痛くなったとか、不幸な出来事が重なったということをよく聞きます。
英語にはMisfortunes never come singly.(不幸は単独では来ない)という言葉もあるとか、世界中で、昔から多くの人が体験していることなのでしょう。

氣の観点から考えると、マイナスの氣の同調作用ということになります。
目には見えない氣というエネルギーは、大きく分けてプラスの氣とマイナスの氣に分類できますが、それらは波動的な性質があって、似たようなものが集まることから、何かのタイミングで現れたマイナスの氣の影響による現象に、更なるマイナスの氣が集まって、それが不幸な出来事となって重なるのです。

このような時に、人間性が出てしまうというものです。
自分の心までもが暗くなったり、イライラしたり、八つ当たりや投げやりな態度をとったり、不平・不満・愚痴を言うなど、つまりマイナスの氣を出すと、更なるマイナスの氣を集めてしまう結果になりますから、事態をさらに悪くしてしまいます。
そんな時は、淡々と事態の収拾を図ること、静かに事を収めて態勢を立て直すことができれば、傷を最小限にとどめることができるだけでなく、後々までもマイナスの氣の力を弱められるのです。
プラスの氣である真氣光を受け、「後で笑い話にでもしよう」などと心の余裕が持てたり、さらには「不幸中の幸い」の部分に目が向けられれば、更なるプラスの氣の応援が受け易くなるというものです。

ところでこの同調作用、マイナスの氣がマイナスの氣を呼ぶなら、どんどんマイナスの氣だらけになって、これが連続的に急激に進めば、本来私たちの体の中にある氣のエネルギーまでもが消滅してしまうところですが、そういうことにはなりません。
私は、どんな人にも、その人を守るように働くプラスの氣というものがあり、それが最悪の状態にならないようにしてくれていると考えています。
その考えを突き詰め、プラスの氣の働きの凄さが体験によって感じられていくと、ある芸人さんが言っていますが「生きているだけで丸儲け」という考え方、つまりどんな事があっても動じない心の平安に繋がるのだと思うのです。