今も続く武士の時代の思い

 今日から、熱海での6回目になる真氣光研修講座が始まりました。
縁あって毎年こちらの施設で開催していますが、ここから5分とかからないところに伊豆山神社がありますので、講座の中での青空教室の時間には、散策をかねて神社にお参りしています。
こちらの神社は、源頼朝がよく訪れていたということですし、先月の講座開催地は源平の戦いの場となった須磨浦公園のそばでしたから、縁ある東西の武士の魂に講座から多くの氣が届いてくれることを願うのです。
 私は、体を失うときに心がマイナスに傾くことで、大きく氣のエネルギーを失った魂をマイナスの氣と称していますが、これまで氣を送ることで、氣を受けている人の口を借りて出てくる、そのようなマイナスの氣に数多く遭遇してきました。
彼らの話からは、どのような心を持つとマイナスの氣となり、死後も苦しみ、生きている人に力を借りなければ自分だけではどうにもならなくなってしまうのか、という事がわかります。
そういうことから考えると、マイナスの氣とは言いますが、決してマイナスではなく、むしろ大事なことを教えてくれる存在なのです。
 いろいろな思いがマイナスの氣に繋がりますが、武士の魂に多いのは、切った・切られた痛さや苦しみの裏にある、卑怯なことをされたことへの怒りがあります。
私たちは、彼らが思うようなことは刀を持つ物騒な時代に特有な事と、思いがちです。
しかし、似たような思いは、現代を生きる私たちにもあり、それに気づいて変わらなければ、彼らも変われません。
例えば卑怯だと思っているのは自分の考えであって、相手にとっては仕方がなかったという事もあります。
現代でも、何が正しいかの判断基準が、一般的常識と考えるなら、それは本当に不確かなものです。
自分の思っていることと違うことを誰かがすれば、許せない・許さないと思い、なぜそうするのかと自分の考えを押しつけたくなりますし、もし相手が自分の思いに反すれば怒りが出てくるものです。
刀で他を傷つけることは無くなっても、言葉や態度で誰かを傷つけてしまうこともあります。
傷つけられれば決して忘れない・許さないとマイナスの氣の連鎖となり、何処かで切らなければ終わりません。
家庭で、職場で、地域で…、誰もが、本当の意味で心穏やかに生きられる時代は、まだまだ先のことです。
自分の辛さや苦しさを少しでも分かって欲しいと思うばかりで、周りの人の気持ちなど考えられないというときには、彼らのようなマイナスの氣の影響を受けていますから、それを意識して真氣光を受けてみてください。
自分から周りへと少しでも、プラスの氣を拡げたいものです。
(中川 雅仁)
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