敬愛の心を持とう

これまで私は、いろいろな人に真氣光を送り、それを受けている人の口から出てくる魂の言葉を聞いてきましたが、ある時期から古い時代の宗教家と思われる魂が出てくることが多くなりました。そのような魂は、自分の信じていることが絶対なので、なかなか真氣光の光を受け入れられずに、より次元の高い世界に上がっていくことが難しいようなのです。 もともと彼らは、光を持ったプラスの氣という存在なのですが、見守っていたはずの人が真氣光を受けることで魂の光が多くなり、いつしかエネルギーが逆転し、見守っている魂のほうがマイナスとなり、生きている人の足を引っ張るような格好になってしまったのです。彼らは、頑なに自分達の伝統の上に培った光を信じ、「真氣光のような得体の知れないものは信じられない」、威厳のある声で「自分達が絶対だ」と言います。しかし、この宇宙で私たちは、いつまでも魂として成長していく存在ですから、絶対ということはあり得ないのです。私が彼らから学んだことは、謙虚さを失ってしまうと、そこからの成長が止まってしまうということです。 ところで、真氣光のエネルギーは、宇宙から「皆さん、たいへんな中を生きているので応援したい」と送られて来ます。真氣光のエネルギーを送ってくれている彼らもまた、「送らせていただいて、あなた方のおかげで成長させてもらっている」と伝えてきます。上下関係ではなく私たちと対等だと、つまり先生ではなく同じ生徒だと言っているのです。遙かに精神性が進んでいると思われる彼らであっても、さらに向上を目指そうとしている姿勢と、私たちに敬愛の心を持って接してくれていることに、私は感服しました。 敬愛とは、尊敬して親しみの気持ちを持つことという意味です。相手を敬うということは、偉そうな姿勢の対極にあって、人から学ぶことが容易になるということですし、皆が敬う気持ちを持てるということは、お互いを尊重し合えるということに繋がります。さらに親しみの気持ちを持つには、相手を理解し、その人の立場に立って考えるということが大事です。 氣の観点から考えると、誰もが、力を貸してくれているプラスの氣はあるけれど、暗い影のような何らかのマイナスの氣の影響を受けています。応援するプラスの氣が多ければ、それに反するマイナスの氣も多かったり、より暗かったりと、つまり体を持って生きているということは、それぞれが皆、たいへんな中を生きているわけです。それを理解して、真氣光を受けるとともに、誰にでも敬愛の心を持ちたいものです。(中川雅仁)