(6)魂について考える2

 前回のお話をまとめると、命があるものとは何らかのエネルギーがあるもの、それは魂みたいなものが存在するということで、そして身体が有る無いに関わらず、たくさんの魂がこの世には存在するということです。それらがお互いにエネルギー(光のようなもの)を交換し合いながら、全体が成り立っているようなのです。植物も動物もその対象です。私は、意識をもった動物の場合そのエネルギーの量は大きくて、意識の力を利用することで大きく増やすことが可能になると推測しています。意識の力とは、心の持ちかたです。すごく簡単に言えば、心の状態がプラスに変化すれば光が増して明るくなり、逆にマイナスになれば光が減って暗くなるということです。人は、誰かに憎まれると暗くなり、勇気付けられると明るくなります。エネルギーをあげたり、もらったりを繰り返しているのです。
 例えば、よく話題に上る霊ですが、たいてい恨んでいるとか、苦しんでいるとか、悲しいだとか、呪うとかマイナスの心になっているようです。しかし赤ちゃんの頃から恨んでいる人がいるでしょうか? 私が思うに、いかなる霊も以前は、そのようなマイナスの心ではなかったに違いない、何かのきっかけで、たまたまそういう心の状態になってしまい、それが続いてしまっているだけだと思うのです。つまり元々は輝いていた魂も暗くなることがある、つまり変化するということです。逆に言えば、暗くなっている魂も必ず光り輝くよう変化できるということです。そして、エネルギー的に大きくマイナスに傾いて身体がなくなってしまった魂の場合、エネルギー不足で自分で行動するというわけにはいかず、磁石と釘が引き合うように知らないうちに引き寄せられてしまうようなのです。どうしてでしょうか?
 私は、この世に起こることは意味があって起きていると思います。そうでないとすると、意味のないことが偶然に起きているということになりますが、そう考えるには今までの生命や人類の進歩があまりにもうまく出来過ぎています。何か原因があって、あることが起き、それには意味があるのではないでしょうか? 全体の中のほんの一部が原因と結果の関係があり、他の部分にはそれがないというのも妙な話です。全てに原因と結果の意味合いがあるのだけれど、我々にはその関係がわかり難いと考えたほうが自然のような気がします。つまり何が言いたいかというと、霊的な現象が起きるにも意味があり、原因があるということです。つまり、以前は光り輝いていたにも関わらず暗くなってしまったということ、引き合ってある人のところに来てしまったというのにも、原因と結果があり意味があるということです。そして、もしその原因が除かれない(変化しない)ようであれば、またいつか同じ結果が起きると考えられるでしょう。〈つづく〉