先日地下駐車場で大転倒し負傷した件をお話ししましたが、いろいろな方から「大丈夫ですか?」と声をかけていただき有り難うございました。年のせいでしょうか、足がだんだん上がらなくなってきているようだと思ったのですが、今度は足が上がりすぎて痛い目に遭ってしまいました。机の端で仕事をしていたのですが、(何を思ったか?)椅子に座ったまま勢いよく足で蹴って身体の向きを変えようとしたら、右足膝の内側を机の脚にしこたまぶつけてしまったのでした。痛さのあまり転げ回りながらホワイトセラミックヘッドを当て、昔もここをぶつけたことを思い出しました。小学5年生のころだったか、野球をしていたのですが、キャッチャーをやっていた私の足に、3塁から走ってきた友達の足が交錯して、彼の足が私の右足膝内側に当たったという場面です。彼は打ち所が良かったのか痛みも無いようでしたが、私の方は酷く痛んで、しばらく試合が中断してしまうほどでした。そのころの私はといえば、真氣光的な考え方とは正反対で、マイナスの氣を引きつけやすい性格でした。身に起こる良くないことは全て人のせいにしていましたから、たぶん心の中では走ってきた友達を非難するとともに、「何でこんな目に遭うんだ」という気持で一杯だったと思います。
「思い出すことも氣づきの一つです」という話を、月刊ハイゲンキ10月号の真氣光教室のページで書きましたが、まさしくそれを実体験させられているような展開です。つまり、私のどこかにその時にご縁があったマイナスの氣が来ていたかもしれず、すっかり忘れていたためにそれが陰に隠れていて、ときどきこちらのエネルギーが下がった時に出てきては、足をぶつけたり転んだり、痒くなったり、身体の反応ばかりではなく心をイライラさせたりしていたかもしれないのです。よく研修講座では、たくさん氣を受けている間に忘れていた昔の古傷などが痛んでくる方がいらっしゃるのですが、これなどと全く同じ現象で、氣を受けていることで炙り出された一見マイナスの出来事だったのでしょう。
真氣光のエネルギーを毎日受けていることで、魂にエネルギーが充電され、氣づきが出てくるとともに、いろいろなマイナスの氣が外れるのです。今悩んでいたり、直面している問題点も昔の体験や思いに関連しているかもしれません。そんなことを考えながら氣を受けていただくと、過去から繋がっているマイナスの氣にも光が届き好転のきっかけとなるのです。