(21)言うは易く行うは難し

ラジオによれば立冬だということ。日暮れが早くなって朝夕には寒さを感じ始める季節ですが、皆様いかがお過ごしですか。温暖化の影響があるのでしょうか?東京は、まだまだ暖かい日が続いているような気がします。しかし、今年もだんだん残り僅かとなり、私は少々焦り気味です。年初に、「趣味や遊びも含めて今年はこんなことをしてみたい」と思っていたことが、まだ半分も出来ていないからです。忙しい、暇がないと理由を付ければいろいろありますが、その原因を掘り下げて分析してみると、どうも気持ちの面で、いま一つ腰が引けている感じがあったのです。ちょっと面倒だとか、駄目じゃないかとか、心配や上手くできないイメージがいろいろと深い意識の中にあるようで、それらが邪魔をしているようなのです。実際に着手してみると、それらは「案ずるより産むがやすい」ということになるのかもしれません。 行 動できることで人は大きく変わっていけるはずなのに、頭ではわかっていても、「昨日までが普通に過ごせたのだから、このまま現状維持を保っていよう、敢えて冒険を犯すこともあるまい」という気持ちが何処かにあり、なかなか行動するところまで決心がつかないということでしょう。氣の観点から考えてみると、魂が大きく光を増すのは、一見マイナスのことに立ち向かう強い意志をもって行動するときです。逆に言えば、魂に光が増えるとそこに居られなくなるマイナスの氣が、少しでもそこに止まろうとして抵抗勢力となって出現し、決心を鈍らせて行動できないようにするということも考えられます。全てがそのような場合とも限りませんが、普通に考えても今まで止まっていた車輪を動かすには相当なエネルギーが必要なはずです。一端動き始めれば楽に行えるようになるのでしょうが、それまでは強い決心で行動を始め、すぐに止まってしまっても、また決心して行動すること、場合によっては、それを何回も繰り返すことが必要になってくるでしょう。また、真氣光というエネルギーは魂に浸透し、その光を増やします。マイナスの氣が邪魔をしているような時には、自分自身の魂に浸透した光が、次第にそれらにも届いてプラスに変えていきます。その結果、行動しやすくなるものです。 私も、出来なくさせているマイナスの氣に、より一層光が当たるように真氣光を受けながら、そんな風に自分に言い聞かせることにして、少しでも実行できるように年末までの50 日を大事にしていきたいと思っています。

もの凄く低い確率

よく考えると、もの凄く低い確率で物事が起こる場面に出くわすことがあります。そういうときには、私は少しぐらいマイナスの出来事でも「珍しい」ということを優先に考え「いいとこ探し」の良い出来事の一つと捉えることにしています。先日、妻と戸外テラス席のあるレストランでランチをいただきました。そこに雀が1羽飛んできて欄干にとまりチョンチョンと走って(?)来たかと思ったら、ちょうど私の目の前で糞をして、こちらをチラッと見てから飛んで行ったのです。食べることに忙しかった妻は気がつかなかったらしく、たった今こんなことがあったと話をしたところ、「運(ウン)が付く」つながりで彼女が以前にカラスに受けた仕打を話し始めました。話はこうです。「妻が朝、バルコニーのガラス戸を開けたところ、カラスが飛んで来て、いきなり目の前で大量の糞をした。すぐにカラスは飛び去り、彼女は『きれいに始末しなければ』と気が重くなりながら、用事があったので出かけた。ところが、その日は夕方から激しい豪雨になり、横殴りの雨のおかげで、翌朝見るとすっかり綺麗になっていた」というのです。もの凄く低い確率で起こったことを自慢しあうサイトがあるのですが、その中では例えば、テストで二択の問題を20/20個はずしたという人もいれば、彼女と誕生日が一緒で今日が誕生日だった人等々いろいろです。一般に宝くじに当たるような良い出来事は神計らいと感じられるけれど、もの凄く低い確率で悪いことが目の前に現れると、「とっても運が悪い」「神も仏も無い」と思ってしまいます。しかし自然界においては、数字では計り知れない出来事が容易に起こるのです。プラスやマイナスの氣が作用するという氣の観点から考えると、確率的には非常に希に起こる良いこと・悪いこと、どちらもあっけなく現象となることは不思議ではありません。不運な出来事は、マイナスの氣の影響で出てきた現象かもしれませんが、そのことで「なんて運が無いのだ」と悲嘆していては、同調によってマイナスの氣が集まる結果になります。少しでもプラスな出来事として心に残すことで、良い方向に切り替わるきっかけになるのです。前述の私に起こったことは軽い出来事で、実際に大きなマイナスの出来事がやってくるとなかなか余裕は持てませんが、少々の出来事ならその偶然性に着目して、興味深い話・面白かった話になるものです。毎日忙しい生活をしていると、ついつい一生懸命仕事をこなすだけで、繰り返されることが同じになり、心に残ることが無くなってしまいます。しかし、ちょっとしたことでも確率を考えてみると、心に残る出来事になるのかもしれません。

日本人はお風呂で氣を受けていた!

有名な温泉地にある外資系ホテルに泊まったときのことです。ONSEWNと書いてある大浴場があったので、夕食の時間になりそうでしたが、急いで一風呂いただいたのです。大きなお風呂が一つあるだけのシンプルなつくりで、脱衣場で服を脱いでいるとガラス戸の向こうの風呂場の方に一家族すでに入っているような気配です。「先客が居るのかな」と思いながら軽く身体を洗って湯船に近づいたところ、スリッパが2足置いてあります。「???」よく見ると湯船には見た感じからインド人の親子が入っていました。優雅に湯船でタオルを流しています。さらにはそこにバスタオルを身体に巻いた東洋系の紳士が通ります。国際色豊かなバスタイムで面白いものだと思いながら私はマイペースでゆっくりしたのです。もう上がろうという時でした。無意識に私が頭にタオルをのせて湯船に浸かっていると、先程の東洋系の紳士も私のようにしているではありませんか。もう8?9年前になるでしょうか、真氣光研修講座にアメリカから20人程の人が来たことがありました。私達はお風呂の入り方がわからないのではないか、注意書きがいるのではないかと、スタッフの間でずいぶん打合わせをしたものでした。結局、心配には及ばず日本人と和気あいあい、何の問題もなかったのでした。大衆浴場というのは日本独特の文化で、特に欧米人にとっては分からないことが多いでしょう。身体を洗い単に綺麗にするだけではなく、くつろぎ安らぐ場としての浴場です。それだけにみんなが気持ちよく入れるようにマナーが出来上がっています。銭湯が少なくなった今でも、温泉は廃れないところを見ると、お風呂で何らかの氣を充電する、日本人に無くてはならないものだと思うのです。私は出張でホテルに泊まることが多いのですが、最近は大浴場の付いているホテルが珍しくありません。温泉でなくても広いお風呂に入り一日の疲れを癒したいと思うのは私ばかりではないようです。研修講座でも、生駒から、つくばみらい市での会場に移りましたが、氣の観点からはさらに強力になりました。アクアリフレッシャーC型を×2500にバージョンアップし、そこにG型(2500倍)を取付け、さらには女性用のお風呂は大きめですから、それを二組入れています。もしかすると、お風呂の時間が一日5回の真氣光の時間(生駒では4回でした)よりも強力に氣を受けられる時間になっているかもしれません。来週末には11月の研修講座が始まります。メインとなる会場や寝室にも氣の観点から様々な工夫をしております。真氣光三昧な3泊4日を皆さんにぜひ体験して欲しいと思います。

(5)ワルツ・フォー・デビイ

「秋の夜長を楽しむ」そんな季節になってきました。週末に各地を回って、帰りの電車などでホッと一息付く時に、ジャズが無性に聞きたくなって、携帯型ミュージックプレーヤから選ぶ曲があります。ビル・エバンスの「ワルツ・フォー・デビイ」と言うライブ録音のCDです。ジャズばかりではなくクラシックやロックなどでも、コンサート会場での音の響きが入っていて、演奏している音楽と溶け合わさって、聞く者を一瞬にしてその場の空間に連れ出してくれるようなライブ録音の名盤があります。そのようなものは、その場の雰囲気という氣も一緒に録音されているのではないかと私は思っています。ビル・エヴァンスは生涯に約130枚のアルバムをリリースしていますが、「ワルツ・フォー・デビイ」はいつでもベスト5に入るほどの名作ではないでしょうか。私が生まれた年と同じ1961年の6月に、ニューヨークのヴィレッジヴァンガードで録音されたライブアルバムです。彼の曲はどれも美しく心を奪われますが、このライブアルバムの凄いところは、客の拍手ばかりではなく、演奏中の客同士のお喋りや笑い声、グラスや皿のガチャガチャ音などが入っていて、聞いていると、まるでジャズクラブに居るような錯覚に陥るところです。まさしくジャズクラブの「氣」が録音されているのです。もう久しくそのような所には行っていませんが、疲れた身体を電車の中の仮想ジャズクラブで解放させたいという欲求が、私にはあるのかもしれません。高校から大学時代、私はポップス、ロック、クラシック、ジャズなど、いろいろな音楽を聞きました。それぞれのジャンルに一人は詳しい友人がいて、彼らから影響を受けて聞いていたという感じですから、それぞれに詳しいわけではなく、どちらかというと幅広くというところでしょうか。昔は借りたレコード盤を小脇に抱えて、よくあちらこちらの友人の家に通ったものです。特にジャズは、高校時代一緒だったT君の影響を受けています。彼は高校に入ってからジャズピアノに魅了され、それから初めてピアノに触れ、独学でジャズピアノをマスターして、今はプロとして活躍しています。高校の同窓会の情報を漏れ聞くところによると、最近札幌の眼鏡屋さんのCMにも出演していたとか・・・。ススキノのライブハウスでも活躍の様子です。昔の懐かしい思い出とともに、部屋でゆっくり音楽に浸る、そんな時間もいいなぁと思う、この頃です。

海洋環境映像展に行って来ました

きょうは横浜へ、みなとみらい線沿線の横浜赤レンガ倉庫まで、グリーンピース・ジャパン主催の海洋環境映像展「もうひとつの地球への旅?グリーンピースの見た海?」を見に行っていきました。広告で目にしたサブタイトル「私たちの目に見えない海洋ですすむ環境破壊。地球と海を愛する皆さま、ぜひご覧ください」に興味を持ち足を運んだのです。2005/10?2007/2までグリーンピースのキャンペーン船エスペランサ(希望)号が世界の海を巡り環境破壊の現状を映像に記録したものの上映を主に、海や生き物の写真が少し展示されていました。私は月刊ハイゲンキの取材で、グリーンピース・ジャパン事務局長星川淳氏にお会いしたことがあります。その際にも、いろいろな話を伺ったのですが、実際に映像フィルムで見るとリアリティが増します。特に、地球の70パーセントを占める海ですが、毎日の生活では目にできない汚染、乱獲、違法漁業などさまざまな環境破壊が進行していることがよくわかりました。映像では、目先の経済を優先する考え方では将来海洋生物は死滅してしまう。持続可能な海にするためにも陸地での国立公園や自然保護区のような海洋保護区をつくる必要があると結論づけていました。全世界の人口はこの10月に66億人との推計が出ています。開発途上国を中心に年間7千万人増えるということです。18世紀の産業革命以前には世界人口は約6億人ですから、この3世紀で10倍以上に増えたことになります。この先はいったいどうなるのか?食料やエネルギーの問題を考えると気持ちも暗くならざるを得ない状況です。人はすべての生き物の頂点に君臨していますから、人が生きるということは、いろいろな生き物を犠牲にする可能性があるわけです。短絡的に考えると、人の存在そのものが悪ということになります。しかし私は環境問題も、多くの人が洗心を学ぶための一つの材料ではないかと考えています。なぜなら、洗心により魂の輝きを増すことにこそ意味があると思うからです。つまり、厳しい環境にも屈することなく、強く明るく正しく、自分さえ良ければなどという欲やエゴを捨て、皆で知恵を出し合って仲良く相和し、もう十分で有り難いと満足し感謝あふれる生活ができることで、魂のエネルギーは光を増します。そして誰しも皆、身体を失い宇宙に戻るわけです。宇宙から地球に生まれ、この限られた世界で精神性を高め光を増して、再び宇宙に戻る。そのときに、より強くなった光が宇宙に必要なのでしょう。真氣光というエネルギーもそれを促してくれるのだと思うのです。前述の映像展は14日(日)まで開催しているようです。詳細はグリーンピースジャパン03-5338-9800にお問い合わせください。

ドライブの思い出

先日久しぶりに車で出かけたら、妻が「ドライブの思い出って何かある?」と聞くのです。「うーん、どんな話しをすればよいわけ?」と答えると、ラジオのテーマで聴取者から話を聞いていたというのです。その時の話が面白かったらしく、ラジオで紹介されていた話をいろいろ説明してくれました。『箱根で力一杯踏ん張ってアクセルを踏んだけど車の調子が悪く35km/hしかスピードが出ず、後ろは大渋滞、隣で主人に「もっとしっかりアクセルを踏め」と怒鳴られて、ハンドルを握りながら泣き出してしまった』という話など、今となっては笑えるのですが、実際にその時には冷や汗ものだったという話です。ドライブに関する話であれば何でもよいことになりますから、彼や彼女とドライブをして、とても印象に残った風景に出合ったなど、楽しかった話がたくさん出てきてもよいでしょうが、妻によると実際にはそうではなくて、一つを除いて残りは全て苦労話だったようです。私の場合はどうだろう?と考えてみると、今となって思い出されるのは、妻とのデートよりは「学生時代スキーの帰り道に大雪で前が見えず道路じゃないところを走ってしまった」などの失敗談です。今だから笑って話せるけれど、その時は必死で、今にも泣きそうになったことばかりです。以前にこんな話を読んだことがあります。「身体を危険から守らなければならないので、もともとヒトの脳は良くないことの方を良く覚えている」というものです。確かに良くない話ならたくさんありますから、私には妙に納得できる話なのです。良くない出来事つまり一見マイナスの出来事は、それをそのまま嫌なこと辛いこととして心に残しておくと、思い出す度にマイナスの氣の影響を受けますので、良い結果をもたらしません。そういう意味では、過去の辛い話を笑い話として話せることは素晴らしいのかもしれません。そんなことを考えながら妻の話を聞いていたのです。「ところで、あなたのドライブの思いでは?」と私が聞くと、しばらく考えて彼女が話したのは、これまで私がスピード違反でお巡りさんに捕まった話でした。どうも彼女がウトウトと眠って目を離すとすかさず、私はスピードを出しすぎて運悪く(?)捕まると言うのです。私としては、あまり面白い話ではありませんが、彼女がウトウトとするということは私も眠たくなっていたかもしれないということで、その時に「運良く」お巡りさんに捕まえていただいたということは、未然に事故を防げたということでしょう。妻は笑っていますが、私には少々苦い体験ですが有難いことだったのです。

(20)塵も積もれば山となる

私は先週土曜日から札幌、仙台、福岡、熊本、大分県佐伯市と日本列島の北から南下し、一昨日遅くに東京に戻りました。ほんの数日ですが、久しぶりの東京は幾分涼しく感じられました。先週「新しい枕、新発売」の話をしましたが、各地では早速この枕を買ってくださる方が多く、一部では在庫が無くなるほどでした。皆様ありがとうございました。 こ の枕ですが中身に水晶を練り込んだチップを使っています。一つひとつのチップからでる真氣光の光は小さなものでも、たくさん集めることで大きな力を出すもので、まさしく『塵も積もれば山となる』です。2000 年に発売したパワーユニットから、このことわざがポイントになるような、いろいろな氣グッズが誕生しています。スティックヘッド、アクアリフレッシャー、ホログラムシール、先月発売したチタンプレートなど、多数の組み合わせが一つひとつを足し合わせた以上に、つまり相乗効果のように働いて、大きな効果を引き出すのです。古くからことわざにもあるように、人は昔から体験によって感じてきたことなのでしょう。 こ のことわざを辞典で調べてみました。「ごく僅(わず)かなものでも、数多く積み重なれば高大なものになるということの喩え。小事を疎(おろそ)かにするなという戒(いまし)めの意味を込めても使う。」とあります。妻は、これを聞いて耳が痛いと言います。彼女は最近ずいぶん福々しくなっているようなのですが、デザートの強力な誘惑に「これぐらいは大丈夫か」と、気のゆるみも手伝って体重増加に歯止めがかかりません。ただ逆に考えれば、ほんの少しのストレッチも積み重なれば大きな効果を発揮するまでになるかもしれません。ですから私から見れば、ダイエットの本を買ってきては高く積み重ねるのではなく、何かやってみたらということなのですが・・・。しかし、かく言う私も同様に、このことわざには反省させられることが多く、人の事は言ってはいられません。 氣 グッズのように光の塵ならよいですが、マイナスの氣つまり影の塵がつもるのは困ります。マイナスの氣は、最初は小さな事でも、少しずつ少しずつ、気づかれないように蓄積していきます。たいていは山のように大きくならないと、気がつかないということなのです。そうなっても気がつけることで、大きく前進できるのですが、あまり大事には至りたくないものです。日頃から精進、精進。真氣光に加え、マイナスの山を築かぬように少しでも努力せねばと思うのです。

真氣光枕2を新発売

私は、どちらかというと夜に弱く朝に強い方で、夜12時を回ると自然にまぶたが閉じてしまうタイプで、睡眠時間は6?7時間というところでしょうか。我が家の場合、お互いの弱点克服という点では、うまく出来ているのか妻はその逆で夜に強く朝に弱いのですが、困った事に時々私の寝入りばなにかくイビキが妻の睡眠導入妨害になると言うのです。どうも疲れたときにイビキをかくようです。その結果、彼女は私より早く寝ようと必死になり早寝早起き傾向になりつつあるのですから、イビキも決して悪くないと私は密かに思っていますが・・・。そんなこともあって、寝ている間にできるだけ氣を受けられるようにとの妻の指導で、私はクリスタルマットや真氣光枕、ハイゲンキヘッドやミニスティックヘッドなどを身の周りに配置しています。おかげさまで効果はあるようで、いつも熟睡、昼間もあまり眠くなりません。先日の新聞に載っていましたが「睡眠は8時間にこだわる必要はなく、個々人の体質で理想の睡眠時間が違い、日中の眠気に悩まされなければその人にあった睡眠時間」ということです。また「高齢になれば必要とする睡眠時間が短くなり、夏より冬が30分から1時間ほど長い」さらには『「長時間睡眠群」の方は、「短時間睡眠群」の方より熟睡感が少なく、抑うつ感やイライラ感が強い』とも付け加えています。そういう意味でも短時間睡眠=熟睡が重要で、それを得るには氣が効果的だと私は思っています。我が家の話に戻りますが、どうも妻は大きい枕の方が良いらしく、かつて使っていた真氣光枕もいつの間にか他の大きな枕に変わっていました。確かにデパートの寝具売り場を眺めても大きな物が主流のようです。ですから私は今度枕を改良するときには大きいサイズにしようと考えていたのですが、とうとうそれが真氣光枕?となって実現しました。改良のポイントは2つで、一つはサイズが一回り大きくなったこと、もう一つは中身のチップを工夫したことです。チップには、空洞のパイプ素材で通気性・放熱性にすぐれた特殊なポリエチレンチップを使用していますが、これが柔軟で復元力があり枕に何とも言えない適度な柔らかさを与えています。さらにはこのチップに消臭・防湿効果の高い活性炭に加えて、水晶の微粉を練り込み、真氣光の波動を記憶・増幅させています。これまでの枕も在庫がある限り販売させていただきます。寝ている間に真氣光を受ける強力な氣グッズとして、真氣光枕シリーズをぜひお試しください。

9.11の日の小旅行

先月下旬、会員さんから私は一冊の絵本をもらいました。「おきなわ島のこえ」(丸木俊丸木位里‘84年小峰書店発行、第16回講談社絵本賞など受賞)です。この絵本は、家族と生き別れて戦火から逃れる姉弟の視線で、住民の集団自決や旧日本軍による虐殺などの悲劇が描かれています。私は毎月沖縄センターでセッションを行っていますが、いつも日帰りの日程です。昨年の冬に月刊ハイゲンキの取材で美ら海水族館に行ったのですが、なかなか時間をとって旅行できないのが実状で、その前は確か2000年、ひめゆりの塔にお参りしたのを記憶しているほどです。私は、今週沖縄セッションのあと休みをとって、雨がかろうじて上がった11日に、朝から読谷村と平和祈念公園を回って来ました。読谷村では、1945年4月1日米軍が沖縄本島へ上陸した翌日、避難していた住民約140名中、83名が「集団自決」をしたチビチリガマへ行きました。そして毎年6月23日の「慰霊の日」に沖縄全戦没者追悼式が行われ、“沖縄戦終焉の地”となった摩文仁の丘にある「平和祈念公園」、さらには「ひめゆり平和祈念資料館」に行って来たのです。ちょうどその日の朝刊には、集団自決体験者証言「軍命あった」という見出しの記事がありました。内容は『沖縄戦時に旧日本軍が住民に集団自決を命じたとする大江健三郎氏の著書「沖縄ノート」などで名誉を傷つけられたとして、戦隊長と遺族が出版元と著者に損害賠償などを求めた訴訟の出張証人尋問が行われ、沖縄県渡嘉敷島での集団自決を生き延びた沖縄キリスト教短大名誉教授金城重明さんが、被告側の証人として証言。金城さんは、「軍命があったとしか考えられない」と述べた』というものです。この訴訟は、来年度の高校日本史の教科書検定で、文部科学省が「日本軍の強制があった」とする記述を修正させた根拠の一つとなったものでした。前述の絵本は函館在住のカナダ人教師らによって英訳され、英語圏の図書館に寄贈して平和教育の教材に活用してもらうという計画もあるそうです。正しい歴史を知り、多くの人が「もし自分がこれを体験していたら」と想像できれば、戦争は無くなることでしょう。図らずも9.11米同時多発テロの日でした。私は、ガマ(壕)の中で亡くなった人々をはじめ、沖縄の人々、当時日本各地から沖縄に来ていた人々、国籍を問わずここで亡くなった人々すべてに真氣光を送りながら、地球上の悲しみの波動が少しでも減ることをお祈りしたのでした。

(58)苦しむ武士たちに光を

1868年9月8日(旧暦)に明治天皇が即位していますから、武士の時代が終わって百数十年になろうとしています。しかし今なお、セッションなどで私が氣を送っていると武士の魂が出てくることがあります。私がA さんに氣を送っている時に出て来た魂さんは、戦に負けて亡くなった今もなおA さんの家に戦いを挑んでいる武士でした。「死んでなお苦しんでいる者の気持ちがわかるか。死んでからが、もっと苦しい。私は神も仏も信じておるし、悪いことをしたこともない。自分が悪人なら諦めもつく。」私は、氣を送りながら「心が少しは軽くなりませんか」と聞いてみたのです。すると「心は軽くなどなってはならぬ。心は腹の底に据え、何があっても動かさない。弱音を吐くことも、ひるむこともならぬのじゃ。」使命を持って生まれ、小さい頃から武士の長としての教育を受けてきたのです。私には彼の辛さが少しばかりわかったような気がしました。しばらく氣を送り続けていると彼は話し始めました。「そうか、もうすべては終わったのだ。死んだ時にもう終わっておる。それまでどんな人生でも自分自身で納得をすれば良かった。死んでからは何もできぬ、それでよしと、すればよかったのだな。戦で命を落として、満足のいくはずがない。しかし悔いてもしょうがあるまい。よくも悪くも、それが私の人生であった。それに気づかせてくれた、感謝である。私に付いて来てくれた者たちも同じ気持ちであったろう。もう良い、良しとしよう。自分だけが苦しいと思っていたが、私は感謝しておる、大将の私がそんなことで皆の者を苦しめておった。皆の者、もうよい、もうよい。刀を捨てぇい、よくやってくれた。成仏しようではないか。これが光というものか、皆の者、こちらに進もうではないか。もうよい、皆の者もうよい、かたじけない。さらばじゃ」真氣光の光が、自然に氣づきを与え光の世界に導いたのです。A さんは自分の病気ばかりではなく家にもいろいろな不幸な出来事が続いておりましたが、真氣光で少しずつ解決してきたところでした。ご縁のある魂たちは、「見過ごさないでほしい、解決して欲しい」と皆思っています。大事なのは日頃の真氣光の充電に加え、変えられない過去については自分を成長させてくれた良いところをみつける姿勢、これからのことについては行動して自ら変える努力をするということ。そうすれば身体に出ている現象もプラスに向き、気づきが出てその人の魂の強さになるでしょう。その人の魂が強くなれば、そこに縁あって来ている魂も本来の場所に行けるのです。