忘年会はその年の苦労を忘れるために年末に催す宴会ですが、江戸時代の頃から庶民の間で現在の忘年会のような宴があり、一年間の労をねぎらい、杯を交わしたようです。
しかし、武士階級では主君への忠誠を誓うものとして「新年会」の方を大事にして「忘年会」は行われませんでした。
時代をさかのぼって鎌倉時代には、「年忘れ」という行事がありましたが、それは厳かに連歌(和歌などをつなげて詠うもの)を詠うもので、現在の「忘年会」とは異なるものでした。
また古代中国では、「年忘れ」は「別歳」「分歳」とも言われ、先祖を祀った後のお供え物を食べる会を指していました。
現在のような忘年会になったのは明治時代からで、公務員や学生を中心に忘年会は開かれていたことが記録されています。
「忘年会」という言葉が文献に初めて出てきたのは、夏目漱石の小説『吾輩は猫である』です。
飲み過ぎには注意して、一年間の苦労を忘れて、快く新年を迎えましょう。
(本社 加藤)
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今でも緑色のイチョウの木
大阪センター前の通りのイチョウ並木。
全てが黄色に染まってる中「センターの前のイチョウだけ緑色」今が旬のようです。
イチョウさんも「真氣光」をタップリ受け止めてくれていると毎年恒例の現象です。
落葉も最後まで残りますので大阪センターへお越しの際には是非、ご確認くださいませ。
(大阪センター 三島)
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小学生から肩こりだったという話から
最近妻は、あまり肩こりのことを言いません。
本人曰く「元気な、おばさんになったかな」と、肩も体も硬いけれど、肩こりの自覚はなくなったそうです。
なんと肩こりは、小さい頃からあったとか、小学生のときには親に肩を揉んでもらっていたと言います。
妻に今までの肩こりについて変化の状況を聞き出すと、OL時代から結婚直後が一番の肩こりのピークで、その頃には顎関節症も併発したようです。
しかし、それが結婚後の先代によるハイゲンキ治療をきっかけに少しずつ良くなり、その後症状が悪くなったり良くなったりの波はあったのですが、今ではすっかり軽快というわけです。
10/8のこのニュースでストレスが腰痛の原因という新潟大学の岡田教授が書いた健康コラムの新聞記事を紹介しました。
記事の内容は「腰痛のきっかけは無理な姿勢、重いものを持ったなどいろいろあるが、最新の画像診断装置を使った研究によれば、腰痛があっても85%の人には異常がまったく見つからず、研究が進むにつれ腰痛がなぜ起こるのか分からなくなってきた。骨折や特殊な病気を除くと、ストレスが背景にあることも多い」というものでした。
その後「肩こりもストレスが原因」という大阪大学大学院医学系研究科の大平哲也准教授の新聞記事が目に付きました。
記事の内容は「どんな要因が肩こりに関係するかを明らかにするために約8000人の肩こりに悩む人の生活習慣を調査した結果、当初考えていた運動不足よりもストレスの方が強くかかわっていることがわかった」というものでした。
最近はいろいろな病気がストレスに起因することがあると医学的にも言われるようになりました。私は、確かにストレスもあるのでしょうが、マイナスの氣の影響も強く関係していると考えています。
さらにはマイナスの氣の影響でストレスを強く受けてしまうことがあります。
ストレスを受けやすい人、受けにくい人も氣の影響が考えられるのです。
いろいろな肩こりの人の話を聞いていると、小さい頃から肩こりという人がけっこういるものです。
それでは、そんなに小さな頃からストレスに曝されていたのでしょうか。
妻もその一人ですが、良く聞いてみると普通の小学生で、どう見ても強いストレスはなさそうです。
私たちはどんな人も、生まれながらに先祖や土地の氣の影響を受けていて、それが体に現れやすい人、気持ちに現れる人、身の回りの出来事に現れる人、あまり現れない人がいるようなのです。
肩こり腰痛には、ストレスが主因のもの、マイナスの氣が主因のものがあるでしょうが、どちらの場合も真氣光が有効だと思うのです。
(中川 雅仁)
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ディサービスで音氣といいとこ探しを
メンバーズの集いの遠隔真氣光を受けて
普段、遠隔で氣を受けてもあまり感じたりしないのですが、今回会場へ行けないので家族3人で遠隔を申し込みました。
そのときは何も感じないし、特に変化もありませんでした。
ただ、翌日にコンサートでフルートの演奏をすることになっていました。
難しい曲もあり、前からずっと練習していたのですが、なかなか上手くふけないところもあってとても不安でした。
それで当日、本番を迎えたのですが、何と難しい部分も指がとてもスムーズに動き、自分でもビックリするほど楽に吹けて本当に良かったです。
普段は本番で力を出すのは非常に難しいので、これは「前日、メンバーズの強い氣を受けたから氣の流れが良くなったかな?」と思いました。
そういえば、2年ほど前にも丁度コンサートでの演奏があったので会長セッションの遠隔をお願いしました。
この時は準備とかでとても疲れていたのに体がとても楽になり、気持ちよく演奏できたのを思い出しました。
やはり氣のお蔭ですね!
(Nさん)
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熊本センターにてメンバーズの集いに参加して
スタッフの方々が前日よりパソコンへの接続等準備万端だったのに…。
直前になって、会長のライブへのアクセスが接続できない状況に。
スタッフが電話で問い合わせ、指示通りにするのですがワークしない。
次に、Nさんが落ちついて、正確にパスワードを入力。
やはり機能しない。
大文字小文字をシフトキーで切り替え直接入力したが繋がらない。
次にメモ画面からコピー&貼り付けを試みた。
そばで見ていた私は、パスワードが一文字たりとも間違いないことを確信した。
いつもの自分だったら、イライラや綯い交ぜの状態だったろう。
なぜだか枕を持って来て、一寝入り(笑)「わぁー、アクアが効いた!」会員の皆様の歓声で、目が覚めた。
Nさんは、一週間前にアクアリフレッシャーG型を福岡での会長セッションで購入。
これを近くに置くと、解決した。
お蔭で会長のライブが配信可能となった。
「ヘッドを額に寝ているご主人さんの話」等のお便りが楽しかったよ!
有難うございます。
(皇帝ダリアさん)
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自宅でメンバーズのお話と氣を受けた
毎月のレッスンとセッションは、最低でもセンターにうかがって、たっぷりゆっくり氣を受けるのがこの上ない楽しみです。
ところが、12月4日のメンバーズの集いは仕事や私事が重なって、自宅を離れることができませんでした。
既に申し込んでいたので遠隔真氣光だけでも、と思いましたが、自宅のパソコンでセミナーの様子も拝見できたらと思って、センターにメールで相談しました。
すると、とっても分かりやすい操作の説明をメールで送ってくださったので、Ustreamにもすぐに接続できました。
会長にはたいへん失礼なのですが、お蔭で机で仕事をしながら、お話を聞かせていただくことができました。
遠隔真氣光は、自宅ベッドの上で。
そのときも、パソコン中継で音氣を配信してくださったので、真氣光の仲間と一緒、という気持ちに満ちて光を受けることができました。
ありがとうございました。
(Sさん)
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“ぽっくり死にたい”祈願ツアーが人気?
先日新聞を読んでいると「ぽっくり逝きたい」という見出しに目が止まりました。
長寿化で「苦しまず、迷惑をかけず」という思いから、“ぽっくり死ねるという御利益”のあるお寺やお地蔵様が観光スポット化され、祈願ツアーが人気だそうです。
さらには、第一生命経済研究所の調査結果も併記されておりました。
40~70代の男女735人を対象にした「どんな最期を理想と思うか」という07年の調査では、75.9%の人が「ある日、心臓病などで突然死ぬ」と答え、これは4年前の調査から11ポイント以上増えたということです。
さらに記事では、「定年後の第2の人生も長くなり、高齢者は自分の死生観と向き合う時間が増えている。家族の絆、地域社会とのつながりが薄れており、そういった社会情勢が意識の変化を促している」と結んでおりました。
私はこれまで、たくさんの人に氣を送ることで、既に亡くなった人たちに会ってきました。(本ニュースの「たましいの話」を参照)
その人たちの言う、いろいろなことを総合的に考えると、体を失って終わりではないこと、亡くなると容易には心や魂の状態を変えられないこと、生きている間がとても大事だということがわかりました。
体を失っても魂という生命エネルギーつまり氣が残り、体を失うときのエネルギーの状態で、その後が、ずいぶん違ってくるということなのです。
一番問題なのは魂のエネルギーが下がった状態で死を迎えるということです。
体があることで、私たちは気分を変えたり気晴らしができたりするものですが、それができずに、苦しみや辛さを感じやすくなった状態がずっと続くということになります。
さらにエネルギー不足のまま体を失うと、自分では何も出来ないばかりか、生きている人の力を借りなければなりません。
誰でも生まれたからには、必ず死というものが訪れるわけで、そのことについて考える人が増えているということはとても良いことです。
しかし、家族や周りに迷惑をかけたくないという思いだけが強くなっているようにも思えます。
魂はその成長のために、必要な出来事を引き寄せますから、人に感謝するという氣づきが魂の成長に必要なら、人にお世話になるようなことが起きるのです。
そう考えると、どんな死に方であれ、生きているときが重要です。
死後も迷惑をかけないように、さらには強力な光となって家族のサポートができるように、私たちは日頃から真氣光を受け、いろいろなことに気づき、魂を輝かせる生き方を心掛けたいものです。
(中川 雅仁)
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