母とのひと時に感謝

小春日和、施設に居る母の部屋の窓より、お日さまの日差しを浴びた木々が綺麗で、その風景をみながら、氣プレートマット1/8に座った母にヘッドを当て、のどかな雰囲気がありがたく幸せに思い、お手紙しました。
真氣光に出合う前は、5分とて一緒にいる事が出来ないくらいの親子関係だったのが嘘みたいです。
色々な話の中、父との思い出話もでてきて、父にもたくさんの光が届いたんではないかと思います。
感謝!その時間は1時間ほどでしたが、「気持ちいいね〜!背中が軽くなったよ!」終わる頃には、「全身楽になった!目もよく見える!元気になった!元気でいないとね!ありがとう〜❣」幸せそうな母でした。
その様子を見た私も、幸せでした。
ありがとうございます。
(長崎県 奏さん)

平成と令和と真氣光

平成の時代も残り僅かになってきました。
私は、10日間のゴールデンウィークがあるものですから、その分の仕事が前倒しに山積みになってきて、少々忙しい時を過ごしています。
さらには、業者さんとの打合せでも、「これが平成最後の打合せですね」等と言ったりして、この頃「平成最後」が流行り言葉のようになっています。
ところで、先代が夢で白髭の老人から「お前の手から氣が出る」と教えられたのが’88年12月23日の夜でした。
翌年の’89年つまり平成元年から、先代は「ハイゲンキも使うのだけれど、氣を送るということを前面に出してやっていこうと決心した」と言っていました。
平成2年3月からは真氣光研修講座がスタート、平成7年には先代が亡くなり私が引き継いでいます。
考えてみると、この平成という時代に真氣光のエネルギーは飛躍的に高まったのです。
このようなことから、きょうは平成と真氣光、そして令和の時代の話をしたいと思います。

’86年、先代は白髭の老人の夢からハイゲンキを発明し、それを使って多くの人を治療しているうちに、自分の手からも氣が出るようになりました。
ハイゲンキを使う、つまり道具としての真氣光を上手に使い、いろいろな人から動物まで、多くの周りの存在に良い氣を送り届けるということを実践した人です。
後を引き継いだ私はと言えば、先代が夢で教えられた氣を集めたり中継するSASマークやピラミッド形状に代表される、いわゆる「氣入れ」によって氣を記憶するというモノを、サラリーマン時代に習得した小さくして集積化する技術を使って、思いつくままに作って来たというわけです。
それも、氣中継器をはじめ各種ヘッドや氣グッズなど「こんなものができました」と発表すると、会員の皆さんが「これは良い」と購入し使ってくれ、さらに私が皆さんの体験から気がついたことを改良する…、この繰り返しをしているうちに、飛躍的に真氣光のエネルギーは高まっていたのです。
これは、皆さんが自分自身の体験を通して道具である真氣光を理解し、これを上手に使って自身のエネルギーを大きく高めて来たということだと思うのです。

令和という時代、私は昭和最後の先代の氣づき「(周りに)氣を送るということを前面に出して…」ということを、先代と同じように会員の一人ひとりが実践していく時代だと思います。
氣を送る、つまり真氣光のエネルギーで自分を高め、周りの人等、より多くの縁ある氣を光溢れるものにするということを、私も重点的に説明していきたいと思うのです。
平成最後の真氣光研修講座は、今月27日~29日まで岡山で開催します。
たくさんの皆さんの参加をお待ちしております。

「絶望を希望に変える氣の力・改訂版」は私の教科書です

私は幼い頃より実母と関係がうまくいかず、その他にもいくつも問題を抱えて一人で苦しんできました。
ある時、遺産相続がきっかけで母方の家系のことを調べているうちに、問題があるのは私の家だけでなく親戚中同じで、ご先祖に遡っても同じようなパターンの問題が起きていた、ということがわかり愕然としました。
「家系になにかある、何か私にできることはないか。」と色々調べ、探し始めました。
そんな時、偶然本屋で「絶望を希望に変える氣の力・改訂版」を見つけ、「これだ!」と、体が震えるような衝撃と感動を覚えました。
今迄、私の家や家系に起きてきたことが全部腑に落ちたんです。
もう何度も何度も繰り返し読み、大事なところにはアンダーラインを引き、ぼろぼろになりましたが、教科書のように使っています。
昨年7月に真氣光と出合い、9月にはハイゲンキ3型を購入。
まずは自分自身がすっかり変わり随分ラクになりました。
この本は神様からのプレゼントだと思っています。
これから先も楽しみです。

(福岡県 Nさん)

胃の痛みがものすごく減っているようです

私は、胃の具合が悪くなることが多いので、氣スポットチタンシールを鳩尾(みぞおち)によく貼っていました。
幾分症状が軽減するので、このシールは必需品でしたが、近頃出た氣スポットプチシールは更にたくさん氣が入ってくるようで、さらに症状が軽くなることが分かりました。
特に痛みがものすごく減っているようです。
このシールは小さくて剥がれてなくしてしまいやすいので、上から氣スポットチタンシールを貼ってなくならないようにしています。
こうすることで効果も上がるみたいですし。

(愛知県 Tさん)

母の月命日に・・・

14日という日のこと。
母の月命日に、娘とセンターに来て終了時刻まで氣を受けて充電しました。
娘が、この頃胸のあたりの気分が悪いと言っていたので、亡くなった母のことを思い出しました。
私にはできないことですが、母は生前、人の悪口は言わず、争いごとは嫌いなので、言いたいことも言わず、自分だけ我慢すればいいわと耐えて生きていた人でした。
娘はそんな母とよく似ています。
次から次へと母と父にまつわる話をしました。
天から私たちの健康と幸せを祈ってくれているのだなあと、ひしひしと感じる時間でした。
スタッフの方々とも交われて余計に嬉しく温かい気持ちで帰宅しました。
いつもあたたかく対応していただき、会長始め、スタッフ、仲間の皆さまに感謝申し上げます。
ありがとうございます。

(大阪府 大阪のばばちゃんさん)

「ヘッド装着」ビフォーアフター

学校に勤めていますので、年度末、年度始めは大忙しな私。
息子の高校進学も重なり、なかなかセンターへも行けず仕舞い。
忙しすぎて身に付けているヘッドを無くしたら大変!という気だけはなぜか回り、大事に鞄の中へ2週間ほど仕舞い込んでおりました。
それからというもの、寝ても疲れが全然取れないほどクタクタで、「あれれ、何で?」となりまして、「こりゃぁ困った・・・」と首からミニスティックヘッドCを再び装着してみることに。
「お?お!あ?」何とか1日動けるじゃないの。
センターに行ってスタッフさんに報告すると「そりゃ、そうやで」と即答。
なんだスタッフさんも経験者だったんですね。
いつも的確なアドバイスありがとうございます♪

(愛知県 Kさん)

(60)待てば海路の日和あり

私の思い出のことわざに「待てば海路の日和あり」があります。
意味を調べてみると「待っていれば、いずれはよい機会がやってくるというたとえ」ということです。
お恥ずかしい話ですが、この言葉を、私はある時まで耳にしたことがありませんでした。
亡き妻が、何の理由で使ったかは今となっては定かではありませんが、私と結婚することが決まった後、何かの折に発した言葉なのです。
私は、知らない言葉を彼女に言われたので耳に残り、後で意味を調べて学んだので、とても印象深いことわざになったというわけです。

せっかちな私は、待つという行為が、とても苦手なほうでした。
昔は「どうしてもっと早くできないのか」と、文句を言いたくなってしまうこともありました。
待つ時間に対する人の反応は様々です。
同じ時間が経過するのに、ある人は平和な気持ちのまま待てるのに、私のようにイライラしながら、文句を言いながら待つ人、不安感で一杯になりながら待つ人、心配しながら待つ人…等々いろいろなのです。
この言葉は、待っていれば、いずれ悪くなるのではなくて、「よい機会がやってくる」ということなのですから、私たちを見守るように働くプラスの氣の存在というものを前提とした、ことわざとも考えられます。
私だけかもしれませんが、この言葉には、どこか柔らかい時間が流れる印象があるから不思議です。

何もしないで良いことが起こるのを、ただ待ってばかりいても、よい機会など訪れるはずはないでしょう。
しかし、精一杯の努力はするけれど、どうしても結果が出るまでは、待たなければいけない時というものがあります。
私たちの邪魔をするように働くマイナスの氣に対して、私たちを応援しようとするプラスの氣が、いろいろな局面で奔走あるいは画策してくれています。
時には、マイナスの氣の影響が少なくなるのには、少々時間がかかることもあるでしょう。
その時が来るまで、私たちは、マイナスの氣を引き寄せることなく、着々と光を増やし続けることが大事です。
真氣光をしっかり受けて、いいとこ探しをしたり、心が明るくなることを増やす等、できる努力を精一杯やってプラスの氣を集めるのです。

広義に「待つ」という行為を考えると、体が良くなるのも、自分の目標に到達するのも…、一足飛びには成りませんから、待たなければなりません。
そのような神様から与えられた時間を、自分自身の時間にできるか、マイナスの氣の思うとおりの時間にしてしまうかは、自分次第です。
私も、時々「待てば海路の〜」と心で言ってみるのです。