正月休みに実家に帰り久々にゆっくりしました。
寒いので体を動かそうと掃除をしたら元気が出て不要品ゴミ2袋分処分でき、兄にも顔色いいぞと言われ。
20年以上前(!)母に買ってもらったスカートで親子でファッションショーもでき思いがけず楽しかったです(笑)
また帰って掃除しようと思います。
真氣光ありがとうございます!
合掌(^人^)
(大阪府 ポメラニアンさん)
[menu][次へ]
光を届けたら戦闘モード解除
昨年度末、仕事でクレーム対応をしたのですが、相手は非常に肝のすわった年配の男性でした。
どうしても許可できない案件だったので丁重にお断りしたのですが、引き下がっていただけず、「自分が罰せられてもいいから強行突破する」との一点張りでした。
話を聞くと”自分のためではなく人のためにやっている”ということで、相手も引くに引けない状況だとわかりました。
このままだと平行線なので、私も氣功師のはしくれ、この方とこの方が助けたい方々に光を届ける気持ちで対応していたところ、ずいぶんしてから戦闘モードが解除され、「戦う気になれなくなった。負けた。」と、抜いた刀を鞘に収めてくださいました。
ご本人も「何でだろう?」といった風で首をかしげておられました。
私としては、真氣光の助けがなければ数か月もかかりそうな案件でしたので、改めて真氣光の強さを実感し、真氣光をやっていてよかった・・と感謝した出来事でした。
(神奈川県 月うさぎさん)
[menu][次へ]
ホワイトセラミックヘッドを振動させて当てる
幸せは自分次第#1
私が、氣を送っていると、氣を受けている人の口を借りて、強い恨みを持っている魂が出てくることがあります。
「こいつにやられた、だから苦しめてやる」と言って、その人の先祖にやられたことなのに、子孫を恨みの対象にするのです。
私は、このような強い恨みによって光を失ってしまった魂を、生きている人に比べ氣のエネルギーが低くなっている状態ということでマイナスの氣とよんでいますが、その人たちから学ぶことも多いものです。
私が彼らに「恨んでいても苦しいだけだ、もう終わりにしよう」と言うと「お前になぞ、私たちの思いがわかってたまるか」と言い、恨みの対象となる人には、その苦しみを思い知らせようとします。
私は、「分からないかもしれないけれど、楽にはできる」と言って、できるだけその人たちの思いになって真氣光を送るのですが、そうすると、苦しみが、どんどん薄れていき、恨みたい気持ちも消え、最後には「光が見えてきた」と言って消えていくのです。
私たちというものは、ある人に対しては、わかるまいと思っていたり、わかってもらおうとも思っていないのですが、ある人に限っては、わからせたい、わかってほしいと思うのですから、良く考えると、都合の良いものです。
もし、わかってもらえることで自分が幸せになる、逆に言うと、わかってもらえないと不幸が続くのであれば、自分が幸せになれるかどうかは相手次第ということになります。
幸せは、自分で掴めるものですから、相手次第となっているところに少々問題があり、何か自分の考え方や思いを変えていく必要があるということになります。
そしてこの時、自分をなかなか変えられないとしたら、それはマイナスの氣の影響を受けている結果と言えるでしょう。
人にわかってもらえずに、「わかってほしい」と思いながら亡くなっている魂は本当に多いもので、それがマイナスの氣となって、私たちに影響を与えていることがあるのです。
周りの人がわかってくれると、ホッとしたり、楽になったりするものです。
わかってもらえることで思いを共有し、楽しい気持ちになれるということもあるでしょう。
しかし、どうしても人にわかってもらわなければ、自分は幸せになれないのかというと、そんなことはありません。
まずは、そのような気持ちに気がついたら、マイナスの氣の影響を受けているかもしれないと考え、真氣光を受けてみると良いでしょう。
もしかしたら、ある時期からの寂しい・悲しい・辛い等のマイナスの氣の影響を感じられるかもしれません。
そして、そこに光が届くことで、その人はさらに大きく変われるのです。
(中川 雅仁)
[menu][次へ]
単調な生活にも幸せを感じます
娘の出産とアクアリフレッシャーH型
一昨年末、アクアリフレッシャーH型が欲しいと思い、主人と一緒に一年間貯金をしました。
そして今回のメンバーズの集いのクリスマスイブの日に、ついに購入することが出来ました。
その日は朝から娘の陣痛が始まり、メンバーズのセンター参加を断念し、スタッフさんに遠隔をお願いしてから娘を病院へ連れて行きました。
初産で助産師さんによる自然分娩でしたので何かと心配もありましたが、夕方5時2分、無事に男の子を授かり、娘も何事もなく無事で、真氣光のおかげを感じずにはいられませんでした。
またその日は、主人と娘婿の休日でもあり「うまくできているとしか言いようがない」との会長の言葉通りとなりました。
その後アクアリフレッシャーH型を取り付けてみたのですが、飲み水がとろっと軟らかく感じ便秘が無くなり、ご飯が美味しくなったので米の減り方が早いです(笑)。
入浴時にはビリビリと肌に感じて、風呂上りはいつまでも温かさが続きます。
娘も水が美味しく、お湯が気持ち良く、髪が艶サラになると喜んでます。
これからもどんな素敵なことを感じられるのか楽しみです。
(愛知県 Tさん)
[menu][次へ]
真氣光レッスンでスッキリ
20年ぶりにインフルエンザにかかりました。
自宅で昨日、真氣光レッスンの会長講義を見ている途中に、真氣光レッスンの遠隔真氣光を頼みたいと思えてきました。
申し込みをして、電話を切った途端に「辛かった、辛かった」という気持ちが出て、大泣きしてしまいました。
初めて我が家で反応が出たので驚きました。
また、首の後ろが気になっていたのですが、講義中に会長が首にヘッドを当てましょうという時間があり良かったですし、その後の真氣光レッスンの遠隔真氣光でスッキリしました。
インフルエンザにかかったことが早めにわかったおかげで帰省中の娘・孫にうつさずに済んだこと、夫と次女が協力して家の事をしてくれた事には感謝です。
会員用サイトで氣を受けて真氣光三昧でしたので色んな事に感謝ができました。
(広島県 Yさん)
[menu][次へ]
幸せな家族でのお正月に感謝🌹
今年もよろしくお願いします🙇♀️
昨年10月の真氣光研修講座に参加した後から急展開❗️
それまで、長い間母への思いは、辛く寂しく苦しい思いが強かった私ですが、その思いが消え、母を愛おしく思えてる私がいる‼️
こんなに有難い事はありません🙏
その母は、今認知症で入院していますが、穏やかに生活ができています。
今年のお正月は病院でのお正月と思っていましたが、外泊ができ、家族でお正月を迎え一緒に笑い、共に食事をし、話ができ、日常の生活の有難い事🙏
感謝😂
今年一年も笑顔で、全てに感謝できるよう努めていきたいと思います(^。^)
真氣光よろしくお願いします😊
(長崎県 A.M.さん)
[menu][次へ]
初夢から氣づきにつながるアプローチ
あけまして、おめでとうございます。
皆さん、年末年始は、いかがお過ごしだったでしょうか?
私は、4日間北海道で山ごもりをして、十分に氣を充電できました。
いろいろなことにチャレンジしていきますので、今年もよろしくお願いします。
ところで、初夢は見ましたでしょうか?
日頃から、あまり夢を見ない私は、初夢とは無縁です。
先代は、白髭のお爺さんの夢を見て、ハイゲンキを作ったり、氣が出せるようになったりと、夢が現実の生活に直結していましたから羨ましい限りです。
そういう私も、全く見ないわけでもなく、どちらかというと悪い夢を、たまに見ることがあります。
一番最近のものでは、大学時代に試験を受けているのですが、学内で一番恐い教授の前で、問題が何一つ分からなくて困っているものです。
実際にはそこまでのことはなかったのですが、夢の中の私は相当に困っているのです。
これを、ただ悪い夢で終わりにするのではなく、夢も氣と関係があると考えると、それも氣づきに繋がるものです。
①「何かマイナスの氣の影響があるのかもしれない」と考えてみることです。
②マイナスの氣が「どんな気持ちをもっているのか」と考えてみます。
私の場合、一つには何か威圧的な力の前で、自分を失ってしまい、ただひたすら困っているということ。
もう一つは、自分が困りながら、日頃の努力が足りなかったことを、強く後悔している気持ちです。
③自分にも似たような気持ちはなかったかを考えてみます。
私も、幾度となく、もっと日頃からやっておけば良かったと後悔したことがありました。
後悔し過ぎると、魂は光を失ってしまい、体を失った後も彷徨ってしまいます。
そんな後悔しているマイナスの氣の影響を、昔から受けていたのかもしれません。
さらには、中川家はもともと農家ですから、昔から強い権力による威圧には、弱い立場にあったでしょう。
昔のご先祖も、そのような感覚はあったのかもしれません。
④「自分がどんなふうに変われると、より幸せになれるのか」を考えてみます。
毎日の生活の中で後悔しないよう、もう少し努力が必要なことがありましたし、私は、どちらかというと立場が上になりますから、マイナスの氣の思いとは逆に、威圧的になって人を困らせてはいないかと反省しました。
本当にマイナスの氣が影響していたのかどうかはわかりませんが、このように考えられたら、「おかげさまで…」と、⑤気づかせてくれたことに感謝できます。
マイナスの氣が離れて行こうとする時に、その思いを知らせたくて夢を見ることもありますが、まだまだ存在していることもあります。
これからの自分の考え方と行動次第だと、その時私は思ったのでした。
(中川 雅仁)
[menu][次へ]