私が、氣を送っていると、氣を受けている人の口を借りて、強い恨みを持っている魂が出てくることがあります。
「こいつにやられた、だから苦しめてやる」と言って、その人の先祖にやられたことなのに、子孫を恨みの対象にするのです。
私は、このような強い恨みによって光を失ってしまった魂を、生きている人に比べ氣のエネルギーが低くなっている状態ということでマイナスの氣とよんでいますが、その人たちから学ぶことも多いものです。
私が彼らに「恨んでいても苦しいだけだ、もう終わりにしよう」と言うと「お前になぞ、私たちの思いがわかってたまるか」と言い、恨みの対象となる人には、その苦しみを思い知らせようとします。
私は、「分からないかもしれないけれど、楽にはできる」と言って、できるだけその人たちの思いになって真氣光を送るのですが、そうすると、苦しみが、どんどん薄れていき、恨みたい気持ちも消え、最後には「光が見えてきた」と言って消えていくのです。
私たちというものは、ある人に対しては、わかるまいと思っていたり、わかってもらおうとも思っていないのですが、ある人に限っては、わからせたい、わかってほしいと思うのですから、良く考えると、都合の良いものです。
もし、わかってもらえることで自分が幸せになる、逆に言うと、わかってもらえないと不幸が続くのであれば、自分が幸せになれるかどうかは相手次第ということになります。
幸せは、自分で掴めるものですから、相手次第となっているところに少々問題があり、何か自分の考え方や思いを変えていく必要があるということになります。
そしてこの時、自分をなかなか変えられないとしたら、それはマイナスの氣の影響を受けている結果と言えるでしょう。
人にわかってもらえずに、「わかってほしい」と思いながら亡くなっている魂は本当に多いもので、それがマイナスの氣となって、私たちに影響を与えていることがあるのです。
周りの人がわかってくれると、ホッとしたり、楽になったりするものです。
わかってもらえることで思いを共有し、楽しい気持ちになれるということもあるでしょう。
しかし、どうしても人にわかってもらわなければ、自分は幸せになれないのかというと、そんなことはありません。
まずは、そのような気持ちに気がついたら、マイナスの氣の影響を受けているかもしれないと考え、真氣光を受けてみると良いでしょう。
もしかしたら、ある時期からの寂しい・悲しい・辛い等のマイナスの氣の影響を感じられるかもしれません。
そして、そこに光が届くことで、その人はさらに大きく変われるのです。
(中川 雅仁)
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