肩の痛みがほとんど良くなりました

 私は昨年7月頃から両肩腕が痛くなり、夜中特にうずいて眠れず、色々な所で治療をしてもらいましたがなかなか良くならず、今年の4月孫の結婚式がありその時より娘の所へ来てずっとお世話になっております。
真氣光の話を聞いたり、月刊ハイゲンキ、ファクスニュースを読ませてもらい朝七時と夜十時に氣を受けさせてもらっています。
又娘の時間のとれる時は東京センターへ連れて行ってもらっております。
今迄は娘の2型のヘッドを借りていましたが、先日ポイントヘッドを購入しローラーハンドルにつけましたら、とても軽く使いやすく、より一層気持ちよく氣を受けさせて頂くことが出来るようになりました。
先日初めて会長セッションを娘と受けさせて頂き又ハイゲンキセッションを受けさせて頂きましたら体が軽くスッキリして元の体に戻った気がして肩も殆ど良くなり毎日嬉しく感謝で有り難うございますと自然に口に出ています。
会長、スタッフの皆様有り難うございました。
(岡山県 Oさん)
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センターを利用して感じたこと

 いつもありがとうございます。
今さらですが、スタッフによる氣セッションで一緒に氣を集めるよう手伝っていただくことで、最近になってようやく、氣を受けると変化するということを、実感出来るようになりました。
体に変化が出るとか、気持ちに動きが出るとか…。
センターを数年間利用していませんでしたが、今年になって月に数回利用するようになっての率直な感想です。
会員として20年、今まで何をやっていたのでしょうね。
まだ、家で受ける時は、あまりはっきりした変化は感じませんが、一緒にやっている時のアドバイスを活かし、意識は向けるようにしていきます。
気持ちは前向きでいきたいと思っていますので、今後とも、よろしくお願いいたします。
(三重県 まるまるさん)
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甘氣飴で咳が治りました

 以前、咳き込んでいた時や疲れた時に甘氣飴をよくなめていました。
お陰様で元気になってきたので、氣は受けていたのですが暫く飴もなめる事は無く過ごしていました。
時に市販ののど飴ですませていましたが最近風邪をひいた事で咳が出て風邪の症状がとれても咳は治らず、甘氣飴をなめてみました。
とても胸の辺りが楽になり以前より美味しく思い、数個なめたとこでかなり咳が治りました。
ありがたいなあ~とあらためて甘氣飴の力を感じました。
(東京都 Mさん)
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真氣光で更なる飛躍を!

 前号に書きましたが、私は、アメリカ・ボストンから、ブラジル・リオデジャネイロに寄って、ニューヨーク経由で先週金曜日、無事帰国しました。
今回、どちらも20数人の方に、のべ二日にわたって真氣光を受けていただきました。
ボストンでは真氣光初心者の人に加え、10年以上前に研修講座に来てくれた人もいましたので、より深い真氣光の話ができました。
リオでは、全く初めて真氣光を受けるという人が大半でしたが、皆さんが、とても良い印象を持って受け入れてくれたように思います。
ブラジルはキリスト教の国ですから、宗教による固定観念が邪魔をして、人によっては魂のことなど受け入れ難いのでは?と思いましたが、かえって宗教では理解出来なかったことが真氣光の考え方で納得できたという人もいました。
 ボストンからリオには直行便がなく、まずボストンからマイアミに行って、そこで飛行機を乗り換え、リオに飛ぶ予定でした。
しかし私を乗せた飛行機は、ボストンから飛び立つのに時間を要しマイアミで乗り換えるべき飛行機に乗り遅れたため、結局マイアミのホテルで一晩を過ごし、早朝にサンパウロ経由でリオに飛ぶことになりました。
一日弱、遅れてしまうことになりましたが、現地でセミナーとセッションの手配をしてくれていた、桑原先生の弟子でもあるブラジルはり協会のアカシオ先生と、すでに月刊ハイゲンキでも紹介しましたフェルナンド先生が、難無く対処してくれましたので、無事に全ての予定を終了することができました。
 私は、先代の時代にSASの事務所があったマイアミに足止めされたのも、そして予定にはなかったことですが、先代が30年前に訪れたサンパウロに降り立つことになったのも、すごく意味のあることのように思え、行く先々で真氣光の光が届くようにお祈りしてきました。
 ところで、アメリカもブラジルも、国ができて比較的新しい、移民による多民族国家です。
私は、先月のこのニュースで、大昔日本にやって来たと思われる「住んでいた地を追われ新天地を求めた魂の話」を記事にして、3月の志賀島、5月の安曇野、6月の石川での研修講座の繋がりの話をしましたが、今月は北海道の研修があります。
明治になって多くの人が今回の研修開催地・小樽の港に入ったのではないかと思います。
私は、世界中のあちらこちら、移民の国ばかりではなく、日本のどの地にも、新天地を求めての大きな決断と幾多の困難、たくさんの苦しみや悲しみを乗り越えて生きてくれた先祖の思いがあるのだと思います。
お蔭で、今私たちは、平和な時代に生まれて来ることができて、こうして生きています。
真氣光を利用して、更なる飛躍を遂げたいものです。
(中川 雅仁)
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遠隔真氣光の威力が凄かった

 会員になりたてホヤホヤの私です。
月刊誌を拝読していると毎日遠隔が申し込めるとの事。
実は大学の野球部の時から腰痛持ちの主人が「腰がやばいなぁ」と、ボソッと言い、寝込んでいました。
早速、東京センターに連絡。
すぐに遠隔が始まりました。
終わると私はいつの間にか寝ていました。
主人は起きるや否や、家の外壁や2階ベランダを高圧洗浄機でお掃除を始めました。
不思議ですね!
二人してびっしょりになりましたが、窓もベランダもピカピカです。
主人はお陰様で翌日は新潟市に出張しました。
ありがとうございます。
(埼玉県 ちぐひまさん)
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真氣光セッションに参加後、転機を迎えています

 福井県での仕事が終了し、実家に戻る事なく求人の多い大阪で新生活を始めようと職探しをしたものの、採用いただいた会社をなぜか辞退する方向に気持ちが流されてしまい、もったいない事をしたなと気が沈んでいました。
新しく次の仕事探しをするために気分一新できず、会長セッションに参加して「やりたい会社に決まるように」と意識して氣を受けたところ、その日の晩に希望にぴったりの求人がネットに掲載されていたので応募をしました。
後日2度ほど大阪センターで氣を受けて面接に行くと、その日の内に採用が決まりました。
「氣のお蔭だなぁ」と、この流れとタイミングに感謝しています。
しばらくブランクがあったので新しい職場と人間関係に不安はありますが、自分の方向性をしっかり持つ事が大事だと気づきました。
そして、選択方法は色々ありますが、奇跡を起こすタイミングを作るのは自分で、真氣光を通して感謝していくことが大事だと再認識しました。
(大阪府 Nさん)
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爪の痛みが取れました

 右足親指の爪が黒ずんでおかしいと思っているうちに痛くなってきましたが、我慢して歩いていました。
ウォーキングの帰りに、ふと氣スポットチタンシールがあることを思い出して、痛い爪の部分に貼ってみたところ、痛みが消えてしまいました。
そして毎日、寝る前にミニローラーヘッドでコロコロしていたら、あるとき古い爪がポロッと取れて、下から新しい綺麗な爪が出て来て、不思議なことがあるものだとびっくり。
氣スポットチタンシールはすごくよく効くので、切らしちゃいけないなと思いました。
(千葉県 Sさん)
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ひとくち歳時記「小暑」&「七夕」

 「小暑(しょうしょ)」は二十四節気のひとつで、今年は7月7日です。
梅雨明けが近く、この日から暑気に入り、暑さが厳しくなり始めます。
梅雨明け前の集中豪雨に見舞われることが多い一方、蓮の花が咲き、鷹の子の巣立ちが始まる頃でもあります。
7月7日は「七夕(たなばた)」でもあります。
笹飾りとお供え物をして、夜空の星に祈りを捧げる日です。
五節句のひとつで、昔は「シチセキ」と呼ばれていました。
天の川の両岸にある牽牛星と織女星がこの日、年に一度だけ会えるという中国の「星伝説」と、五色の短冊に歌や字を書いて飾りつけ、書道や裁縫の上達を願う中国伝来の「乞巧奠(きっこうでん)」の行事と、日本古来の「棚機女(たなばたつめ)」の伝説が結びついて、宮中で行われたことが始まりだと言われています。
(本社 加藤)
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氣配り画像 7月の氣の出る待ち受け画像配信

毎月第一週には、中川雅仁が撮影した写真に自筆の一言を入れた氣の出る画像(氣配り画像)を配信しています。
(ご質問、ご要望などがありましたら、各センターのスタッフへお問い合わせ下さい。)
画像(大サイズ640×853)
画像(中サイズ240×320)
画像(小サイズ120×160)
画像(サイズ720×1280)
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ボストンとリオに行って来ます

 今日から私は、アメリカ・ボストンと、ブラジル・リオデジャネイロに行って来ます。
アメリカには、20年以上前から毎年、セミナーに行っていたのですが、今回はそれに付け足して、ブラジルまで足をのばすことになりました。
昨年「ぜひ、リオに来て貰えないか」という話が持ち上がり、私も興味がありましたので、お受けした次第です。
 先代は、1988年日系移民80周年という年に、在ブラジル北海道協会の依頼に応えて、ブラジルはサンパウロに行っています。
翌年も行っていますから、2年に渡って、ブラジル移民のために、ハイゲンキの治療指導会を開催しているのです。
そこで出会ったのが故セルソ・インファント・ビエイラというブラジル人医師でしたが、その方が沖ヨガを習得していたことから先代は沖ヨガ下田道場に行くことになり、現在まで続く龍村先生との真氣光研修講座開催ということに繋がるのです。
本当に縁とは不思議なものです。
 ブラジルは世界最大の日系人居住地であり、1908年以降の約100年間で13万人の日本人が移住し、現在は約160万人(ブラジルの総人口の約0.8%)の日系人が住むということです。
この移民政策の背景にあったのは、日露戦争だったようです。
日本は勝利したけれど賠償金を得られず経済は困窮し農村の貧しさが深刻化したところに、アメリカなどの国が日本人移民を制限したことから、政府は国策としてブラジルへの移民を推奨したと言います。
当時、日本人の多くは、永住ではなく「遠い国だけれどお金を得て日本に戻ろう」と考えていたようですが、その後第二次世界大戦に突入し、日本は敗戦国になってしまいました。
祖国の惨状を知るにつれ、日本に戻っても仕事があるとは思えず、「もうこれはブラジルで生きていくしかない」という覚悟が生まれたのだそうです。
移民の方々はたいへんな苦労をされたと聞いています。
 以前に、私が氣を送っていると、「日本に帰りたい」と言う魂が出てきたことがありました。
辛い、苦しい生活の中、遠い異国の地で故郷を思いながら亡くなった方です。
日本に居る親戚や友人を懐かしむばかりではなく、畑や田んぼ、山々などの風景さえもが愛おしいようでした。
私は、一生懸命に氣を送りながら、「もう自由です。光のほうに行ってください」と言うと、喜びの涙を流しながら消えていかれました。
いつの時代も戦争は、膨大な悲劇を生むものです。
私は、今ある自由と平和に感謝すると共に、今回も縁ある皆様に、たくさんの真氣光を届けたいと思っています。
この出張の様子は、月刊ハイゲンキ8月号でもご紹介しますので、お楽しみに…。
(中川 雅仁)
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