全ての人が輝ける

 昨日からリオデジャネイロで、パラリンピックが始まりました。
早速、柔道(視覚障害)男子60キロ級の広瀬誠選手が、今大会の日本選手メダル第1号、銀メダルを獲得したと、ニュースが伝えておりました。
パラリンピックのパラは、もともとParaplegia半身不随という意味だったそうですが、それ以外の選手も参加するようになったのでParallel平行とOlympicで「もうひとつのオリンピック」という解釈もされるようになったそうです。
いろいろなハンディを乗り越えて競い合う選手達の姿を見ると、オリンピックとはまた違う角度から、こちらも勇気や希望そして見えないエネルギーを貰います。
 ところで、もう間もなく皆さんのお手元に届く月刊ハイゲンキ10月号の私との巻頭対談のページでは、ファッションデザイナーの鶴田能史さんにお話をうかがいました。
鶴田さんは「テンボ」というブランドを立ち上げて1年も立たないうちに、東京コレクションデビューを果たしました。
「世の中全ての人へ」というのが、鶴田さんのコンセプトです。
障がいの有無や年齢、国籍を問わず、ありとあらゆる人にファッションを届けたいと、2015年のショーでは平和や人権についても踏み込んだメッセージを発信し、世界に衝撃を与えました。
ショーでは、プロのファッションモデルだけでなく、車椅子の人、重度障がいの人、目の不自由な人もモデルとして登場し、彼ら一人ひとりがイキイキと輝いていて、そのような場を作っている鶴田さんの素晴らしさが感じられるのです。
 先代もまた、「全ての人が幸せを感じて生きて欲しい」との思いがあった人でした。
もともと時計技術者の先代は、20歳の時に世界最年少で米国高級時計技術者認定試験に合格し、1962年26歳で身障者を対象に、日本で初めて時計技術者の養成学校を開校しました。
’76年に閉校になり、先代はその後いろいろな仕事をすることになりますが、’86年に夢を見て真氣光を始めることになりました。
 真氣光は、体ばかりではなく心にも作用しますし、体をもって生きている・既に体を失っているということにも関係ありません。
そういう意味では全ての人へと(あるいは動物や植物までも)、真氣光により先代の思いは、大きくその対象が拡がったのです。
私たちは、体をもって生きている間にしか、魂を効率良く輝かせることはできません。
体や心がいかなる状態であっても、それができるようにという宇宙からの応援が、先代の夢となって現れたのだと思うのです。
(中川 雅仁)
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遊び心を持ってやる

 肩が痛くてうつ伏せも一苦労だという方にホワイトセラミックヘッドを使って氣を送った。
ただし、肩に直接ではなく、両足のふくらはぎに当てがい、軽くコロコロ転がした。
数分後、起き上がってというと、さっきまでの苦労は一体何だったのかというほどスムーズに起き上がれた。
「毎日自分でも氣は受けてきたけどこんなことは起きたことない。
この違いは何なの?」と驚きの表情。
そう、ここは名古屋センター、たくさん氣が集まるところ。
そしていつもと違うやり方!これがみそ。
毎日同じやり方も悪くない。
しかし、遊び心を持ってたまには違うやり方をしてみるのもいいのでは?可能性はいつもそばにあるという教訓を互いに得たのでした。
その後、ご夫婦でやり合っているそうで経過もいいようですよ。
(名古屋センター 松本)
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腰サポートのパワーはかなり強力

 腰サポートが発売されて、センターに行くと見本があったので、早速氣を受けながら使わせてもらいました。
私は、氣を受けているとたまにハイゲンキのヘッドと身体の一部が同化してしまうような不思議な感じを受けることがあります。
今回、腰サポートを使った時にも同じような感覚がありました。
グッズ類では、初めてだったので、腰サポートのパワーは、かなり強力なのではないかと思いました。
というわけで、早速自分用と夫用を購入し、氣を受ける際の必需品にしています。
(大阪府 Mさん)
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母の思いに気づかせてもらった

 私は、いろいろなことでいつもギリギリ状態に陥ってしまいます。
いつの間にか自分を追い詰めてしまっているんです。
さらに職場では自分と同じように精神的にギリギリ状態になっている人と一緒に仕事をしなければならないという状況が必ず起こります。
ギリギリ状態で気持ちが高ぶっている人というのは攻撃的で、その攻撃が他者に向くと手がつけられません。
絶対に自分の非を認めません。
逆に「私はこんなに頑張っているのに私の何がいけないんだ。
」という思いが極めて強くなります。
先日職場での人間関係がかなり悪化してしまったので、昨日は会長セッションに参加しました。
セッション中は金色の光が見えてきて、とても美しい気持ちになりました。
心が落ち着いてきた今日になって急に気がつきました。
「私の何がいけないんだ」という思いは私の母の思いだった、と。
自分の子供を何人も亡くして気が狂いながら、必死で私を育ててくれました。
まさに精神的な極限状態で、いつも叫んでいました。
「私の何がいけないんだ。」と。
今、私は母に対する感謝の気持ちでいっぱいで涙が溢れてきます。
ギリギリ状態の魂さん達に光がたくさん届いたようです。
ありがとうございました。
(神奈川県 光を追いかけてさん)
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「悪いとこ探し」をしないよう氣の充電に努めます

 意識して自分自身を観察したり、心静かに見つめていくと、相手(物事)の良い所や、素晴らしい所が見えてくる。
自分の心が平安であるなら、物事の本質や、良い所がおのずと見えてくるのではないだろうか。
自分自身は日常生活で「いい所探し」より「悪い所探し」をしがちになる。
何故だろうか。
自分の心が、まだまだ「未熟」で「我が強い」からではないか…と思っている。
今後も意識して氣の充電に努め、感謝の生活を続けて行こうと思っている。
(新潟県 Sさん)
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人の良い所を認めよう

 エレベーターに元気の良い小学生の男の子が乗ってきました。
ビックリしました。
「おはようございます」と、大きな声で挨拶してくれたのです。
私は、思わず「おはよう、元気がいいね」と付け加えていました。
こちらが、すっかり良い氣をいただきました。
多分その子は毎朝のように、私のような大人にビックリされ、さらには、その清々しさに感心した人には褒められていることでしょう。
 私も小さい頃には、褒められることで、俄然やる気が出てきて、少々難しいことも頑張れたものです。
『誰かに認めてもらいたい』という気持ちは誰にでもあるものです。
父である先代は、私たち子どもにとって、褒め上手というか「認め上手」の人でした。
妹は「おまえ、そんな風に考えられるのか」と、よく言われていたそうですし、私は「そんなことをやっているのか」と、熱心に聞いて貰いました。
 ところで私が、真氣光を送ると、氣を受ける人の口を借りて出てくる魂がいますが、その中に「認めて貰えなかったことが悔しい、無念だ」と、苦しそうな声で出てくる人がいました。
一生懸命に仕事をしたが、上の人に認めて貰えなかった、腹を切らなければならなくなったと言います。
無念の思いの裏には、自分の気持ちを分かって欲しい、認めて欲しいという気持ちが隠れているのです。
私は、「認めて貰えなかったけれど、あなたは、よく頑張ったでしょう。それを認めることです。そうすると、光が見えますよ」と伝え、真氣光を送ると、その魂は光が見えてきたと言い遺して、逝かれたのでした。
自分には価値が無いと自分の評価を下げてしまったことで、その魂は光を失ってしまったのです。
 逆に自分の評価が高すぎることで、それを認めてくれないと言って悩む人もいるものです。
自分が認められないことを周りのせいにして、ついつい「だって、でも、どうせ」と不平・不満を言うことで、周りから「そんなことはないよ」と認めてもらおうというわけです。
また、もう一つのパターンは、自分に良い評価がないので、人も同じようにしたいと、悪口を言ったり、陰口を言ったりして人の評価を落として自分への慰めにする場合です。
どちらも解決にはなりません。
自分の発する氣が、自分に戻って来るものです。
誰かに認められていないと感じた時にも、まず自分自身が認められるように、一生懸命に頑張ってみることです。
必ずプラスの氣の存在が、それを認め、応援してくれるものです。
そして、まず自分自身が、周りの人の良い所をどんどん認め、プラスの氣を周りに発していくことです。
最後に、宇宙からの応援、真氣光のエネルギーを受けることもお忘れ無く…。
(中川 雅仁)
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職場にプラスの氣の応援が

 京都研修講座ではお世話になりました。
5月の連休後に職場で隣の席の方が重病で休職し、その日から私が肩代わりして、大変な状態に陥っていました。
周囲には何度もアルバイトを入れていただくようお願いしましたが「予定に入っていないから無理」と断られ、すっかり諦めていました。
そんな中、京都研修講座に参加を決意。
終了翌日驚くことがありました。
総務課から「他の課で雇用予定だったアルバイトの予算が別で出ることになったので(私の課に)充てられるようになった」と言ってきたのです。
7月の会長セッションで、私を追い込んで失敗させようとしていた魂さんが出てこられたことがありましたが、研修講座の強力な氣で宇宙に上がられたのかな・・と思いました。
プラスの氣の応援に助けられて胸をなで下ろしました。
ありがとうございました。
(神奈川県 うさぎさん)
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父に氣が届いたようです

 京都研修は、母に連れられて、いやいやでしたが、父に氣を送れるなら行こうと思い参加しました。
会場に入ってすぐに名札の裏に父の名前を自分で書きました。
それと、父に預かってもらった犬のタルトの名前も書きました。
2回目の研修で、以前より講義に参加できて楽しくて良かったです。
帰って父の所に行ったら「タルト、以前より賢くなってるわー」と、良い所を言ってくれたのでびっくりしました。
氣が届いたかなと思えました。
また次回の神戸研修も預けて参加できそうです。
好転反応か、帰ってからも咳は出ますが、幼い頃、母に相手にしてもらえず寂しかった時に入ったマイナスさん達が出て、光になっていくと思えました。
そろそろ母を許そうと思います。
会長はじめ皆さんの「恋話」を思い出してニコニコしています。
(大阪 ミルフィーユさん)
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京都研修無事参加出来ました

 今回の地元での京都研修は、体力面で最後まで続けられるかどうか不安で一杯でした。
当日も行きたくない思いが出てきましたが「こういう時こそ研修参加するのよ」という思いが湧き上がり、4日間寝込むこともなく楽しく過ごす事が出来ました。
また、ひとつひとつの講義の内容の奥深さ、大切さを改めて感じ、参加された皆さんがひとつになれたのではないかと思いました。
この想いが地球全体に拡がれば、すてきな平和な世の中が実現するんだなとも思いました。
会長さん、講師の先生方、参加された会員さん、そして見えない魂さんのおかげです。
ありがとうございました。
(京都府 Yさん)
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ひとくち歳時記「白露」

 「白露(はくろ)」は二十四節気のひとつで、今年は9月7日です。
昼夜の気温差が大きくなると、朝夕には露が降りるようになります。
昔の人はこの露のことを白露と名付けました。
早朝、空が白む頃に見られた露は、太陽が昇ると姿を消し、草木や土の匂いも露とともに消えてしまいます。
その儚(はかな)さが秋らしく情緒豊かなものです。
一方、田畑や里山では待ちに待った実りの季節が始まります。
夏の日差しを受けて大きく成長し色づいた食材があちこちで今か今かと収穫の時を待っているようです。
(本社 加藤)
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