氣の充電と思いやりの心

 自分にとっては常識だと思っていることが、他の人には通じないことがあるものです。
先日、大阪で皆さんと話している時に、エスカレータに乗った時に東京では左側に立って歩く人のために右側を空ける習慣ですが、大阪では逆になっているという話になりました。
私も新幹線で新大阪に降りると、プラットホームから降りるエスカレータで、最初は左に立っていても、皆さん右に立つものですから、気がついて右に移るようにしています。
ほとんどが東京から来た人のはずですが、何の躊躇もなく、郷に入っては郷に従えなのか、ほぼ全ての人がそうしています。
全国的に大阪だけの習慣ですが、世界に出ると右側という国もあります。
片側を空けて歩いてしまうと危険だったり、片側に偏ると機器の不具合に繋がりやすいので、左右両方に乗ってほしいというのが公の見解のようです。
 私が、ここでお話ししたいのは、どちらが正しい云々という話ではありません。
エスカレータの乗り方ではいないでしょうが、人それぞれに常識と思うことが違う時があり、自分と違う人に対して、「何で違うんだ、分からんのだ」と憤りや怒り、咎め、さらには「どうせ分かるものか」と諦めの心が出てくることがあるものです。
誰一人として、同じ環境で同じような体験をしてきた人はいませんから、考え方は違っても当然です。
マイナスの心が出る前に、なぜ自分と違うのか、相手の立場にたって考えて見ると、納得できることがあるものです。
 また、マイナスの氣の影響を受けていると、常識では考えられないことが起こりえるのです。
以前、ある人に氣を送っていると「こいつの先祖に裏切られた、許せん」と、その人の口を借りて恨んでいる魂が出てきたことがありました。
その人の先祖も裏切りたくはなかったけれど、どうしようもない事態となり、少しでも多くを生かすために苦渋の決断を迫られ、結果として裏切るようなことになったのです。
しかし、常識的には裏切りですから「やられたから、やり返す」のが当然と、マイナスの氣は、その人の周りの人を使って数々の嫌がらせをさせていたのです。
 相手を理解しようとするときに大事なことは、「何が正しいか」ということを、ちょっと置いておいて、まずは話をしてお互いを知るところから始めることです。
さらには、私たちは氣のことについて勉強していますから、見えない世界からの影響も考慮できるはずです。
真氣光をしっかり充電し、相手に思いやりの心を持って接することから良い氣が伝わり、どんなにマイナスの氣が影響していても、お互いの関係が改善の方向に変わるのだと思うのです。
(中川 雅仁)
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