(23)笑う門に福来たる

先日新聞を見ていると「笑い測定機を関西大の研究チームが開発した」という記事が載っていました。ほお、横隔膜、腹筋の周辺の皮膚にセンサーを張り付け、筋肉を動かすときに発生する微弱な電気をパソコンに取り込み専用ソフトで解析し、笑いの程度を判定するというものです。毎月の真氣光研修講座ではヨガの龍村先生により「笑いの行法」の指導があり、ハラを動かす練習をします。このセンサーも腹筋の筋電位を測定するとのことで、なかなかのものだと感心して読んでいると、笑いの度合いを数値化し、大笑いだと40 アッハ、くすくす笑いだと3 アッハなど、アッハ(aH )という単位で表すというのです。これには思わず笑ってしまいました。私の場合、今日は妻のちょっとしたジョークで20 アッハ位笑ったでしょうか。笑いが健康に良いと、多くの学者が着目しています。将来は携帯電話ぐらいの大きさにしたいということですから、万歩計のように一日身につけて、笑った量を計れる日が来るかもしれません。「人はなぜ笑うのか」(講談社ブルーバックス)によれば、笑いの存在が確実なのは霊長類であるサルやチンパンジー、ヒトにおいてのみということになっているようで、さらには私たちが上司に対して微笑んだりする社交上の笑いの起源は、動物が誤って口の中に入れた毒物を吐き出す動作が進化したものだということです。氣の観点から考えると、笑いというプラスの氣を外に向かって出すから波動の同調作用によって、身の周りからプラスの氣が集まるということですが、もう少し変えて言えば、魂に影となって邪魔をするマイナスの氣が笑いによって払いのけられるので、守護霊さんのようなプラスの氣の存在から何らかの応援が届きやすくなるというようにも言えるでしょう。その点では、毒物をはき出す動物の動作に似ています。 日 本には「笑う門に福来たる」ということわざがありますが、ことわざ辞典で調べてみると「苦難な状況にあっても希望をもって頑張っていれば、幸せをもたらすことができるということ。一言に笑いといってもさまざまだが、この笑いは楽しげな笑顔や笑い声で、にこにこしている人の家には、どこからともなく幸運がやってくるものだということ。」とあります。私たちは辛いときや悲しいとき顔つきもさえず、うつむきがちになるものですが、そんなとき上を向いて大股で歩いたりすることで少し気分が変わります。同じように些細なことにも笑うことで、健康がやってきたり幸せがやってきたりするようです。真氣光の力も借りて、笑えることを待っているのではなく、積極的に笑って暮らしたいものです。

よろこんで

ある居酒屋に入って注文したところ、「はい、よろこんで」と、店員皆が「よろこんで」を連呼しており、少々圧倒されてしまいました。言葉も言霊と呼ばれる氣のエネルギーを持っていますから、プラスの言葉が飛び交うことで、店員も店の氣も良くなることでしょう。先日私は妻に「廊下の電球を付けて」と言われて「んーっ」と生返事をしてから、まだ取り替えていないことを思い出しました。どうせやるなら「よろこんで」と引き受ければ、どんな反応をしただろうかなどと想像しておりました。それと同時に、昔父に言われたことを思い出したのです。確か小学生高学年の頃のことです。時々、私は父や母に用を頼まれると「え〜、勉強しようと思っていたのに」とか「嫌だな〜、僕じゃないといけないの」と、ひと言何か言っていたようなのです。ある時、父に何かを頼まれたのですが、その時も何だかんだと不平を言っていたら、「おまえ、どうせやらなきゃいけないのだから、気持ちよく引き受けなさい」と注意されたのです。父は笑いながら言っていたのですが今でもしっかりと思い出せます。洗心の指標の御法度の心の中に不平・不満という項目がありますが、私の場合、もう決まっていて、どうしてもしなければならないことなのに、ひと言何か不平不満を言っておかないと気が済まなかったようなのです。もちろん直ぐに気持が切り替わることはありませんから、頼まれたことをやっているときも、ずっと面白くない気持のままだったことを覚えています。その癖が大人になっても抜けなかったので、勤め始めても上司に対して不平不満の心がたくさん残り、だんだん調子が悪くなって当時下田でやっていた真氣光研修講座に行くことになったのだと思います。
氣の観点から言うと、自分から進んで「やろう、やってみよう」と思えると、その時に魂の光が増すのです。逆に後ろ向きの気持では、それがありませんから、上手く事が運ぶ確率も低くなるばかりか、不満のマイナスの氣が周りからたくさんのマイナスの氣を集め、足を引っ張るのです。当時、上司から私に声がかかったことは、いつも「私で、いいんですか」「私が、ですか」と言っていたように思います。しかし研修講座を受講して、そういう心がマイナスの氣となって自分に集まることを勉強して、来るものには理由がある、どうせやるなら「私で良ければ、よろこんで」という気持になったのでした。私も随分変われたようなのですが、まだまだです。やはり身近な人が一番手ごわいようです。

真氣光を体験してもらって

昨日は、昨年より新宿で毎月一回開催している、「氣のお話と体験」という初めての方を対象にした無料体験会の日でした。2時間ほどの体験会ですが、いろいろな方が来られるので私自身も良い刺激になり勉強にもなります。この体験会は真氣光の体験を主にしたものですが、氣の同調作用という観点から氣と真氣光について少しでも理解していただくと吸収力があがりますから、簡単に説明した後、真氣光を10〜15分ほど受けていただき、さらにもう少し詳しい話をした後もう一度15分ほど真氣光の時間を設け、2回に分けて氣の体験ができるようにしています。
皆さんは、氣をあまり知らない人にハイゲンキや音氣などの氣グッズで氣を体験してもらった事はあるでしょうか。真氣光を受けた後、どんな感じだったか、その反応を聞いてみると(1)良い感じがする、(2)よく分からない、(3)辛くなったり重くなったりといった好転反応が出る、というように大きく3つタイプに分かれます。(1)の人はあまり抵抗なく真氣光を続けてくれますが、(2)(3)に当てはまる人に真氣光を理解してもらうのは少し難しいものです。特に(2)の人は、いろいろなマイナスの氣が邪魔をしていたり、真氣光の波動になかなか同調しづらいということで、もう少し氣の充電をしてもらうと良い効果が出てくるものです。氣グッズなどを活用するなど続けて氣を受けてもらえるような工夫が必要です。(3)の人のように一見悪い症状が出てきた時には、普通は「もう止めよう」と思いがちですが、私の経験では氣を受けて短時間に変化すればするほど氣の効果が出ている状態であり、もう少し氣を集中させることによって、あるところでどっとマイナスの氣がプラスに変わり、(1)の人以上に良い効果が得られるのです。そのような時は、もう少しマイナスの氣に意識を集中させて、より強い真氣光のエネルギーを集められるように促します。私は、氣を受ける人に気になる所はどの部分か、どんな具合かなどを質問して、その人の意識をマイナスの部分に向けさせるようにし、身体に入ってくる氣の光がその部分に集まるように想像してもらうようにしています。人によって溜まっているマイナスの氣が違いますので一概には言えませんが、マイナスがプラスに変わるとき、咳やあくび、涙などが出ることもあります。辛かったところが軽くなったなどの効果があったときは、その人ばかりではなく周りのプラスやマイナスの霊的な存在の力にもなれたということなのです。ですからそのようなとき、私は何とも言えない嬉しい気持になるのです。

漢字を思い出せない

私はこの原稿をパソコンで書いておりますが、もはやこの電脳箱がないと時間がかかって文章を全く書けない有様です。サラリーマンをやっていた20 年ほど前、報告書をワープロ書きしている同僚を眺め、当時キーボードアレルギーだった私は、綺麗に書くために時間を掛けるなどあまり意味がないと冷ややかな目で見ていたものです。そのうちに、どうし
ても使わなければならない状態を当時の上司に強制されたのが始まりで、今ではすっかり依存症になってしまいました。パソコンを使うと、読みをローマ字で入力して候補に出る漢字から良さそうなものを選択すればよいだけです。こうなると漢字を忘れてしまって、読めるけれど書けない、つまり「こんな感じだ」とだいたいの形や雰囲気は分かるのですが、文字の詳細がはっきりしなくなります。
先日新聞に、何でもランキング「書けなかった漢字は?」という記事が載っていました。パソコンなどのヘビーユーザーを対象に漢字テストを実施し、「書けない漢字」を探ってみたというものです。参加したのは20 代~60 代以上の男女67 人。まずは「小学校で習う漢字」からの出題。そのワースト1 は人工?(えい)星で正答率53 .7 %。私は「衛」の字は書け、他の出題も難なくクリア、10 問全部書けて一安心したのですが、次の常用漢字になると途端に分からなくなりました。正答率の良かった10 位「注意?(かん)起」正答率25 .4 %も駄目で10 問全敗という結果に少々自信を無くしました。 実 は今年に入って妻が、頭の体操にと漢字検定3 級試験問題集を買ってきて、一人でやっているのを横目で見ていたのです。聞けば中2 終了程度ということ、頭を使っていない妻には丁度良かろうぐらいに、私は少々馬鹿にしておりました。ところがこの一件で問題集をよく見てみるとこれが難しい。合格率5 割程度、二人に一人は落ちるという問題で、日頃使っていない脳の衰えに愕然とした次第です。身体の筋肉同様、脳も使わない部分は血流が悪くなったり衰えるのでしょう。血流が悪くなり老廃物が溜まると細胞のもつ生命エネルギーが下がる、つまりマイナスの氣の影響も受けやすくなることでしょう。良い氣=真氣光を取り入れて十分な効果を引き出すためにも、マイナスの氣を寄せ付けない工夫は大事です。便利な物が溢れる世の中ですから、頭の使い方も意識して変えないといけない。そんなわけで目下、ぼんやり頭を気にしている妻が問題集と一緒に買ってきた「脳が冴える15 の習慣」(築山操著、生活人新書)なる本にも興味が引かれ、脳トレ実践方法を勉強中です。

ひざ用サポートが新しくなります

寒い日が続いておりますが、皆様いかがお過ごしですか。先日は東京でも積雪がありました。月曜でしたが私が沖縄から帰宅すると、マンションの玄関口に、隣の家の子供達が作ったと思われる雪だるまが2つ、並んで出迎えてくれました。大人たちは「滑らないように」「寒い」「電車や飛行機が遅れる」など降雪はマイナスイメージになりがちですが(特に北国育ちの私などは珍しくもなく)、同じ事もプラスに受け取ることの大切さを無邪気な子供達に教えられます。この季節、我が家では身体温まる寄せ鍋が大流行します。妻の「今晩は何にする」の問いに、考えるのが面倒な私は合い言葉のように「ナベ」と答え、材料を入れるだけの素早く簡単にできるメニューが、妻にとっては好都合なのかもしれませんが・・・。
ところで「冷える」「身体に氣を取り入れたい」という人に最適なヘルシー氣サポートシリーズが、新しい素材で発売になります。このシリーズの歴史は古く、15年以上も昔のことですが、先代が特殊繊維に真氣光の波動が記憶させられると、開発したものでした。しかし特殊繊維を使用していた為に値段が高くなる傾向がありました。私は同じような氣の効果がある物をもっと安く作れないか、いろいろ検討しましたが、繊維に特殊なものを混ぜるとどうしても高くなることがわかりました。そこで発想を変え、繊維は一般的に流通しているものを選び、<真氣光>の波動を記憶させたチタン微粉入りのウレタン樹脂を、後から繊維に付着させる方法にしたのです。
繊維素材はいろいろな物が考えられましたが、今回のサポートシリーズは良質な天然シルクを選びました。シルクには18種類ものアミノ酸が含まれ、お肌に潤いを与え保護する作用があります。保温性と放湿性に優れていますので、冬は暖かく夏はサラリと季節を問わず素肌を快適にケアしてくれることでしょう。ひざにやさしくしなやかにフィットするように、前側は平編み仕上げ、後側はメッシュ仕上げになっていて、染色なしの自然なやさしい風合いになっています。平編み部分に前述の粒状ウレタン樹脂を付着させていますので、ひざを中心に着用するだけで氣を受けることができます。また、伸縮性のあるフリーサイズですので、どのような方にもご使用いただけます。ひざ用ですが、肘や腕などにも付けることが出来ますので、幅広くご活用ください。
なお現在、同じ素材で足首用も製作中です。今月の下旬には発売できる予定ですので、併せてお試しください。

(22)心頭滅却すれば火もまた涼し

先週末は金曜日から日曜日までの三日間で名古屋、大阪、福岡、熊本を真氣光セッションで回って来ました。寒い日が続いたせいか、風邪を引いたという方、体調を崩したという方もいらっしゃいました。皆様、“氣を付けて”、ご注意ください。私も、その前からオーバーワーク気味だった為か、日曜日の深夜には自宅に戻ったのですが、翌日の月曜から何だか風邪を引いたように胸の辺りが重い感じになり、変な咳が出たかと思えば首の下が重くなり、そのうちに左の肩が痛くなるやら、しばらく体調不良が続きました。しかし、やらなければならないことは目白押しでしたから、「気合いを入れて」と思うのですが、なかなか身体が言うことを聞きません。「風邪にやられたかな」と妻に話すと、すかさず「大丈夫よ、氣が足りないだけ」のひと言。いつも私が言っている台詞をとられましたが、自分のこととなると氣のせいだとは思えず、出来ないことがでてきてもあきらめモード、「仕方がない」と言い訳ばかりを唱える始末で、我ながら少々おかしな状態でした。しかし、氣を受けているうちに火曜日には「心頭滅却すれば火もまた涼し」とまではいきませんが、かなり近い境地まで気持ちを切り替えることができました。身体は疲れていてもやはり氣の持ちようですね。 と ころで、このことわざですが、辞典で調べてみると『気持ちの持ちようで、いかなる苦難でも凌ぐことができるということ。「心頭」とは心の中。心の中から雑念を払えば火も熱くないということから。出典は中国・唐代の杜荀鶴(とじゅんかく)の詩。日本では甲斐・恵林寺の僧・快川が織田信長勢に焼き討ちされた時に唱えたと伝えられる有名なものだが、なぜか、近代以前には用例が見当たらない。』とあります。昔の人は凄いものです。修行によって、身体にいろいろな苦痛があっても精神力でそれを克服することができる、つまりそこまで心を強く出来たのですね。洗心の指標の一番目に「強く」とありますが、私にとっては最重要課題の一つです。心を強く持つことで、魂に光が増し、足を引っ張るいろいろなマイナスの波動が浄化されるのです。真氣光を受けることは外から魂に光を注ぐことで、自らの心を強く持つことは内部から光を増すことですから、両方同時に行えると良いのです。しかし、修行の無い現代の世の中で、心を強くするにはどうしたらよいのでしょう?よく考えると、毎日の生活の中でストレスを強く感じるような時が、心を強くする絶好のチャンスです。どうやら私の場合は、疲れたときに楽をしようとばかり考えがちですが鍛錬の時と捉える必要もありそうです。

房総に行ってきました

先週の初雪、大寒を挟んで昨日は東京でも若干の積雪があり、雪を楽しんだ方もいらっしゃったのではないでしょうか?北国育ちの私にとって、小さい頃には「雪が降って嬉しい」という感覚があったにも関わらず、それをすっかり忘れ、「寒い、寒い」とマイナス気分になっていたところを、逆に楽しそうにしている人にお会いして、思い出させていただきました。
ところで先週、私は東京湾アクアラインを通り房総半島を縦断して太平洋側にまで足を伸ばしてきました。3月号の月刊ハイゲンキ「新紀行」というページで、皆さんに一足早い春を感じていただきたいと、房総の花の写真を撮りに行ったのです。当日、快晴ではありましたが、「初雪降る」のニュースとともに幾分冷たい強めの風が吹いておりました。中には心なしか凍えている様子の花もありましたが、そんなことは諸ともせず大方の花たちは、あちらこちらで、色とりどりに咲いておりました。彼らのおかげで取材は無事終了、この様子は誌面でゆっくりご紹介したいと思います。
ところで、かつて日本史上の大きな変わり目で、ここ房総の果たした役割は非常に大きなものがあります。1180年に源頼朝は、石橋山の合戦で数にまかせる平家の大群に敗北を喫し、ひとまず房総半島に逃れるべく三浦半島から海を渡ります。そしてわずか40余日という短期間で関東の武者を束ね、巨大な反平氏勢力のリーダーとして、その存在をきわだたせたのでした。もし、この地の武士達が居なかったら、歴史は一体どうなっていたのでしょう。
源平の時代から戦国時代にかけて、たくさんの武士達の戦いがありました。武士ばかりではなく、巻き込まれた家族や農民に至るまで、数えきれないほどの悲しみや憤り、さらには無念の思いがあったことでしょう。私が氣を送っていると、その頃の魂たちが、氣を受けている人の口を借りて出てくることがあります。昨年は「たくさんの武士達に光を与えて欲しい」という魂もあり、何百年経っても辛い思いは変わらずに残り続けることを痛感しました。
観光とは「光を観る」と書きますが、その地の素晴らしいところ、つまり光の部分に触れるということがあるのだと思います。さらに私は、氣を知るようになってからは、その地の歴史に触れることも大事だとつくづく思うようになりました。当時の人々の気持ちを感じることで、「その時に生きてくれていた人々があったから今がある」という感謝や畏敬の念を抱くことができ、それが良い氣(光)となって、かつてそこに生きた人々を輝かせるのです。そういう意味では今回、短い旅でしたが良い観光ができました。

より意識して氣を受けよう

昨年12月のメンバーズの集いに合わせてホワイトセラミックヘッドを発売し、これまで本紙や月刊ハイゲンキでいろいろと説明してきました。多くの方に購入いただいたお蔭で、今年に入り真氣光の波動がさらに大きく変化しつつあることを実感しましたので、少しお話ししたいと思います。
変化したと言っても、真氣光のベースは変わることなく、魂に浸透し氣づきを促すエネルギーです。私は、新しいヘッドの発売によって身体にも作用する波動がプラスされたようだとお話ししました。私のホワイトセラミックヘッド開発の狙いは、電気で氣を作っているわけではないけれど、振動や熱を発生させることによって、従来よりも身体に大きな刺激を与えることができるので、自ずと意識され注意が向くことで氣の吸収力が上げられるという効果でした。氣は目に見えるものではありませんが、氣を感じようと強く意識することによって宇宙の波動にチャンネルを合わせることになるのです。どうも新しい波動は、より繊細で浸透力のある強力な、より高次元の波動のようで、それにチャンネルを合わせることがとても重要なようなのです。しかし逆に言えば、チャンネルが合いさえすれば、瞬時に今までにない大量のエネルギーが受けられるため、長い時間氣を受ける必要がないと思われます。今まで私は、「氣の充電」と「意識的に氣を集める」という二つの氣の受け方について説明してきましたが、この新しい波動は後者の「氣を集め・送る」という方法に適している波動とも言えるでしょう。
ですからホワイトセラミックヘッドを使う時には、通電して振動と熱を発生させ、見えない光のような氣が身体に吸収され、氣を必要としているところに集まっていくように想像出来る方が良いわけです。しかし、そのように集中して意識するには、時間的な限界があります。私の場合はせいぜい10〜20分で、それ以上の長時間は難しいのですが、従来よりは氣が集まりやすく短時間で良いようです。時間を掛けなくてよい分、自分の氣づきに基づいて決心して行動する時間に当てられるという利点があるでしょう。
このような傾向は、新しいヘッドばかりではなく、次第にいろいろな氣グッズやヘッドにも現れてくると思います。そして将来的に、氣の受け方がもっと変わってくるかもしれないのです。これは時間が少なくなっている現代人には適したものと言え、さらには宇宙から、もっといろいろなことを活動的にしていくことが要求されているのかもしれません。詳しい話は、19日に行われる今月の真氣光レッスンでお話ししたいと思います。

皆様、あけましておめでとうございます。

たくさんの年賀状と年賀メールをいただきありがとうございました。本年もよろしくお願いします。私は、5日から沖縄、東京と会長セッションで周り、今日は新年最初の真氣光ニュースとなります。皆さんは、年末年始をどのようにして過ごされたでしょうか?久しぶりにご家族とゆっくりされたでしょうか。あるいは、お仕事の方、中には入院中、療養中の方もいらっしゃったかもしれません。
私は、年末ギリギリまで忙しくしていたのですが、郷里札幌で高校時代の同級生が数名集まるというので、2日に全国的に有名な歓楽街ススキノに繰り出して来ました。私はお酒をあまり飲めませんので年に数えるほどしか居酒屋にも行く機会がありませんから、正月早々貴重な体験でした。今年は高校を卒業して30年、取りまとめの幹事期ということで、夏の同窓会開催のために、皆いろいろ準備をしているそうです。土日を活動に当てているそうですが、残念ながら私は週末は仕事ですので、すっかりご無沙汰状態です。
ところで、私は真氣光のことを理解してもらうためのセミナーを随分開催していますが、同級生など昔の友人達に氣のことを理解してもらうのが一番たいへんです。高校、大学さらにはサラリーマン時代、私は氣とは無縁の生活をしていました。どちらかというと優等生というよりは劣等生で、健康というよりは不健康、さらには行動的でもなく、私の父・先代に言わせれば「邪気だらけ」のタイプでした。そんなことから、彼らにとって私のやっていることは、全く理解できないということなのでしょう。私が説明しても頭ごなしに、いかがわしいという顔をして、最初から「聞く耳持たず」という状態なのです。まぁ昔の私を知っていれば頷ける気もします。よく会員の皆さんが氣のことをわかってもらうのに苦労するという話を耳にしますが、私もそれを痛感し、逆にとても勉強になりました。
「先代のように白髪に白髭、仙人のような風貌であれば信じてくれやすいのに」と思うところですが、私はごく一般的な、普通のおじさん的風貌です。しかし、逆にそれが良いのだと思っています。先入観ではなく、よく説明を聞き氣を理解してもらうことができますし、さらにはじっくり納得するまで氣を体験してもらうこともできるからです。先代が亡くなった時に、私に会長の役が回ってきたということは、宇宙が欲していることなのでしょう。ですから、今年も真氣光をたくさんの人にじっくり体験していただこうと思っています

プレゼントに迷い・悩む?

昨日は新宿で無料体験会があり、久しぶりに街中を歩きました。この季節、どこもクリスマスの飾り付けが賑やかで、デパートのおもちゃ売り場も活気があります。私には子供がいないのでわかりませんが、プレゼントを買うのは大変だろうなと思うのです。先日新聞を見ていて「ペットにクリスマスプレゼントを贈る飼い主は全体の6割」を発見。食べ物やおもちゃのほか、「長い時間遊んであげる」という飼い主もいるそうです。「遊んであげる」程度であれば出来そうですが、私には何かを買うというのは難しいかもしれません。お恥ずかしい話ですが、私は一番身近な家族である妻にもプレゼントをあげたことがありません。これを分析してみると、物を買うのが苦手なのだとわかります。その時に何を買ったらよいか「迷う」ことが原因で、だんだん「悩む」のが面倒になるのだとわかります。電気製品など性能を比較できるようなものは問題ないのですが、感覚的な要素が入れば入るほど悩みは増大し、結局その難問に耐えきれなくなって「面倒だから最初から考えない」というふうにしているのだと思います。ちなみに私の父である先代は、「迷う」ということとは正反対な、大胆な買い方をしたものでした。記憶にあるところでは、和菓子屋に行き「ここからここまで全部くれ」と言ったり、トラックで青森から鉢植えを売りに来ていたおじさんから「トラックにあるもの全部」を買ったり、庭にちょっとした家庭菜園を作ろうとしていた母を見て、大変そうだからと近くの農家のおじさんに頼んで庭全部にトラクターを入れてしまったり(畑が広くなりすぎて後で野菜の世話が大変に…)「もう少し考えれば良いのに」と思うことが度々ありました。周りの人は大変なんですが、本人にはなんの迷いも無く気楽なものです。私は、よくいろいろな悩みの相談を受けます。洗心の御法度の心に、「迷い」という項目があります。私は、どこから考えて良いかも分からなくなり「迷う」のは御法度だと思うのですが、よく考え悩むのは決して悪いことではないと思うのです。筋道を立てて考えれば考えるほど「迷う」ことがなくなり、自分のとるべき姿がはっきりしてくるから決心できるということになります。そして決心できると、迷わせて邪魔をしていたマイナスの氣は完全に浄化され、その分だけ上からの応援も届きやすくなるのです。氣を知る以前、私は迷ってばかりいて先に進めないタイプでした。しかし真氣光のおかげで、だんだんそれがなくなり、考え、決心し早く行動できるようになったと思うのです。しかしプレゼントの件では、まだまだ悩みが足りない(笑)ということでしょう。