妹とランチを一緒にしました。
話をしていて、彼女が元は低血圧だったと初めて知りました。
そんな彼女が、昔々、朝、ボーッとしながら起きて来たところに、父(先代)が、「お前、なぜニコッと笑って、おはようって言わないの?」と、言ったそうです。
それから彼女は、出来るだけ笑うようにしたそうですが、一年ぐらい経ったら低血圧が治ってしまい、今では、その話をいろいろな人に話しているそうです。
父は、「自分がプラスの氣を出すから、周りからプラスの氣が集まる、だから自分次第」ということを感覚的に知っていたのです。
妹とのお昼は「そういう人が父親で良かったね」というところに話は落ち着いたのですが、そういう意味では、いろいろな場面での父の思い出があります。
ところで、私たちには、何もする気が起きないという時があります。
そういう時も実は自分次第ということがよくあるものです。
例えば、「こんなに低血圧なんだから、体がこんな風になって当たり前」と体のせいにしてしまえば、そこから何も変わらないでしょう。
しかし、体も気持ちによって変わってくるということです。
たいへんな時こそ、できるだけマイナスの氣を集めずに、そしてプラスの氣の応援を受けやすくするということがポイントなのだと思います。
気持ちがスッキリする、サッパリすることは、自分自身の氣を変えるのに効果を発揮します。
皆さんは、どんなことをするとそんな感じがするでしょうか。
妹のように、笑顔で挨拶をするというのも良いかもしれません。
相手から良い反応があれば良いですが、もし仮に無かったとしても自分からプラスの氣を出せたということが、良い氣を周りから集めることに繋がります。
私がちょっと探してあげてみると、朝起きてカーテンを開ける(朝日を浴びる)、顔を洗う、シャワーを浴びる、風呂に入る、洗い物を片づける、掃除をする、ベッドを綺麗にする、体を動かす、身だしなみを整える(おしゃれをする)、床屋に行く等々、まだまだありそうです。
そして、もう何もできないという時には、氣中継器ハイゲンキのヘッドを体に当ててみたり、何か氣グッズを使ってみることです。
気持ちがどんなにマイナスに傾いていようとも、真氣光というプラスの氣が受けられます。
この気持ちに関係なくプラスの氣が受けられるということが、氣が出るモノがあるという真氣光の特長です。
普通であればマイナスの気持ちになるからマイナスの氣が集まってくるというマイナスのループになるところですが、マイナスの気持ちでもヘッドを当てることでプラスの氣が入りますので、良い方向に変わるのです。
(中川 雅仁)
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カテゴリー: うまく生きるためのコツ
光の絆を大切にしよう
私の家のまわりでは、ちょうど今日あたり、桜の花が満開です。
たくさんの人が、お花見で春を満喫しているようです。
私は今朝も今シーズン何度目かのお花見散歩に行ってきました。
ところで桜の木には、平均して一体どれくらいの数の花が付いているのでしょうか。
一つひとつの花びらも綺麗ですが、木全体を眺めても、それぞれに特長があり見事に調和がとれていて美しいものです。
モノによって色が違って見えるというのは、太陽からの光がモノに当って反射される時、その表面で或る波長の光は反射し、或る波長の光は吸収されるという特性が物体の種類によって異なるからだということです。
たまたまのように、桜の花びらの場合は、淡いピンクという綺麗な色合いで、何とも可愛らしく目に映るということなのでしょう。
私達は、直接あるいは何かに反射して目に入ってくる光を見ているのですから、どんなものも光を発しているというわけです。
ここまでは目に見える光の話ですが、私は20年以上に渡って、氣という目には見えない光に関わってきました。
誰もが持っている生命エネルギーのような氣は、その人から放たれる目に見えない光です。
明るい・暗い心と言いますが、心の状態によって氣の光も、明るくなったり暗くなったりするのです。
この氣の特筆すべき事は、意識することによって、その光に方向性を持たせることができるということです。
例えば、「あの人が好き」という場合、「好き」という心に応じた氣の光が、意識している人に向いていくのです。
私は、一人ひとりが氣の光を持っているのと併せて、家族や会社・団体など人同士が複数集まったグループにも全体の氣の光があると考えています。
そして私達は、誰かの光が弱くなった時に、自分の氣の光をそちらに向けて発し届けることで、自分が所属するグループ全体の光を弱めることなく、逆に補い合うことでより強くできるようになっているのです。
家族の中で誰かが病気になった時には、その家族を思い看病したり、職場では新人さんに対して心くばりをするなど、温かい心で人を気遣ったり思いやりの心を持つことで、そこに見えない氣の光を向け、絆をつくることができるのです。
誰もが光の絆の中に生まれ、支え、支えられて、さらに違う光の絆を作りながら魂を成長させていくのですが、真氣光という宇宙からのエネルギーを利用することで、大きくそれが促されます。
それぞれが自分の置かれた場所で、見えない光の絆を大切にし、自分自身の光を強めていきたいものです。
(中川 雅仁)
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赤ちゃんは光の存在
月曜日に私は、福岡・志賀島での真氣光研修講座を終え、夜の飛行機で東京に戻りました。
この日は振替休日で連休だったこともあるでしょうか、機内は満席で、通路を隔てた隣には赤ちゃん連れの若いお母さんが座っていました。
赤ちゃんは抱かれているのですが、私の顔を見て笑うのです。
何が可笑しいのか?顔の作りがヘンなのか?何か違うものが見えるのか?知らないうちに、もっと笑わせたいと、こちらも「変顔」になっていたのです。
赤ちゃんに笑われると、どんな人も微笑んでしまい、幸せな気持ちになるものです。
研修講座でもたくさんの笑顔に接し、私は幸せな気分を味わっていた後だったので、さらにその日は良い日になりました。
ところで言葉も分からない赤ちゃんが何故笑うのか?何に反応して笑うのか?という研究は、あまり進んでいないようです。
研究対象が、大人の思う通りにならない赤ちゃんですから、研究しようにも思うように進まないのかもしれません。
そんな中でロンドン大学の先生が、ネット経由で世界中1000人以上の赤ちゃんを持つ親から「いつ、どこで、なぜ赤ん坊が笑ったか」というアンケートを集めて分析するという研究をしています。
調査結果によると、
『赤ん坊が初めて「笑顔」を作るのは生後6週間ごろで、声を上げて笑うようになるのは、歩いたり話したりする以前から。
世界的にも「いないいないばあ」や「くすぐり」は有効。
ただし、赤ん坊が笑うのは「他の誰かと一緒にいる時」「他の誰かが笑っている時」が多く、オモチャなどが見え隠れするだけでは笑いにくく、大人が見え隠れすると笑うようになる。
くすぐられて笑っている赤ん坊は、肉体的反応だけで笑っているのではなく、「大人が自分をくすぐっている」ということで笑いを得ていると考えられる。
赤ん坊は誰かが転ぶところを見るよりも、自分が転んだ時の方が笑いやすい傾向にある。
周りの人が悲しい・不愉快・びっくりしている時よりも、周りの人が幸せな時の方が笑いやすいという傾向にあることがわかっています』
とありました。
このことから分かることは、赤ちゃんは氣に敏感で、周りのプラスの氣を感じているということです。
そしてもう一つ、人は生まれるということで、その家族に多くの喜びや希望をもたらします。
それは物理的なことばかりではなく、人は誰もが氣という見えない光を持っていますから、家族や、父方・母方の家系の御先祖までにも見えない多くの光をもたらしているのです。
つまり私達は、この世に光を持って生まれて来て、それを意識していなくても、いろいろな人に光を送っているということです。
真氣光を受けることで、それがより一層促されるのです。
(中川 雅仁)
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音氣で氣を受けるという瞑想法
私は、昨日から真氣光研修講座(3/18~21)開催のために福岡県の志賀島に来ています。
今日はあいにく曇り空ですが、窓の外に広がる海は穏やかで、行き交う船の景色を眺めていると、ゆったりとした気持ちになります。
今回の研修講座参加者は、氣中継器ハイゲンキはお持ちですが、研修は初めて受講するという方も多いようです。
研修初日の私の講義の時間には、まずハイゲンキで氣を受けてもらうということをやっています。
研修講座には、いろいろな講義や行法がありますが、真氣光をたっぷりと受けてもらうことが基本だからです。
間もなく皆さんのお手元に届く月刊ハイゲンキ4月号の真氣光教室のページでは、「氣中継器ハイゲンキを活用する」と題して何回かに分けて説明する予定ですが、真氣光を受けるにはいろいろな方法があります。
真氣光歴の古い人から初めての人まで、やってくれている人が最も多いのが、音氣で氣を受けるということではないでしょうか。
真氣光を長くやっていると、それが当たり前のようになっていますが、一般的に言えばこれは一種の瞑想法です。
そんなことで今日は、音氣で氣を受けるということにスポットを当ててみましょう。
今では瞑想は、心が安らぐ、集中力が高くなる、気に病むことが減る、生活の質が向上するなどの理由から、主婦からビジネスマンまで、いろいろな人の間で一般的になったようです。
音氣を利用するという瞑想法は、音と一緒に真氣光のエネルギーを取り入れられるので、よい効果を引き出し易くなります。
音氣活用のポイントを幾つか上げてみましょう。
①「朝7時、夜10時から15分の真氣光タイムなど定期的に」していると氣が入りやすくなり「疲れた時など5分間でも」効果が出やすくなります。
②「身も心も自由にリラックスして」出てくるものに注意を向けよう。
心に浮かんだことにも意味があるので、そこから氣づきのヒントとなることもあります。
③「光を意識する」ことで氣を受けやすくなります。
いろいろな光をイメージしてみよう。
④今日一日を振り返り、あるいは両親や友人など日頃の「感謝の気持ち」を思い浮かべてみよう。
⑤自分のマイナスの部分に影響を与えている「マイナスの氣に光を送る」よう意識してみよう。
⑥自分を応援してくれる「プラスの氣の存在」を意識してみよう。
⑦マイナスの感情の「気持ちの切り替えに」利用しよう。
⑧自分の体や心、呼吸などに注意を向けてみよう。
⑨他の氣グッズやヘッドなどと組み合わせてみよう。
⑩自然の中や気になる所等いろいろな場所で受けてみよう
・・・
等々、日によって変えたり、組み合わせたりして試してみて下さい。
(中川 雅仁)
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明るく素直に感謝の気持ちを伝える
先日、私は会社の帰りに総菜でも買おうと、デパ地下に立ち寄ったのです。
本日最後の追い込み時間なのでしょう。
どこの売り場も活気があり、店員の皆さんが良い声を出しています。
私は、お腹が空いていることもあったからか、誘われるまま、あっちでも、こっちでもいろいろ買ってしまって、結局その日のうちには食べられないほどに・・・。
野菜を育てた人、物を作る人、運ぶ人、売る人、いろいろな人が、これらの総菜には関わっていますから、もったいないことはできません。
「お金を払って買ったから自分のもの、捨ててしまっても構わない」ということにはなりません。
感謝の気持ちをもって次の日にもいただいたのでした(笑)。
最近は、窓口で切符を買うこともありません、改札にも人はいませんし、誰とも何もしゃべらなくても、出張に行けたり、出勤できたりします。
新幹線や飛行機、途中で立ち寄ったカフェやスーパー、デパ地下でも、私はできるだけ会う人と言葉を交わそうと思うのですが、あちらも忙しそうですから氣を使ってしまいます。
せいぜい挨拶がわりに、できるだけ明るく「ありがとう」と言うようにしています。
そんなことから今月の氣配り画像は、「明るく素直に感謝の気持ちを伝える」という言葉を入れてみました。
感謝の気持ちを伝えるというのは、とても基本的なことなのですが、強力なプラスの氣を送れる方法です。
習慣にしてしまうと、何も難しいことはありません。
「良い氣を自分から発するから、良い気が周りから集まる」という法則を実践するには最もチャレンジしやすいことかもしれません。
しかし、これが自分の身近な人となると、とても難しくなるものです。
いつも顔を合わす家族、仲の良い友達、職場の人や上司など、敢えて口にしなくてもいいという甘えがあったり、いつもして貰うことが当たり前になっていることがあるのです。
さらには、相手の嫌な部分が少しでも頭の片隅にある場合などは、感謝すべきところなのに、素直に感謝の言葉など出て来なくなるものです。
素直な気持ちというのは本来の自分自身の魂の気持ちであり、素直になれない自分を感じる時には、マイナスの氣の影響を受けている結果だと考えるとよいでしょう。
マイナスの氣は、自分が辛いので、その気持ちを分かって欲しくて、その人が不幸なままでいてほしいのです。
良い氣とは無縁になってほしい、つまり感謝の気持ちなど伝えてもらうと困るという訳です。
ですから、そのような時こそ、明るく素直に感謝の気持ちを伝えるということが大事です。
どうしても難しい時には、「何故できないのか?」とマイナスの氣に意識を向け真氣光を受けることなのです。
(中川 雅仁)
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かつてはプラスの氣だった
いろいろな人に氣を送っていると、御先祖と思われる魂が「私はこの家を守っている」と、その人の口を借りて出てくることがあります。
そして、そのような魂の中には、「…こうあらねばならぬ」というこだわりがあって、私から見ると少々辛そうな人も多いのです。
かつてはプラスの氣として、その人を守護霊のように見守る存在だったものが、真氣光を受ける人の魂のエネルギーが急激に高まることによって、今ではマイナスの氣になっているということがあるのです。
私は、「どんな人も体の中に氣のエネルギーを持っていて、自分以外の周りにもいろいろな氣のエネルギーが存在しています」と、よくお話ししています。
周りの氣には、自分と比べて高いエネルギーを持つプラスの氣と、低い状態のマイナスの氣があります。
今現在の「自分」を基準にしているわけですから、厳密に言えば、他の人にとってのプラスの氣・マイナスの氣とは違います。
ですから、ある人にとってはプラスの氣の存在も、ある人にとってはマイナスの氣になることもあるので、あまり他の人と比べても仕方がないということになります。
そしてもう一つ、自分がどんどんエネルギーが高まる方向に変わっている人は、プラスの氣・マイナスの氣という存在も変わっていく必要があるということです。
マイナスの氣の場合は、見えない光のような氣のエネルギーをすぐに恵みの光と感じる魂もあれば、最初は変わりたくないと光に抵抗する魂もありますが、どちらも明るい方に気持ちが変わって行くものです。
そして同じように、プラスの氣という存在の中にも、変わらなければならないということがあるのです。
しかし、前述の御先祖のように、何かポリシーみたいなものがあって人を導いてきたという自負がある魂は、「これはこうあるべき、こうあらねばならぬ」と、自分の価値観を押しつけたくなるようなのです。
これは、ある時期まで必要なことなのですが、あるところから重荷になるものです。
生きている私達の親子関係にも似ているところがありますが、プラスの氣という魂も、こだわりを捨ててプラスの方向に変わって行かなければなりません。
そうしないと、氣のエネルギーは高い方から低い方へ移動しますから、生きている人から光を貰うマイナスの氣になってしまうということなのです。
何か思い込んでいること、こだわりが強いこと、頭で考えて理解はするけれど、どうもそうできないなど・・・そのような時には、かつてプラスの氣だったマイナスの氣の影響を受けているかもしれません。
よく自分自身を観察してみることです。
(中川 雅仁)
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目からウロコが落ちる
昨日2/11から、熱海で第303回真氣光研修講座が始まりました。
今回の研修講座は、海外から来た方や、ベテランの方ばかりではなく初参加の方も多いのが特長です。
今日は、初めての氣づきの時間(いいとこ探し)があり、20年以上真氣光をやっているという方の話も聞けました。
1992年に私が受講した時もそうだったように、初めての方々にとっては、氣の世界を少しずつ垣間見ることができ、その度に「へー、そうなんだ」と思われる方も多いのではないかと思います。
また、何回も受講している方でも、以前に聞いているようなことが、ある時に「あっ、そうか!」と思えるときがあるものです。
「目からウロコが落ちる」とは、このことです。
この言葉、語源を調べると『キリストの奇跡により盲目の男の目が見えるようになったという、新約聖書の「直ちに彼の目より鱗のごときもの落ちて見ることを得」から生まれた言葉で、本来は誤りを悟り迷いから覚める意味で使われていた。あることをきっかけに、今までわからなかったことが急に理解できるようになることのたとえ』と、あります。
誰かの一言で、今まで聞いていたり知っているようなことでも、自分の体験とリンクしてハタと気がつくということがあるでしょうし、パーッと目の前の視界が開けてくるという感じの目からウロコ…ということもあるでしょう。
私はそれが「氣づき」というものだと思います。
氣の観点から考えると、マイナスの氣の影響で、魂に曇りのある状態から、それが昇華され光になって離れていくときに氣づきが起きて、魂の輝きが急激に増えるという現象です。
ですから、ある程度いろいろなことを体験するうちに魂の光が少しずつ増え、マイナスの氣にも光が蓄積されることで、氣づきは起こりやすくなるのです。
さらには真氣光を利用して、外から魂に光を入れることでも起こりやすくなるので、真氣光研修講座では、たくさんの方がこれを体験するのだと思います。
言うなれば、氣づきはマイナスの氣による「迷いから覚める」ことと、捉えても良いでしょう。
また逆に考えれば、マイナスの氣の影響を受けていると、なかなか気づけないということがあります。
このことから考えると、誰かに気づいて欲しいという場合には、機が熟さないうちに「わかったか」「気づけ」と催促しても良い結果には繋がりません。
無理せず、ゆっくりと時間を掛けて、その人のことを十分に考えてあげる必要があるのです。
さらには、氣グッズを持っていただいたり、遠隔真氣光で氣を送るなど、真氣光のエネルギーを利用することも効果的ですので、ぜひお試しください。
(中川 雅仁)
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真氣光という道具を使いこなそう
私は、1992年に真氣光研修講座を受講して、初めて目には見えない氣の世界の存在を知り、いろいろな氣の中でも真氣光というものの重要性に気がつきました。
そこで、当時勤めていた会社に相談して、一年かけて仕事を整理し、このエスエーエスに入社したのです。
それが1993年の10月1日のことですから、その後2年2ヶ月ほどで先代が亡くなったということになります。
僅か2年少々の期間ですが、セミナーや研修講座に同行して先代の講義を頻繁に聞けたことは、私にはとても重要なことだったのです。
講義の中の一つに、「真氣光を宗教にしようと一時期考えたけれど、既に宗教に入っている人が、そちらをやめなければ入れないということになるので止めた」という話があります。
その時、私は何気なく聞いていましたが、これは先代の「宗教的な教えを伝える宗教法人ではなく、氣グッズや氣中継器・研修講座を販売・運営する株式会社として社会に貢献する」という凄い決断だったと思うのです。
これにより、生きている人も既に亡くなっている人も宗教などに関係なく、いろいろな人が真氣光のエネルギーを利用しやすくなりました。
そうして、一人ひとりが良い方向に変化し、真氣光の受け皿が大きくなるから、真氣光そのものの中継量が増すという良い循環が起こりやすくなったのです。
もともと氣というものは、プラスやマイナスの心に同調して、周りからプラスやマイナスの氣を引き寄せるという波動的な性質がありますから、これを語る上では、心や意識の話が不可欠となります。
そのようなことから真氣光を宗教的だと捉える人もいらっしゃるのですが、真氣光というプラスの氣のエネルギーは氣中継器や氣グッズから受けられ、どんなにマイナスの心の状態でも氣を受けようとすることで、これを吸収できるという特長があります。
ですから私は、「真氣光は便利な道具」という捉え方をしています。
道具ですから、使わなければ本来の意味がありません。
そしてハサミだって切り絵の達人のように上手く切れる人がいるのですから、氣中継器ハイゲンキや氣グッズも使い方を練習することで達人のようになれるのです。
自分で真氣光を受けたり、誰かに真氣光を送ったりする一回一回に、自分なりの工夫をすることで使いこなせるという感覚も湧くのだと思います。
この真氣光は便利な道具であり、私達は使いこなそうと一生懸命に工夫しているうちに、いろいろなことを学んだり気づいたりして、知らないうちに魂の輝きが増し、成長させられるということなのだと思うのです。
(中川 雅仁)
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感謝の生活
昨日から、今回で5回目になる神戸での真氣光研修講座が始まりました。
関西を中心に、関東や九州、四国などから32人の方が集まって下さいました。
研修初日には、私は「洗心の指標」の話をしています。
これは、いろいろな心を「いつももつべき正しい心」と「心からなくすべき感情」とに分類したものです。
「正しい心」は周りからプラスの氣を集め、「なくすべき感情」は周りからマイナスの氣を集めるものですから、私はできるだけ「正しい心」を持てるようにしましょうと説明しています。
そして、この「正しい心」の中で、直ぐにでも取り組んでいただきたいのが「感謝の生活」という項目です。
ですから研修講座では、参加者の毎日の生活に「感謝」というプラスの氣ができるだけ多くなるように、講義や行法などのプログラムを工夫しているのです。
「感謝の生活」とは「誰かに何かをしてもらったから感謝する」ということだけでは、感謝とともに生活するというところまで到達しません。
例えば「きょうは誰にも何もしてもらわなかったから、感謝する機会がなかった」ということになるからです。
では、生活の中に「感謝」というプラスの氣が多くなるためには、どうすればよいのでしょうか?
一つには、「おかげさまで、ありがたい」ということを意識するということです。
どんな人にも守護霊のように働いてくれているプラスの氣というものが存在していて、いつも見守ってくれています。
当たり前のことのように何事もなく繰り返されていることも、その蔭にはプラスの氣のおかげで、順調に生活できているということがあるものです。
そのように考え、プラスの氣に感謝する毎日にするということです。
さらには、良くない出来事が起こっても、それはプラスの氣のおかげで、大難になるべきものが小難になっているということがあるものです。
もしかすると、「不幸中の幸い」ということがあるかもしれませんから、このような観点から物事を観るようにすることなのです。
二つ目には、自分が感謝するばかりではなく、周りの人が自分に感謝してくれるということがあるものです。
つまり、何か人に親切にできることがあると、「感謝」というプラスの氣をいただけるということなのです。
例えば、電車で出会った人に、ちょっとした親切ができたことで、その人から感謝してもらうことがあります。
思ってもみない相手の感謝の言葉に、こちらが嬉しくなって、また自分がその人に感謝したくなるという、プラスの氣の循環が起こることもあるものです。
以前に研修講座に参加したことがある方は初心に戻って、まだ参加していない方は二つのポイントを参考に、感謝の生活を実践してみてください。
(中川 雅仁)
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困難な状況から早く立ち直る力
先週末、2016年度の大学入試センター試験が行われました。
このシーズンは、子どもや孫に遠隔で真氣光を送って欲しいとの依頼が多くなるものです。
新聞によりますと「志願者数は前年度から4636人増の56万3768人、受験生の意識を探ると就職環境の好転などで理系人気が一服し文系志向が一段と鮮明に。
景気が上向いたことで保護者が浪人を認めたり、強気に志望校を選んだりする受験生が増えたのではないか」とのことでした。
私の時代に比べると、浪人生の減少や、低成長時代を反映して就職状況が進学を考える上での大きなウェイトを占めるようになるなど、ずいぶん環境が変わっています。
それにより、受験生とその周りの家族、特に親は、たいへんなストレスに曝されるのだと思うのです。
私の父、先代は、教育には熱心な人でしたが、子どもの勉強のことについては寛容で、進学についても「近いところに大学があるのだから、わざわざ遠い所に行くことはない」と言うぐらいでした。
当時、私の先輩の中にも浪人生がたくさんいましたし、頭の片隅にあった「高校はできるだけやりたいことをやって、一年間だけ受験勉強をしよう」という考えも災いしてか、結果的に私は新聞店の住み込み配達員をしながら一浪することになりました。
しかし後で考えると、たいへんな苦労はしたけれど、この浪人時代がとても良かったのです。
「やれば何とかなる」と思えるようになりましたし、私の「折れない心」の原動力になった気がします。
ところで、ピンチに直面したときに、困難な状況に耐え、素早く回復する能力をレジリエンスというようです。
アメリカ心理学会の説明では「逆境やトラブル、強いストレスに直面した時に適応する精神力と心理的プロセス」とあります。
学業も大事ですが、若いうちにできるだけこのレジリエンスを高めておくことが、ポイントでしょう。
内閣府の自殺対策推進室によると、2009~14年の6年間で大学生の約3千人が自殺、その原因の主なものは「学業不振」「進路の悩み」「就職失敗」だったようです。
進学、就職、さらには社会に出てからも、困難な状況に直面することが多々あるものです。
私達は、それを乗り越えることで、より強くなり、魂のエネルギーを増やすのです。
その時に、できるだけ早く回復する=レジリエンスという能力を高めることです。
私の体験から、真氣光のエネルギーを受けることによって、この能力がより一層高められたと感じます。
誰にでも必要な「困難な状況から早く立ち直る力」ですが、ぜひ多くの人に真氣光を利用することで高めていただきたいと思うのです。
(中川 雅仁)
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