他を思いやる心を広げよう

 昨日の早朝、私は、ボストンで桑原先生が定期的に開催している真氣光セミナーで、お話しさせていただきました。
そうは言っても、現地に行ったのではなく、映像配信でお邪魔したのです。
パソコンという便利なものが出来たお蔭で、日本に居ながら現地の十数名の皆さんと顔を合わせ、講義をしたり、質問を受けられるのは有難いことです。
 ところで、このセミナーに十数年ぶりでお会いした方が来てくれていて、「最近の真氣光は、どんな風に変化しているか?」と、最初に良い質問をしてくれました。
私は、真氣光を生活の中で取り入れてくれる人が増えたおかげで、宇宙から地球に向けて集まるエネルギーが増えたこと、それに伴い自分自身と周りにたくさんの光が集まるようになった結果、自分ばかりではなく先祖や、先祖にマイナスの感情をもっている魂にまで光がより強く届くようになったと説明したのです。
 自分自身が体に持っている氣は、見えない光のようなエネルギーを発しています。
強い人も弱い人もいますが、どんな人も光を発していて、その光を周りの生きている人や、体を失い魂となった存在に与えているのです。
エネルギーは高い方から低い方へ移動するので強い光から弱い光のほうへ、つまり自分にとってのマイナスの氣に光が吸収されるのです。
このとき自分の周りに強いマイナスの氣があったり、多くのマイナスの氣があると、自分のエネルギーが吸収されて一時的に氣が減ってしまい、体や心にマイナスの現象が生じます。
ですから、自分に氣の余裕が無いと、いろいろな人に接したり意識することで「体や心が疲れる」ということが起きるのです。
しかし時間の経過とともに、周りのマイナスの氣がプラスに変わると、今度は応援してくれるような存在にかわり、それが自分にプラスの氣となって戻って来ます。
それは結果的に、自分自身の氣のエネルギーを強めます。
そして、さらに外から真氣光のエネルギーを入れられると、マイナスからプラスに変わる速度が大きく加速されるのです。
今の真氣光のエネルギーは、その傾向を増していると言えるでしょう。
 ですから真氣光を取り入れながら、積極的に周りに光を与える、つまり「他を思いやれる範囲」を広げていけると良いのです。
自分から、身近な家族、兄弟や親戚、さらには、先祖や友人、職場の仲間…、自分にとって大事な人から、苦手な人、嫌な人等々、氣の充電が進むと、マイナスの感情が少なくなり思いやりの心が持てるようになるものです。
今日から10日まで熊本は阿蘇で真氣光研修講座を開催します。
ご自宅でも、たくさんの真氣光が受けられますので、少しそのことを意識していただければと思います。
(中川 雅仁)
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気のめぐりが良くなり、気の滞りがわかる

 昨日から3泊4日の日程で、富士山での真氣光研修講座が始まりました。
研修講座が始まって前半の2~3日は、全ての人に当てはまることではありませんが、強い眠気が出てきたり、体の一部が痛くなったり重くなったりと、良くなる前に現れる反応、つまり好転反応が出てくることがあります。
今回の参加者の中にも、こちらに来てから頭が痛くなった、足が痛くなった、肩が重くなったと言う人がいました。
私は、そこを少し意識していただけるような、そんなお話をしてから、今日は長めの真氣光の時間にしました。
 これは、家の電灯を明るくすると、それまでは見えなかったゴミが見つけられ、そこを掃除することで、家の中がもっと綺麗になるようなものです。
見えない光のような真氣光の氣のエネルギーを強く受けると、体の中に急に氣が巡ります。
体の中の気のめぐりが良くなるのですが、同時にそれまでは分からなかった光が弱いところ(暗くなっている部分)、つまり氣が滞っているところ(気の滞り)が見えて来ます。
そのようなところは既にマイナスの氣の影響により光が減っているところなのですが、それが顕著に現れるのです。
そしてそれが、体の痛みや重さ、違和感として出てくるのです。
 既に自分の心にも、このマイナスの氣によって、嫌な人・苦手な人・気になっている人や事柄など、何か暗い影として感じられていることであり、知らないうちに影響を受けているものです。
例えば、人を咎めたり、非難ばかりしていて認めてあげられなかった、裏切られた気持ちばかりが強く嫌な人だと思っていた、などといったことです。
 体に表れる不調から、「これは何かマイナスの氣の影響かもしれない」と、より意識することで、そこに光が届きやすくなります。
さらには、上記のような自分のマイナス感情にも気がつけると早く昇華できるのです。
「良く考えると、いつもは痛くならないのに、ヘンだな」「めったに起こらないのに何故…」「原因がはっきりしない」そういう場合は氣のせい(マイナスの氣)ですから、そこから気づこうとしてみることです。
 このニュースを読んでいる読者の中にも、もしかしたら、こちらで開催している研修講座の強い氣によって、一見マイナスの現象が出ている人がいるかもしれません。
何か、そこに関係のあるマイナスの氣が、あるのかもしれないと意識して、そちらを感じ、そこに氣を集めるようにして真氣光を受けると、大きく変われるかもしれませんので試してみてください。
(中川 雅仁)
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歳とともにマイナスの氣を寄せ付けない

 来週月曜日は敬老の日ですので、この時期は、おじいちゃん、おばあちゃんに意識を向ける人も多いのではないでしょうか。
敬老の日を祝うのに該当する年齢は幾つからでしょうか?という質問に、昔は還暦を過ぎたらというのが普通だったようですが、今では60歳はまだまだ現役世代ですから当てはまらないと考える人が多いようです。
では幾つなのでしょうか?お孫さんができたら・・・と答える人が多いようです。
そうすると、私などは孫どころか子もいませんので、いつまでも該当することはないのですが、年々老化はやってくるものです。
私も日々気をつけて、プラスの氣に満ちた老人になるべく、研鑽を積み重ねているところです。
(笑)
 ところで、年齢のわりに元気な人、歳よりも若く見える人など、若い時には余り違いが感じられないものが、歳とともに大きな違いになることがあるものです。
これは、年齢とともにマイナスの氣の影響を強く受ける人と、あまり受けない人との違いとも考えられます。
氣の観点から、どのようなメカニズムで、このような違いが出るのでしょうか。
大きく分けると二つの考え方がありますので説明しましょう。
 一つ目は、歳とともに自分自身の氣のエネルギーが弱まる結果、そこにマイナスの氣が作用しやすくなるということです。
氣のエネルギーが下がるというのは、見えない光のような氣が暗くなるということですが、これは心の状態がネガティブになるということに起因します。
希望、喜び、楽しみ、生き甲斐、トキメキなど、心が明るいほうに向かうことが必要です。
体は筋力低下など、老化によって出来ないことが多くなりますが、心は別です。
歳を重ねる毎に、ますます心を明るく持てるような何かを見つける努力が必要です。
 二つ目は、長年の積み重ねによるマイナスの氣が、次第に強い影響を与えるようになるということです。
小さなマイナスの氣も、次第に似たようなものを引きつけ、時間とともに大きな影響を与えるようになるものです。
自分はこんなもんだ・出来ないものだと諦めていたり、何となく嫌・苦手・面倒など、強くはないけれど気持ちが暗くなるようなことがポイントです。
できるだけ小さなうちに気がついて、それを消すように努力していくことです。
 どちらの場合も、外からプラスの氣である真氣光のエネルギーを取り入れられることで、自分の努力との相乗効果が得られるものです。
それによってマイナスの氣の影響を受けにくくなり、自分自身の魂の輝きが増します。
ひいてはそれが、御先祖様など、見えない氣の存在を、より一層明るくするのです。
(中川 雅仁)
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全ての人が輝ける

 昨日からリオデジャネイロで、パラリンピックが始まりました。
早速、柔道(視覚障害)男子60キロ級の広瀬誠選手が、今大会の日本選手メダル第1号、銀メダルを獲得したと、ニュースが伝えておりました。
パラリンピックのパラは、もともとParaplegia半身不随という意味だったそうですが、それ以外の選手も参加するようになったのでParallel平行とOlympicで「もうひとつのオリンピック」という解釈もされるようになったそうです。
いろいろなハンディを乗り越えて競い合う選手達の姿を見ると、オリンピックとはまた違う角度から、こちらも勇気や希望そして見えないエネルギーを貰います。
 ところで、もう間もなく皆さんのお手元に届く月刊ハイゲンキ10月号の私との巻頭対談のページでは、ファッションデザイナーの鶴田能史さんにお話をうかがいました。
鶴田さんは「テンボ」というブランドを立ち上げて1年も立たないうちに、東京コレクションデビューを果たしました。
「世の中全ての人へ」というのが、鶴田さんのコンセプトです。
障がいの有無や年齢、国籍を問わず、ありとあらゆる人にファッションを届けたいと、2015年のショーでは平和や人権についても踏み込んだメッセージを発信し、世界に衝撃を与えました。
ショーでは、プロのファッションモデルだけでなく、車椅子の人、重度障がいの人、目の不自由な人もモデルとして登場し、彼ら一人ひとりがイキイキと輝いていて、そのような場を作っている鶴田さんの素晴らしさが感じられるのです。
 先代もまた、「全ての人が幸せを感じて生きて欲しい」との思いがあった人でした。
もともと時計技術者の先代は、20歳の時に世界最年少で米国高級時計技術者認定試験に合格し、1962年26歳で身障者を対象に、日本で初めて時計技術者の養成学校を開校しました。
’76年に閉校になり、先代はその後いろいろな仕事をすることになりますが、’86年に夢を見て真氣光を始めることになりました。
 真氣光は、体ばかりではなく心にも作用しますし、体をもって生きている・既に体を失っているということにも関係ありません。
そういう意味では全ての人へと(あるいは動物や植物までも)、真氣光により先代の思いは、大きくその対象が拡がったのです。
私たちは、体をもって生きている間にしか、魂を効率良く輝かせることはできません。
体や心がいかなる状態であっても、それができるようにという宇宙からの応援が、先代の夢となって現れたのだと思うのです。
(中川 雅仁)
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人の良い所を認めよう

 エレベーターに元気の良い小学生の男の子が乗ってきました。
ビックリしました。
「おはようございます」と、大きな声で挨拶してくれたのです。
私は、思わず「おはよう、元気がいいね」と付け加えていました。
こちらが、すっかり良い氣をいただきました。
多分その子は毎朝のように、私のような大人にビックリされ、さらには、その清々しさに感心した人には褒められていることでしょう。
 私も小さい頃には、褒められることで、俄然やる気が出てきて、少々難しいことも頑張れたものです。
『誰かに認めてもらいたい』という気持ちは誰にでもあるものです。
父である先代は、私たち子どもにとって、褒め上手というか「認め上手」の人でした。
妹は「おまえ、そんな風に考えられるのか」と、よく言われていたそうですし、私は「そんなことをやっているのか」と、熱心に聞いて貰いました。
 ところで私が、真氣光を送ると、氣を受ける人の口を借りて出てくる魂がいますが、その中に「認めて貰えなかったことが悔しい、無念だ」と、苦しそうな声で出てくる人がいました。
一生懸命に仕事をしたが、上の人に認めて貰えなかった、腹を切らなければならなくなったと言います。
無念の思いの裏には、自分の気持ちを分かって欲しい、認めて欲しいという気持ちが隠れているのです。
私は、「認めて貰えなかったけれど、あなたは、よく頑張ったでしょう。それを認めることです。そうすると、光が見えますよ」と伝え、真氣光を送ると、その魂は光が見えてきたと言い遺して、逝かれたのでした。
自分には価値が無いと自分の評価を下げてしまったことで、その魂は光を失ってしまったのです。
 逆に自分の評価が高すぎることで、それを認めてくれないと言って悩む人もいるものです。
自分が認められないことを周りのせいにして、ついつい「だって、でも、どうせ」と不平・不満を言うことで、周りから「そんなことはないよ」と認めてもらおうというわけです。
また、もう一つのパターンは、自分に良い評価がないので、人も同じようにしたいと、悪口を言ったり、陰口を言ったりして人の評価を落として自分への慰めにする場合です。
どちらも解決にはなりません。
自分の発する氣が、自分に戻って来るものです。
誰かに認められていないと感じた時にも、まず自分自身が認められるように、一生懸命に頑張ってみることです。
必ずプラスの氣の存在が、それを認め、応援してくれるものです。
そして、まず自分自身が、周りの人の良い所をどんどん認め、プラスの氣を周りに発していくことです。
最後に、宇宙からの応援、真氣光のエネルギーを受けることもお忘れ無く…。
(中川 雅仁)
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マイナスの「氣のせい」を認識しよう

 昨日から、京都での真氣光研修講座が始まりました。
私は水曜日から来ているのですが、連日こちらは良い天気で、昼は暑いのですが朝晩は、比叡山の麓のためか、幾分涼しい風が吹いています。
 今日は、研修講座で初めての氣づきの時間(いいとこ探し)がありました。
何か良かったこと、あるいは一見悪いことでも、そこから何かに気づけたことなどを、思いついた方から発表してもらう行法です。
自分から積極的に発表できると、その後いろいろな良い効果となって現れやすいので、皆さん一生懸命発表してくださいます。
そんな中に、こんな発表がありました。
「4回目の受講になりますが、最初の2回は楽しい気持ちで来ましたが、今回は以前のように楽しい気持ちが湧かないのですが、自分の課題を解決できるように来ました」というものです。
冷静に考えると研修に参加したいし、参加できることで自分もさらに一歩前進できる、それはよく分かっているのだけれど、何処かに、それを喜べない気持ちがあるということだと思うのです。
 私は、これはマイナスの「氣のせい」によるものだと、よくお話ししています。
冷静に、理論的に頭で考えているのが自分自身で、何となく嫌な気持ち、感情的なマイナスの心が、その人に影響を与えているマイナスの氣の気持ちです。
ずっと前から、その人に一見悪い影響を与えていたかもしれないマイナスの氣(悪い影響を与えるつもりがない場合もあります)が、浮き上がって出てきている状態です。
このような時には、「これはマイナスの氣による影響かもしれない」と気づけること、さらにそのマイナスの氣の気持ちに負けない強い心を持つことがとても大事です。
 変われない、変わってはいけないと、強く思い込んでいるのがマイナスの氣です。
その人の魂に、どんどん光が増え、輝きを増し、良い方向に変わっていかれると困るのです。
体がなくなり魂に光を失うと、自分の力ではどうすることもできません。
既に何百年も暗い所に居たかもしれないのです。
生きて体を持っている私たちが、強い心を持って行動することで、彼らに光が届き楽になって光の世界に行かれます。
また、真氣光を受け続けることで、自分からの光が周りにも及びます。
普通ならなかなか光が届かない、深い暗闇のようなところに居たマイナスの氣にも、だんだん光が届き始めます。
今月は京都という歴史ある場で研修講座を開催することの影響もあることでしょう。
皆さんも、深い所に存在しているかもしれないマイナスの氣の思いに気づけるよう、注意してみてください。
(中川 雅仁)
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オリンピックでの大逆転

 連日、新聞やテレビでは、リオでのオリンピックの話題でもちきりです。
テニス、レスリング、体操、バドミントン…、日本人選手の活躍、特に大逆転によるメダル獲得の話題が、日本中を元気にしてくれているようです。
オリンピックは身体能力の高さを競い合う場ですが、心つまり精神力無くしては語れません。
4年に一度という大舞台ということも、この精神力のぶつかり合いにとっては、良い場となっているのでしょう。
 勝負の行方は、選手の体と心以外にも、日本や現地で応援している人達の氣も関係しています。
さらには、目には見えない魂の応援もあります。
テニスの錦織選手の「日本の為に頑張るのは楽しかった」というコメントを聞いた時に、以前、氣を受けている人から出てきた魂たちの話を思い出しました。
幕末に日本の先行きを憂い戦ったが、思うとおりにはならず、命を落とした魂でした。
その人は、自分のことよりも国のことを考え、暗い所で苦悩していたのですが、真氣光の光が届くうちに少しずつ気持ちが変わり、まだまだこれからの日本のために力になれると気がついて光の方に消えていったのでした。
選手達個人の実力さらには周りの人々の支えもありますが、このような先人達の強い精神力による見えない氣の応援も勝負に影響を与えている気がしてなりません。
 ところで試合の流れには、波があるものです。
どんどん調子が上がって良い方に進んだり、逆にちょっとした失点により試合の流れが大きく変わってしまう、まさしくマイナスの氣・プラスの氣の同調作用による氣の流れです。
ポイントは、調子が悪い時に、いかに良い方向に変えられるかということですが、これは選手ばかりではなく誰にも大事なことです。
真氣光を一生懸命やっていても、好転反応のように、一見調子が悪くなったり苦しい日が続くということがあるものです。
「あれも良い経験だった」と、たいていは後になって気がつくものですが、その時には必死です。
何とか氣の流れを変えたいと思うのですが、なかなか調子が良くならない…、本人の強い精神力が試される時ですが、家族や友人など周りの支えも大きな力になるものです。
さらに忘れてはいけないことは、目には見えない氣の応援団の力です。
これまで自分が、とてもたいへんだった時があったはずです。
そのような時に力を貸してくれたプラスの氣があったから、ここまで来られたはずなのです。
その応援を信じ、小さくても良いところを見つけられることが、マイナスの氣の流れをプラスに変えてくれるのだと思います。
ピンチな時こそ、大きな力に見守られていることを忘れてはいけないのです。
(中川 雅仁)
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先祖供養と体・心の不調

 お盆の季節になりました。
先祖の墓にお参りする人も多いことと思います。
私は各地で無料体験会を開催しているのですが、最近は私の新しい本「絶望を希望に変える氣の力」を読んで来てくれる方がいらっしゃいます。
その中には、家族が病気なので、ずっと先祖供養をしてきたけれど良くならず、希望を見失っていたという方もいらっしゃいました。
私は、世の中の多くの人が「先祖がなぜ影響するのか」正しく理解できていないと考えています。
今日は先祖供養と体・心の不調について簡単に説明します。
 自分の孫がかわいいように、同じ家系の中で子孫を苦しめたいと思っている先祖は、普通は居ません。
先祖によって生きている人にマイナスの影響があるとすると、苦しい・辛い気持ちを何とか分かって欲しいという思い等から、不本意ではあるけれど子孫を苦しめる結果になる場合です。
ですから、生きている人が先祖を供養することで、苦しみから解放され、氣のエネルギーが増え、自由になる度合いが増えて私たちを見守ってくれるようになることで、生きている人にマイナスの影響が少なくなるということがあるのです。
ここで注意したいのは、一般的に先祖というと「自分の家のお墓に入っている」と考える人が多いようですが、本来自分の家に関係する霊的な存在は、父方もあれば母方もあるわけで、祖母や曾祖母・高祖母…の実家の家系、自分の配偶者のみならず兄弟姉妹の配偶者の家系もあるでしょう。
そのように考えると、本家や分家に関係なく霊的な家族はとても多くの人で構成されていると考えられ、直系の先祖だけしか関係しないと考えることはできないのです。
また、重要なことですが、先祖が辛く苦しい状態になっていたとしたら、それには理由があるということです。
その家を恨む等反感を持ったマイナスの氣がその前から存在していたから先祖も苦しめられたのであり、今生きている人も同じように影響を受けることがあり得るということなのです。
 さらには、このような霊的な家族・家系を中心にしたものばかりではなく、「類は友を呼ぶ」という諺が示すように、私たちには似たような気持ちを持つ縁で結ばれる霊的な存在があり、特にマイナスの心を持つマイナスの氣とのご縁が多くなると、何らかの不調に繋がることが多くなるのです。
 このように私たちは誰もが、種々多くのマイナスの氣の影響を受ける可能性があるのですが、真氣光を受けるということは、自分に影響を与えているものがあるとすれば順番に光が届き、供養されるように変わっていくということなのです。
(中川 雅仁)
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先人の思いに意識を向けよう

 私は「ある期間続けてみて、自分にとって良い・悪いを見極めたい」という意味での自分流の「流行り」があります。
例えば食べるものも健康診断を基点に、この頃の「流行り」は朝食を和風に、御飯に味噌汁・納豆・魚・サラダともう一品の何かという具合ですが、この朝食を用意する時に、つくづく感心するのは、御飯を炊く際に使用する電気釜の優秀さです。
おいしく米を炊く、それも早く、ある時には時間も指定して、さらにはそのままの状態で保温する…、釜の材質ばかりではなく釜から空気を抜いたりするらしいのですが、実によく考えられています。
この数十年のメーカーの研究の積み重ね、つまり物が進化するということでしょう。
 このように形として残る物や、文化や食生活などのような習慣も物を介して残すということができるのですが、心や意識というものは、形に残らないので時代とともに進化させにくいものです。
例えば、ある人が大きな困難から立ち直って、気づいたり意識を進化させたとします。
しかし、それがなかなか周りに伝わらない、子や孫の世代にも伝わりにくい、つまりそこを基点に進化しないということです。
たしかに、ハウツー本などがあったり、哲学等の学問や宗教などとして蓄積されたものがありますが、頭で考えることと、実際に体験するなど自分のものになっていることとは違うから難しいのだと思います。
 真氣光を受けることで、過去に亡くなった人の思いが分かることがありますが、それはとても貴重なことです。
自分の先祖に限らず、例えば先祖を恨んでいるという人も含めた先人の思いです。
昔は今に比べたら貧富・自由の差も激しく激動の世の中です。
朝突然自分の耕していた畑が戦場になってしまったり、日照りもあれば大洪水・突然の地震や火山の噴火もあったでしょう。
医学も未発達ですから、訳の分からない病で、体をどうすることもできなかった人、そんな先人たちが、どのような思いをもっていたのか。
そして、どのようにそのたいへんな局面に立ち向かい、乗り越えようとしてきたのか、そこに意識を向け、自分もその人たちの思いになってみるのです。
今自分が、たいへんな思いをしていたとしても、そのような思いは過去にたくさんあったはずです。
 真氣光を受けながら、それができることで、プラスの氣となった先人たちの思いをキャッチし自分を進化させることができるでしょうし、マイナスの氣となった先人たちが真氣光によって光に変わりやすくなることで、自分ばかりではなく私たち全体の意識レベルが向上するはずです。
お盆の月なので、まずは自分の先祖から、先人の思いに意識を向けていただくとよいでしょう。
(中川 雅仁)
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自分の内と外、両方が大事

 今日から、北海道での3泊4日の真氣光研修講座が始まります。
私は昨日夜に、札幌の郊外、新篠津にあるこの研修施設に来たのですが、朝5時に目が覚めて、抜けるような北海道の青空を満喫しています。
いつもと朝起きる時間は変わらないのですが、自然の中だからでしょうか、いつもとずいぶん感じが違いました。
私は、研修中も家でも生活のパターンはあまり変わりません。
たいていの週末は何処かに出張していますが、それ以外の日では、6時過ぎに朝食、散歩、真氣光、早朝からやっているカフェで8時過ぎまで本を読んだりして、9時までに会社に出勤するというパターンです。
 ところで、そこのカフェですが、最近は暑くて家に居られない人が多いのか、朝から仕事や勉強をしている人が増えてきています。
私の場合、人の居るところのほうが、余計なことに気を取られず、家よりも集中できるのですが、どうもこれは適度に他人の目があるほうが、効率が上がるということらしいです。
 考えて見ると、これは人の目を気にしているということですが、あるがままの自分とは対極にある感覚でしょう。
「自分自身と周りの人」という関係ですが、よく周りの人に気を使い疲れてしまうという人がいます。
でも周りの人に全く気を使わない人は、周りにとっては迷惑な人になっていることがあります。
また、本来の自分にはやりたいことがあっても、周りからの仕事が多くなると、それができなくなるということもあります。
周りを気にすると、自分の思い通りには生きられないということなのでしょうか。
究極の話、自分を優先させるのか、周りを優先させるのかということになるのですが、私はどちらも大事に!ということだと思っています。
 私は現在、株式会社エス・エー・エスの代表、『SAS真氣光の会』の会長をやっていますが、自分でなろうと思ったわけではありません。
予期せず先代が亡くなって、周りから言われて、引き受けたということなのですが、外から与えられた仕事でも、嫌いなことはなく、逆にこれ以外には考えられません。
この原稿を書くという仕事も、苦手ではありましたが、皆さんがいらっしゃるので何か伝えないといけないと思ってやっているうちに、そう難しいことではなくなりました。
また、最初はストレスもありましたが、できるだけ自分のやりたいようにできています。
自分の思いと、そして外側からの力のおかげで、適度なストレスのまま、時間の経過とともに良い方向に導かれているようです。
これも真氣光のエネルギーのおかげだと思うのです。
(中川 雅仁)
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