私は自分を責める癖があります。 そのループにハマるともっと自分を責めてそこから抜け出すのに大変でした。 センターに通い真氣光の充電をするうちに徐々に気持ちの切り替えが出来るようになりました。 最近、知人からもいい事を教えてもらいました。 どんなにネガティブになって責めそうになる自分も100点!嫉妬している自分も100点!その感情を体験しにきた私。 感じている私100点。 どんな自分も100点!そう思うともっと気持ちが軽くなり心が明るくなりました。 すると、お洋服やネックレスなどオシャレを楽しめるようになりました。 その姿を見た主人は「普通モードに戻った」と、一言つぶやいていました。 今思うと主人は適度な距離を保ちながら、並走するようにして私を応援してくれていました。 元気になったので就職活動を始めるとすぐに仕事が決まり先週から働いています。 鬱を患って11ヶ月、こんなに早く回復出来たことに感謝の気持ちでいっぱいです。 (東京都 自転車で颯爽と通勤しています♪さん)
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今月の歌「ふるさと」を会員用サイトで視聴
早2月になりました。 今年もコロナで振り回される年でしょうか、免疫を高めないと・・明るく明るくです。 貴恵先生の今月の歌「ふるさと」を会員用サイトで視聴しました。 映像に使われている福知山の元伊勢には、4年程前に主人と行きました。 福知山は母と祖父(父方)の故郷です。 その時は、「母の魂が故郷に帰れるように」との思いで、小高い山頂の神社の石段を上がりました。 私は体力がないので途中で息が苦しくて苦しくて、主人を見るとさっさと私の事など気にかける事もなく上がって行ってしまいました。 しばらくベンチに座っていましたがドキドキが収まらなくてどうしようと思って見上げたら、参道の真ん中に杉の大木。 真氣光研修講座で習った「木のエネルギー」のことを思い出して両手で寄りかかってみましたら、あんなに苦しかったのに、スーッと体が楽になって驚きました。 本当に嘘のように元気になりました。 不思議でした。 懐かしく「ふるさと」の歌を聴かせて頂きました。 ところで、3日は節分です。 地方によってさまざまですが、私は、巻き寿司を食べる前に「あははは」と笑ってまるかぶりします。 「笑う門には福来る」です。 (大阪府 Kさん)
何故?!緑内障の診断が結膜炎に変わった
我が家の三女、犬のあかねが最近、目の調子が悪くなりました。 病院で診察を受けると緑内障と診断され、状態が悪く目の痛みから眼球をとらないといけない状態だとの事。 本当に大丈夫かな?と思いながら、正直、私達の氣で不安になりましたが、スタッフさんのアドバイスを受け、氣を届けていました。 すると深夜になるとあかねが、から咳をして悪いモノを出している様子でした。 その様子が2日間続き、娘が様子をみてくれていました。 昨日、再び病院を受診すると先生は「何故?!」びっくりした様子で、緑内障の診断が結膜炎に変わっていました。 近所に住む真氣光を教えてくださった先生にも氣の応援をいただき、みんなが一致団結して氣を送ることで良い結果をいただきました。 (京都府 よしみんさん)
自分の人生を楽しんでしっかり歩いて行こう
先日開催された大阪の真氣光研修講座に参加いたしました。 私は27年前に脳梗塞を患ってから身体がフラつくようになり、最近は高齢なのもあり、杖をついて歩くようになっていました。 今回6年ぶりの研修受講で、会場では杖を置いてしまい、杖無しで歩き回っていました。 置かれた杖が私を見守ってくれているような状態だったのです。 そして、トイレに急いで行く時や、戻ってきて「あ、講義に間に合わない」という時には、小走りまでできてしまったんです!自分でも驚きました。 さらに、膝や腰が痛かったので、もうずっと椅子の生活だった私が、マットにペタッと直接座ることや、ひざまずくこともできたりしました。 本当に、それだけエネルギーいっぱいの会場だったのだなと思います。 私はもう85歳ですし、断捨離や終活を考えていたりしたのですが、これらのことがあまりにも嬉しく、「それもそうだけど、そんなに慌てずに、もっと自分の人生を楽しんでしっかり歩いて行こう」と思うようになりました。 参加できて本当に良かったです。 (大阪府 Nさん)
片付けの絶大なる効果
昨年、会長のYouTubeを見た後、私も普段手が届いていない場所の片付けを始めました。 しかし、やってみたらだんだん苦しくなってきて•••。 片付けを通して今まで先送りにしてきた自分の課題と向き合うことになってしまい、予想外の打撃でした。 打ちひしがれて職場に行きました。 すると今まで見ようとしていなかった同僚の良い点が見えたり、温かさに気が付きました。 また、その日もう一ついいことがありました。 私の職場は事務所の引っ越しを控えているのですが、片付けが進んでいないことを氣に病んでいました。 「1時間だけでいいからみんなで片付けをしよう!」と呼びかけたところ、男性陣が力を発揮して書類整理が一氣に進みました。 すごく嬉しかった。 100%ではないけど職場のマイナスが減少したのを感じました。 苦しいことに向き合って私の魂は少し変化しているのだと思います。 もう少しかかりそうですが作業を続けてみます。 (神奈川県 うさぎさん)
《編集部より》2021年を振り返り『お便り大募集』に当選!後日『い氣い氣ラジオ』で放送します。
息子は頭痛薬を飲まなくなりました
次男が昨年、コロナのワクチン接種をした時にひどい頭痛に悩まされ、それから毎日、頭痛薬が手放せなくなりました。 そんな事もあって、ハイゲンキ7型を購入することを決めて、今月の12日に届きました。 届いてからしばらくして、夜中に息子の部屋から「ドーン」という物凄い音が聞こえて、びっくりして息子の部屋に行くと、息子には音が聞こえなかったらしく熟睡していました。 そしてそれ以来、息子は頭痛薬を飲まなくなりました。 「これは7型のおかげだ」と思いました。 (長野県 Yさん)
氣グッズにスイッチを入れるには
真氣光を学んでから10年くらいになります。 自分がとても苦しくて出合ったのが最初です。 少しは良くなったが、マイナスさんが違う形で出てきて元の状態になる、という繰り返し。 プラスの氣を増やそうとグッズを買い換え、最近は子供や周りの人が悩みを抱えるようになるので、氣を送るようにしたけどさっぱり。 そんな時、ある記事が目に入りました。
それは、 『人は、自分の苦しみを神様と決めてから生まれてくる。 全ての人は平等に生まれる。 人の心(魂)には、一人一人、千手観音様がいて、解決するには千の方法があって、それを自分で学ぶ必要がある。 ほとんどの人は、魂と対話して、できるまでは試せていない。 いろいろな行動(思う・考える・動く)をして、結局、自分を赦していないことに気づく。 その苦しみは生まれる前(前世)で自分がしてきたことだから、それを正すためにこの世に生まれる。 誰のものでもなく自身が招いてきたことである。 』 というもの。
結果を求めず(無の力)、行動することでスイッチが入り、宇宙からの応援が氣グッズに光として届き魂の浄化に繋がるのだと思って、学びを続けてみます。 真氣光は自分治しが目的だと思います。 原点回帰です。 (沖縄県 蓮の花さん)
ハイゲンキ7型ありがとう!
購入した「ハイゲンキ7型」を手にした瞬間、凄い冷氣を感じた(心霊スポットにいる感じ)。 1週間が過ぎた頃からグッズ類、特に「ホワイトセラミックヘッド」や「ハイゲンキミニ・プラス」に良いパワーを感じるようになった。 びっくりするやらうれしいやら…。 また気持ちに余裕ができ、怒りや不平不満などが激減し、日々明るい笑顔で楽しんでいる。 グッズ類や真氣光に対しての考え方にも変化がきていると思えている。 より積極的であることに努めようと思っている。 消極人から積極人へと変わったように思っている。 今後も基本を大切に日々を楽しみ、周りに「喜ばれる存在」を目指して氣を活用していきます。 (新潟県 Sさん)
プラスの言葉を言いながらウォーキング
孫の事で悩みがあり、以前は心がモヤモヤするとそれに囚われていました。 しかし、最近は気持ちの切り替えが早くなりプラスの言葉を言いながらウォーキングする習慣が身につきました。 しかしある日、あまりにも理不尽な事があり、家族と大げんかになりました。 辛くなって「もう出ていく!」と、夜に家を飛び出し近くの公園で気持ちを落ち着かせました。 腹が立って家には居られない反面、その行動に嫌気がさしました。 「私も頑張らないと!このままでは家族がバラバラになる。 マイナスさんの思う壺。 私が変わらなければ!」真氣光をイメージすると気分を切り替え、勇気が湧いてきました。 家族のみんなに喜んでもらいたいと、ケーキを買って自宅に戻りました。 ずっと辛く我慢していた気持ちが出せたことや直ぐに自分の気持ちを変化させられたことは、日々の習慣が身についていたからなのだと思います。 良い兆しが現れたと今日もウォーキング楽しんできました。 (長野県 お花好きさん)
「い氣い氣ラジオ」を聴きながら
「い氣い氣ラジオ」を聴きながら晩御飯の支度をしていました。 ラジオのお話を聴いていて、私も不眠が良くなりつつあったときに音がないと寝づらかったことを思い出し(おかげさまで今は大丈夫です)、「さびしいさん」を意識して氣を受けようと思い立ちました。 早速20分、氣を受けました。 会長のお話がヒントになり、母に…のはずが、まず亡くなった父が寂しかったことを思い出しました。 父は小さい頃に耳を患い、ちゃんと治療を受けさせてもらえなかったとかで、片方が聞こえなくなりました。 生前は、父の諦めのような思いをよく感じていましたが、不満を私は聞いたことがなく、不便だろうなと同情する程度でした。 亡くなってから、「耳のこと辛かったろうな」と思いながら氣を受けたことはあったものの、改めて、父が小さい頃から寂しさを抱えていたであろうことに気づき、その寂しさ辛さに気づかなくてごめんなさい、の気持ちが私に溢れてきて、しばし泣いておりました(T_T)。 (群馬県 かずにゃんさん)