メンバーズの集い、ありがとうございました

今年で14回目、年に一回の行事、メンバーズの集いを7日に開催しました。東京の会場や各地のセンター、さらには遠隔など全国で一度に真氣光を受けていただいた方は723名となりました。年の瀬のお忙しいところ、参加いただきありがとうございました。インターネットを使って、東京の映像を各地に中継しました。たくさんの人が時を同じくして意識を合わせ、真氣光を受けようとすることで、エネルギーは宇宙から強力に地球に集まります。いろいろなマイナスの出来事が渦巻いている社会に、少しでも光をもたらすように、氣を受ける人を通して集まったエネルギーは周りに拡散し、氣の環境を変えるのです。
このメンバーズの集いは、先代が亡くなった翌年‘96年から、当初メモリアルセミナーとして始まったものです。昨日11日は先代の命日でしたが、たくさんの人たちが参加してくれたことが、一番の供養になったことと思います。
よく先祖供養と言いますが、それは死者の冥福を祈って法会を営むこと。法会ですからお経を上げるなど法事・法要が一般的ですが、その根本にある意味は何らかの方法で氣という光を送ることだと思います。亡くなった人に対して「あんな人だった」と思い出すこと、「○○をしてくれた、ありがたい」と感謝の気持ちを持つことや、「喜んでくれるように」と思うことは、すべて光であり氣となって伝わるものです。それによって亡くなった方の魂のエネルギーが増し、生きている人にもまた多くのサポートがあるのです。先代は、自分が与えられた真氣光を広めるという役目に全力を尽くした人です。先代にとって何が一番嬉しいか、何をしたら喜んでくれるかを考えると、真氣光がたくさんの人に利用してもらえること、さらに今回のメンバーズにたくさんの参加があったことは嬉しいことに違いありません。この日は真氣光のエネルギーに先代の力も加わって、皆さんにはたくさんの光が届けられたことと思います。
私が先代と同じ立場、つまり真氣光の会長になって初めて分かった悦びや嬉しさがあります。それは、この真氣光で良くなられた方にお会いすることで、辛そうだった人の顔がすっかり変わって笑顔をみせていただけるときには、何とも言えない悦びがあるのです。また「最近あの方はどうしているのだろう」と思っていた人が、セッションなどで姿を見せてくれた時にも嬉しいものです。これは先代も同じだったと思うのです。
我が家の場合、お墓は遠いのでなかなか行けませんが、先代に喜んでもらえるよう少しでも私のできることをやっていくことが一番の供養になると思うのです。

いつも光に向かって

新聞を読んでいても、テレビでニュースを見ても、明るい話はなかなかありません。新聞もテレビもどんなに悪い状況かを詳しく解説してくれるので、暗い気持ちにならないのが不思議なぐらいです。そんな年の瀬なので、今月の気配り画像は「いつも光に向かって」という言葉を、シクラメンの花の写真に入れてみました。光に向かうとは、逆に言えばマイナスに波動を合わせないということです。つい私たちは、マイナスの氣の波動に敏感に反応し、周りの人や物、さらには悪い出来事の影響を受けてしまいがちです。そしてたいていは、調子が悪くなったのは「誰々さんのせいで・・・」とか「・・・が悪いから」「良くない物だから・・・」などと「自分以外のせい」にするのです。氣は波動的な性質があるということを知っていると、他のせいにできないことがわかります。眠れない夜の時計の音が、やけに耳に付くこともあれば、車中大きな声で話している隣の席の人を尻目に熟睡してしまうこともあります。つまりは自分が受信状態になるかならないかで、身体に入ってくる量が大きく違うということです。例えば「売り言葉に買い言葉の喧嘩」ですが、周りからのマイナスの氣の波動に、自分の波動が同調して自らのマイナスが浮かび上がることもあれば、自分の波動と共鳴して移ることもあります。結局は自分の氣のマイナスが原因ということなのです。それに気がついたら対策はどうするか?「売り言葉」を放つ人を居なくするか、自分が他の影響を受けないようにするかです。長い目でみたら、この先もそのような人の影響を受けることがないように、自分の魂の質を上げることを考えた方が得策です。
そこで対策ですが、ひとことで言えば真氣光を受けることです。その時のポイントは「自分はマイナスの影響を受ける」という事実から逃げないこと、何故ならそこから目をそらす真氣光が吸収されにくくなるからです。私たちはマイナスの影響を受け調子が悪くなるから、そこに意識が向く、つまり一生懸命に氣を受けようという気持になるものです。そして、その時エネルギーの吸収力が最大限に高まるようになっていて、大きな進歩の前には、どうしてもこの過程が必要なのです。
「いつも光に向かって」とは、いろいろなマイナスの氣の影響、つまり影の存在も多い状況の中で、強い宇宙からの光に意識を合わせ、さらに「氣を受けよう」とすること。人間だけでは難しいことも宇宙からのより強いエネルギーを利用することで、魂の向上が容易になるのです。今週日曜日のメンバーズの集いでは、この辺りのことも実習したいと思います。

メンバーズの集いへのお誘い

私が氣を送っていると、受けている人の口を借りて、その人とは全く別人格の身体を失った魂が、話し始めることがあります。私はこれまで、そのようないろいろな魂に出会うことで、既に亡くなった者の視点から、生きていては知り得ないたくさんの事を学びました。先日出てきた魂は、ホワイトセラミックヘッドを持った手を上げながら「なぜこんな物を作ったんだ!」と言って怒りをぶつけてきたのです。さらには「これまで俺たちとは仲良くやって来たではないか」と言うのですが、私は仲良くしたつもりはありません。何の事を言っているのかと考えていると、どうやらホワイトセラミックヘッドができたことで、本来であればまだまだ生きている人と共にこの世を謳歌するはずだったのに、隠れていられなくなった魂達の訴えなのです。このヘッドの登場で真氣光のエネルギーの浸透力が増し、氣を受けている人と、それまで強く一体化していた魂との間に違いが生じてしまい、どうしても誤魔化しや偽りが通用しなくなり浮き上がってしまうらしいのです。ホワイトセラミックヘッドができたのは、私の意思というよりは、宇宙からエネルギーを送ってくれているグループの意のままに動いただけなのです。それを話し、さらには「そうは言ってもこのように出てくる以上は、この光が必要なのでは?」と訊ねると、最初は怒っていた魂も次第に静かになり、やがては光の世界に消えていったのでした。
このように真氣光のエネルギーは、皆さんのお陰で、昨年末のメンバーズの集いから今年の初めにかけて、たくさんのホワイトセラミックヘッドが世の中に出たことで大きく飛躍したのです。今年もまた、そのエネルギーの変化が著しい時期に差し掛かっております。今年は昨年のように新しいヘッドの登場はありませんが、来週末に開催される2008年メンバーズの集いが、また大きな節目になることと思います。垢を落とし来年に向けて少しでも光り輝く魂になれるよう、あるいは今年の積み残しを残らず光に変えられるよう、メンバーズの集いにお集まりください。最寄りのセンターへの参加が難しい方は、遠隔真氣光を受けるだけでも参加できます。当日は、より強い宇宙からの光に焦点を合わせ、私も一生懸命にエネルギーを集めるつもりです。一人でも多くの人の参加が、地球に集まる光の量を増やすのです。ぜひ、お誘い合わせの上、ご参加いただきたいと思います。

(2)氣中継器と氣グッズ

今 回は真氣光の原点とも言うべき氣中継器と氣グッズについて、ポイントごとにおさらいしたいと思います。①『真氣光は宇宙からの高次元エネルギーですから、その特殊な波動を受けるにはそれを受信するための特別な道具が必要になります。テレビの電波を受けるにはテレビが必要なように、真氣光というエネルギーを受けて利用するには氣中継器や氣グッズが必要なのです。それらは“氣入れ”という調整をすることにより、はじめて真氣光のエネルギーが取り出せるようになります。』私は特殊な波動と言いましたが、時代とともにソース(源)を別にするいろいろな波動の集合になってきているのですが、氣入れをすることで全ての波動を一斉にオンの状態にさせます。 ② 『氣中継器とは、私たちの本質である魂に真氣光のエネルギーを注入する装置で、氣グッズはいろいろな用途ごとにそれを補うものです。』ここで「補う」としたのは、ハイゲンキなど氣中継器を持っている人と持っていない人とでは、氣グッズの効果がずいぶん違うことがあるからです。日頃からハイゲンキなどでしっかり氣の充電をされている人、さらにはその家族などには、魂の中に光の粒のように真氣光のエネルギーが入り込んでいるものです。ですから氣グッズのエネルギー量は氣中継器に比べると小さいのですが、氣グッズを使う際に意識することで、魂に充電されていた光と共鳴して、相乗的に作用し大きなエネルギー量になることがあり、それがいつもと違う効果を引き出すのです。 ③ 『氣中継器は、宇宙からエネルギーを集める中継器本体と私たちの魂にエネルギーが
入りやすいように工夫された各種のヘッドから構成されており、コードで接続しなくてもコードレス電話のように本体に集まったエネルギーがヘッドに分配される仕組みです。』体験談で「ヘッドは何も変わらないのにハイゲンキ用パワーシート(正会員継続2 年目に無料進呈)を貼ったら効果が違う」という話をよく聞きますが、原理を知ると納得できます。 ④ 『中継器本体には、家庭や会社・団体にエネルギーが広く行き渡るハイゲンキと、特定の個人にエネルギーを集めるパーソナルHG があります。ヘッドは、使用する際に意識することでエネルギー
の吸収量が上がります。その使い方や用途に応じていろいろな種類があり、どのヘッドも中継器本体に接続できます。』実際にはヘッドを手に取って使用していなくても対象となる人とその先祖などに常にエネルギーが届くということが氣中継器の最大の特徴です。さらには対象となる光の入り口が多いハイゲンキは、その家の大黒柱ならぬ光の柱とも言えるのです。

身近にオーロラを見た

11月も半ばに差し掛かろうとしています。時間の経つのは早いもので暦の上では、着々と寒い冬に向かっているようですが、例年に比べ今年は暖かい?それとも寒いのでしょうか?私は、ここのところ、あちらこちらと慌ただしく移動しているために、季節の変化が感じられずにいます。皆さんは、いかがお過ごしでしょうか。昨日は月刊ハイゲンキの対談取材のため札幌に行って参りましたが、日帰りでしたので周りの風景と言ったら、空港と駅、昼に入ったラーメン屋ぐらいしか印象がありませんでした。お恥ずかしい。
ところで札幌では、オーロラの写真を撮っている写真家の中垣さんにお話を聞いて来ました。死ぬまでに一度は見てみたいと言われる人も多いとか、私も見たことがなく興味はあったのですが、昨日はその映像を堪能させてもらいました。というのも中垣さんは変化するオーロラをカメラで連続撮影し、一枚一枚の静止画写真をパソコン処理により、あたかも実際と同じように動く映像として見せてくれる人なのです。オーロラは夜に見られる光のカーテンですが、太陽や月に比べると本当に少ない僅かな光量です。ビデオ撮影でははっきり映らない色が、中垣さんの方法では実物に近い色で再現でき、本物のように変化するというわけです。満点の星空に彩られる色の変化に、自然は何て美しいのだろうという思いと、宇宙の不思議さを感じます。オーロラは太陽の活動と地球の地磁気に加え大気との相乗効果で光を放つということですが、最近は太陽の活動が活発ではないので、大物(おおもの)が撮りにくくなっているのだとか。さらには地球の地磁気も少しずつ弱くなるので遙か遠い将来にはオーロラが見られなくなるときがあるかもしれないとのこと(その頃には人類も存在していないでしょうが)。刻々と変わる色、二度と同じものは見られないし、それも永い年月の中で変化していく。無常という言葉がありますが、宇宙には変化しないものはない、変わっていくのがこの宇宙のシステムということを感じさせられます。変わりたくないと思っても、私たちも少しずつ変わっています。人々が変わっていくのですから、もしも全く変わらないものがあるとすると、それは逆に変わってしまったと感じてしまうのではないでしょうか。何百年の伝統も老舗の味も・・・、いかなるものが僅かながら変わっている、だから続いているのでしょう。私たち人類も、どうせ変わるなら良い方向に変わりたいものです。宇宙からの真氣光のエネルギーも進化しつつ、それを促しているのです。

希望の光

テレビや新聞では米国での大統領選でオバマ氏が圧勝したニュースで持ちきりでした。6年目に入ったイラク戦争や、‘29年の大恐慌以来とされる金融危機で、米国に閉塞感が充満する中、「変革」を訴えたオバマ氏に期待が集中し、人種の壁を打ち破ったとの報道です。シカゴでの勝利演説では「イエス・ウィ・キャン(そうだ、我々にはできる)」との20万人を超える聴衆の大合唱でした。その映像を見ながら、これだけの人々に“希望という光”を与えられたオバマ氏には、過去に辛い思いをした、たくさんの魂達の応援があったことでしょう。強い光には一見マイナスの影が生じることもありますが、それをチャンスに変えて、さらにこの光を強めて欲しい、日本も、いや一人ひとりが自分自身の閉塞感に立ち向かうために頑張らなければ・・・と思いました。
病気がなかなか治らない、人間関係がなかなか良くならない、家族が・・・、出口がなかなか見つからない、希望が見えないというマイナスの氣による閉塞感はいたるところにたくさんあります。ある意味では、真氣光という氣つまりこの宇宙エネルギーは、これらの“閉塞感”に打ち勝つためのエネルギーとも言えるでしょう。人によって違う問題の解決に、真氣光という氣を受けていただくことで、その人自身に生じる氣づきというかたちで結果を出していこうとするものです。さらにSASは、その真氣光を活用していただけるようにサポートする会社です。もっと言い方を代えれば、一人ひとり違うライフスタイルや家族構成・氣の習熟度・考え方などに合わせて、いかに有効に氣を取り入れてもらえるかがポイントになるわけで、それをご一緒に相談させてくださいというのがSASなわけです。
来月にはメンバーズの集いを開催しますが、それにちなんでいろいろな氣グッズを割引価格にて販売します。もともとたくさんの氣グッズが開発されたのも、先代が夢で教えられ、多様化した人々の生活のあらゆる場面で、真氣光を受けられるようにするためです。できるだけお安くすることで、今まで手が届かなかったものを試せるチャンスになることもあるでしょう。ぜひこの機会にお試しください。また研修講座に参加された方が購入できる真氣光DVDもセールの対象となっていますが、もう間もなく新しい映像になり発売の予定です。地上デジタル放送対応の横長テレビが普及したことにより、画面のサイズが現状のDVDでは横に拡大して写されるため、それに対応したもので、山や海など私が自然の中で発光して録画しました。新しいものには解像度の関係で先代の映像が入りませんので、これまでの物が良い方には今回のセールがお薦めです。

(26)苦しい時の神頼み

「何か面白い話は無い?」私はよく原稿のネタに困ると妻に聞くようなのです。妻は「無い」と答えると、私がいろいろ執拗に責める(笑)ので迷惑だということです。私はあまり意識していないのですが、妻はそれが「苦しいときの神頼み」だと言って笑うのです。私にすれば、神頼みでもないが…という気持ちですが、そんなことを考えながら、このことわざを調べてみました。すると自分が苦境の時だけ、他人に頼る身勝手さのたとえとあります。「自分が悩んでいるのだから、お前も考えて当たり前」のようなところがあり、確かに身勝手なものだと少々反省いたしました。しかし、このことわざ、良く考えると氣の観点から非常に興味深いので、今回のテーマに使わせてもらうことにしました。 と いうのも苦境に立たされているときほど、氣の効果を実感できるものです。氣とは波動的な性質があるものですから、信じようとすればその分だけ、あるいは氣を集めよう・氣を受けようとすればその分だけ同調作用が働いて吸収率が増します。ですからハイゲンキも、苦境に立たされ必死になってやっていると、効果が引き出されるということがあるのです。以前ある方に、山中で一人、車のバッテリーが上がって困り、ボンネットを開けてハイゲンキで氣を照射したらエンジンがかかったという話を聞いたことがあります。この方の場合は、普段からもよくハイゲンキを使っていて良さが実感できているからこそ、そのようなときにも手元にあり、咄嗟に「使おう」とひらめいたのだと思うのです。 話 を元に戻しますと、苦しいとき困ったときに神に救いを求めるのは、恥ずかしいことでもなく、氣の効果を引き出しその良さを実感できることに繋がります。しかし、このことわざが批評している、自分の都合だけで相手を利用し、事がすめば、「はい、さようなら」とする身勝手さは、注意したほうが良さそうです。ハイゲンキで氣を受けるのも身体の調子が悪いときばかりではなく、日頃からよく使っていただきたいと思います。私たちの周りにはご先祖様のように、数限りなくたくさんの方々が居ます。ハイゲンキからのエネルギーは使っている人の魂を輝かせ、さらにその人を通じて縁の深いところから順にエネルギーが浸透していき、その背後の霊的な存在にも行き渡らせるのです。自分のためだけではありません。もしかするとあちらの人が、ハイゲンキを使って欲しくて、あなたが真氣光を知ることになったのかもしれないのです。そのようなことを記憶に止め、末永くそして毎日のようにハイゲンキを使って欲しいのです。

(60)霧の中で彷徨う魂たち

私が真氣光を送っていると、氣を受けている人の口を借りて、別の人格が出てくることがあります。その人に影響を与えている魂で、大別すると、辛い苦しいなどマイナスの感情をもっているものと、子孫を思う先祖や守護霊などプラスの感情をもつものがあるようです。ある時、氣を送っていると出てきた魂は、辛くも苦しくも悲しくもないが、ただ行き場が無いと言います。その魂が話した内容は次のようなことでした。「何がいけないんだ、何も見えない。霧の中に置き去りにされているようだ。私は苦しくも悲しくもない。私の家族は幸せに生きている。誰かを恨んだり呪ったこともない。私は普通に生きたんだ。この世には何の未練も無い。自然にあの世に行けるものではなかったのか。そりゃ死ぬ時は少し苦しかったが、今は苦しくもないんだ。死んでから行くところが無いなんて不思議なものだ。何も要らない、なのに何故行く場所が無いんだ。生きている者に迷惑もかけたくない、世話にはなれん。・・・この霧の中には、会うことはできないが、他にもたくさんの人が立ちすくんでいるようだ。・・・」私は一生懸命に真氣光を送りましたが、なかなか光が見えてこないようです。しばらく時間が経過して、その魂は話し始めました。「何かがはっきり見えるのではなく、霧が薄くなって光が見えてきた。あの光になるということか?この光になったらどうなるのかなぁ、悪い気はしないが・・・」そして最後に「この光の方に行けば苦しいことも無さそうだ」と言って消えていったのでした。 こ れまで、いろいろな魂の話をしてきました。たいていは辛いとか苦しいという強いマイナスの感情に支配されていますので、分かって欲しい、早く楽になりたいという思いがあります。自ら何か楽になれるすべはないものかと必死に求めているがゆえに、最初は真氣光の光が怖くて受けることを拒んでも、次第に楽になっていくことがわかると、光の良さを理解しやすいという特長がありました。ところが、この魂は、そういうわけにはいきませんでした。強いマイナスの感情は無いけれど、行き場がわからなく彷徨う魂の辛さがわかります。そして、今そのような魂がたくさん存在しているようなのです。テレビなどの影響でしょうか、魂の存在を信じている人が増えていると言います。良いことですが、死んでもすぐに生まれ変われるという誤解もあるようです。実際には、亡くなった人を光に導くのはたいへんなことなのです。私は、それができる真氣光の素晴らしさを多くの人に知ってもらいたいと思うのです。

続けること

おめでたい話が新聞の一面を飾るのは久しぶりかもしれません。ノーベル物理学賞が、素粒子の権威、南部陽一郎さん、小林誠さん、益川敏英さんに、さらには化学賞に下村脩さんが決まりました。これで日本人の受賞者は16人目とのこと、日本の研究水準が改めて世界に認められたとの報道もありました。私は特に「日本人」にこだわることもないと思うのですが、日本人ということでいろいろな逸話が報道されることが勉強にもなり、さらにはすごく親近感がわいてくるというものです。
下村さんは、発光する生物から発光物質を取り出し、その仕組みを研究してきたということです。新聞記事の中で言っています。「僕は十何年かけて85万匹のオワンクラゲを採取した。100トンは超すでしょう。何十人もの人を雇いました。家族も手伝ってくれた。ノーベル賞はその副産物なんです。」どんな研究も相当な労力がいることだと思います。似たようなことを何回も、何回も気が遠くなるぐらい繰り返し、一歩一歩真実の解明に近づくのでしょう。途中で嫌になることもあるでしょうが放り出すことなく地道に淡々と続ける、なかなか出来ないことです。「子どもたちにはどんどん興味を持ったことをやらせてあげて。やり始めたら、やめたらダメですよ」とも言っておられます。「これだ」と感じるものがあり、それがすべての原動力になっているのだと思うのですが、ご自身の経験がお有りだから言える言葉だと思います。
研究ばかりではなく、輝かしい成功談には、いろいろな苦労話が付きものです。氣の観点から言えば、どんな人にも守護霊さんのようなプラスの氣の応援がある一方、マイナスの氣も働いていて、その人に対し一見邪魔をするように働くものです。辛いときに、心配やイライラ、不平や不満など、つい洗心の御法度の心に支配され、マイナスの氣を集めやすくなるのです。特にその人の魂が大きく輝こうとするときに、それを阻むかのように働くものです。しかし、ご先祖や守護霊さんのような存在が必ず一生懸命支えようとしているのです。私は、真氣光で病気が良くなった、自分や、さらには自分を取り巻く環境が変わったなど、いろいろな人の体験談を聞いて来ましたが、真氣光を続けるうえでも同じようなことが言えます。いろいろな一見マイナスの出来事が出てくるけれど、それに惑わされることなく、淡々と真氣光のエネルギーを魂に取り入れるということ、それによって、その人自身の魂の輝きが増し、宇宙からの応援も届きやすくなるのです。

「人を愛す」とは

私が、この株式会社エス・エー・エスに入社したのが、ちょうど15年前の‘93 年10月1日です。入社後しばらくは、先代が各地でやっていた体験会やセミナー、当時下田でやっていた研修講座の裏方スタッフをやりました。先代や関先生に同行してヨーロッパにも行きました。‘95年3月に先代は倒れ3ヶ月ほど入院していましたので、先代が亡くなる‘95 年12月まで実質2年ほどですが、先代の話を直に聞いて真氣光が勉強できました。当時そんなに早く亡くなるとは夢にも思っていませんでしたが、今思えばこの2年という時間は貴重で、前の会社も居心地が良かったものですから、もう少し長居していたらどうなっていたのだろうと思うと、やはり神計らいのような気がします。考えてみると、偶然のようにして教えられていることが多々ありましたが、先代が亡くなる直前によく言っていた「意味の無いことは起こらない」ということですから、すべて意味のあることだったんでしょう。ただ、先代がよくサインに使っていた言葉「神を信じ人を愛す」については、「良い言葉だけれど、どうして思いついたのか?」という私の問いに「ふと、ひらめいた」との答えだったので、それ以上詳しく聞かなかったことを後になって後悔したものでした。しかし私は会長になってから、「すべては私たちを成長させてくれるために宇宙が用意しているのだから、それを信じよう」という「神を信じ・・・」の意味がよくわかるようになったおかげで、大きなストレスも無く今までやってこれたのだと思います。
ところで「人を愛す」については、どんな人にも「愛」というプラスの氣を送ることだと理解して来ましたが、どうも今一つよく分かりませんでした。たとえば隣のおじさんに対しても「愛す」のか?など、どうも愛という言葉について馴染まない感じがしていたのです。そんなところに氣を受けていたら宇宙から「あなたたちの言葉では敬愛という言葉が当てはまる」と教えてくれたのでした。尊敬して親しみの気持をもつことという意味ですが、これならよく分かるのです。たとえばどんな人にも自分には真似のできないことや体験がありますから、素晴らしいと思うところは見つけられるわけで、それは敬愛の心です。誰もがお互いに、それぞれの輝いているところを認め尊重しあえること、これはいいとこ探しにも通じます。月刊ハイゲンキ11月号の真氣光教室で、また今度の真氣光レッスンでもこの敬愛について少しお話ししたいと思います。