北海道での研修講座を終えて

今週は北海道での真氣光研修講座を終え、少しゆっくりしたいところでしたが、名残惜しくも北の大地を後にして、その日のうちに暑い東京に戻りました。
研修講座には地元、北海道にお住まいの方々を中心に58名の方が集まってくださいました。
「研修が北海道であるおかげで参加できました」という嬉しい声をずいぶん聞かせていただきました。
私自身、数年前には、故郷北海道で研修講座を開催できるとは夢にも思っていなかったので、感慨深いものがありました。
 研修会場は、札幌から1時間程、石狩平野の真ん中に位置する新篠津村の温泉施設でした。
真っ直ぐな道路、拡がる畑や水田、太い石狩川が広い大地を蛇行しながら流れていく様子が一望できるようなところです。
初めての北海道開催でしたが、大盛況のうちに終えることができました。
参加くださった方々、ありがとうございました。
皆さんのおかげで、たくさんの見えないご先祖様にも光が届いたようでした。
 講座中には、アイヌの人たちの魂の声を感じた受講生がいらっしゃいました。
また受講生のお一人が、会場近郊のアイヌの人たちの歴史について詳しく、いろいろとお話しくださいました。
明治初期、800人を越えるカラフトアイヌの人たちが、樺太から強制移住させられ、そのうち半数以上の人たちが慣れない土地での疫病により、差別や偏見を受けながら亡くなったとのことです。
北海道にはたくさんの先住民族であるアイヌの人たちがいましたが、ここにもたくさんの悲しい歴史があります。
 明治に入って急速に開発が進んだ北海道は、新天地を求めて本州から渡ってきた人たちによって開拓されましたが、この土地特有の歴史があります。
希望に燃えて移住した人たちの中にも、住み慣れた土地を後にしなければならない辛い理由があったり、どこの地にもあるようですが戦い、強制移住や強制労働といった話もたくさんあったようです。
このような出来事に巻き込まれた人たちには、“自分の意思ではどうにもならない”という思いも強くあったことでしょう。
どんな人にも、自分の意思、自分の力だけでは、どうにもならないことがあります。
特に自然が相手の場合には、どうすることもできませんが、長い冬をじっと耐えて春が来るのを待つように、先ほどのアイヌの魂たちは、光が来るのを待っていたように感じました。
 真氣光が宇宙からもたらされた理由は、既存の何ものでも解決できないことが、多くなってきたからだと思うのです。
つまり、どうしようもできないことを、宇宙からの手助けと、自分自身の努力によって、“幸せなこと”にしていくのが真氣光だと思うのです。
ですからたくさんの人に活用してほしいと思います。
(中川 雅仁)
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お盆向けの氣グッズ

明日から7月の真氣光研修講座が始まります。
そして、子どもたちはもうすぐ夏休みなんですね。
学生時代は、待ちに待ったというほど嬉しいものでしたが、そんなトキメキ!?も無くなって、ずいぶん日が経つような気がします。
毎日、仕事に追われていると、心の余裕と一緒に季節感も無くなってしまいますから、注意が必要です。
そんなことを考えていたところ、近くのスーパーに買い物に行くと、お盆向けの商品が一番目立つところに陳列されていました。
「ご先祖を気持ちよく迎えるために盆棚の飾りを」東京では7月にやるのだとか。
我が家もそうですが都会特有の住宅事情から、きちんと飾ることはできないところも多いでしょう。
しかし、ご先祖に意識を向けるお盆という風習は残って欲しいものです。
 先日の真氣光レッスンでもお墓についての質問がありましたが、特にこの季節はご先祖様について、質問されることが多いものです。
私は、氣を送ることでたくさんの魂さんたちに出会った経験から、分かることをお答えしています。真氣光は氣を受けている人の魂のエネルギーを増やします。
その結果、その光のようなエネルギーは周りにも及ぶようになり、家族や友人、先祖へと自然に届いていくのです。
ですから、お墓が遠くてなかなか行けない、お墓や仏壇が無いなど、いろいろな悩みがあっても、真氣光を受けることでそれらが解決していくのですから有難いことです。
 ところで私たちの先祖を遡ってみると、お墓に入っている人ばかりではなく、限りがないほどたくさんのご縁ある魂さんがいるものです。
戦いで亡くなった、いろいろな事情で手厚く葬られることなく亡くなったなど、光が届いていなかった魂さんも多いのですが、真氣光の素晴らしいところは、そのような方々にも光が届くことなのです。
 ところで、この季節にいろいろな氣グッズの中でも、注目されるのが水晶やチタンプレート、大判プレートです。
これまでにもこれらをお墓や仏壇に入れたところ、こんなに変化がありましたという、報告をたくさんいただいています。
私たちが意識できることで、そちらに真氣光のエネルギーが集中的に届いていくということだと思います。
 仏壇が無いお宅でも「○○家へ」と刻印したチタンプレートや水晶が仏壇代わりになってくれることがあります。
何も無いよりは、何かお参りできるモノがあることで、私たちは意識しやすくなるものです。
先祖を思うプラスの氣が、真氣光のエネルギーと一緒になり、届きやすいところから順に、限りないほど上の世代へと届いていくのです。
ぜひお試しください。
(中川 雅仁)
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(61)光を失った魂が増えている

最近は、考えられないような凶悪な犯罪が多いですね。
いろいろなことがあると慣れてしまったのか、少々の事では驚かなくなってきました。
さらにはテレビや新聞のニュースを真剣に見たり読んだりしていると、どんどん気持ちが暗くなりますから、防御反応のように自然に遠ざけていたりします。
 私はこの数年、強い危機感を抱いていることがあります。
それは亡くなって肉体を失ってしまったのに、あの世といわれる世界に帰れない、エネルギーを失った魂が増え、地球上にいろいろな弊害をもたらしていることです。
病気ばかりではなく、常識では理解できないような事件や事故など、さまざまな問題が私たちの身のまわりに生じているのも、このことと無縁ではないと私は考えています。
 この地球では、飢餓やそれによる病気で毎日2万5千人ちかくが亡くなっています。
飢餓や紛争のない日本でも、交通事故や自殺などで毎年百万人以上の人が亡くなります。
亡くなった人の魂は、まわりに存在するマイナスに傾いた魂の影響が強いと自らの魂もエネルギーを失うのです。
つまりマイナスの氣が分厚く蓄積してできてしまった暗い霧のようなものに閉ざされて、立ち往生する状態です。
むこうからの光も届かず、またこちらの魂のエネルギーも弱くて、行くべきところを見つけることもできない。
魂は霧のなかで、たったひとり、ここはどこなのだ? と自問自答しながらどこにも行くことができません。
魂の世界は、死のない、無限とも思える時間が続く場所ですから、迷いは深くとてもつらいものです。
 こうした光を失った魂は、自分がどこにいるのかもわからず、自分自身ではどうすることもできません。
身近な血縁者や縁ある人にすがったり、ときには自分とよく似た波動を持つ人の体に入ってしまうこともあります。
それによって体調不良や病気になったり、ストレスが増えたり人間関係が悪化する、などなど・・・「魔が差す」こともあり得るでしょう。
昔に比べると、よほど自分がしっかりしていないと、ほんの少しの「隙」にマイナスの氣が同調してきて雪だるまのようになりやすいのです。
今、縁あって真氣光を知ることになった皆さんが毎日の生活の中で真氣光を受けていただくということは、自分自身の魂のエネルギーを強めて「隙」をつくらないばかりか、周りにもたくさんのエネルギーを与えることになります。
ですからハイゲンキをはじめ、身のまわりのあちらこちらに氣グッズを配置して活用していただきたいと思うのです。
(中川雅仁)
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すべてのことには意味がある

 今、新しい本を作っていて来月には出版とのことです。
私は、しばらくのあいだ連日の原稿書きに追われ、少々頭の中がおかしく(笑)なっていましたが、やっと一段落といったところです。
「もう原稿はうんざり」と言いたいところですが、根が好きなんでしょうか?こうやってこの原稿を書いています。
ところで、私が本を出すなんて、サラリーマン時代には考えられないことでした。
でも不思議なものですが、その時代には会社での実験と報告書の納期に追われるあまり、自由な生活ができる(当時はそんなふうに見えた)小説家になりたいと思ったものでした。
今では、いつも原稿に苦しんでいる私を見て、妻がニヤニヤしながら「あなたの希望どおりになったじゃない」と言うのです。
私は返す言葉もありません。
当時そんなことを思ったのも意味があったのでしょうか。
 ところで、こういうことになったのも先代が‘95年12月に亡くなったからでした。
その年の3月、先代は一度倒れたのですが、6月には驚くほどの早さで復帰し、亡くなるまでの半年で、セミナーを開いて全国を回りました。
少し体に不自由な部分が残っていたので、私はどの会場にも付き添って行きました。
そのときの話の内容は、自分が病に倒れた経緯に始まり、氣づきというものの重要性まで、病に倒れたという一見マイナスの出来事ですが、おもしろおかしい話にしていました。
何回も聞くうちに、私の頭の中にこびりついた言葉が「すべてのことには意味がある」というものでした。
先代は、すべてのこと、たとえ悪い出来事が起こっても、それには意味があり、それに気がつくことが重要だということを話していました。
 どんな人も「すべてのこと」の一番始まりは、生まれたということでしょう。
その家に、その土地に、そしてこの時代に生まれた、・・・大きな意味があるのでしょうね。
先代は、その時は分からなくても後になって意味があったと思えるものだとも言っています。
自分自身で生まれる場所を選んでくると言う人もいますが、私は神とも言うべき宇宙の大いなる存在が、その人の魂の成長に最適な場所を選んだのだと思います。
そういう意味では、切っても切れない縁がある、親子という関係は、もっとも根本的な氣づきの原点とも言えそうです。
父である先代が教えてくれた、この真氣光というエネルギーは、私自身の毎日の生活に無くてはならないものです。
まだまだこの先、いろいろな意味があることに巡り会いそうです。
(中川 雅仁)
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(28) 紺屋の白袴

猫の手も借りたいほど忙しい日々が続いており、私は少々気持ちにも焦りが出ておりました。
原稿を書こうとパソコンに向かったのですが、何から手を付けて良いやらわかりません。
咄嗟に妻に、何かおもしろい話はないかと訊ねていたのです。
どうも苦境に立たされると、その台詞が口から出るらしく、妻からは「紺屋の白袴」との返答です。
妻曰く「焦るときはマイナスの氣の影響を受けているのだから、氣を受けてくださいと、あなたはいつも言っているではないですか」「音氣でもかけたら」とのこと。
私は痛いところをつかれ、早速音氣CDをセットして、パソコンに向い、このことわざの意味を調べてみたのでした。
辞典には『自分の専門のことや技量を自分には用いないことのたとえ、医者の不養生』とあります。
私にとっては何かの教典のようなお言葉です。
少々反省しながら、これは自分への戒めとして、似たようなことをずいぶん前に決心したことがあったと思い出しました。
この話は、研修講座ではよく皆さんにお話しているのですが、先代が亡くなり、私が会長になったばかりの頃です。
当時皆さんには「毎日ハイゲンキを使うと良いですよ」とお話をしていましたが、私自身疲れたり体の調子が悪いときにはハイゲンキをしていましたが、今のようにいつもは使っていなかった時期でした。
30代ですから、まだ今よりは若かったということもあり、疲れも一晩寝ると取れたような気がしていました。
ところがマイナスの氣は知らないうちに溜まるもので、あるとき右の腕がしびれて全く上がらなくなってしまったのです。
寝返りを打つのも痛くて熟睡できないという状態です。
私は、その時には、祈るような気持ちでハイゲンキを一生懸命に使ったのでした。
おかげさまで、その後順調に回復して一週間ほどで何事もなかったかのようになりました。
そして、これは「毎日ハイゲンキをやりなさい」と先代に教えられたと思ったのです
(先代も晩年脳溢血で倒れてからは、右側が不自由でしたから)。
私の場合、会長という立場ですから、真氣光については皆さんに向かって立派なことを言わなければならないわけですが、その分、自分自身の行動が上の方からも観られているような感じがします。
真氣光の波動が少しずつ強くなっています。
ですから、ますます私も精進しなければならない気持ちと、そうすることで、皆さんにもより強い氣を利用していただけると思うのです。
(中川 雅仁)
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地球人という生命

何気なくつけたテレビで、大学の先生が「生命とは何か」という話をしていました。良く考えれば、非常に定義が難しいものです。
その先生は、「自分で動く・予想もしない動きをする」という点に着目して、ロボットなどに応用しようと研究しているようでした。
私はこれまで、氣を送ることでたくさんの魂たちに遭遇してきましたが、彼らは体というものが無いので動きという視点では捉えられません。
しかし、自分自身の意思や心を持ち、こちらが思ってもみなかった言葉を伝えてくるのですから、やはり生命だと思うのです。
そう考えると、この地球には、私たちのご先祖様のように目には見えないけれど、エネルギー体としてのたくさんの生命が存在することになります。
 ところで私は、氣を受けていると、自分の意識とは全く違う何かがメッセージを伝えてくることがあります。
彼らはエネルギー体ですので、姿かたちはありません。
宇宙にもたくさんの生命が存在しています。
こんな言葉を聞いたことがあります。
「なぜ地球人はモノを作るのが好きなのか、モノに囲まれゴミをたくさん作り宇宙に打ち上げ、なんとも興味深い」彼らには体が必要ないのですから、モノは必要ありません。しかし、地球人は愚かなわけではないと私は思います。
まだまだ進化の途中です。
確かに不必要に多くを所有したくなる我欲は不要ですが、体を維持しなければならないのですからヒトにとってモノは不可欠です。
サルなどの動物と違って生まれてすぐから、着て、食べて、住んで・・・すべてにわたってモノがなければ生きてはいけません。
モノが悪いわけではなく、利益至上主義の中での「売れるモノ」という見方しかできなかったために、宇宙的に調和のとれたモノが作れなかっただけなのです。
良いモノを作ろうと、自分の意識を高めることも、モノを通してたくさんの人が協力することもできます。
そのモノや、それに携わった人に感謝することもできます。
不自由な体を持っているがゆえに、強い心が芽生え、魂のエネルギーは大きく増えるのです。
マイナスのほうに意識がぶれることもありますが、それをクリアしたときにはプラスに意識を転換し、魂のエネルギーを飛躍的に向上させることもできます。
さらにはマイナスのほうに意識が向いた人をサポートすることで、大きく自分自身のエネルギーを増やすこともできるのです。
マイナスがあるから強いプラスもできる。
プラスの意識しか持ち合わせない宇宙人には興味深い研究対象でしょう。
真氣光は人の心に働きかけマイナスをプラスの状態に変えるエネルギーです。
特に現代のヒトという生命には、無くてはならないエネルギーだと私は思うのです。
(中川 雅仁)
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阿蘇での研修講座から

 私は、11日~14日まで熊本・阿蘇で第224回真氣光研修講座を開催しております。
昨年もこの場所で開催しましたので2度目になります。
今回は、九州ばかりでなく東京や東北、北海道から36人の皆さんが参加してくださいました。
梅雨時期にも関わらず研修初日から晴れ間が見え、私も阿蘇の雄大な自然を満喫しております。
 2日目の今朝は、今回初めてのいいとこ探しとなりました。
先月真氣光を知ったという方も手を上げてくださり、予定の時間が足りないぐらいでした。
十年前から、さらにはそれ以上前から真氣光を始めたという人も、たいへんだった時期を乗り越え、今は幸せになれたというお話を発表してくださいました。
いろいろな縁ある方のお話は、どれも学びになります。
 私は発表を聞きながら、以前に真氣光を送っていて出てきた一人の魂さんの話を思い出しました。
その方が真氣光の光について言われたことを要約してみます。
「魂のことが分からない人に、この光のことは真に分かるはずがない。魂が肉体を離れて、どのような状態になっているか、死んでみなければ分からないだろうから、見えないエネルギーというものがどのように関わっているか理解しにくいであろう。この真氣光で魂が光に変わることが自分自身で感じられれば良いのだろうが、自分の考えや欲望で見えないエネルギーというものを感じようとすると駄目だ。自分にとって都合の悪いこと、一見良くないことが出て来ても、ただ一つのものを求める。そうすれば悪いことは起こらない。見方を変え解釈をつけて、自分の都合で良い見えないエネルギーをあれこれ選んで使っていると、一時的には都合の良い現象を見せてくれても、結果は幸せにはなれない。 『強く』ということがある。自分を信じ前に進むこと。辛い道でも強く進むということである。難しいであろう。何を信じたら良いか、分からないのが人の心というもの。しかし、結果を見ると良い。その時は辛くとも、後になれば良かったということ。その時は、楽しく幸せなことであっても、後になって自分や周りが幸せでないことがある。自分が辛くとも、自分を信じて心を強くもつということは、自分に都合の悪いことが起きたり、またマイナスの氣によって弱味につけ込まれても動じないことだ。」
 ベテランの受講生さん達が言っていた、ただ一筋に真氣光をやって来て良かったという「結果」は、自分自身を信じて心を強くもてた現れだと思います。
そして、その言葉が、またたくさんの人たちの『強さ』にもなるのだと思うのです。
中川 雅仁
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真氣光ビギナーズ(5)見えない氣の世界

 先代の時代からSASでは「氣」の文字を使っています。
「氣」の語源には、いろいろな説がありますが、先代が、よく言っていたのは、「氣」は「米」と「气」から成り、米からフワフワと立ち上るエネルギー(米のオーラとも言える)を「气」の部分が表わすという説です。
何かはっきりしないけれど、確かに存在するエネルギーのようなものに氣という文字を使ったというのです。
つまり氣とは、科学では測定できないし目には見えないけれど、宇宙に存在する多種多様なエネルギーの総称です。
 人や動・植物、物、土地などあらゆるものが、それぞれの氣を持っています。
私たちのまわりにも、私たちの体の中にも、氣は満ちています。
さらには、念力や呪い、祈りや祈祷など、見えないエネルギーとして氣を使った歴史が、日本ばかりではなく、世界の国々に存在します。
ですから氣にはいろいろな種類があるのですが、科学が発達した現代の世の中では、科学的に証明できないものは軽視されがちです。
しかし先代は、このような時代だからこそ、目に見えない氣というものが、とても重要になると言って、この文字を大事にしたのです。
 私はサラリーマン時代、氣の世界を知りませんでした。
グループの責任者として仕事をしていましたが、部下の失敗、上司とのトラブル、仕事の遅れ、自分自身の体の不調など、なかなか改善しませんでした。
目に見える物理的なことを軽視して良いということではないのですが、見えない世界に原因があるのかもしれないと真氣光を受けるようになってはじめて好転したのです。
私自身、これまでの「プラスの氣」としての真氣光を上手く利用できるようになった歴史をふり返ると、そこには私の周りにある「マイナスの氣」をよく知ることでもあったわけです。
一言で言えば「周りのせいではなく自分のせい」、マイナスの氣に足を取られることなく、真氣光で自分自身のエネルギーを高めることでした。
 真氣光を受けることで、私たちの周りに一見マイナスな現象を起こす「マイナスの氣」は、簡単なものから薄皮を剥がすように消えていきます。
最初は分かりやすい形で表面に現れ消えていくのですが、だんだん分かりにくくなり、周りの人やモノを使って私たちを巧妙にマイナスの心に傾けようとするものです。
人のことは分かっても自分のことはわかりにくく、ついその影響を受けてしまうのが私たちです。
しかし、見える世界にばかり氣をとられることなく、マイナスの氣を意識できたとき、真氣光のエネルギーは届きやすくなります。
氣の世界を深く知るとは、どんなマイナスの氣にも負けない強い心を持てるようになることだと思うのです。
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氣のこもった食事と真氣光

先日、月刊ハイゲンキの取材で佐藤初女先生にお会いしました。
先生は龍村仁監督の映画「地球交響曲第2番」に出演されておりますが、龍村監督とのご縁で、12年ほど前に岩木山の麓にある「森のイスキア」に行き対談させていただきました。
さらに当時、先生に来ていただいて、東京や生駒でセミナーなども開催し、「食べ物は、いのちであり、それをおいしく調理して、いただくことの重要性」について教えていただきました。
今も変わらず先生は、森のイスキアでの活動の他、全国を講演などで回っておられ、88才とお聞きしましたが、ますますお忙しいご様子でした。
たくさんの方の悩みを聞き、何らかの希望を与えられることが、先生のエネルギーになっているようでした。
 氣は誰でも持っているエネルギーです。「氣を入れて」という言葉がありますが、調理や食事は、毎日欠かさずすることでもあり、私たち誰にとっても重要なことです。
氣をこめて作った食事は、特別なおいしさがあるばかりか、良い氣のエネルギーが宿り、体や心にも届くのでしょう。
対談中に、先生のおにぎりをいただきましたが、やはりおいしく、いくつでもお腹の中に入ってしまうようでした。
先生のご厚意に甘えるかたちで、お昼どきに時間を設定していただいて、対談というよりはご飯をいただきに伺ったようで、誠に幸せなひとときでした。
食材と食べる人のことを思う、先生のやさしい気持が、食べ物に刻み込まれているようでした。
 帰宅してから妻にこの話をしたところ、「よかったわね、初女先生の良い氣をたくさんいただけたわね」とのこと。
続けて次のような彼女の失敗談も聞かされました。
夕食の支度中に妻の友人から電話がかかり、手慣れた料理だったので長電話をしながら料理を続けたら、予想もしないほど氣が抜けた味になったというのです。
私は、そうとは知らずに食べていたのですが、ひょっとすると度々そのようなことがあるのか・・・ときどき気が抜けた料理を食べさせられているのかもしれません。(笑)
 真氣光という氣のエネルギーも、毎日食事をとるように、欠かさずに受けることで、魂にエネルギーが充電されていきます。
さらには「氣を入れて」ではありませんが、真氣光のエネルギーがハイゲンキや氣グッズを通して入ってくることを意識して受けられことで、より吸収力は上がるのです。
新型インフルエンザが流行しているこの頃です。
免疫力を下げないためにも真氣光をしっかりと受けてほしいと思います。
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すべては変化している

 私は各センターで「中川雅仁の氣のお話と氣の体験会」という無料体験会を開催しています。
初めての人に氣を分かってもらうのは、なかなか難しいものだといつも思います。
見えないエネルギー・氣というものがあり、心の状況に応じてマイナスの氣、プラスの氣が発せられるということ、それに同調して周りから同じ氣が集まるということを最初にお話ししています。
例えば「笑う門には福来たる」というように、「笑うというプラスの氣を出せることでプラスの氣が集まり幸せになれるのです」というようなことです。
私は誰にでも分かる話だろうと、この「笑う門には・・・」をよく使っていましたが、先日新聞を読んでいてびっくりしました。
この言い伝えを聞いたことがない人が4割、知っている人は6割、そのうち1割弱はこの言い伝えを気にしないということなのです。
これはインターネット調査会社が四月下旬に実施したもので(有効回答数1032)、年齢層はわかりませんから若い世代ということかもしれません。
最もポイントの高かった言い伝えは「ご飯に筏(はし)を突き立ててはいけない」という言い伝えで、これを気にする人は7割を越え、2割が聞いたことがないということでした。
 新聞では、親から孫へと代々語り継がれてきた言い伝えというもので、核家族化で伝承も途切れがちだが、それでも現代生活に根付いたものが少なくないとの内容でした。
良い言い伝えは残していきたいものだと感じたのですが、一方では変わっていくことも仕方がないことで、私も初めての方への体験会などでは、さらに良い説明を考えなければと勉強になったのでした。
 宇宙から伝えてくることには、この宇宙に存在するものは全てが変わっていくものであり、宇宙の成長は立ち止まることが無いということですから、常に変化していくのは当然なことなのでしょう。
人が変わっていくのですから、変わらないと思われる伝統なども少しずつ変わっていっており、だから続けられているということなのだと思います。
 そう考えると、周りがすべて変わっているのだから、自分が変わらないのは辛いことです。
自分自身を常に変化させるよう努力していくことで、その結果、徐々に自分が変わって幸せになるのだと思います。
宇宙から真氣光のエネルギーがそれを後押ししてくれます。
そしてさらには、この真氣光というエネルギー自体も強いプラスの氣に変わっていくのは当たり前のことであり、それに波動を合わせられるよう私も日々真氣光を受けながら、精進しなければと思うのです。
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