今週は、インターネットで手軽に真氣光が受けられると好評だった旧ホームページ上の「氣を体験しよう」に変わるものを制作しようと、数日部屋に籠もりビデオの編集作業をしておりました。
この「体験しよう」のコーナーは、インターネットに接続できる人は、誰でも短い時間ですが真氣光に触れられるという便利なモノなのです。
私の記憶するところでは、治安の悪いアフリカで氣を受けていたという人が数年前にセンターに来てくれて、当時すごく感激した覚えがあります。
先週お話ししましたが真氣光のホームページがリニューアルすると同時に、この体験コーナーも従来の「音氣BGM+私の写真」ではなくて、私が氣を送っている実際の映像にしたいと準備しておりました。
今回の話は、私の作業が少々遅れており、それが遂に完成したということなのです。
映像の元は各地のセンターや気功体験会で上映している真氣光DVDの中から、沖縄の海のシーンと同じ日に収録したものです。(この真氣光DVDの話は2008/12/19の本ニュースで詳しくお話していますので、そちらを参照下さい。)
3分という短い時間ですが、集中することで以前のものよりも多くの氣が受けられるはずです。
ところで、図らずも明日から始まる真氣光研修講座開催のため、私はこれから沖縄に行くところなのです。
各地で研修講座を開催するようになり、今年に入って2月の神戸・須磨、9月の宮城・松島と初めて開催する場所も増えてきましたが、こんなに早く沖縄で開催できるとは思ってもいませんでした。
今回開催できるようになったのは、研修講座に興味を持っていただける沖縄の皆さんが多くなったこと、さらには沖縄にご縁を感じて全国各地から参加していただける方がいらっしゃるおかげなのです。
研修講座は参加していただいた方、その方にご縁のある方ばかりではなく、その地域の場にも真氣光のエネルギーが届くことがわかっています。
どんな土地や場所にも過去に生きた方々の苦しみや悲しみ・辛い思いが残っていますが、この宇宙からのエネルギーは、それを楽にするばかりか、それぞれの魂の光を増やす結果、今生きている人たちへの応援の光が増えるかたちとなるのです。
今回の研修講座開催も、以前からたくさんの会員の皆さんが使用してくださっていた真氣光DVDを通して沖縄という場に光が増えたから実現できたということなのです。
さらには今回の研修講座の成功が、より多くの光を集めることになり真氣光DVDやホームページで受けられるエネルギーを増やしてくれることでしょう。
そういう意味でも、ワクワクしながら沖縄に行って来ます。
(中川 雅仁)
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投稿者: 中川雅仁
SASのホームページをリニューアルしました
今月からSASのホームページがリニューアルされています。
前回のリニューアルが5年ほど前でしたから、グリーンとオレンジ系基調の以前のデザインは、いろいろな人の目にお馴染みだったかもしれません。
今回のデザインは、SASのイメージカラーでもあるブルー系で、少し落ち着いた雰囲気になりました。
会員の方にモデルになっていただいたり、写真を使わせてもらう上で了解をいただいたり、いろいろな方にご協力をいただきました。
この場を借りて、お礼申し上げます。
ところで今回のリニューアルに合わせて、私もツイッターなるものを始めました。
よく知らない方の為にネットから引用すると【Twitter(ツイッター)は、個々のユーザーが「ツイート」と呼称される140文字の短文を投稿し、閲覧できるコミュニケーション・サービスである。「ツイート(Tweets)」は「鳥のさえずり」の意味で、日本では「つぶやき」と意訳され定着している。】とのことで、鳩山元首相など政治家や有名人でもやっている人が多いようです。
興味はありましたが、今一歩やり始める決心が付けられないでいました。
しかし今回サイトのリニューアルということで強い薦めもあって、一大決心をした次第です。
実のところ使い方がまだよくわからないので(勉強中です)宣伝しておりませんでしたが、いつまでも秘密?にしておくわけにもいかず(笑)ここで公にしたいと思います。
スタッフが書いてくれているSASのアカウントもありますから、そちらなども見ていただければありがたいです。
ところで、今や携帯・パソコンでのメールなどが普及した結果、言葉や文字の持つエネルギーに、あまりにも左右されすぎる傾向にあります。
たとえば「死ね」と言われれば本当に抹殺されると思い込む風潮があります。
言葉の持つエネルギーを信じすぎるあまり、メッセージを伝えて来た人が自分にどれだけの関心と思いがあるか見極められなくなり、不幸になっているようです。
特に本来、文字は数字などと同じように共通な記号として使う便利な道具だったものが、人間の持つエネルギーの交換に使われるようになったことから、その傾向は顕著になっていると思うのです。
ですから、それを見極めるセンサーを鍛え、マイナスの思い(氣)が一人歩きしないように心掛ける必要があるようです。
私も、発信する側として、良い氣を送る一つの手段として、ブログやツイッターを通してそれを大いに勉強させてもらおうと思っています。
【SASのアカウント】
【会長のアカウント】
(中川 雅仁)
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笑顔は良い氣のおすそわけ
お昼頃のことです。
対談取材があったので急いで電車に乗ると、ちょうど席が一つ空いていました。
そこに座って、やれやれと思っていたら、座っている乗客の顔が全て見渡せます。
老若男女が丁度良い割合で、携帯を見ている人が半分ぐらい、あとは目を瞑っている人、本を読んでいる人、中吊り広告を見ている人です。
私は、暇だったので、それぞれの人の顔を観察してみました。
人によっては何となく柔らかい顔の人、険しい顔の人・・・。
やはり恐い顔の人は、こちらが少々身構えてしまう感じがします。
その時、はたして自分の顔は、どう見えているのかと気になりました。
ところで最近は、笑顔認識機能つまり笑顔でないとシャッターが切れないというデジカメが出回っています。
私はサラリーマン時代、隣の課の同僚が曲がっているキュウリ等を判別する画像認識という研究をやっていましたから、その機能に興味があったのです。
彼は、大きい・小さい、表面もデコボコのキュウリがベルトコンベヤーの上を流れていく映像から、どのくらい曲がったら駄目にするのか瞬時に判別させるのが難しいと言っておりました。
ですから「いったいデジカメは顔のどの部分を捉えて笑顔と判断するのだろう、キュウリより難しそうだなぁ」と思っていたのです。
そうしたら雑誌に記事が出ておりました。
人は笑うと歯が見えて、口角が上がり、目尻が下がるのだそうです。
この『歯』と『口角』と『目尻』の3要素を総合的に見て笑顔を判別するそうです。
口だけ笑っていても目尻が下がっていないとダメだとか・・・でも、もともと垂れ目ならどうなるのでしょう。
最近、妻はお顔のタルミが気になるらしく、そのようなテレビ番組のチェックに余念がありません。
老いてくると今までの生き様が顔に出ると言います。
いつも怒っていると恐い顔、笑っていると優しい顔。
顔の筋肉も衰えてきますから、段々人相が悪くなりやすいそうです。
私は、妻が不機嫌そうな時をみては、美容のために「口角が、下がってるよ」と教えています。
(笑) 自分の顔は鏡を見ないと見えません。
意識して作った笑顔ではなく、状況がどうであれプラスの方向に心が向いていると人は自然に笑顔になれるのでしょう。
さらに、その良い氣が周りを変えるのです。
それには心に余裕が必要です。
忙しいストレス時代ですから、なかなか余裕も持ちにくいところですが、真氣光のエネルギーに加え、日頃のちょっとした工夫と努力が大切です。
「あなたの笑顔が周りを明るくする」そんな風に言われたいものです。
(中川 雅仁)
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皆さんの参加で、より多くの真氣光を
今日は、大阪行きの新幹線の中で原稿を書いています。
4年前までは奈良県生駒山で研修講座をやっていましたので、新幹線に乗る機会も多かったのですが、この頃は沖縄から北海道まで、各地のセンターに行くにも羽田から飛行機利用の割合が増えました。
あらためて見ると新幹線も随分サービスが向上していますよね。
パソコンの電源はあるしインターネットも快適に使えますから、我が家の動く書斎のようです。
良いのか悪いのか?ますます移動中もお仕事がはかどります。(笑)
ところで、早くも12月に開催するメンバーズの集いのお知らせの時期になりました。
先代が亡くなって15年、このイベントは先代のメモリアルセミナーとして始まったのですが、その後「一年の締めくくりに来年に向けてのエネルギー充電をしよう」という意味合いが強くなってきました。
最初は生駒の会場だけで開催しておりましたが、参加者が多ければ多いほど、意識を合わせることで大きなエネルギーが活用できることがわかりました。
そこで、全国同時に謝恩セールを開催することで各地センターでの参加や自宅での遠隔真氣光による参加を促し、全国に映像を配信することで、たくさんの人の意識合わせができるようにしたのです。
氣は時間や距離に関係なく届くもの、さらにハイゲンキは毎日の生活の中で氣を受けるものですから、その理念にも合致していると思い、毎月開催している真氣光レッスンでノウハウを蓄積するなどして、私もその環境整備に力を注いできました。
私にするとアッと言う間に15年が過ぎてしまったという感じです。
というのも宇宙からのいろいろな要求に対して出来ていないことがまだまだたくさんあるように思えるからです。
特に先代の遺した「氣づきの重要性」については、もっとたくさんの人に知ってもらわなければなりません。
真氣光によって体や心の不調が回復しますが、それも含めて私たちの氣づきを促すのが、このエネルギーの本質だからです。
先ほど山手線に乗っていましたら、ちょうどMrマリックの車内映像広告が流れていました。
片方の手でもう一方の手の親指を握り、握った親指を切り離すという誰でも知っているお馴染みのマジックです。
種明かしをしたあと、「知っている事と出来る事とは別の事です」というフレーズが流れます。
まさしく人は、氣づきによって“知っていただけ”の事も出来るようになり、氣づくことで行動が変わり、それによって私たちは周りをも巻き込みながらさらに幸せに近づくわけです。
真氣光を通して皆様の氣づきのお手伝いがますます出来るようになることが、SASと私にとっての課題です。
(中川 雅仁)
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(64)気づかれちゃ困るんだよな
私が氣を送っていると、時にはその人に影響を及ぼしている別の魂が、氣を受けている人の口を借りて出てくることがあります。
あるとき出てきた魂の話です。
私がある女性に氣を送っていると「気づかせてなるものか」と言うんです。
私は「えっ」と思いましたが、咄嗟にこれは彼女自身ではなく、彼女に影響を与えている別の魂(男のようです)だとわかりましたので、氣を送り続けていました。
そうすると「病気治しで十分だったんじゃなかったのか?それ以上踏み込んでもらうと困るんだよ」と言うのです。
氣を受けている彼女は、確かに最初は体の調子が悪かったので真氣光を始めたのです。
さらにその魂が話を続けます。
「全ての病気が治るなんてありえないんだよな。どんなやつも、老いぼれて最後は何かの病気で死ぬんだ。病気が完全に無くなるなんて、あり得ない話さ」私は特に何も話をせず、彼女の魂に真氣光の見えない光が届くように、さらに集中して氣を送りました。
すると「気づかれちゃうと困るんだよ。こっちの思い通りにならないじゃないか。思考をコントロールするのが、俺たちのやり方だ。体が楽になったところで満足してもらいたかったが・・・。もうこれ以上ここにはいられない。」と言います。
私は、彼が何ものなのかと思い、聞いてみたのですが「手の内が分かってしまうだろう」という言葉を最後に、何処かに行ったのか、何も言わなくなってしまったのです。
俺たちということは、グループのようです。
過去に亡くなっている魂もしくは体を持たない魂で、どのような思いを残しているかはわからないのですが、そのような存在が本来の私たち自身の魂に影響を与え、コントロールしようとしていたのです。
真氣光はそれを受ける人自身の魂にエネルギーが入っていきます。
もしもその人に影響を与えている何ものかがいても、氣を受け続けることで同調できなくなり浮き上がってくるような形になるのです。
その時、気持ちや体に一見マイナス的なことが起きたり、本来の自分自身と違うような感覚が生じることがあります。
その時に自分自身の内面に目を向け氣づこうと意識することで、完全に切り離しができ、私たちは一層魂の持つ光を強めるのです。
確かに真氣光を受けることで、心や体が癒されます。
しかしそればかりではなく、真氣光は私たち自身の魂を強くする氣づきを促すエネルギーだということなのです。
先代が氣づきの重要性を唱えて15年、そのことで光が届いたからこそ浮かび上がった魂の話とも言えるのです。
(中川 雅仁)
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ストレスと腰痛の新聞記事から
先日新聞を読んでいると「ほどほど健康術 腰痛、ストレスも引き金」なる記事が目を引きました。
新潟大学の岡田教授が健康のコラムに書いている記事で、腰痛について考えてみようというものでした。
記事の内容は「腰痛のきっかけは無理な姿勢、重いものを持ったなどいろいろあるが、最新の画像診断装置を使った研究によれば、腰痛があっても85%の人には異常がまったく見つからず、研究が進むにつれ、腰痛がなぜ起こるのか、分からなくなってきた」というものでした。
さらには、腰痛は決め手となる治療法がなく、湿布剤、鎮痛薬、神経ブロック注射、手術などが一般的に行われるが、治療を受けた人と受けなかった人を追跡調査すると、どの方法も治るまでの期間に差が認められなかったということらしいのです。
最後に、この記事のまとめの言葉として「腰痛のきっかけはさまざまだが、骨折や特殊な病気を除くと、ストレスが背景にあることも多い」と結んでいました。
ところで真氣光を始めることになったきっかけを、いろいろな人に聞くと、肩こり・腰痛は、かなり上位に位置するものです。
最初は症状が酷いのですが、氣を体験するうちに「楽になりました」という声をよく聞きます。
私は、もちろん病気で痛みが出ることもありますが、前述の記事のようにストレスが痛みに関係することも多く、さらにこのストレスと氣は非常に関係性が強いと考えています。
例えば、毎日の生活の中でマイナスの氣の影響を受けていて、それが蓄積していき、あるしきい値を超えた結果、体に痛みという異変が生じるというようなことです。
また私が、いろいろな人の話を聞いて分かったことは、マイナスの氣が溜まりやすいのは、腰ばかりではなく、首の後から肩にかけて、背中など、体の表側よりは実際には目が行き届きにくい後ろ側なのです。
表側に来るマイナスの氣については、私たちは無意識のうちに払い除けているのではないかと思います。
またマイナスの氣の中には、目につきにくいところを知っていて、体の後ろ側に回り込むのではないでしょうか。
最近、ストレスと病気の関係について、各方面のいろいろな先生方が研究をされているようです。
同じようにストレスを受けていても氣を受ける(プラスの氣を取り入れる)ことで、その影響を小さく出来るのが真氣光です。
まず病院で看てもらうことですが、症状が長引く、どうしても原因がわからない、そのようなものの中には氣の影響も考えられるでしょう。
身の回りの方に、そんな方がいらっしゃったら、ぜひ真氣光をお薦めください。
(中川 雅仁)
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出来ていることに目を向けよう
もう今日から10月になりました。
今年も残るところ三ヶ月ですが、いま私は来年のカレンダー作りに追われています。
来年のカレンダーも今年同様に、私が氣を送っている写真に加え、あちらこちらで撮った風景や花の写真に、氣配り画像で過去に配信した言葉を載せる予定です。
「カレンダーを作る」と言っても、私の担当は写真を用意して、画像を編集するソフトを使って言葉を写真に上書きすれば良いのですが、この写真を7枚ばかり用意するのが結構たいへんな作業なのです。
「これは、ここがちょっと駄目」だとか、「こっちは、明るさが足りない」とか、あまり上手く撮れているものが無いだけに、少しでも良いものをと考えれば考えるほど、決められないのです。
特に、私が氣を送っている写真については、その選別は“特殊事情”が絡んでいますから大変です。
実は、月刊ハイゲンキ誌でもそうですが、一部の対談やセミナーの写真を除いて、私が写っている写真の全ては妻が撮影しているのです。
誰かカメラマンに撮っていただけば、こんなことにはならないのでしょうが、私も忙しいところにもってきて、写真撮りは天候と場所が複雑に絡みますから、スケジュールに入れていても予定通りに事が進まないということで、結局は「今日は少し暇があるし、晴れているから写真を撮っておこう」とばかりに妻の機嫌を伺いながら出かけるという始末です。
撮影中も写り具合について、いろいろと注文を付けようものなら、「モデルのあなたが悪いから、これ以上どうしようもない」とばかりに、やめると言い出しかねないので、極度の駄目出しはできません。
私も良いモデルではありませんから、結局いつも「今日はこれで終わりにしよう」ということになるわけです。
しかし、彼女も最初から比べると、かなり慣れてきたようです。
私は日頃からいいとこ探しの重要性を皆さんにお話ししていますが、なかなか身内のいいとこ探しができません。
いつも妥協してばかりではいけませんが、時には周りの人や自分自身について出来ているところに目を向けるということも大切なことでしょう。
今月中旬には、来年のカレンダーについて販売のお知らせができることと思います。
このようにいろいろな事情がある中で出来ているカレンダーですが、他のカレンダーにはない良い氣、つまり真氣光のエネルギーは確実に中継してくれていると思います。
写真に氣は写りませんが、「出来ているところに目を向けよう」の言葉とともに、見えるところよりも感じていただくことを重視していただければ有り難いと思います。
(中川 雅仁)
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真氣光の進化に遅れない
私は無料体験会を各地で開催しております。
真氣光という名前が何かの宗教のように聞こえたりするものですから、皆さんも先入観なく氣のことを聞いていただくには苦労があることと思います。
人に氣のことを理解していただくことは難しいもので、私はできるだけ、何でもよいですから体験して理解が進むよう工夫することを心掛けています。
先代は「氣は光だ」と言い、写真に写ることがあると説明しておりました。
実際に、当時は写真に白や黒の氣が写ったものです。
しかし真氣光の光は、10年ほど前から、どんどん白い光から透明な光に変わっているようなのです。
光の粒子が細かくなって、私たちの魂に浸透しやすくなっているということです。
ですから、最近は氣が写真に写らなくなりました。
目には見えない、つまり一見分かり難くなっているけれど、宇宙から伝えて来ることには「分かる人は増える」ということです。
ただし自動的に真氣光にご縁のある方が広がるのではなく、皆がこの氣を広げる努力を怠らないという“前提条件付き”ということでしょうから、私もさらに心して努力しようと思っています。
ところで、この氣というものが理解できる人のグループがあるようで、それは「ハイゲンキから見えないエネルギーが出る」ということを信じられる人であり、そういうものに価値を感じられる人です。
これは一般的な宝石や金など物理的な価値ではなく、家電製品などのように性能や仕様があって簡単に他と比較できるものでもありません。
ですから見えないところに、つまり自分の人生を豊かにすることにお金を使いたくない人には、この氣の理解は難しいようなのです。
さらに真氣光のエネルギーが進化していることで、ハイゲンキを持っている私たちも「光の価値」を見失わないよう注意しなければならないことがあります。
例えば暗い部屋に居るとしましょう。
窓の外は明るくて、暗い部屋の中からいつも明るい窓を見ていたら、自分の部屋が暗く汚いのがよくわからなくなります。
だから自分の行いや心がどういう状態にあるのか、いつも謙虚に見ていなければなりません。
光が強くなっても自分でまだまだ向上できる部分(一見マイナスの部分)、つまり影の部分を見つけ、そこに光を当てる(氣を受ける)努力が必要なのです。
「自分はもう幸せだ」「変わる必要も無い、完璧だ」などと出来上がってしまっていると、成長がなくなるものです。
氣のことをただ信じているだけでは、何も変わりません。
光が強くなるから、いっそう自分の努力が求められ、それに応じて光が届き「真氣光が良く分かる」ということになるのでしょう。
(中川 雅仁)
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仏壇をとおして氣を送る
つい先日お盆だったと思っていたのですが、来週はもうお彼岸とは早いものです。
ところで日本には、既に亡くなった人、つまり先祖の霊を弔う行事がいろいろあります。
人が亡くなると通夜、お葬式、さらには四十九日に始まって何回忌などと、だんだん間隔が開いていきますが、家族や親族が集まりお坊さんにお経を上げてもらったりします。
さらには終戦記念日や慰霊祭、事故や災害などでも亡くなった人々に黙祷を捧げたりなど、どれもが死者を意識してのことであり、私は人の心から発せられる氣というものを亡くなった人々に送っているものだと思っています。
人の心から発するもの、体が無くなったあとに残るもの、その本質は何ですか?と言えば、氣という見えないエネルギーのような存在です。
氣は電波や音などのように波動的な性質があり共鳴したり同調したりしますから引き合うということがあるもので、人は意識することで死後の世界の人たちとの距離を縮め、見えない氣のエネルギーを送れるのです。
逆に既に亡くなっている人たちも、エネルギー的余裕ができた分だけ、生きている人にいろいろな応援を送ってくれるというものであり、特にお盆やお彼岸、法事法要などは、何かを伝えやすいということがあるかもしれません。
そういう意味では、お墓や仏壇という物があることで、生きている側が亡くなった家族を意識しやすくなり、それを通して氣の交流がしやすくなっているとも言えるでしょう。
私も長男なので、中川家の仏壇が家にあります。
父が亡くなりそのあと祖父が亡くなったときに先祖からの仏壇と一緒にしたのです。(先祖と言っても、北海道では歴史が浅く明治からになります。)
その時に我が家では仏壇の大掃除をしたのですが、誰がいつ何歳で亡くなったのかが分かるよう書き記したものが出てきました。
昔ですから、十分な医療も受けられず亡くなることもあったでしょう。
先に亡くなった人も残された人も無念の思いがたくさんあったかもしれません。
また仏壇には古いものがいろいろしまってありました。
その中には先代自身が集めたものや頂いたものなど、置き場所に迷い母がしまっていたものもありました。
どんなものにも、繋がりのある縁があります。
それは先代だから、必要だった縁やものということがありますから、私が思い切って菩提寺にお納めしたり、本当に不要な物は処分したのです。
チタンプレートや水晶など氣のグッズを利用すると効果的に氣が送れますが、このように仏壇も時には中を確認したり整理することで、縁が強いものに集中して氣が送られることになり良い供養になると思うのです。
(中川 雅仁)
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(14)真氣光で力強く生きる
明日9月11日はニューヨークで同時多発テロがあった日です。
あれから9年、地球上にはテロによって、それまでとはまた違う種類の戦いと、それによって苦しむ魂が増えた気がします。
犠牲になった人たち、さらにはその後の戦争で亡くなった人たち、その中には未だに苦しみの中、強い怒りや憎しみなどの気持ちを持つ人もたくさんいるでしょう。
そのような人たちが少しでも楽になれるよう、私も氣を送りたいと思います。
数々の戦いで増えてしまった苦しむ魂達。
その影響で今を生きる人々の中に、ネガティブな気持ちを持ちやすくなる、ストレスに弱くなる、生きにくくなるなど、そんな人たちが増えていると私は考えています。
それはあたかも雪だるまのようにマイナスがマイナスを呼ぶかたちで、現代人はマイナスの氣の影響を受けやすくなっているのだと思います。
それでは反対に、プラスの氣の存在は無くなっているのでしょうか?そんなことはありません。
かつて生きていた私たちの先祖の中には、たいへんな時代や辛い生活であっても志を高く持って、一生懸命にそれを乗り越え、光り輝くプラスの氣となった魂達もたくさん存在します。
彼らは、私たちの守護霊さんのようなもので、どんな人にも必ず何らかの手助けをしてくれているのです。
私が氣を送っていると、そのような魂が出てきたことがあります。
「“こうすべき”ということは何も無い。ただ一つ、力強く生き抜くということだ。それが、また次の世代につながる。この国には力強く生きようという者が少なくなってきた。先々の恐怖を消すことだけを考えている。じたばた右往左往しながらでもいいから、今を力強く生きて欲しい。この国にはどんな境遇においても光に向かって生きた者がたくさんいる。自ら与えられた仕事に全力をつくすことで、後生に伝えていくべきものがある。この国は続いていかねばならぬ。この国を思って亡くなったものは大勢居る。彼らの思いも繋がっていると考えれば未来永劫に繋がっているのだ。それがわかれば未来を恐れることなど何もないはずだ。」
真氣光を受けることは、宇宙からの応援です。
それによって私たちの魂に光が増え、それは周りにも影響を与えます。
たとえ辛い苦しい魂たちが周りを覆っていたとしても、それらに光が届きます。
そのことによって私たちの先祖であるプラスの氣の存在も力を貸しやすくなるのです。
どんなに辛いときでも真氣光を受け続けることで、いいところを見つけられるはずです。
そしてどんな時にも諦めずにいいところを探し続けることが、先祖からの応援をも得やすくするのだと思います。
(中川 雅仁)
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