もう今日から10月になりました。
今年も残るところ三ヶ月ですが、いま私は来年のカレンダー作りに追われています。
来年のカレンダーも今年同様に、私が氣を送っている写真に加え、あちらこちらで撮った風景や花の写真に、氣配り画像で過去に配信した言葉を載せる予定です。
「カレンダーを作る」と言っても、私の担当は写真を用意して、画像を編集するソフトを使って言葉を写真に上書きすれば良いのですが、この写真を7枚ばかり用意するのが結構たいへんな作業なのです。
「これは、ここがちょっと駄目」だとか、「こっちは、明るさが足りない」とか、あまり上手く撮れているものが無いだけに、少しでも良いものをと考えれば考えるほど、決められないのです。
特に、私が氣を送っている写真については、その選別は“特殊事情”が絡んでいますから大変です。
実は、月刊ハイゲンキ誌でもそうですが、一部の対談やセミナーの写真を除いて、私が写っている写真の全ては妻が撮影しているのです。
誰かカメラマンに撮っていただけば、こんなことにはならないのでしょうが、私も忙しいところにもってきて、写真撮りは天候と場所が複雑に絡みますから、スケジュールに入れていても予定通りに事が進まないということで、結局は「今日は少し暇があるし、晴れているから写真を撮っておこう」とばかりに妻の機嫌を伺いながら出かけるという始末です。
撮影中も写り具合について、いろいろと注文を付けようものなら、「モデルのあなたが悪いから、これ以上どうしようもない」とばかりに、やめると言い出しかねないので、極度の駄目出しはできません。
私も良いモデルではありませんから、結局いつも「今日はこれで終わりにしよう」ということになるわけです。
しかし、彼女も最初から比べると、かなり慣れてきたようです。
私は日頃からいいとこ探しの重要性を皆さんにお話ししていますが、なかなか身内のいいとこ探しができません。
いつも妥協してばかりではいけませんが、時には周りの人や自分自身について出来ているところに目を向けるということも大切なことでしょう。
今月中旬には、来年のカレンダーについて販売のお知らせができることと思います。
このようにいろいろな事情がある中で出来ているカレンダーですが、他のカレンダーにはない良い氣、つまり真氣光のエネルギーは確実に中継してくれていると思います。
写真に氣は写りませんが、「出来ているところに目を向けよう」の言葉とともに、見えるところよりも感じていただくことを重視していただければ有り難いと思います。
(中川 雅仁)
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投稿者: 中川雅仁
真氣光の進化に遅れない
私は無料体験会を各地で開催しております。
真氣光という名前が何かの宗教のように聞こえたりするものですから、皆さんも先入観なく氣のことを聞いていただくには苦労があることと思います。
人に氣のことを理解していただくことは難しいもので、私はできるだけ、何でもよいですから体験して理解が進むよう工夫することを心掛けています。
先代は「氣は光だ」と言い、写真に写ることがあると説明しておりました。
実際に、当時は写真に白や黒の氣が写ったものです。
しかし真氣光の光は、10年ほど前から、どんどん白い光から透明な光に変わっているようなのです。
光の粒子が細かくなって、私たちの魂に浸透しやすくなっているということです。
ですから、最近は氣が写真に写らなくなりました。
目には見えない、つまり一見分かり難くなっているけれど、宇宙から伝えて来ることには「分かる人は増える」ということです。
ただし自動的に真氣光にご縁のある方が広がるのではなく、皆がこの氣を広げる努力を怠らないという“前提条件付き”ということでしょうから、私もさらに心して努力しようと思っています。
ところで、この氣というものが理解できる人のグループがあるようで、それは「ハイゲンキから見えないエネルギーが出る」ということを信じられる人であり、そういうものに価値を感じられる人です。
これは一般的な宝石や金など物理的な価値ではなく、家電製品などのように性能や仕様があって簡単に他と比較できるものでもありません。
ですから見えないところに、つまり自分の人生を豊かにすることにお金を使いたくない人には、この氣の理解は難しいようなのです。
さらに真氣光のエネルギーが進化していることで、ハイゲンキを持っている私たちも「光の価値」を見失わないよう注意しなければならないことがあります。
例えば暗い部屋に居るとしましょう。
窓の外は明るくて、暗い部屋の中からいつも明るい窓を見ていたら、自分の部屋が暗く汚いのがよくわからなくなります。
だから自分の行いや心がどういう状態にあるのか、いつも謙虚に見ていなければなりません。
光が強くなっても自分でまだまだ向上できる部分(一見マイナスの部分)、つまり影の部分を見つけ、そこに光を当てる(氣を受ける)努力が必要なのです。
「自分はもう幸せだ」「変わる必要も無い、完璧だ」などと出来上がってしまっていると、成長がなくなるものです。
氣のことをただ信じているだけでは、何も変わりません。
光が強くなるから、いっそう自分の努力が求められ、それに応じて光が届き「真氣光が良く分かる」ということになるのでしょう。
(中川 雅仁)
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仏壇をとおして氣を送る
つい先日お盆だったと思っていたのですが、来週はもうお彼岸とは早いものです。
ところで日本には、既に亡くなった人、つまり先祖の霊を弔う行事がいろいろあります。
人が亡くなると通夜、お葬式、さらには四十九日に始まって何回忌などと、だんだん間隔が開いていきますが、家族や親族が集まりお坊さんにお経を上げてもらったりします。
さらには終戦記念日や慰霊祭、事故や災害などでも亡くなった人々に黙祷を捧げたりなど、どれもが死者を意識してのことであり、私は人の心から発せられる氣というものを亡くなった人々に送っているものだと思っています。
人の心から発するもの、体が無くなったあとに残るもの、その本質は何ですか?と言えば、氣という見えないエネルギーのような存在です。
氣は電波や音などのように波動的な性質があり共鳴したり同調したりしますから引き合うということがあるもので、人は意識することで死後の世界の人たちとの距離を縮め、見えない氣のエネルギーを送れるのです。
逆に既に亡くなっている人たちも、エネルギー的余裕ができた分だけ、生きている人にいろいろな応援を送ってくれるというものであり、特にお盆やお彼岸、法事法要などは、何かを伝えやすいということがあるかもしれません。
そういう意味では、お墓や仏壇という物があることで、生きている側が亡くなった家族を意識しやすくなり、それを通して氣の交流がしやすくなっているとも言えるでしょう。
私も長男なので、中川家の仏壇が家にあります。
父が亡くなりそのあと祖父が亡くなったときに先祖からの仏壇と一緒にしたのです。(先祖と言っても、北海道では歴史が浅く明治からになります。)
その時に我が家では仏壇の大掃除をしたのですが、誰がいつ何歳で亡くなったのかが分かるよう書き記したものが出てきました。
昔ですから、十分な医療も受けられず亡くなることもあったでしょう。
先に亡くなった人も残された人も無念の思いがたくさんあったかもしれません。
また仏壇には古いものがいろいろしまってありました。
その中には先代自身が集めたものや頂いたものなど、置き場所に迷い母がしまっていたものもありました。
どんなものにも、繋がりのある縁があります。
それは先代だから、必要だった縁やものということがありますから、私が思い切って菩提寺にお納めしたり、本当に不要な物は処分したのです。
チタンプレートや水晶など氣のグッズを利用すると効果的に氣が送れますが、このように仏壇も時には中を確認したり整理することで、縁が強いものに集中して氣が送られることになり良い供養になると思うのです。
(中川 雅仁)
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(14)真氣光で力強く生きる
明日9月11日はニューヨークで同時多発テロがあった日です。
あれから9年、地球上にはテロによって、それまでとはまた違う種類の戦いと、それによって苦しむ魂が増えた気がします。
犠牲になった人たち、さらにはその後の戦争で亡くなった人たち、その中には未だに苦しみの中、強い怒りや憎しみなどの気持ちを持つ人もたくさんいるでしょう。
そのような人たちが少しでも楽になれるよう、私も氣を送りたいと思います。
数々の戦いで増えてしまった苦しむ魂達。
その影響で今を生きる人々の中に、ネガティブな気持ちを持ちやすくなる、ストレスに弱くなる、生きにくくなるなど、そんな人たちが増えていると私は考えています。
それはあたかも雪だるまのようにマイナスがマイナスを呼ぶかたちで、現代人はマイナスの氣の影響を受けやすくなっているのだと思います。
それでは反対に、プラスの氣の存在は無くなっているのでしょうか?そんなことはありません。
かつて生きていた私たちの先祖の中には、たいへんな時代や辛い生活であっても志を高く持って、一生懸命にそれを乗り越え、光り輝くプラスの氣となった魂達もたくさん存在します。
彼らは、私たちの守護霊さんのようなもので、どんな人にも必ず何らかの手助けをしてくれているのです。
私が氣を送っていると、そのような魂が出てきたことがあります。
「“こうすべき”ということは何も無い。ただ一つ、力強く生き抜くということだ。それが、また次の世代につながる。この国には力強く生きようという者が少なくなってきた。先々の恐怖を消すことだけを考えている。じたばた右往左往しながらでもいいから、今を力強く生きて欲しい。この国にはどんな境遇においても光に向かって生きた者がたくさんいる。自ら与えられた仕事に全力をつくすことで、後生に伝えていくべきものがある。この国は続いていかねばならぬ。この国を思って亡くなったものは大勢居る。彼らの思いも繋がっていると考えれば未来永劫に繋がっているのだ。それがわかれば未来を恐れることなど何もないはずだ。」
真氣光を受けることは、宇宙からの応援です。
それによって私たちの魂に光が増え、それは周りにも影響を与えます。
たとえ辛い苦しい魂たちが周りを覆っていたとしても、それらに光が届きます。
そのことによって私たちの先祖であるプラスの氣の存在も力を貸しやすくなるのです。
どんなに辛いときでも真氣光を受け続けることで、いいところを見つけられるはずです。
そしてどんな時にも諦めずにいいところを探し続けることが、先祖からの応援をも得やすくするのだと思います。
(中川 雅仁)
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(35)猫の手も借りたい
暑い日が続いております。
皆様、いかがお過ごしでしょうか?
こう暑いと、クーラーの効いた家に閉じこもり気味になります。
「昼間は外には出たくない」と、我が家の怠け者は言っております。
ところで、我が家の裏口は北向きで木陰になり床のタイルが冷たくて気持ちがいいのか、最近そこに一匹の猫が占拠しているのです。
野良なのか飼い猫なのかわかりませんが、どこからともなくある時間になるとやって来て、長く体をのばしたまま、全く動こうとしません。
なんと優雅な!
・・・私には原稿の締め切りが・・・。
少々気持ちにゆとりがなくなっている、そんな自分のマイナスな心に気がつかされます。
ところで、「猫の手も借りたい」ということわざがあります。
意味を調べてみると「忙しい時に誰でもいいから手伝いがほしいこと。農繁期などのきわめて忙しい時に、そばでのんびりと眠っている猫の様子を見た人間様の願望が、ことわざになったのだろう。」と、あります。
17世紀の文献にあったようですから、昔から同じように感じていた人は居たようです。
確かに、セカセカと落ち着きが無い猫は見たことがありません。
いつものんびりしていて、見ていると癒されますが、あまりにマイペースな姿に、私などは時には羨ましくなるものです。
氣とは見えないエネルギーで、どんなものからも、どんな人からも氣が発せられています。
そして自分の出している氣が、同調作用により周りから似たような氣を集めます。
忙しい時には、さらに忙しくなるように、いろいろなことが舞い込んで来るものです。
私は昔、「どうして自分ばかりが、こんなに忙しい目に遭うのか」と、上司に不満を訴えたことがありました。
しかし、研修講座に参加して氣の世界を知ってからは、考え方が大きく変わったのです。
不満を訴えたからといって直ぐに事態が変わるわけではありません。
氣の観点から考えれば、さらに学びが必要で、縁がある人に仕事が集まるのは当然なこと。
越えられないハードルは与えられないのであれば、自分が少しでもいろいろな事ができるようになれるよう頑張ろう、「出来ないという気持ちから、やってみようへ」と発想を180度変えられたのです。
猫の手も借りたい時には、マイナスの氣が集まりやすくなります。
マイナスの氣の影響を受けると、ネガティブなことに意識が引っ張られ、気づくチャンスから遠ざけられてしまうのです。
ですから、猫の手も借りたいような時には、真氣光をお忘れ無く。
そうすることで次第に、たいへんなストレスを程よいものにしてくれることでしょう。
(中川 雅仁)
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少しずつ氣が変わる
久しぶりに休みがとれたので、映画を観に行ってきました。
この映画館では席を事前に選んでチケットを買うというシステムで、妻が列に並んで買っておりました。
私は全てお任せして横で待っておりました。
買ってもらったチケットを手に書いてある席を探していくと、一番上段の壁の横、つまり隅の方だったのです。
「こんな端のほうしか空いていなかったの?」と言いながら、「席は任せる」と、つい先ほど言った自分を思い出し、「これは不平不満かな」と直ぐに反省した次第です。
席に座ってみると壁が横にあるものですから、何か圧迫感があります。
しかし良く考えてみると、昔の私なら部屋の中でも端の方が気に入っていたものです。
隣に人が居ないのが良いのか、壁があるから良いのか分かりませんが、端の席は妙に落ち着いたものでした。
人には、時と場合によって、いろいろな定位置があるようです。
電車のシートには端の席に座りたくなる人、いつも真ん中に座る人など傾向があると言います。
何となくそこが定位置という人もいれば、後ろに柱があり頭をもたれやすいから真ん中だと理由があって決めている場合もあるでしょう。
頭で考えて決めている場合は、氣とはあまり関係ないかもしれませんが、「何となくそちらが気に入って」という場合は、氣の影響を受けている場合があります。
モノや人ばかりではなく、建物や場所にも氣があります。
そして同じ部屋でも真ん中と隅では氣が違います。
“雰囲気”というのがそれで、科学では測定できない微妙な感じを人は感じているのです。
明るい感じ、暗い感じ、ジメッとする感じなど、いろいろな感じを人は五感に加え第六感なども使って感じているのでしょう。
そして落ち着くところとは、自分の氣とその場の氣が似たような波動を持っていて共鳴するところです。
人は、もともと基本となっている氣に加え、一日のうちでも氣が変化します。
例えば、昼間は清々しく明るい空間が気持ちも良く心地よいでしょうし、疲れた日の夜には少々暗いバーなどが落ち着くというのがこれに当てはまるでしょうか。
私は、もともと自分には陽よりは陰のほうが合うと思っていました。
楽曲でも激しくエキサイトするものよりは、おとなしくどちらかというと寂しい感じが好きだとか・・・。
しかし落ち着くところを無理に変えてもストレスになるものです。
「何となく段々と変わっていく」真氣光で氣を充電すると、その人の基本となっている氣が変化することから、そのように変わっていくものです。
それは、嫌なことやストレスに感じることを無理なく減らすとともに、心地よく思える世界が広がっていくのだと思います。
(中川 雅仁)
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笑顔になる時間をつくろう
先日、私たちがレストランの順番待ちをしていると私の携帯が鳴り、少々込み入った話になったところに、3才ぐらいの男の子がやってきました。
私のことを不思議な生き物でも見るかのように興味津々という感じで観察しています。
親御さんが遠くから呼んでも、なかなか立ち去ろうとはしません。
後になってから、その様子が可笑しかったと、妻がその子の真似をして笑うのです。
私もつい可笑しくなってしまいましたが、後で考えるとその子に良いものをいただいた気がしました。
先日の新聞に「笑顔なのは1日2時間です」という記事が載っていました。
住友生命保険のアンケート結果ですが、『1日のうち笑顔になっている時間を全国の男女各1000人に聞いたところ平均は118.4分、年代別では20歳代以下が最も長い151.8分となったのに対し、40歳代は97.6分、男女別では、男性の75.6分に対し、女性は161.8分となっていた。
また「笑顔にしてくれる人は」の問いに、全世代で「子ども」がトップで全体の34.3%、「家族」と答えた人も14.8%に上った。』というものです。
私のような40歳代の男性が、最も笑顔が少なくなっているのでしょう。
いろいろ仕事が溜まると心に余裕が無くなるもので、記事を読んで私も反省しました。
氣はどんな人も持っていて、誰もが心に応じた+や-の氣を出しています。
そして重要なことは、知らないうちに同調することによって周りから同じ種類の氣を集めているということです。
怒っている人やイライラしている人からは-の氣が出ているので-の氣が集まり、笑顔の人からは+の氣がでているので+の氣が集まるというわけです。
アンケート結果からわかることは、一日のうち大半は-の氣が集まりやすくなっている状態だということです。
ですから、真氣光を受けるなど、いかに+の氣で満たすか?ということが重要になるのです。
先代がよく「笑っていればいいんだよ」と言っていました。
しかし、いつも笑ってはいられません。やらなければいけないことを、テキパキとこなさなければ溜まる一方ですから、ますます自分の首を絞めることに・・・。
時間は限られていて、それに追われるように毎日が動いていきます。
しかし良く考えると、時間は無くても笑顔になる心は持てるはずです。
ついつい忙しいと、たいへんではない時にまで心配やイライラなど-の心に引きずられているものです。
慌ただしく電車に飛び乗っても、乗っている間は楽しいことを考えていてもいいはずです。
笑顔になれる心をつくろうとする気持ちが大切です。
これには真氣光を受けることの他にも、アンケート結果にあるように家族や子供がキーパーソンのようです。
(中川 雅仁)
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妻の顔のお手入れがヒントに
前号でご案内しましたが、今週からホワイトセラミックヘッドのローラータイプを発売することになりました。これは従来からあるホワイトセラミックヘッドに回転機構を取り付けるように改造して、白いセラミックの部分を体に接触させ、コロコロと転がせるようにしたものです。今までのハイゲンキヘッドとは、少し視点を変えた氣の受け方ができますので、興味を持っていただいている人も多いようです。「誰が考えたのですか?」という質問もありました。もちろん私が考えたのですが、大きなヒントをくれたのは、妻でした。
あるとき、ホワイトセラミックヘッドを使っていた妻が、顔のたるみ?が気になったらしく、ヘッド側面のセラミックの部分で頬をコロコロし始めたのです。ところがヘッドにはストラップを取り付ける突起がついていますので、「顎などに引っかかり危ないから取り除いてほしい」と私に注文したのです。世の中には顔をマッサージするものがいろいろ出回っていて、人気があるのだとか。それで私は、どうにかして回転させる部品が取り付けられないかと試してみた結果、今までの構造を少し変えるだけで今回のローラータイプができたのです。これですと、電気を入れて使いたいときには通電して振動させられますし、ローラーとして使う時にもハンドルをネジで止めるだけでコロコロと転がせます。以前のものと変わる点は、ストラップを取り付けるための穴が無くなるだけですので、思い切ってこの販売からローラーとしても使えるタイプに変更したわけです。
ヘッドはシングルとダブルの2タイプがあります。シングルは腕や顔などに使いたいときに便利ですし、ダブルにすると少し重くなりますが、背中や腰、首から頭などは使い勝手が良いようです。使い方のポイントは、ヘッドをコロコロと体の上で転がして氣を取り込むということ、つまり転がすことで意識をそちらに向けさせ、氣の吸収力を上げるという点です。整体など体のマッサージとは違い、力を加えて揉みほぐすということではありませんから、体に押しつけて使うよりは、ヘッドの自重を使い優しく横にコロコロと撫でるように転がすほうが良いでしょう。さらには一度にたくさんの部分を転がすよりは、狭い部分をゆっくり転がす方が良いようです。
誰かにやってもらうと気持がよいので、これまでのヘッドを当てるだけではハイゲンキの良さがよくわからないお年寄りや男性の方にも、氣を継続的に取り入れやすいでしょう。10月末まで、この新しいヘッドを幅広く知っていただくためのキャンペーンを開催していますので、ぜひたくさんの方に体験していただきたいと思います。
(中川雅仁)
(13)真氣光は宇宙からの応援です
私は、これまで何回か先代の夢を見たことがあります。
ニコニコしながら、いつものように何食わぬ顔をして会社に戻って来たのです。
私は、少し変ですが、やはり亡くなっていなかったのかと思いながら嬉しい気持の反面、どこかで困ったと思っているのです。
今頃出てきてもらっても会社では使えないとか、訳の分からないことを言われても困るなぁとか・・・そんなことをしきりに考えている奇妙な夢なのです。(笑)
先代は‘95年12月に亡くなりましたが、その時私は35才の誕生日を迎えるところでした。
突然、会社も真氣光も引き継ぐことになったのです。
私が以前の会社を辞めてエスエーエスに入社したのが‘93年10月でしたから、わずか2年2ヶ月の間しか先代とは一緒に仕事をしていません。
それも先代は海外も含め忙しく各地を飛び回っておりましたので月に数日しか顔を見ることがなかったわけで、真氣光研修講座には参加しており「氣を中継できる」のはわかっておりましたが、氣や真氣光のこと、会社の運営など、殆ど教えてもらったことは無かったもので、当時何もわからないというのが実情でした。
そんな状況の中で、会社と真氣光の代表として、よくやってこられたものだと考えてみると、会員の皆様や社員など支えてくれた周りの人たちの存在と、ハイゲンキをはじめとする真氣光があったからなのです。
決して順調に事が運んできたのではなく、いろいろな問題や一見マイナスな出来事に直面しながら、何とか乗り越えてきたという感じでしょうか。
どんなにたいへんな時も真氣光のエネルギーが応援してくれていると感じられたから、やってこられたと言ってもいいでしょう。
真氣光のエネルギーは氣づきを促す作用があります。
それによって、体が良くなったり、心が変わったり、人生が好転するような結果が生じるのです。
ついつい結果の方を重視しがちですが、その人にその時に丁度良い氣づきをもたらしくれるのです。
それが意識や生活を変えてくれたことで、先代が目の前に居なくても私も少しずつ成長できたということでしょう。
今日は広島に原爆が投下された日です。
長崎にも、東京にも、あちらこちらに戦争によって苦しめられた魂たちが、日本ばかりではなく世界中にたくさん存在します。
彼らがどうしたら救われるのかと言えば、私たちが気づくことによって魂のエネルギーを増やし、その光が縁のあるところから周りに少しずつ届くことによってであり、それを促してくれるのが宇宙から送られてくる真氣光のエネルギーなのです。
(中川 雅仁)
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気づきが人を変え光を増やす
連日猛暑続きですが、皆様いかがお過ごしでしょうか。
私は、北海道での真氣光研修講座を終え連休明けに東京に戻りました。
北海道も暑かったのですが、やはり東京は違いますね。
今回の受講生の皆さん、ありがとうございました。
今年で2回目の北海道開催ですが、今回は私にとっても、より深い氣づきがあった研修講座になりました。
講座では私が皆さんに真氣光を送る時間が一日に4回あるのですが、真氣光は中継するものですから氣を送っている私も真氣光を受けているわけで、いろいろとその影響がありました。
2,3度でしたが頭がクラッとして目が回ったような感覚になったのです。
気持ちが悪いこともなく、すぐに収まりますので、ちょっとおかしな感覚です。
昔、私は先代から氣を受けているときに目が回り、椅子に座っていられなくなったことがありましたが、あの感覚のような・・・、何か深いところにあったマイナスの氣が消えていくのだろうと思いました。
私はよく真氣光は氣づきのエネルギーだと言っていますが、氣を受けることで何かに氣づきやすくなったり、時には身体に変調があり何かに気づきなさいと促されることもあります。
私は大学卒業まで札幌に居ましたが、就職とともに東京に移りました。
サラリーマンを10年ほど経験するうちに根本にあった心配性がストレス源となり調子を崩して真氣光を体験するようになったのです。
今ではすいぶん心配性は消えてしまいましたが、それは母から受け継いだものかもしれないと思ったのです。
母の家は樺太で小さな事業をやっていましたが、終戦とともにロシアに攻められ、幸運にも家族は誰も欠けることなく北海道に移ることが出来たのです。
祖父はシベリアに抑留されたのですが、言葉ができたことで有り難いことに人より早く日本に帰ることが出来たと聞いています。
小さいときにそんな経験をしていますから母はもともと心配性で、そんなところに父と結婚したものですから、真氣光を始めるまでの父の波瀾万丈な人生に付き合って、「明日はどうなるのだろう」などと不安や一種の恐怖などマイナスの氣を相当に貯め込んでいたはずです。
そんな母の影響を多分に私も受けていたようです。
それは母ばかりではなく、過去にいろいろな事情で北海道に渡らなければならなかった人たちの共通の苦しみかもしれません。
それに比べ私は何と恵まれていることか。
気づくことで人は変わり、魂のエネルギーを増やします。
それを促すのが真氣光のエネルギーで、周りの身近なところから氣の環境を変えていくことになるのです。
今回の研修でもたくさんの光が受講生の皆さんを通して北海道の地に眠る人たちに届いたことでしょう。
(中川 雅仁)
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