宮島での研修講座を開催しています

 私は水曜日の夕方に広島県は宮島に来て、昨日昼過ぎから真氣光研修講座を開催しています。
フェリーで宮島に渡り厳島神社を通って徒歩20分程で研修会場に着きましたが、目の前は瀬戸内海、後ろは原生林と島の自然に囲まれた、とても良い場所です。
地元の広島県をはじめ岡山や九州、関東や沖縄など、何かのご縁で導かれた42名の参加者が集まってくれました。
研修講座には初めての方もいらっしゃいましたが、もう20年にもなる方や何回も研修講座に参加していただいている方もおられます。
 宮島のシンボルでもある厳島神社は平清盛が社殿を造営していることから、今年は大河ドラマ「平清盛」のポスターが貼られていて、地元の人達も観光に力を入れているのがよくわかります。
清盛にまつわる資料館やお土産などもあり、観光客も多いような気がします。
私が、この宮島で研修をやろうかと思案していたのは2年前のことですが、あちらこちらの土地(広島県内だけでも数カ所)に行き、その中から決めたのです。
当時は、大河ドラマで宮島がこんなにブームになるとは考えもしませんでした。
今年2月の神戸での研修講座の時にも、このニュースに書きましたが、ドラマなどを通して人々の関心が高まることにより、良い氣(光)が届きやすくなるものなのです。
 大河ドラマの時代には、いろいろな苦悩があったと思います。
民衆の中には、貧しく食べることもできなかったという人達もいたでしょうし、平氏・源氏など武士同士の争い、さらには朝廷の中での権力争いによって強い憎しみを残している人達もいます。
また、この宮島は、その後も戦国時代に戦の地となっております。
戦で亡くなった多くの人達の苦悩ばかりではなく、この地を汚されたという神に仕える立場の人達の苦悩、さらにはこの海の向こう側には原爆も落ちていますから、様々な人達の思いが重なっていることと思います。
 宮島の中心にそびえ立つ弥山は、弘法大師が開基した真言密教の修験道場で、古くから信仰の山だとのことです。
これまで数々の先人の祈りが、苦悩に打ちひしがれる多くの魂に光をもたらしてきたことでしょう。
今回の研修参加者の中には、ご縁のある先祖に導かれて来たようだと、言われていた方がいました。
真氣光の光は、それを受ける人に氣づきを促し、魂を輝かせます。
そしてその光が、縁あるご先祖の魂をも輝かせるのです。
この土地に直接関係していなくても、日本人である私たちに刻まれているであろう多くの先祖の苦悩に、真氣光のエネルギーが一筋の光をもたらしてくれるよう願いながら、一生懸命に真氣光を中継させていただきたいと思うのです。
(中川 雅仁)
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自分自身が輝くことで先祖にも光を

 テレビを見ていたら「問い合わせ殺到 都立霊園初の樹林墓地」というニュースを取り上げていました。
遺骨を樹木の下に共同で埋葬する「樹林墓地」と呼ばれる新しい形態の墓が都立小平霊園に整備され、料金が13万円程と安いことから、墓代を抑えたい人に人気だということです。
 このような樹林墓地、樹木葬は、1999年から民間の霊園を中心に広がっていて、墓石のかわりに樹木や花を植えて墓標とし、遺骨は土にそのまま埋葬するということです。
限られた敷地を効率的に利用できる自然を壊さない墓地として、環境にもやさしいと注目されているようです。
さらには現代人のいろいろな事情、つまり『先祖のお墓は守っていきたいけれど後継者がいない、迷惑をかけたくない。「○○家の墓」に入るのは抵抗がある。霊園・墓石はお金がかかりすぎる』などがあるようです。
昔ながらの「家」という概念が薄れ、核家族化、少子高齢化に拍車がかかっている時代ですから、海への散骨、ロッカー式の納骨堂、永代供養墓……さまざまな埋葬方法が提案されるようになったのだと思います。
ところで、私たちは目に見えている体の他に、目には見えない魂とも言うべき氣のエネルギーと心から成りたっています。
昔から人々は、この目には見えない部分のことを考えていたから、お墓というものが存在しているわけです。
つまりその根本は、体が無くなっても亡くなった人を大事にしたい、大事にしてもらいたいということであり、実際には、生きている人と亡くなっている人との間には、お互いの事を「思いやる」ことにより、見えない光のようなものを上げたり貰ったり、つまり氣のエネルギーの交換があるのです。
お墓参り、法事・法要というものが、より強い思いを先祖に向けられるということだったのですが、だんだんそれも機能しなくなってきているということでしょう。
 氣の観点から言えば、立派なお墓を建てるのも、樹木葬にするのも、お墓にはどんな形態があってもよいと思いますが、重要なことは、その家に生まれたことで先祖からの影響は見えない縁で繋がっているということです。
 真氣光という宇宙からのエネルギーは、魂に浸透するエネルギーです。
それを利用できる私たちは、先祖を敬愛する気持ちを忘れることなく、日々真氣光を受けるとともに少しでも充実した人生を送れるよう自分自身を輝かせることです。
その光は、少しずつ周りに広がり、はるか遠い先祖の魂にも繋がっていくのです。
このような時代だから、ますます真氣光のエネルギーが必要なのだと思います。
(中川 雅仁)
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時には気合を入れて

 私は50歳を過ぎて、お腹が重いのか、筋力が落ちたのか、はたまた元来の面倒臭がりの性格が強力になったのか「ヨイショ」「ドッコラショ」とばかりに気合?を入れなければいけない場面が多くなりました。
家内にも聞いてみましたが、彼女の場合は、毎日、掃除・洗濯をするにも、食事を作るにもすべての場面において、少々の「気合」が必要とのこと。
私はその言葉を聞いて「確かにいろいろ忙しく仕事をこなしているから仕方が無いねー」と言って日頃の労をねぎらってみようかと思ったのですが、付け焼き刃的な言葉に反って嫌味ととられ反感を買いそうで、言葉を飲んでしまったのでした。
 ところで気合とは国語辞典で調べてみると、『精神を集中させて事に当たるときの気持ちの勢い。また、そのときの掛け声。「―がこもる」「―をかける」』とあります。
そうすると私や家内の場合は、精神を集中する程では無いけれど、かけ声を自分自身に言い聞かせて、その反動を利用するぐらいの事でしょうか。
しかし、時には精神を集中させて事に当たらなければ、どうにもならない場面があります。
私の場合、あれもこれもといろいろな仕事が立て込んで来るときなど、ただ順番にこなすのにもこの「気合」が必要です。
 心と体は別物です。
心で思うのは簡単でも、物理的に事を成すには、相当なエネルギーがいるのです。
ですから強く思うことが重要で、ここに精神を集中するということが必要になり、つまり気合ということばが生まれて来たのだと思います。
私たちは、考えているだけではダメで、体を動かしてはじめて魂が光を放ち、それが成長につながります。
しかし体や心にマイナスの氣が影響を与えると、体が重くなったり、気持ちが乗らない、など体を思い通りに動かすことができなくなります。
光を失ったマイナスの氣は、その人の光が増えると眩しくて居られなくなるので、その人の側にずっと居たいから、変わって欲しくないから、邪魔をするようなマイナスの影響を与えるのです。
 真氣光を受けると、自分自身の魂に見えない光のようなプラスのエネルギーが入り、影響を与えるマイナスの氣が消えていきます。
しかし時には気合を入れないと、強いマイナスの氣は、なかなか消えて行かない時があるものです。
ですから、「時には気合を入れて」欲しいと思うのです。
また、強いマイナスの氣の影響を受けているときには、気合を入れて真氣光を受けなければならない時があるかもしれません。
そのような時には、真氣光研修講座への参加をお薦めします。
(中川 雅仁)
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「気にする」と「気になる」

 私は真氣光セッションと称して、集まっていただいた皆さんに私が氣を送るということをしています。
ひと月の間に全国のエスエーエスを回るようにしていますので、だいたい北海道から沖縄までを一巡するのです。
男性女性、若い人からお年寄りまで、いろいろな方にお会いするわけですが、どこに行っても最初に「何か気になること」について書いてもらったり、話を聞くようにしています。
そして時にはその「気になること」から、そこを「気にして」つまりそれを掘り下げ意識して氣を受けてもらうようにしています。
 ところで「気にすること」と「気になること」は違っています。
「気にすること」は自分が意識して気を向けていることで、これはしばしば忘れてしまうことがありますし、その対象となるものが、どんどん変わっていくことはとても自然なことです。
しかし、「気になること」は、ふと気になったり、いつまでも気になっていたり、気にしないでおこうと思っても気になったりと、自分の意思でもなく、意識でもないので、決して忘れ去ってしまうことはないのです。
つまり、その人に影響を与えている、目には見えない「氣のせい」なのです。
それは私たちにプラスの影響を与えるプラスの氣もあるでしょうし、逆にマイナスの氣の場合もあります。
 つまり、もし気になることを根本的に解決したければ、その事に影響を与えている氣、つまり何ものかを変えなければならないということです。
それが時として時間のかかることだったり、とてもわかりにくいことだったり、日々の生活の中ではどうすることもできないことかもしれません。
なぜならそれは見えないものからのメッセージということがあるからです。
でもそれは特別なことではなく、全ての人が多かれ少なかれその影響を受けています。
そして、少しでもそれを理解することで、現状が良い方向に変わっていく可能性があるということなのです。
私たちは、真氣光を受け、気になることに目を向け意識することで効率良く気づいて、自分自身を変えていけます。
その気づきとは、もしかすると今の自分自身にとっては、とても身近で実践的で少々難しく、億劫なことかもしれません。
しかし、もしもそれを素直に受け止め実践することができたなら、よりよく生きるために、一度きりで止めること無く続けていくことが大切です。
なぜなら、生きている限り無限大に好転していくことができるからなのです。
(中川 雅仁)
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「ついつい」や「なんとなく」を減らそう

 先日、世界保健機関(WHO)が発表した世界保健統計が「世界全体で4人に1人が高血圧」という見出しで新聞に掲載されていました。
記事によりますと『慢性疾患による死者は08年、死者全体の6割以上に当たる3610万人。WHOは対策として、低中所得国では適切な医療の拡大を、高所得国では食事管理、適度な運動、禁煙をそれぞれ挙げている。』ということです。
私は高血圧でも慢性疾患を抱えているわけでもありませんが、毎年春の健康診断の季節になると、少々重めなところに、なかなか減らない体重を見て「日頃から適度な運動をしなければ」と思うのです。
しかし、忙しいのを言い訳にして、具体策も無く、ここ数年はただなんとなく何もせずに一年が過ぎてしまっている始末。
こんなことではイカンのです。
 ところで体重の話はさて置き、一般的に私たちには、ついついやってしまうことや、なんとなくできないことが多いものです。
この日常の「ついつい」や、「なんとなく」を少しずつ無くしていく努力を意識的に行うことが、とても大事なことです。
なぜならこれらは、人生において悩むほどのことではないけれど、長い時間その人の人生に影響を与えていることになるからです。
ほんの少しでも良い方向に行動が変わるということがなければ、大きく変わるということはとても難しいことですし、気づくために自分に何かとても苦しいことがやって来て無理矢理変えられるということにもなりかねません。
だから少しずつ良い方向に変わっていく、これが最も重要で、とても大切なことなのです。
そのためには、まず変わろうとすること。
次に何をどのように変えるかを見つけること。
さらに真氣光のエネルギーを受けることが、それらを容易にしてくれるのだと思います。
そしてやがて、思ってもみなかった、予想もしていなかった人生、生き方が目の前に現れるようになるのです。
これは誰にもわからないことであり、だからやってみなければならないことでもあります。
 人はマイナスの氣が存在するだけで、なかなか変われなくなるものです。
またその中には、私たちが変わると波動が変化してしまい側に居られなくなるので、私たちを変えたくないと、あの手この手で足を引っ張るものもいます。
長い歴史の中で、昔に比べるとより多くマイナスの氣の影響を受けているのが現代です。
ですから真氣光のエネルギーを受けることで、早くマイナスの氣にはプラスに代わってもらい、この世を次の段階に移行させなければなりません。
人の一生は長いようで短いものです。
「こころは穏やかに、でも少しは急ごう」と、自分自身を戒めています。
(中川 雅仁)
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(66)日本を敗戦国にしてしまった

 私が会長セッションで、ある人に真氣光を送っていたときのことです。
氣を受けるうちに、その人はみるみる苦しい表情に変わりました。
どなたか、辛い気持ちのまま体を失った魂の影響だと思い、私はさらに集中して氣を送りました。
魂に光が届くと、暗かった周りが次第に明るくなり、あるところから気持ちがどんどん楽になるのです。
 その時も、氣を受けるうちに苦しみが癒えてきたようで、言葉がしゃべれるようになったのでした。
聞き取りにくい声ですが、注意して耳を傾けると「日本を敗戦国にしてしまった」と言っています。
かつて戦争に導いたということで、戦犯として処刑された人々がいましたが、私はその関係の人のような気がしました。
ただ負けたことを悔やんでいるのかと思って聞いていると、どうやら日本が敗戦したことで欧米の考え方が主になってしまい、古き良き日本の強くて高い精神性がすっかり失われてしまったと嘆いていたのです。
真氣光を受けることで最後にその人は「今、私たちが力を貸さなければ・・・光の方に行く」と言って消えていきました。
あちらの世界から私たち日本人を見守ってくれていると思います。
 ところで、かつての日本には良いものがたくさんありました。
その一つに「修身」があります。
「修身」は、戦前の小・中学校の教科で、国民への道徳指導を目的としたものでした。
しかし、その内容に、天皇に対する忠誠心を育て、日本を軍国主義に導いてしまった要素が含まれているということで戦後GHQによって停止され、悪いものというレッテルが貼られてしまい、今ではすっかり人々の目には触れないものになってしまいました。
最近、『日本人の美徳を育てた「修身」の教科書』金谷俊一郎著・PHP新書(740円)という本が出版されました。
本の内容は「小学四年生の教科書より」から五年生、六年生までと三つに章分けして、昔の教科書から抜粋し後ろに解説がついています。
『初等教育の現場で教えられ受け継がれてきた、先祖代々素敵な「美徳」のお話を、再び不幸な戦争に導くことのないように細心の注意を払いながら』この本は執筆されたようです。
 これが小学生向けの内容かと思われるほど、大人の私が読んでも奥の深い話の数々で、中には読んでいて涙が出てくるものもありました。
昔から日本人は、このような美徳を大事にしてきたのです。
私たちの先祖は、体は無くても見えない氣のエネルギーとして存在しています。
私は本を読んでいて、「良いものは、しっかり伝えてほしい」という先人の声が聞こえるようでした。
(中川 雅仁)
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自らが動くことで、そこにある氣が変わる

 私は、昨日から安曇野で真氣光研修講座を開催しております。
ここからは、まだ雪の残るアルプスの山々や美しい清流の中のワサビ田を見ることができます。
この地に来ると「水が豊か」という印象を受けるのですが、これは細かい水路が毛細血管のように張り巡らされ、安曇野の大地をくまなく潤しているからです。
この水路、基本的には江戸期以前のそれとほとんど変わりはなく、中には平安、鎌倉時代からのものも今なお現役ということです。
「もともとこの地域の土地は小石を多く含む層からなっているので水は地下に潜ってしまい、小石だらけの河原となり、水が流れるのは大雨の時ぐらい。扇状地の上流と下流も湧水により早くから開けていたが、大半の中流域は農業の為には治水が不可欠」ということのようです。
今では考えられませんが、不毛の土地のために幾万の農民の苦労があったと言います。
江戸時代に入り水を取るところがもう上流にはなく、巨額の費用と労力、幾度もの失敗を繰り返しながら川から川へ等高線に沿うように横向きに僅かな高低差で水路が作られたそうです。
十に及ぶ村々を潤すある水路は、ある人の26年間というほぼ半生をかけた調査により完成されたということです。
 ところで、今月の氣配り画像には「自らが動くこと・・・」という言葉を入れました。
どんなことや、どんな状況でも、自らが動くことで、事態は変化するものです。
ただ何もせずに考えているだけでは良くなるものも良くならないばかりか、すでに悪い方へと向かっていることにもなるのです。
なぜなら人は何かことが起きて、それを良くしたいと思った時、たいていはマイナスの感情や考えに取り込まれてしまうからです。
とりあえず良いと思ったことを少しでもいいからやってみることです。
結果は思い通りに出せないかもしれません。
しかし、氣という観点を持って視野を広げてみると、良い方向に向かってエネルギーを動かしていることは確かなのですから、時間は掛かっても必ずプラスの結果を出せるはずです。
それを途中でやめてしまうから、全てが無駄になってしまったり、さらにマイナスの感情を抱えてしまうことになるのです。
プラスへ向かって行動した1時間、何もしないで考えていた1時間、同じ1時間でもエネルギー的には大きな差があるのです。
それを一日、一週間、一ヶ月、1年…。
そう考えると答えはおのずと分かるでしょう。
思っているだけでは、エネルギーは動かないのです。
安曇野の豊かな水の流れを見ながら、先人の偉業に思いを馳せ、自らの肝にも銘じるところです。
(中川 雅仁)
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疲れと氣の話

 今週末から大型連休に入りますが、皆さんは連休の計画など立てていらっしゃるでしょうか?
日頃の仕事の疲れを、ここで一挙に解消しようという方、レジャーや遊びに行こうと計画を立てている方、日頃出来ない読書をしようという方・・・。
私は、今日から4日間を愛知で、連休後半5月3日からの4日間を安曇野で真氣光研修講座を開催します。
大型連休で疲れを取ろうという方もいれば、数日後には大型連休ですっかり疲れたという方もいらっしゃるかもしれません。
今週は疲れと氣の話をしたいと思います。
 まず、疲れるとは、一体どういうことでしょうか。
人は体、心、魂という要素で成り立っていますから、それぞれに体の疲れ、心の疲れ、魂の疲れということが考えられるでしょう。
体の疲れは、身体を休めることで回復していきますし、心の疲れは、心穏やかに過ごせば良いのです。
では、魂の疲れは、どうすればよいのでしょうか。
 そもそも魂の疲れとは、どんなものなのでしょう。
私はそれを「自らの力で魂を成長させようとしてもなかなかできずに、いろいろな(マイナスの氣の)邪魔が入り、 どうにもならない状態」を言うのだと思います。
そういう時には、どうするか?まず体を休め元気になり、心穏やかに過ごし、そして見えないものとの関わりを少しずつ考えていくと良いでしょう。
すると「自分はいろいろな助けを受けて生かされている」ということに氣づくものです。
たとえ今の状況がどうであれ、まずそれに氣づくことが大事であり、そうすれば感謝できるものです。
自らに氣づき、謙虚になれた時、魂の疲れが少しずつとれていくのです。
そしてやがて魂は自ら輝くことができるようになり、魂の体力を取り戻すことができるのです。
それを強力にサポートしてくれるのが真氣光のエネルギーです。
 今のこの世の中は、すべてのことが早くなりすぎています。
体も心も魂も、この速さに追いつくのが難しくなってきているのです。
だから多くの人がどこかしら、疲れを感じているのだと思います。
文明が進み、人が楽になることと、自らが作り出してしまった道具やモノに振り回されてしまうことが、同時に起きている今、それに氣づき、何が必要で何が不必要であるかを、うまく選択して、よりよい生活をしなければなりません。
体、心、魂、この三つを疲れさせずに成長させていかなければならない時代なのです。
魂の疲れを感じている方は、真氣光のエネルギーを集中的に受け、最も効率的にそれを回復させられる真氣光研修講座をお薦めします。
(中川 雅仁)
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氣づいて魂を成長させる

 昨年末の新型ハイゲンキに続きハイゲンキ2型用パワーコネクタの発売により、宇宙からの氣の中継量がまた一段と増し、私たちはそれを利用することで、よりいっそう良い方向に変わって行ける準備が整いました。
 つい先日、ある方から質問がありました。
「私の場合、新型ハイゲンキを注文した直後くらいから、急に不安定な気持ちになり、人の言葉に敏感に反応して落ち込んだり、何だか力が沸かなかったりで、パワーアップした感じが全くないのですが、これは今まで溜まっていたマイナスの氣が出て来た反応と見ていていいのでしょうか?」というものです。
これは好転反応の一種ですが、ただ静観していればよいというものではありません。
 私たちの氣の体(魂)は、真氣光の光が入ると時にはマイナスの氣が出て来て昇華され、より輝きを増し成長すると同時に、心や意識も氣づきによって大きく進化します。
つまり真氣光は人が幸せになるいろいろな効果をもたらしますが、本質は氣づきを促すエネルギーと言えるのです。
 私たちは、思うこと、感じること、考えること、常にそれらを行いながら生き、それに基づいて行動しています。
しかし真氣光を活用し魂を輝かせようとするうえで重要なことは、「何を思い、何を感じ、何を考えるか」ではなく、「何に対してそれを思い、何に対してそう感じ、何に対してそれを考えるか」ということなのです。
なぜなら、その対象となる事柄や人にこそ答えがあり、氣づきのチャンスがあるからなのです。
 前述の質問の件で言えば、「急に不安定な気持ちになる」という状態が、何に対してそのような気持ちになるか、「人の言葉に敏感に反応して落ち込む」ということであれば、誰に対して・何という言葉に対して反応するか、以前の自分の体験に似たような気持ちになることは無かったか、両親や祖父母はどうだったか等々、その対象となるものを時には過去に遡ってじっくり観察して調べていくと、その過程で、いろいろな発見や氣づきがあり、それがその人をよりいっそうプラスに変えるのです。
 つまり、そこには周りの氣との深い関係があり、見えないエネルギーの交換があるからです。(月刊ハイゲンキ「マイナスの氣を受けない生き方」など参照)
自分の状態だけに目が向いたままだと、そこで起きていることの意味がわからずに解決が長引いてしまいます。
また、しだいに気にならなくなったとしても、原因が残っていれば、また同じことがやってくるということになりかねません。
ですから、しっかりと、そのことを理解して、氣づいて魂を成長させることに意識を向けることが重要なのです。
(中川 雅仁)
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縁は自分次第

 東京では、そろそろ桜の花が散り始めているところです。
街中のあちらこちらで、研修生などの名札を付けて新社会人と思われる若い人たちと出会う機会が増えました。
また我が家のそばには大学があるので当分の間、新入生と思われる学生さんたちで駅前が大混雑しそうです。
この季節には、若い人たちばかりではなく私たちのような年代でも、人や場所、さらにはモノとの間に新しいご縁を作る機会が増えるのではないでしょうか?
 ところでこの「縁」ですが、私は常々「ご縁を大切に」とお話ししていますが、実に不思議なものであり、氣の話抜きには語ることは出来ません。
今日は少し解説をしたいと思います。
 どんな人も心や意識に合わせた見えない氣のエネルギーを発していますが、それが周りにあるプラスやマイナスの氣と同調して引き合います。
ですから、どんな人と縁を繋ぐかは自分が今何を考え、どういう心持ちでいるかで決まるものであり、さらにはどんな行動、生き方をしているかで縁は変わってくるのです。
ですから日頃からプラスの氣の応援が受けられるように真氣光をしっかり受けると共に、心をプラスの方向に、つまり良い氣を発せられるようにしたいものです。
 しかし、ここで間違ってはいけないのは、自分の思い通りの縁を引き寄せられると思ってしまうことです。
例えば、誰かと縁を繋いだとすると、それはその人とだけではなく、その人に関わっているいろいろな見えないもの達とも縁を繋ぐということで、それはとても複雑なエネルギーの状態をしているのです。
 だから少しでも、いや出来る限り良い心持ち、プラスの心、正しい心を持って、その人と接しなければ、その人の持つ複雑なエネルギーの中のマイナスのものと、縁を繋ぐことになってしまい、一度マイナスの方向で縁を繋いでしまうとなかなかプラスとは繋がらなくなってしまうのです。
 どんな人にも、表と裏とも言えるようなプラスとマイナスの面があるものです。
私たちは、たとえマイナスの面がよく見えてしまう人がいたとしても、その人の表つまりプラスの面を見て縁を繋いでいく努力が必要で、それができれば、その人にもプラスのエネルギーが伝わり、やがてマイナスの部分が少しずつプラスに変わって行き、もっと良い関係を築くことができるのです。
しかし、それでも悪い面ばかりがどうしても気になり自分が苦しくなるときには、少し距離をおいたり時間をかけたりして、真氣光を受けることで自分のエネルギーを高める必要があるでしょう。
どんな場合にも、ご縁のあった人が良い・悪いではなく、すべては自分次第ということなのです。
(中川 雅仁)
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