氣とプラセボ効果

 皆さんは、プラセボ効果という言葉を聞いたことがあるでしょうか?
これは、薬でも何でもないものでも、医者に薬だと言われて飲んだら、効いてしまうことがあるというものです。
この効果は広く知られていて、最近の研究では、それが砂糖の錠剤だと知っていても、安眠効果があったり、他の人と同じ時間だけ睡眠を取ったとしても、より良質の睡眠を取ったのだと信じれば、さまざまな作業でより良い成果を出せるようになるとのことです。
さらにある研究では、偽の痛み止めクリームを与えられた人々は、脳内の痛みを感じる領域が不活性になっていることがわかったり、また別の研究では、同じような偽のクリームが、脊柱の細胞を活性化することが示されました。
しかし、現在の科学では、このプラセボ効果が働く仕組みは、よくわかっていないということなのです。
私は、人には心や意識というものがあることで、「これで治る」という思いからプラスの氣が集まり、それが氣を高め、体に良い作用が働くものだと思います。
 このようなことから、薬を開発するときには、このプラセボ効果が出ないように、医師からも患者からも偽薬か本物の薬かを分からないようにする二重盲検法で試験します。
昨年、私は、い氣い氣ラジオ特別編でゲストに川嶋朗先生(東京有明医療大学教授)をお迎えしました。
その時に、この二重盲検法について、この試験方法そのものが意識の力つまり氣の存在を認めていることだという、興味深い話を伺いました。
両者が分からないようにするのは、分かっていると、何らかの作用が出てしまうということを認めているから、つまり「氣のせい」ということになるので、わざわざ両者から分からないようにしているということなのです。
川嶋先生は、「プラセボ効果を大いに利用すべし、お金もかからない、副作用もない、こんなに良いことはない」と言われていました。
興味のある方は、こちらからどうぞ→(https://goo.gl/Ra43qD
 それでは、真氣光で効果を感じるのは、プラセボ効果によるものなのでしょうか。
これについては、西本真司先生によって、ハイゲンキの二重盲検法の論文があります。
見た目は全く同じハイゲンキ照射ヘッド、氣の出るものと出ないもの二種類を用意して、試験した結果、照射ヘッドからの氣の効果が認められるというものでした。
 これらのことから分かることは、ハイゲンキや氣グッズからも氣が出ていますが、さらに心や意識というものがプラスの氣を集めますので、これを上手く利用することで、より多くの効果を引き出せます。
ですから私は、月刊ハイゲンキやセミナーなどを使って、できるだけ解説するようにしているわけです。
(中川 雅仁)
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あー良くやった!自分へのプレゼント

 私は、たくさん働いて、とっても疲れた時には、氣を受けるということもありますが、仕事でも氣は受けているのですから(笑)、それに加え、心で氣を高めるためのいろいろな方法を利用しています。
例えば「疲れたー」という言葉が出そうな時には、「(疲れたけど)あー良くやった」と言うようにして、言葉からネガティブな発想がなくなるようにするとか…。
先日も仕事が一通り終わって何だか凄く疲れた感じでしたので、まず床屋に行きました。
頭を刈ると、さっぱりとした気持ちになるものです。
そして、30年前から知っている焼鳥屋に、久しぶりに寄ったのです。
その店は、カウンターがメインの小さなところで、店の大将をはじめ従業員もご高齢(普通ならとっくに定年退職)ですが、私の心がタイムスリップして、すっかりリラックスしてしまいました。
1時間程ですが帰る頃には疲れが吹き飛び「また明日からエンジン全開、バリバリやるぞ」と、思えるようになるから不思議です。
 たまには自分へのご褒美など、プレゼントも良いものです。
また何か、そういうものがあると、馬の鼻先にニンジンをぶら下げるではないですが、やらなければならないことへの集中力が増すということがあります。
学生時代、プレゼントという英単語には、「贈り物」という意味の他に「現在」という意味があることを知りました。
言葉の由来や正確な意味は、私にはわかりませんが、過去にやって来たことへのご褒美が、今に繋がっていると思います。
その延長で考えると、今やっていることがしっかり出来ないと、将来のご褒美もないということになります。
つまり、過去に起きたいろいろな出来事、それには嫌な事があったかもしれないけれど、今ちょっとゆっくり出来ているなら、それは神様がくれたプレゼントですから、感謝して楽しめると身も心も癒されるでしょうし、また将来のために、今やらなければならない事に集中して、全精力を傾けて一生懸命にやることなのです。
 私たちの先祖の多くは、休むことなく働いて、今の豊かな日本を作ってくれました。
中には、働くことを強要されたために「休めない、休んじゃいけない」と心に鞭を打って、あるいは周りから「休むな」と鞭を打たれて、働いてきた辛い人もいるでしょう。
そのようなマイナスの氣の影響を受けると、生活の中に楽しみや喜びを見失いがちになるものです。
氣を受けるとともに、時には自分の過去からのプレゼントに感謝して、趣味や好きなこと、楽しいこと、何かウキウキと心躍ること等、人生を楽しむ心を持てるようにしたいものです。
(中川 雅仁)
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あいさつに良い氣をのせて

 私は、今週水曜日から、ここ熊本・阿蘇に来ており、11/2~5の日程で真氣光研修講座を開催しております。
この度は、九州を中心に北海道や関西地方からも総勢31人の方が集まって下さいました。
毎年参加してくださる方に加え、数年ぶりに参加した方、あるいは全く初めてという方など、見えないご縁で繋がっている皆さんです。
 2日目の今朝は、この講座では初めての氣づきの時間(いいとこ探し)がありました。
「研修に行こう」と申し込みをした時点から真氣光のエネルギーは届き始めるので、私は「そこから振り返って考えてみて、何か良かったこと、気がついたことはなかったでしょうか」といつも聞いてみるのですが、今回もたくさんの人が発表をしてくださいました。
その中に、「職場の仲間としっくり行っていないので、自分を省みて、・・・に気をつけようと思います」と発表してくださった方が居ました。
さらに付け加えて、「少しトーンを上げ明るくなるように挨拶にも気をつけます」とも言われ、私は「これは小さなことかもしれないけれど、氣の観点から考えると、大きな一歩にもなることだ」と感心したのです。
 真氣光では、どんなに周りの人や事柄に問題があっても、まず自分の氣を高め、自らプラスの氣を発せられるようにすることを基本としています。
プラスの気持ちを持って言葉を発するという行動は、自分からプラスの氣を出すということであり、周りからプラスの氣を集めます。
この挨拶で、直ぐに周りの人から良い反応はないかもしれませんが、自分に返って来るプラスの氣があるということなのです。
ですから、これを続けられることで、積もり積もったプラスの氣が、大きな効果を引き出すことになるわけです。
 さらには、その人を幸せにしたくないというマイナスの氣も、その良い氣をのせた挨拶を聞いています。
マイナスの氣にとっては、波動が合わなくなって、そこに居づらくなるので、何とかそれを止めさせたいと邪魔をしてくるかもしれません。
しかし、それを実践しているうちに、自然にマイナスの氣にも光が届き、そこから離れなければならなくなるばかりか、周りの人へも光が届くようになるのです。
 この方のように、小さなことでも、自分が良いと思うことを決心して行動してみることは、自分自身の魂を輝かせます。
あいさつに良い氣をのせることは、毎日の生活の中で多くの人が使いやすい方法と言えるでしょう。
真氣光をしっかりと受け、自分の心に余裕を作り、周りの人への挨拶に、良い氣をのせていただきたいと思います。
(中川 雅仁)
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女性特有の冷えとマイナスの氣

 「中川雅仁の今日も一日い氣い氣ラジオ」10/29放送分では、だんだん寒くなってきたので冷えの話題にしようかと、スタッフの佐久間郁子さんと話をしていたのですが、私にとってちょっとした発見がありましたので、きょうはその話にしたいと思います。
冷えと言っても私などは、お腹の脂肪が溜まっているところが若干冷たい感じがする程度で、いつも手足が熱く、特に足などはいつも裸足でいたいほどなんです。
しかし、特に女性は足や手など体のあちらこちらに冷えるところがあるようで、しかもいつも冷たいのに、いつものことだから、それを特別に冷えとは感じていないということもあるようなのです。
 私は、冷えもマイナスの氣の影響があると、これまでもお話ししてきました。
それは、体が冷えるという人に氣を送り、その人から出てきた魂の話から分かったことで、海や川など水の中で亡くなった、あるいは寒いところ、例えば雪の中や山、シベリアなどに抑留されて亡くなったなど、そのような人が自分の辛さ、無念の思いを分かって欲しくて、寒さを伝え訴えていることがあるからです。
 今回、話をしている中で、「田植えで足が冷たくなる」という話から、私の頭の中に、女性がとても苦労している姿が想像されました。
昔は、男性ばかりではなく女性も重要な働き手でしたから、特に他家から嫁いできた若いお嫁さんは、新しい労働力としてずいぶん期待されたことでしょう。
農家なら畑仕事はもちろん、炊事、洗濯、掃除、さらには育児と、やらなければいけないことがたくさんあったはずです。
もちろんゴム手袋や温水など無いですから、素手で冷たい水を使わなければならないでしょうし、住宅事情も悪いうえに十分に身に付ける防寒着なども無い時代ですから、体のあちらこちらに冷えを感じ、そのようなたいへんな状況から、辛い悲しい思いを抱えたまま、亡くなっていった人もいたことでしょう。
さらには以前2002/11/28号で書きましたが、他家から嫁いで来て姑に冷たくされ、光を失い暗い魂となってしまった人の話のように、冷たくなった手足や体ばかりではなく、心がとても冷たくなってしまったことが大きな原因となり、光を失ってしまった人たちも多いのではないかと思うのです。
 このようなことが女性特有の冷えに関係していることがあるかもしれませんので、思い当たる人は、まず冷たさを感じるところにヘッドを当てながら、自分自身に冷たくなっている心はないか?と意識を向けてみましょう。
もしかしたら、分かって欲しい誰かが関係しているかもしれません。
ヘッドを利用して、あちらこちらの冷えにスポットを当てていただきたいと思うのです。
(中川 雅仁)
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誰かを変えるきっかけ

 ニュースを見ようとテレビのスイッチを入れたら、タイの国技ムエタイ(キックボクシングのような格闘技)をする可愛らしい18歳の日本人女性選手が出ていました。
ここ三年ほど負け知らずとのこと。
五年生の時にムエタイの美しい蹴り技をみたことがきっかけで始めたというのです。
野球やサッカーなどアスリートの中には、ある選手の活躍に憧れ、それがきっかけになったという人の話をよく聞きます。
その人の人生を大きく変える「きっかけ」というもの、またその「きっかけ」も人の関与が多いことに、私は氣の観点から興味を感じます。
 かく言う私も、サラリーマンから今の仕事に変わりましたが、「父がやっていた真氣光だから」と単純なきっかけではありませんでした。
確かに研修講座に参加して氣の素晴らしさを体験していたのですが、この仕事に変わる直接のきっかけは、精神的な不調に陥った当時の同僚に、研修で習得した氣の治療をしたことです。
さらには、その同僚と働いていた電機会社ですが、入社することになったのは、ある先輩が大学に来て薦めてくれ、すごく興味を惹かれたことがきっかけでした。
 私は、どんな人も氣を持っていると説明しています。
それは見えない光のようなもので、周りの人や物さらには見えない氣等、いろいろな存在の氣の影響を受けて変化しているのですが、逆に言えば、誰もが周りに何らかの影響を与えています。
そして特に人に影響を与えるなどの場合、相手に理解できる言葉や行動にできると、さらに強い氣が届けられるということなのでしょう。
ムエタイの選手であれば、美しい蹴り技から発せられた光のようなプラスの氣が彼女に伝わり、より一層輝かせる方向に作用したのでしょう。
 人をも変えてしまう私たちの氣ですが、できれば周りを良い方向に変えたいものです。
真氣光を知って、人生が大きく変わったと言ってくれる人も多くいます。
その中には、きっかけが古本屋の本棚から落ちてきた一冊の先代の本だったという人もいます。
先代の氣が伝わったのでしょう。
私も、お会いする人、ご縁のある人が、少しでも光り輝く方向に変われるよう、できるだけのことがしたいと心掛けています。
まだまだ発展途上ですが、誰かのためになれるかもしれないと考えることは、とても嬉しいことだからです。
どんな人も誰かをプラスの方向に変える、きっかけになり得ます。
時には、その人の人生をも変えるということがあるでしょう。
これはどんな仕事でも、学生や主婦にだって、あるいは妻や夫、子や孫、友人…という関係の中でも可能です。
真氣光を利用して、まず自分を輝かせることからも、できることだと思うのです。
(中川 雅仁)
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より輝くために、考える

 私は、火曜日に真氣光研修講座を終え、緑に囲まれた比叡山の麓・京都から、東京の高層ビルの中に戻ってきました。
京都には、たくさんの宗教が集まっています。
今回の研修では、宗教に関わってきたけれど光になれなかったという魂が、真氣光によって光のほうへ逝かれるということがありました。
既存の宗教では解決がつかない、まだまだマイナスの氣となっている部分にも、宗教の垣根を越えて真氣光の光が浸透していく必要があるようです。
 私が洗心の指標など心の話を時々しますので、真氣光も宗教のように思われる方がいらっしゃいます。
しかし、真氣光は宗教ではなく、目には見えないけれど光のような、宇宙からの氣の「エネルギー」なのです。
私たちは、氣・体・心という大きく三つの要素があり、せっかく氣を取り入れても体や心にマイナスなことをしていると、氣の効果も思うように上がらないので、心の話もするわけです。
ですから、何か特別な教えがあって、それにそった生活をしていくというのとは違い、真氣光のエネルギーを受けて、その人に本当に必要なことに気づくことで自ら変わっていくというようなものなのです。
 ところで、一見良くない出来事や、解決したい問題点のために真氣光を受けている人も多いと思います。
それらはたいてい、マイナスの氣に端を発した、いろいろな原因が複雑に絡み合っているものです。
私は昔、製品開発の仕事をしていました。
試作品を作り性能を確認して、目標に達しない時には原因を突き止め、それを改善して、目標性能を持つものにするという仕事でした。
難しいのは、問題点を作り出している原因がたくさんあって、それが複雑に絡み合っている場合です。
それを「こうかな、ああかな」と考え対策を施す…しかし、まだダメで目標にはほど遠い…でも少し良い方向に行けば、それも原因の一つと考え、それを踏まえた対策をまた考える…このようにトライ&エラーを重ねるうちに、少しずつ絡み合った原因の糸がほぐれ、糸と糸が分離できて、取り除けるようになるものです。
 私たちの周りに存在するマイナスの氣も、一つではありません。
いろいろなマイナスの氣が複雑に絡み合っています。
真氣光を受けながら、いろいろなマイナスの氣に意識を向け「こうかな」と自分の考えや行動を少しずつプラスのほうへ変えていくことです。
真氣光をはじめとするプラスの氣が、応援するように蔭で働いてくれていますから、越えられないハードルはありません。
そうやっているうちに、ある時気がついたら、以前よりもずいぶん光り輝いている自分に気がつくということになるのです。
(中川 雅仁)
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プラスの氣を感じよう

 私は、月刊ハイゲンキの真氣光教室のページで「意識を使おう」というシリーズを連載しています。
氣は意識することで、大きくその効果が違ってきます。
もう間もなくお手元に届く11月号、さらには先月号で、このシリーズの中でも最後の章として「プラスの氣を意識する」ということについて解説しました。
 真氣光は強力なプラスの氣ですから、「絶望」を感じているような人にも、「希望」が湧いてくるようにできるものだということで、私は「絶望を希望に変える氣の力」という本を出版しています。
ですから、真氣光を始めた人の中には、自分の体をはじめ身の周りのいろいろな問題点に対して、氣を利用し解決を図ろうとしている人が多いことでしょう。
マイナスの氣についてよく知ると、現れている問題点の背景に、どんな原因があるのかがわかります。
そして、それをヒントに自分の考えや行動を変えていくことで、マイナスの氣は、プラスの氣へと加速度的に変わるのです。
これは大事なことなので、氣を受けながらしっかりと実践することですが、特に大きな問題点に直面している人は、ついマイナスの氣のことばかりが意識されるということになるかもしれません。
しかし、どんな人にも、もともとプラスの氣が見守ってくれていますし、真氣光を継続的に受けている人は、これによって必ずマイナスの氣がプラスの氣に変化し、応援してくれる存在に変わっているのです。
 真氣光も意識することで吸収力を上げられますから、ヘッドを体に当て摩ったり、コロコロしたり、振動させたりすることをオススメしています。
そして、これら応援してくれているプラスの氣も意識できることで、その影響力を増すことができます。
必ずプラスの氣によって良いことが起きているはずですから「いいとこ探し」をして、「ありがたい」と感謝することで、プラスの氣と波長を合わせましょう。
また、何気ないところで「ホッとする」「気分が変わる」「気にならなくなる」「幸せを感じる」等々…いつも見守ってくれているプラスの氣が、感じられるものです。
ちょっとした心の余裕から、それを感じられるということはプラスの氣が意識され、さらに良い効果を生むでしょう。
 私は、真氣光プレートブースターという強力な氣グッズに続き、ブースター・ミニという氣グッズを開発しましたが、これが今週末から順次出荷開始となります。
宇宙からの真氣光のエネルギーも強くなっていますから、真氣光というプラスの氣、あなたを光に導いてくれたプラスの氣、さらにはマイナスがプラスへと変化したプラスの氣…たくさんのプラスの氣を感じていただきいと思うのです。
(中川 雅仁)
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被害者意識と決別しよう

 先週は、台風の中、福岡・熊本から名古屋そして札幌とセッションのために回って来ました。
以前もそうでしたが、この季節は図らずも、台風と共に北上しなければいけないことがあるようです。
これも氣のせいでしょうか?できれば御一緒したくはないものです。(笑)
しかし、ありがたいことに大きな混乱もなく出来ていることに、私は大きな取り計らいを感じ、感謝の気持ちを毎回新たにするのです。
 ところで私も、台風が来るという情報を前に、何の対策も考えずに「どうにかなるだろう」と安心しているわけではありません。
台風の進み具合を考慮して、いろいろな行き方など対応策を事前に考え、時には複数の飛行機を予約するなど出来るだけのことを準備します。
 このような台風等という自然相手の場合には、「仕方がない」とすぐに思えるのですが、これを拡大して考えれば、私たちは、時には被害者とも言うべき、酷いこと・たいへんなことに遭遇するものです。
その時に、悩んだからと言ってどうにもならないのに事態の深刻さに悩み、変えることのできないことに時間を浪費してしまうのです。
先代は、自分のせいではないのに、自分が作った会社の倒産という憂き目に何回か遭っています。
そのような体験から得られたのだと思うのですが、「早々に仕方がないと割り切って、無数の対応策・善後策を考えることに時間を費やすべき」という人でした。
さらにはついつい、そのような事態に遭遇している自分を哀れむことになりがちですが、先代はそのようなことも一切せずに「これにも何か意味がある」「今までも何とかなった」他、小さなことでも「いいこと」のほうを見つけ出し、プラスの氣を集めていたのです。
 私は、サラリーマン時代、なんで自分ばかりがこんな目に合うのかと、周りの人のせいにして愚痴を言っていましたが、自分で自分の首を絞めていたということに研修講座に参加して気がつきました。
人生について不平・不満を言ってエネルギーの浪費をするばかりではなく、プラスの氣を遠ざけマイナスの氣を集めていたのです。
自分に強く影響しているマイナスの氣が、周りの人を使って被害を与えていることもあります。
嘆いていては、苦しめたいというマイナスの氣を喜ばすだけです。
どんなに周りによって被害を被ったとしても、被害者意識を持つことには何のメリットもありません。
真氣光を受け、マイナスの氣をプラスに変えるとともに、まず自分が変わること、つまり人のせいにする考え方を捨て「自分はこんなことが出来る」等、将来に向かって建設的な考え方を優先することが大切なのです。
(中川 雅仁)
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敬老の日を前に思い出す祖父の言葉

 次の月曜日は、敬老の日ですね。
今週の「今日も一日い氣い氣ラジオ」では、私の祖父の話になりました。
父方の祖父は、2004年95歳で亡くなりましたが、整体・指圧マッサージを主として、歩く健康雑学辞典のような東洋医学の治療家として、亡くなる直前まで活躍していました。
先代の時代はもとより私の代に変わっても、真氣光研修講座に来て、会員の皆さんに氣をお分けしていましたから、知っている人も多いのです。
私を含め家族中が、いろいろなことを教わりましたから、よく家族の間でも話題に上ります。
思い出す言葉も、いろいろあるのですが、その一つに「言いにくいことは、最初に言いなさい」という言葉があります。
祖父の目から見て私は、言いたいことが、なかなか言えない孫だと思ったのでしょうか?社会人になってから言われたのですが、「祖父もいろいろなことを体験して得たことなのだろうなぁ」と思え、良く覚えているのです。
 今よく考えると、氣の観点からも大事な言葉だと思うのです。
言いたいことがあっても、相手と話しているうちにマイナスの氣が邪魔をするように働いて、その人の決心を鈍らせるということがよくあるものです。
決心して話すということは、結果の善し悪しに関係無く、その人がその先の進路を自分で決めるということです。
悪い方向に引っ張ってやろう、回り道をさせてやろう、幸せの方向に進まないようにしようと、画策をしているマイナスの氣に隙を与えないということです。
少々勇気のいることですが、「エイ・ヤーッ」とばかりに気合いを入れられるのは、話の最初だけかもしれません。
私も、社会に出て、いろいろな場面で、この言葉を思い出す時がありました。
サラリーマン時代に任された仕事が上手く行かず上司に報告した時、サラリーマンをやめると決心した時、今のこの会社を任された時、そしてそれからも、良いことばかりではありませんから、言いにくいことがたくさんありました。
 また、この言葉は、人からのお誘いや要求の話にも応用が利きました。
真氣光を取り入れると、ご縁のある話や人・事柄も良いことが多くなります。
しかし、ここで間違ってはいけないことは、舞い込んで来るのは全てプラスのことと勘違いしてしまうことです。
自分の意にそぐわないこと、本心から喜べないこと、聞いてもピンと来ないこともたくさんあります。
その時に、自分が進むべき方向は、流されずに自分で決めることが大事であり、相手にヘンな希望を持たせないためにも、早めに「はっきり断る」ということです。
理由など特に必要ありません。
相手との良好な関係を考え過ぎると言いにくいことですが「ごめんなさい」と言うことなのです。
(中川 雅仁)
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自分を好きになること

 昨日から9/10(日)までの日程で、広島は宮島での真氣光研修講座が始まりました。
いま私は、少しゆったりしたような島の雰囲気を味わっています。
研修講座では、まず自分に氣を集めるところから始まり、次第に周りの人に氣をお分けするということを実習します。
自分がたいへんな時には、何もしてあげられないということからも分かるように、「まず自分」ということが基本になるもので、私が講座を受講したときに一番大事なことだと感じたのもこのことです。
どんなことでもそうですが、例えば、周りの人を楽しくするには、自分が楽しい気持ちになることから始めることです。
ストレスの原因の大半は、人間関係にあるといわれます。
研修講座は団体生活ですが、人が苦手という人もいます。
この「まず自分」という理屈を適用すると、他の人を好きになるには、まず自分を好きにならなければいけないということになると私は思うのです。
小さい頃から自分の欠点・嫌なところばかりが目について、ずいぶん前から自分が嫌いな人もいるでしょうし、嫌いなことは意識していないけれど、自分をけなしてしまう、他人と自分をすぐに比較してしまう、人のことを羨ましいと思う、希望が見えず自分には明るい未来は無いと思ってしまう等々…そのような人は、自分を本当に好きとはいえないでしょう。
 自分が好きにはなれない人の中には、何かの失敗が頭から離れずに自分はダメな人間だとレッテルを貼ってしまい、自信をすっかり無くしてしまうということがあるものです。
自信過剰も困ったものですが自信が無いのはもっと困ったものです。
自信が無いと、何にもチャレンジが出来なくなってしまいます。
行動しないから、失敗も無いのだけれど、成功することもあり得ません。
失敗から気づいて軌道修正されることもないのです。
つまり何も変わらず、悪い状態のまま、それがずっと続いてしまうことになります。
 その人の家系に昔から恨みを持ち、邪魔をするように影響を与えているマイナスの氣は、生きている人の自信を無くさせるということが上手で、隙あらば失敗に導きます。
しかし、生きている私たちは、失敗することから学ぶことができます。
そうしてだんだんマイナスの氣に隙を見せなく出来るのです。
マイナスの氣に負けていては、マイナスの氣の思うツボです。
自信はないけれど、よく考えてやってみる。
上手くいったら自分を褒める。
失敗しても、それは貴重な体験で、その学びは次に必ず生きるのです。
周りの人も人の失敗を温かく見守れる寛大な心が必要です。
真氣光の応援を受けながら、それらをやっていると、いつしか「こんな自分?」でも好きになっているものです。
(中川 雅仁)
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