たいへんな事故にあって、九死に一生を得た人の話を聞きました。 「よく生きていられましたね」と思わず言葉が出ましたが、まさに「命あっての物種」です。 ことわざ辞典によると「命あっての物種とは、何事も命があればこそで、命はすべての元だということ。 『物種』は物事の根源となるもの。 生を肯定的に見る思想とも言えそうだが、実際の例では命をかけるような危険を冒すなというニュアンスがうかがえる。 平安時代の仏教説話に『命は一生のたから』とあるように、命を大切にする考えは日本には古くからあった」とあります。
では、命とは何でしょうか。 私は[生きているから体の中に氣のエネルギーがある。 体を失っても意識を伴った氣のエネルギーは存在していて、それを魂という。 だから体を失っても意識は残るが、体を持っているこの時期というのが、非常に重要だ]と考えています。
体を持っている私たちだけが、体を通して大きく氣のエネルギーを増やすことができます。 マイナスの感情を持ったまま体を失うと、ずっとそのままの感情が続いてしまうわけです。 体がある分、不便なことはたくさんあります。 辛くてたいへんな時には、氣のエネルギーも落ちることがあるでしょう。 ですが、体を通してプラスの感情が湧き起こります。 たとえば美味しいものを食べる、誰かに話を聞いてもらう、温泉に入る、気持ちいい、といった感情は体がないと得られません。 寝るということさえも体の欲求ですから、体がなければできないことです。 そうやって、たいへんな時を超えられると、飛躍的に氣のエネルギーは増えるのです。 さらには、真氣光を受けていると、どんどん自分の中に氣のエネルギーを取り込めるので、早くたいへんな時期を乗り越えられたり、周りの家族や友人、さらにはご先祖のような存在に光のようなエネルギーを送れることになります。 既に亡くなっている方の中には、その光をずっと待っている人もいます。 生きていることだけでも、私たちの体から出る光のような氣のエネルギーは、見えない魂に届くのですが、真氣光で外からエネルギーを入れられると、さらにそれが加速されるというわけです。 助けたいというプラスの氣ばかりではなく、光を待っているマイナスの氣もあります。 だからこそ今この体がある時間を大切に、日頃から真氣光をしっかりと受け、氣のエネルギーをどんどん増やしていくことが、自分自身の力となり、見えないところで繋がる多くの存在への支えにもなるのです。 「命あっての物種」——体を持って生きているこの時こそが、かけがえのない宝だということを、改めて思うのです。
