定期的に自分の心を省みる

 明日から、北海道小樽は朝里川温泉での真氣光研修講座です。
私は、きょう出発しますので、少々朝からピッチを上げています。
研修講座前なので、氣の充電という観点も大事ですが、目に見える部分のお仕事も(この原稿もそうです)集中してやっています。
私は一人住まいですから、家を数日にわたって留守にする時は、特に台所周りの掃除とゴミ出しも気をつけています。
以前、うっかり生ゴミを捨て忘れて出張したことがあって、返って来てから反省したことがありました。
嫌な臭いが出迎えてくれるほど、不快なものはありませんね。
また、私は月刊ハイゲンキなどの原稿書きや校正で、家に缶詰状態で仕事をすることがあります。
以前、あまりにも立て込んでいて、2日ほど備蓄した物を食いつないで、家から出ずに過ごしたことがありました。
全てが終わって、やれやれとゴミをまとめてマンションのゴミステーションに持って行き、家に戻ると、家のドアを開けたとたんに何となくさっきのゴミの臭いが残っていたのです。
あまりにも周りを省みずにいると、少しずつ臭いが出ていても全く気づけないことがあるもので、それ以来これも教訓にしています。

 これと同じようなことは、自分の生活習慣の中にもあるものです。
自分の中では、何の違和感も無いものが、周りとの比較など客観的に自分を見られることによって、自分を修正しなければいけないことに気づくというものです。

 マイナスの氣は、昔からその人に影響を与えながら、いつまでもそこに居続けようとします。
また、少しずつ自分の影響を与えられる領域を増やそうとすることもあります。
どのような場合にも、分からないように、そーっとやっています。
ですから私たちは、人の悪い所は分かるのに、自分の短所、欠点、マイナスの氣の影響を受けていそうなことに気づけなかったり、他人に指摘されると素直に聞けない等、それを直視することがとても難しいのです。

 定期的に受ける健康診断は、体の面でのチェックをしてくれて、悪い食生活や運動不足などの生活習慣を省みるきっかけを与えてくれます。
体に表れるマイナスの氣の影響は、違和感や痛みなどの症状になることもあるので比較的わかりやすいのですが、心に影響を受けている時には分かりにくいものですから注意が必要です。
自分では分かり難いので、他の人との間で自らが気づこう、発見しようとすることがとても大事になるのです。
またこのようなことから、真氣光のエネルギーを強力に取り入れ、マイナスの氣を浄化しながら団体生活をする真氣光研修講座の定期的な受講が、とてもオススメと言えるわけです。

真氣光でリフレッシュ!

朝起きて、「気分を変えたいなぁ」と思ったので、夕方まで休みにして、車で1時間半程、山の中の温泉に行って来ました。
温泉に行くと言っても、車の中には薄型大判プレートやプレートシート、音氣、さらにはいろいろな種類のヘッドを持ち込んで、行き帰りの時間が3時間、温泉に浸かっているのが正味2時間程ですから、真氣光を受けに行くと言うほうが正しいかもしれません。
お湯に浸かった後は、1時間ほど渓流の音や鳥の声を聞きながら、ホワイトセラミックヘッドをお腹にのせて、チェアの上でのんびりします。
すると、何やら贅沢な気分になって、すっかりリフレッシュされるのです。

気分を変えたいと思うことがあるものです。
スポーツで気分を変える、カラオケや趣味など好きなことをして気分を変える等々、皆さん、いろいろな方法で気分をリフレッシュすることと思います。
私も、散歩や水泳、ジョギング、毎日の生活の中でスッキリする時間を作るようにしています。
しかし、少々疲れが溜まっている時には、それらが面倒になったり、洗心のための指標にある「マイナスの氣を引き寄せやすい心」が多くなったり、プラス思考など自分の中からプラスの氣を作ることが、なかなかできなくなるものです。
私は、マイナスの氣の影響を受けていると、そうなるのではないかと考えていて、そのような時には「気分を変えよう」と、真氣光をしっかり受けるようにしています。

疲れだけではなく、嫌なこと・心配ごと・気になることが頭から離れなかったり、良い発想が湧かなかったり、マイナス思考に陥ったりすることがあるもので、そのような時に、「マイナスの氣の影響を受けているかもしれない」と、まず自覚できることがとても大事です。
そして、それを変えたい、一新したい、リフレッシュしたいと思い何か行動できることで、影響を与えていたマイナスの氣にも光が届き、より強い自分に変われるのだと思います。
そして、真氣光のエネルギーが受けられれば、さらにそれが促進されるのです。

また、真氣光を受けても、より強く重たいマイナスの氣の影響を受けている時には、気分がなかなか変わらない時があります。
そのような場合には、真氣光の受け方を工夫してみたり、センターや気功体験会で氣中継量の大きな氣グッズを使ってみる、スタッフからハイゲンキセッションを受ける、会長セッションを受ける、真氣光研修講座を受講するなど、より強い真氣光を受けてみることをお薦めします。

(62)石の上にも三年

私は、サラリーマン時代の’92年、初めて真氣光研修講座を受講して、「私のようなものこそ氣は必要だ」と感じ、父である先代がやっていたこの会社に入社しました。
当時は電機会社で研究開発の仕事をしていて、テーマが変わって間もない頃でしたので、上司からずいぶん慰留されました。
しかし、私の決心は固く、一年かけて周りの人に仕事を任せ、辞めさせてもらったのです。
私は、上司に相談する前に一人でじっくり考え、妻とも相談して悩んだ末に決断したのでした。
新しい仕事を任されてたいへんな時期でしたから、「石の上にも三年」ということわざも頭を過ぎりました。
その時は、このことわざを浅くしか知りませんでしたが、氣の性質をよく理解できるようになって、この言葉の深い意味がわかりましたので、氣の観点から説明します。

このことわざを、辞典で調べてみると「辛く困難なことも、辛抱していればいつか必ず成し遂げられることのたとえ。江戸時代から常用されていた」とあります。
単純に言葉の表面だけを捉えると、変化の激しい現代の世の中では、大事な決断をするときに誤った判断をしてしまいます。
辞典には、辛抱する場所がなぜ石の上なのか、現代では分かり難いであろうが、江戸時代には不安定な生活を言う慣用表現に「石の上のすまい」があったと説明しています。
さらには「不安定な石の上に長く座り続けることが忍耐につながり、自らの体温で世間という冷たい石も温められる」とあります。
これは、まさしく「自らの体温」という自分にあるプラスの氣が、年月をかければ、邪魔をするように働くマイナスの氣をも浄化し「世間という冷たい石」も温められる、つまりいろいろなことが変えられるということだと思うのです。

私は、私たちの心の状態によってプラスの氣・マイナスの氣が発せられ、それに応じた氣が周りから集まりますと説明しています。
強いマイナスの氣の抵抗勢力が影響していると、少々のプラスの氣が集まって来ても、なかなか事態は変化しません。
辛く困難なことには、更なるマイナスの氣を引き寄せることなく、じっくりと辛抱することが必要です。
そのうちに、プラスの氣は、自分をはじめ周りにもジワジワと伝わります。
私は、研修講座を受講して、「まず自分と自分の周りの氣を変えることから始まる」ということ、つまり何事も自分次第だということを知りました。
自分の側にあるマイナスの氣、周りの人に影響を与えているマイナスの氣、それらに打ち勝てるよう、真氣光という宇宙からのプラスの氣の応援もありますから、自らの氣を高めて周りに良い氣を広めていきたいものです。

「反省と誓い」の重要性

今日から愛知は三ヶ根山での真氣光研修講座が始まりました。
三ヶ根山のこの季節は、沿道に植えられた色とりどりの紫陽花(あじさい)が出迎えてくれます。
この辺りでは6/1から、あじさい祭りが開催されているそうですが、山の上は少し涼しいようで今が見頃の綺麗な色合いです。

ところで研修講座では、とても大事な講義「研修生活行法」から始めています。
オリエンテーション的なものなので見落としがちになるのですが、ここで私が最も知っていただきたいのは「反省と誓い」ということの大切さです。
研修では、たくさんの真氣光のエネルギーを受けていただくのですが、「反省と誓い」ができるかできないかで、その効果は全く違ってしまいます。
毎日の生活の中で、なかなか進歩が感じられない人には特に注意していただきたいことですので説明しましょう。

講座で配られる行持集には、「・・・自己自身の過去の生き方をふりかえり、新しい自分、本来の尊い自分、与えられた能力を最大限発揮する自分として生まれ変わるために必要なことを決心することと、その実現のために意識的に自分で自分を教育し、精進することが必要です。
・・・参加者一人一人が自分の目標を設定し自分に必要な誓いを、 自己の生命に誓い、またその反省をして、また新たな誓いをたてる(眠りの誓いの時)という形で一日一日を精神的進化の生活にします」と書かれています。

「氣とは自分の意識に同調して集まる」というものですから、ただ受け身的な意識であれば、その効果は小さくなってしまいます。
ですから、どのような自分に変わりたいのかを意識し、一日を反省して、変わっていこうと誓いをたてることが重要なのです。
しかし、いざ実行となると、なかなか難しいものですから、行持集では誓いのたて方のコツを『
1.無理のない、自然なこと。自分にも他の人にも良いこと。
2.簡潔、且つ断定調に(~したいと思います。ではなく~します)
3.段階的、具体的に(何日、何時、何曜日、何回など)
4.長期、中期、短期に分けて(1年、3か月、1か月、今週、本日など)
』と説明しています。

氣の観点ということを知ると、全てのことが自分次第であることが分かります。
私たちは、真氣光のエネルギーを取り出せる各種の氣グッズや氣中継器が利用できるので、誰の手を煩わせることなく宇宙からの応援を受けられます。
自分が一歩一歩変わろうとすることが周りをも変え、どんな壁も乗り越えられるのです。
真氣光を受けるとともに就寝前には、一日の反省をして明日への新しい誓いをたてていただきたいと思います。

聞こえていても聞けていない

私は、ボストンでの真氣光セミナーと個人セッションを終えて、水曜日の夕方に帰国しました。
毎年の米国行きですが、日本とは違って移民の国ですから、いろいろな人がいるものだということをあらためて感じます。
今回また新しい方ともお会いでき、皆さんのご先祖を通じて世界あちらこちらの国へと、ご縁が拡がっているようで嬉しく思いました。

ところで、私は英語が得意ではないので、同じように話されても、聞き取れる人とよくわからない人がいます。
母国語の訛りによるものですが、「聞く」ということには、マイナスの氣の影響もあるので注意が必要です。
30年以上前になりますがサラリーマン時代に、私はニュージーランドに行ったことがあります。
現地でレンタカーを借りて走っていたら、スピードがオーバーしていて、パトカーに止められてしまいました。
警察官が英語で何かを言っているのですが、私は気が動転していたせいで何度同じ事を言われても全く分からなかったのです。
ゆっくり言ってくれているのですが、サッパリわかりません。
取り敢えず免許証を出して、必死に聞き取ろうとするのですが、頭に入って来ないのです。
かろうじてホテルという単語から何処に泊まっているのかという質問がわかり、安宿のパンフレットを見せたら哀れに見えたのか、有難くも見逃してくれたのでした。
毎回たいてい同じ事を聞かれる入国審査も、はっきり言ってよく聞き取れません。
筆談なら何の問題もないのだと思いますが、耳からの音を単語や文章に置き換えることが、緊張することにより難しくなるのだと思うのです。
耳からの情報というものは、意識がそちらに向けられない・向かない・向きにくいということがあるもので、マイナスの氣が影響を与えやすいところではないかと思うのです。

日本語でも、注意や意識を向けないと頭に入って来ないものです。
話上手な人がいます。
どんどん相手の人との話が盛り上がっていくのですが、こういう人は、相手が気持ちよく話せるように考えて話す、つまりよく相手の話を聞いている人だと思います。
その人の身になって、自分と重ね合わせることで、波動の同調作用が働き、氣の部分までよく聞けるということになるのでしょう。
よく聞く・聞けるということが、マイナスの氣の影響を受けると難しくなるものです。
自分のテンポと違うからイライラして聞けない、意見が違う・聞きたくないことを言っているから聞けない、同じ事を何回も言うから聞けない、聞けない理由はいろいろですが、自分のほうにあるマイナスの氣を意識して真氣光を受けることです。
私の場合は、英語の上達を邪魔するものも含めて意識したいと思います。

決心が光を増やす

今日から私は、毎年恒例のボストンで開催するセミナーに行ってきます。
出発前に、この原稿もでき上がっていると、飛行機の中ではラクなのですが、そういうわけにはいかないものです。
なんだかんだと、いろいろなことが舞い込んで来て、今回もいつものような調子で、結局あと1時間後には家を出ないといけないという時間になってしまいました。
今週は第1週目ですから、月に一度の氣配り画像の配信もあるのに、まだ書くことも決まっていない状態でした。
今までの経験から、「もうダメかな」と思ってしまうと絶対にできないので「やってしまおう」と強く決心するべきだと、改めて思い直したところで、私のこの話をテーマにしようと思い立った次第です。

私は、決心することがマイナスの氣を遠ざけ、それによって行動ができると、魂のエネルギーつまり見えない光のような氣が一気に増えるということを、これまで数々の出来事から経験してきました。
「何とかなる」「どうにかなる」「やればできる」「やってしまうぞ」と、まず強く意識してトライしてみると案外簡単にできてしまうのです。
決心とは「心を決める」ということですが、決心する前の状態は、心が決まらない・決められないということ…これは中途半端な気持ちだったり、迷いや未来への心配があったりして、ただ時間だけを経過してしまうなど、マイナスの氣の影響を強く受けている状態とも言えるでしょう。
マイナスの氣は、その人の魂の光が増えると、そこに居られなくなるので、決心できないように邪魔をするのです。

簡単なことでも「いつかできるだろう」「できればやろう」「できるかなぁ」等と考えていたら絶対にできません。
強く決心しなければマイナスの氣には打ち勝てないのです。
そういう意味では、今回の私のようにタイムリミットがあるということは、非常に有難いことです。
逆に考えると、これがないとなかなかできません。
ですから、タイムリミットを自分で決め、それができると達成感が自信になりますから、私は何事にもこの繰り返しが大切だと思っています。

また、決心できても途中でくじけることがあるものです。
マイナスの氣も、あの手この手で邪魔をしてきますが、それに負けていては、あちらの思う壺です。
そんな時は、また新たに決心をすればよいだけで、その分だけ光が増えていますから、何回もやればやる程、実行に移すのが容易になるはずです。
6月、今年も半分となる月になりました。
真氣光のエネルギーも応援してくれますので、もし何かできていないことがあれば、まずは決心してみることをお薦めします。

(61)泣き面に蜂

忙しい時に限って、いろいろな用事が舞い込んで来ることがあるものです。
以前、締め切り間際に原稿執筆をしていた時、やっと一つ出来上がってメールしようと思ったら、パソコンが壊れて書いたものが消えたばかりか、執筆と修理で大変な目にあったことがありました。
「泣き面に蜂」ということわざがあります。
災いが続けざまに起こることのたとえで、「江戸いろはかるた」に出典があるといいます。
皆さんの話を聞いていても、もともと左足が痛かったのに、さらに転んで右足も痛くなったとか、不幸な出来事が重なったということをよく聞きます。
英語にはMisfortunes never come singly.(不幸は単独では来ない)という言葉もあるとか、世界中で、昔から多くの人が体験していることなのでしょう。

氣の観点から考えると、マイナスの氣の同調作用ということになります。
目には見えない氣というエネルギーは、大きく分けてプラスの氣とマイナスの氣に分類できますが、それらは波動的な性質があって、似たようなものが集まることから、何かのタイミングで現れたマイナスの氣の影響による現象に、更なるマイナスの氣が集まって、それが不幸な出来事となって重なるのです。

このような時に、人間性が出てしまうというものです。
自分の心までもが暗くなったり、イライラしたり、八つ当たりや投げやりな態度をとったり、不平・不満・愚痴を言うなど、つまりマイナスの氣を出すと、更なるマイナスの氣を集めてしまう結果になりますから、事態をさらに悪くしてしまいます。
そんな時は、淡々と事態の収拾を図ること、静かに事を収めて態勢を立て直すことができれば、傷を最小限にとどめることができるだけでなく、後々までもマイナスの氣の力を弱められるのです。
プラスの氣である真氣光を受け、「後で笑い話にでもしよう」などと心の余裕が持てたり、さらには「不幸中の幸い」の部分に目が向けられれば、更なるプラスの氣の応援が受け易くなるというものです。

ところでこの同調作用、マイナスの氣がマイナスの氣を呼ぶなら、どんどんマイナスの氣だらけになって、これが連続的に急激に進めば、本来私たちの体の中にある氣のエネルギーまでもが消滅してしまうところですが、そういうことにはなりません。
私は、どんな人にも、その人を守るように働くプラスの氣というものがあり、それが最悪の状態にならないようにしてくれていると考えています。
その考えを突き詰め、プラスの氣の働きの凄さが体験によって感じられていくと、ある芸人さんが言っていますが「生きているだけで丸儲け」という考え方、つまりどんな事があっても動じない心の平安に繋がるのだと思うのです。

ボーッと生きているわけにはいかない

今年のはじめに会員の方から教えて貰った「チコちゃんに叱られる!」というNHKのテレビ番組、昨年から高視聴率をマークしているとのことです。
5才のチコちゃんが問いかける素朴な疑問、例えば「いってらっしゃーいってお別れするとき、手を振るのはなぜ?」に答えられないと、チコちゃんに「ボーッと生きてんじゃねーよ」と、叱られる番組です。
私たちは、意識せずにボーッとしてしまっていることが度々あるものです。
すべてを意識していたら疲れてしまって、毎日生きていくのが辛くなるからです。
しかし、何の疑問も持つことなく見落としていることの中に、重要なことが隠れているのも確かです。

私は、頭に詰め込む知識的なことも大事ですが、もっと大切なことは、私たちの体の中にある見えない光のような氣のエネルギーを増やすこと、つまり魂を輝かせることに繋がることは、できるだけ見落とさないことだと思っています。
なぜなら、体を失った後も、魂は残り、その輝き具合によって、暗いところで生きている人に迷惑をかけるカタチになってしまうか、明るいところに行って自由な発想で生きている人をサポートできるかが、決まってくるからです。
つまり、魂を輝かせることに関しては、なるべく「ボーッと生きているわけにはいかない」ということだと思うのです。

誰もが皆、体を失う時が来るものです。
自分の力でできるのは生きている時だけですから、この限られた時間の中で、いかに魂を輝かせられるかということになります。
ただ楽しい毎日を送っていても、魂は輝きません。
先代が亡くなる前に「人は気づくこと、それによって行動できること」が大事だと言い遺しています。
ここでのポイントは、良いことからも気がつけるのですが、真氣光をやっている私たちは一見マイナス的なことから気がつけることが多くなっていることです。
外から真氣光というプラスの氣を取り入れていることで、その人が良い方向に変わって欲しくない、抵抗勢力のように働いている暗いマイナスの氣が浮かび上がりやすくなるからです。
つまり、自分の体や心がマイナスに傾いている時に、「おかしいな」、「本来の自分ではない」と疑問に思う、つまりマイナスの氣の影響に気がつき、それに焦点を当てて氣を受けるとともに考えや行動を変え、光に変えれば良いのです。
病院でも原因がわからない体の不調、周りのせいで心に浮かぶ嫌なこと・落ち込むこと・辛いこと等も、マイナスの氣の影響です。
真氣光を受け、マイナスの氣に負けない心の強さを忘れることなく努力するうちに、いつしか大きな魂の輝きとなるのです。

焦りとマイナスの氣

安曇野での真氣光研修講座を終え、私はそのまま信州に2日ほど滞在して温泉につかって来ました。
連休での移動中のこと、新幹線の改札近くで年配の男性が、切符をどこかにしまい忘れたようで、カバンの中を全部出して探していました。
私にも覚えがありますが、こんな時は焦ってしまうと見つかるものも、見つからないものです。
焦りは禁物です。
以前、私はレンタカーを借りたのですが、いつもと勝手が違ったために、一度止めたエンジンをかけられなくなってしまいました。
こんな田舎では、人も呼べないし、時間には余裕が無いし、どこに電話をかけたら良いかなど、先々のことが頭の中でグルグル回って、どんどん焦ってしまったのです。
結局、開き直ってゆっくり考えたら、何のことはないことで問題解決したのでした。

氣の観点から考えると、マイナスの氣が「焦る」状態を作ることがあり、不安や心配など心に生じるマイナスの気持ちが強くなると更なるマイナスの氣を引き寄せ、自分の頭で冷静に考えるということが出来なくなります。
焦る時には「落ち着こう」とすることがマイナスの氣を遠ざけ、対策を見つけやすくしますが、マイナスの氣の影響を強く受けていると、そう簡単に落ち着けないということもあるものです。

ところで、先代は焦るということとは無縁な人でした。
ただ単に暢気だというのではなく、予期せぬ出来事が起きた時、瞬時に適確な対策を立てる訓練ができた人であり、それは、それまで経験した一つひとつの焦る体験が心を強くしたから、獲得できた気質なのだと思うのです。
私にも、こんな体験があります。
サラリーマン時代の上司は、とても厳しい人でした。
毎週月曜の打合せでは「あれはどうなっている、これはどうだ?」と、こちらが考えていないようなことを畳みかけるように聞くので、どんどん焦ってしまって何も答えられなくなり、それが相手の気に障って怒りを買うという悪循環に陥っていました。
私は、研修講座に参加して、「どんなことも自分次第だ」ということを教えてもらいました。
結局良く考えてみると、怒りっぽい上司が悪いのではなく、自分の技術力や考察力が足りていないということが分かったのです。
それからは、自分の頭でしっかり考え、言われたことをやるばかりではなく、自分で確かめるために言われていないことまで手を広げ、徹底的に理論武装することを心掛けました。
そうすると上司は、だんだん私の考えを聞いてくれるようになり、最後はすっかり任せてくれるようになったのです。
氣を受けるとともに、焦りに気がついたら、その原因は何か?どんな対策を立てたらよいか?それが自分の氣を高めてくれると思うのです。

氣の環境を変えよう

平成から令和の時代になって、最初の真氣光ニュースとなりました。
令和の心地良い響きとともに、お祭りムードも漂って、どこかお正月にも似た感じがする今回の改元です。
私はと言えば、岡山での真氣光研修講座を終え、東京・長岡・名古屋でセッションを終え、安曇野での研修講座に向かいます。
真氣光をたっぷり充電して、連休後半を実りあるものにするつもりです。

この新しい時代には、私は多くの人が、目に見える環境ばかりではなく、目には見えない氣の環境を良くするということに目を向けてほしいと思うのです。
私たちは体の中に誰でもが光のような氣を持っています。
そして体を失っても氣は存在し、心が暗い・明るいなどの状態に応じて、暗いマイナスの氣・明るいプラスの氣になります。
このように、私たちの周りに明るい氣もあれば暗い氣もあるということは、私たちは光のような氣を周りからもらったり、周りに与えたりしているということになります。
つまり、周りの氣の環境に、大きく影響されているということです。
それは、洗心のための指標に代表されるような私たちの精神性を高めることで、ある程度選択できるものですが、暗いマイナスの氣の影響を強く受けてしまうと、なかなかその影響から逃れられなくなってしまいます。

人類は経済を優先してきたことで地球温暖化など地球環境を悪くしてしまい、その対策が議論されるようになりました。
しかし多くの人は、まだ目には見えない氣の環境の存在に気がついていません。
有史以来時代が進むうちに、この世にはマイナスの氣がとても多くなってきていて、その影響を受け易い人と受けにくい人との違いが大きくなっているのです。

ところで、毎回の講座参加者に私は、目の前の人に宇宙からのプラスの氣・真氣光を送るための練習をしてもらい、さらには私が氣を送っている映像と先代が遺したメッセージ映像を入れたDVDをもっていただいております。
先代は、その中で次のように言っています。
「真氣光は病気治しが目的ではありません。
霊性を高め環境を浄化し、すべてのものが良いエネルギーの中で生活できるようにすることが本当の目的なのです。
21世紀は、いろいろな分野で、例えば商業や工業、科学や医療においても、この氣が柱になっていく時代が来ると思います。
皆さんも氣を上手に使って、楽しい人生を送ろうではありませんか」真氣光を取り入れて余裕ができた人が、身近な周りの人にプラスの氣を届ける・・・つまり家庭をはじめ、商業や工業…いろいろな職場で、多くの人が氣の環境について理解を深め、少しでもそれを良くしていく時代になるよう、私の出来ることを精一杯やらせていただこうと思うのです。

(中川雅仁)