次の世代をも幸せに

 帰宅途中、スーパーに寄っている時に、よく考えていることがあります。
「冷蔵庫の中に、アレはまだ残っていたかな?」私は、毎日買い物には行けないので、食材が無くなってきたら買うようにしています。
昔の八百屋は計り売りでしたが、今は袋詰めですから、私のような一人住まい、特に週末に出張がある者には、良く考えて買わないと悪くさせるので注意が必要です。
最近は冷凍食品の便利さがわかり、冷蔵庫に入る食材の種類も多くなったのですが、私の場合、記憶力の低下も相まって、だんだん在庫されているものの把握が難しくなっているのが現状です。
時に、ピーマン一個が有ったのか無かったのかが、実に悩ましいところになるわけです。(笑)
 ところで、この野菜達は、太陽の光と空気、水があれば土の中から、栄養分を作り出します。
当たり前と考えればそれまでですが、実に不思議です。
栄養を自分で作り出せるという点です。
人や動物には無理な話ですから、この世は本当に上手く出来ています。
先日、農薬も肥料も使わない自然農を営んでいる農家さんに話を聞く機会がありました。
カタチや味が揃っている今広く流通している種はF1種といい、種取りをせずに種は買うものですが、そちらの農家では昔ながらの固定種というもので種取りをするそうです。
驚いたことに、その種が土地の状況や自然環境を年数とともに記憶していくと言うのです。
例えば、雨が少なくて不作だったとしても、種にはそれが記憶されて、次の年には雨が少なくても育つような種に変化する、だんだんその土地に合うように、害虫の影響も受けないようになっていくのだそうです。
 私たち、人も進化しています。
人には知識や知恵というものもありますから、昔に比べれば、医療が進み栄養状態も改善され体は長く健康を維持できるようになり、基本的人権など社会環境も良くなってきています。
人は植物と違って、栄養を他から貰わなければ体を維持できませんが、意識や心、氣という部分は自分でどうにでもできるものです。
つまり、人はこれを駆使して、自分ばかりでは無く、周りの人達をも幸せに、この地球をより良くしていく生き物として存在させられているのだと、私には思えるのです。
そして特に氣の部分は、今ばかりではなく体が無くなっても残りますから、次の世代をも幸せにできるということに繋がります。
それには、体を大切に、意識や心の持ち方を少しでも良い方に変え、自分自身で氣を高めるよう努力することが、とても大事です。
さらには、真氣光のエネルギーを受けることで、大きく氣が高まりますから、多くの人に知っていただきたいと思うのです。

真氣光には氣がでるモノがある

 私は、本紙や月刊ハイゲンキで「昨年くらいから、生前宗教に携わってきた魂が出てくるようになった」と、説明しています。
そのような魂達は、もともとプラスの氣であっても、苦しくて誰かにすがりたいというマイナスの氣が周りに多くて、今もたいへんだということが多いのです。
永く真氣光を受けてくれている皆さんの中には、彼らが真氣光をまだ真に理解してくれない状態のために、氣の浸透力が思った以上に上がらない状態になることがあるので、そのような時には少し強めの氣を受けるための工夫が必要です。

 宗教も、見えない光つまり氣を利用しているのですが、真氣光の光は、①魂への光の浸透力が大きい、②氣グッズがあり、モノから出る光を利用できる、という点に特徴があり、私はそれを宗教に携わっていた魂達にも理解してもらいたいと、氣を送っています。

 私も光を分ける仕事で、ある意味彼らと似ている立場にありますが、上で説明したポイントにより、とてもラクにできているのだと思うのです。
実際私は、皆さんに氣をお分けしていますが、直接お会いしたり、遠隔などで氣を送らなくても、ハイゲンキをはじめ、いろいろな氣グッズから24時間、365日、一瞬たりとも休むことなく継続的に氣が送られていることが、とても大きいと感じるのです。

 憎しみ、苦しみ、怒り、不安、恐怖…等々、そのような気持ちを抱えて亡くなる人が後を絶たず、ますます暗くなってしまっているマイナスの氣は、この地球にほんとうに多くなっています。
それらに光を送るということは、ある意味、キリがないものに立ち向かっているということなのですが、先が見えないと言って何もしなければ、事態は悪化の一途です。
真氣光に携わる私たち一人ひとりと、持っていただいている氣グッズが、その暗いものたちに光を送り、マイナスをプラスに変えているのです。
この真氣光を利用して、少しでも自分と身の周りを明るくしようとすることで、私たちにも幸せを感じさせてくれるものが増えてきます。

 私は、宗教に携わっていた魂達に真氣光を送りながら、「この光を利用してください」とお話すると、最後には「分かった」と言われます。
でも、良く考えると、実際に彼らはどうやって真氣光の光を手にするのでしょうか。
宇宙からの光を直接彼ら自身が受けとることはできませんから、それはやはり縁のある私たちやそこにある氣グッズから、光を受けるのだと思うのです。
いろいろな氣グッズが世の中に出ることになり、そういうものを皆さんは使ってくれているということなのですが、他にも多くの見えない存在が、使ってくれているのだと思うのです。

目に見える世界と氣の世界

 先日、自転車で会社に行く途中、トラックが出て来て出会い頭にぶつかりそうになりました。
運良く危険を回避できましたが、もしスピードが出ていればぶつかっていたでしょう。
大事に至らなかったのは、プラスの氣のおかげです。
しかし、何でも氣のせいだけにして、「真氣光で氣を高めていれば悪いことは起きない」と暴走運転していては、付け入る隙を狙っているマイナスの氣が勢力を拡大し、プラスの氣は守り切れなくなり、大事故に至るでしょう。
ですから、目に見える世界の「注意して運転する」ことはとても大事です。

 私は、目に見える世界の注意は自明なことなので、皆さんの知らない氣の世界のことをできるだけお知らせしたいと「マイナスの氣のせい」の話をよくしますが、「何でも氣のせいだから仕方がないとか、氣さえやっていれば大丈夫」とは全く考えていません。
目に見える・見えない両方の世界が大事です。

 先代がよく「交通事故と氣」の話をしていました。
ある人が交通事故に遭い出血しています。
その時に氣で治せと言われても無理です。
早く救急車を呼んで、手術して縫合しないと出血多量で死んでしまいます。
目に見える対処が必要なのは誰の目にも明らかですが、真氣光を利用することで、救急車が速く着いたり、手術が上手くいったり、さらには時間をかけて氣が利用できると、邪魔をするように働くマイナスの氣の影響が少なくなり、その人に氣づきが起こるなどして、再び同じような交通事故に遭遇しにくくなったりするものです。

 私は無料体験会で、氣、体、心は繋がっている話をしています。
真氣光を受けることで氣を高めれば、体や心に良い影響がありますが、自ら体や心に悪影響となることをしていては、せっかく真氣光を受けても効果が薄れます。
目に見える部分はとても大事ですが、体のことはお医者さんが専門ですから、そちらに聞いていただくしかありません。
心の話は、「心の状態がこうなら、マイナスの氣の影響が少なくなり、プラスの氣の応援を受けやすくなる」という話はできても、それ以上はご本人の話ですから、気づいていただけるのを待つしかありません。
私にできることは、氣づきのきっかけ作りと、しっかりと氣をお届けすることです。
真氣光を利用するということは、マイナスの氣がプラスに変わるということで、強いマイナスの氣であればある程、変わることや真氣光の光を嫌がりますから、氣を受け難くさせられたり、気づき難くさせられることもあるでしょう。
私は、その人が、まず真氣光を受けようとしてくれることが凄いことであり、少しでも光り輝けるよう、お手伝いがしたいと思うのです。

来月の研修は東京と熊本で同時開催します

 今日から、愛知は三ヶ根山での真氣光研修講座が始まります。
毎月開催している研修講座ですが、これまで二か月ほどオンラインでの開催になっておりました。
研修講座は開催により、講座自体がいろいろなことを経験しながら、真氣光のエネルギーの中継量を増やしていることがわかっていますから、そういう意味でも今回の研修は楽しみです。

 真氣光のエネルギーが高まり、マイナスの氣がプラスに変わるということは、特に開催地や参加者に縁のある氣が変わり、応援してくれる勢力が大きく増えるということです。
既にお知らせしてしているとおり、来月は熊本阿蘇での研修の予定でしたが、宿泊施設の事情により利用できなくなり、急遽東京センターでの開催に変更しました。
私は、熊本周辺の方の中には予定してくれていた人がいることから、各自の家庭から参加できるオンライン研修併催の可能性を検討してみましたが、人員の面等から難しく、今回は東京センターと熊本センターをオンラインで結び、できるだけ両センターの受講環境を同じにして同時開催することにしました。

 ところで、来月予定していた阿蘇での研修は、これまで12回開催しており、そちらの研修施設は、昔々阿蘇神社の領地内だった所に建っています。
阿蘇神社の説明書きによると、「神武天皇の孫神で阿蘇を開拓した健磐龍命をはじめ家族神12神を祀り、2000年以上の歴史を有する古社。
古来、阿蘇山火口をご神体とする火山信仰と融合し、肥後国一の宮として崇敬をあつめてきた」とあります。
本紙2011年9月16日号に書きましたが、真氣光のような歴史の浅いエネルギーなど、最初は阿蘇の神様にも理解していただける状況にはなく、少しずつ結果を見てもらってきたという歴史があります。
2016年阿蘇山の噴火があった時には、研修2日目に熊本センターに移動して近隣のホテルを利用して研修を継続したこともありました。
これまで私は、いろいろな宗教に携わっていた魂に「真氣光はこの宇宙にある光で、誰のものでもありませんから、どうぞ利用してみてください。
そして多くの人をお助けください」と言ってきましたが、皆さんが真氣光をしっかりと実践してくれるおかげで、少しずつ理解を進めてくれているようなのです。
どうも来月の研修は、「この時期に東京と熊本を結んでやってほしい、センターに集まる強力な真氣光のエネルギーを利用したい」ということのようなのです。
初めての試みですが、繋げることによって相乗効果があるものです。
ぜひ、来月の研修講座、東京・熊本センターでの参加をお待ちしております。

(68)腹が減っては戦ができぬ

 きょうは朝から、早めに原稿を書き上げようと意気込んでいたのですが、友人からのクール便が届き、お礼のメールを書き上げていると郵便局の人が来て、そうこうしていると銀行から電話がかかってくるなど、いろいろな用事が舞い込んで、なかなかこの原稿が進まないのです。
忙しい時にはいろいろなことが舞い込んで来る「氣の法則」だと思っていたのですが、そのうちに何を書こうか考えが全くまとまらなくなってしまいました。

 こういう時には、焦れば焦る程、わけがわからなくなるものです。
昔は、こういう状況に陥ると復帰するのに少々時間がかかっていましたが、ある時からは慣れたもので、焦っても仕方がないと開き直るようになりました。
そうすると、何処からかアイデアが降って湧いてくるのです。

 きょうも、何を書こうか決まらないまま、お昼になってしまい、ふと時計を見て「あれ12時を過ぎている」と思った瞬間に、思いついた言葉が「腹が減っては戦ができぬ」でした。
十割蕎麦の乾麺があったことを思い出し、冷蔵庫の隅に残っていたトロロイモと、昨晩の残りのマイタケの天ぷらを入れて昼ご飯にすることにしました。
そして食べながら、これを題材にして書くことに決めたのです。

 このことわざを辞典で調べてみると「しっかり腹ごしらえをしていなければ、良い仕事や働きはできないというたとえ。江戸末期の脚本に似た表現がある」と、あります。
昔から広く言われている言葉で、よく私の母も使っていたものです。
「戦」とありますが、肉体面、精神面で最もエネルギーを消耗する戦を仕事などの比喩として取り上げたのでしょう。

 この言葉は、腹が減ると体はエネルギー不足になり、たくさんのエネルギーを消費する脳も良い働きができませんから、文字通りに「腹を減らすな」と解釈できます。
また、準備が大事だという捉え方もできます。
目先にたいへんなことがあると、そちらに氣をとられ肝心なところには意識を向けられません。
逆にマイナスの氣は、注意散漫にして肝心なことが出来ないように仕向けるものです。
ですからその手にのらないように、準備を怠らないようにしなければいけません。

 さらには、準備という点では、真氣光を日頃からしっかり受けるということも大事です。
「氣の充電」とよく言っていますが、ある程度、光のようなエネルギーが浸透していかないと、マイナスの氣はプラスになって消えていきません。
精神的にも肉体的にもヤマを乗り越えるには、日頃の氣の充電はとても大事です。
あまり無頓着なのも困りますが、焦っても仕方がありませんので、しっかり準備して臨んでいただきたいと思います。

(77)これは教えではないのか?

 先週末から、私は地方でのセッション回りを始め、ウイルス問題前の週末出張生活に戻ってきております。

最近はオンラインでの個人セッションも多くなりましたので、むしろ以前よりも仕事量が増えた状況です。
鍼灸やマッサージと違って、真氣光は氣というエネルギーですから、遠くに居る人にも送れます。
これからの時代、ますますそちらにも注力したいと思っています。

 ところで、私が氣を送ると、氣を受けている人の口を借りて出てくる魂があり、私はこのコラムで「たましいの話」シリーズとして取り上げています。
前回、密教の修行をしていたような魂の話を書きましたが、今回も宗教に携わり人々を導いてきたような魂の話をしたいと思います。

 私が氣を送っていると、氣を受けている人が、お経や念仏を唱えているような仕草になり、とても苦しく険しい表情になるのです。
どうも出て来ている魂はお坊さんで、極楽浄土に行けると信じて信仰していたけれどマイナスの氣になってしまった多くの人が、その人にすがっていて、その為にその人自身が苦しいようなのです。

 私は、一生懸命に真氣光を送っていたのですが、その魂は真氣光が光のように見えるようで、自分のやってきたものがあるから「そんな光は必要ない」と言います。
一口に宗教をやっていたと言っても、お葬式の時だけという人もいれば、お寺のお坊さん、さらにはその宗派を創設した人まで様々でしょう。
何事もそうですが、何かに人生をかけた人であればあるほど、それ以外のものを薦めても耳を貸すようなことはありません。
その魂は、ずいぶん信仰していた人のようで、いっこうに私の話に耳を貸そうとしないのです。
私は「この光を利用してみてください」と、氣を送るだけでしたが、しばらくすると「これは教えではないのか?」と聞きます。
私が「これは、この宇宙にある、誰でも利用できる光です」と応えると、確かめるように真氣光を受けはじめたのです。
そして最後には、「こんなものがあるのか?…ラクになった。
光が見えて来た。
利用させてもらいたい」と言っていなくなりました。

 真氣光は目には見えませんが、太陽のように、宇宙からの光のエネルギーです。
それを受けると、この宗教家のように自分自身の魂の光が増え、ラクになるとともに、何かに気づいて自然に意識が変わっていくのです。
この魂が言ったように、真氣光には、これまでの体験から分かった、できるだけ上手く使うための解説書的なものはあっても、経典や教えというものはありません。
ですから、誰もが使えるものであり、たくさんの人がこれを利用して、それぞれに必要なことに気づいてほしいと思うのです。

悪い思い込みに注意しよう

きょうは、先日の私の失敗談からお話しします。

家から会社に向かおうと自転車置き場に行ったところ、あるはずの自転車がないのです。
私は、即座に泥棒に遭ったものと思い込み、警察に行かなくてはいけないとか、防犯登録証はどこにしまったかとか、防犯カメラを管理人に聞いてみようとか・・頭が次々と回転してしまいました。
私は、予備校生だったころ、一年間で3回も自転車の盗難に遭ったことがあるのですが、そんなことまでも思い出していたのです。
しかし、防犯登録証を探しながら、ちょっと冷静になれたのでしょう。
昨日、どのようにして自転車を置いたのか、鍵はしたのか等々、振り返っていると、帰り際に近くのスーパーに寄ったことを思い出しました。
「あれ?スーパーから帰って来る時に、自転車に乗って帰って来たのかな?」…まったく記憶がありません。
「もしかしたら、置いてきたのかもしれない」と思い行ってみると、案の定スーパーの駐輪場にあるではありませんか。
マイナスの氣にやられたと苦笑したのです。

 氣の観点から考えると、良い「思い込み」というものがあります。
例えば「病も氣から」と言うように、心をネガティブにしなければ、マイナスの氣を引き寄せることがないので、たとえ大難であっても小難で終わらせることができるというものです。

 逆に、私のように悪い方向に働くことが多々あるものです。
私の場合は、つい昔の悪い出来事までも思い出し、その時の悔しい思いや残念な思いが湧いてくると同時に、一時的にもドキドキ感など緊張状態に陥るというものでしたが、そのような気持ちが更なるマイナスの氣を呼び込むところだったと言えます。
ありがたいことに私は僅かな時間だったので、まだ良かったのですが、これが長時間に渡れば多くのマイナスの氣を集めてしまうことになります。
一般的に、このような悪い思い込みや先入観などを使って、人をマイナス的な感情に引っ張るのは、よくあるマイナスの氣の手口とも言えます。

 悪いことを記憶しやすいのは、再び似たような悪い出来事に遭遇しないようにするために備わった動物の危険回避本能だと、何かの本で読んだことがありますが、悪い体験はよく覚えていて、それとリンクして悪い思い込みにもなりやすいものです。
その時に、影響を与えたマイナスの氣があって、そのまま潜んでいるということも考えられます。
自分ばかりではなく、先祖にもあったかもしれません。
ですから、そのような思い込みに気がついた時は、何かの影響を受けていたかもしれないと思いながら氣を受けてみるものよいでしょう。

失意に打ち克つ

 「夏の甲子園」開催中止というニュースが流れていました。
このような時ですから、いろいろなスポーツで、あるいは数々の催しの開催が中止され、目標にしていたものが無くなってしまったという人は多いのではないでしょうか。
昨年までは、あるいは数ヶ月前までは普通だったもの、だったことが、あっという間に無くなることを体験させられています。

 それを予定して、そこに命をかけるほど一生懸命にやっていればいる程、無くなってしまったことのショックは計り知れないものがあります。
次の目標が見出せず「一体何だったのだろう」と今までの苦労の意味を見出せなくなってしまって、中には全くやる気が出なくなってしまったり、どうでもよくなってしまったり、身も心も重くなることがあるかもしれません。
次の目標が直ぐに見出せれば良いのですが、気持ちを切り替えて進めなくなるものです。

 このように、暗い気持ちでいてもしょうがないと思っても「気持ちの切り替え」が、なかなかできない要因にマイナスの氣の影響があるものです。
さらには、なかなか気持ちが切り替えられない時には、ますますマイナスの氣の影響を受け易くなるものです。

 このようなマイナスの氣とは、似たような体験をして暗く沈んだ心のまま亡くなってしまった魂です。
例えば戦時中には学徒出陣がありましたから、失意のまま無念の思いで戦争にいかなければいけなかった人、もっと昔には農村が戦に巻き込まれたということもあったでしょう。
私たち日本人は農耕民族ですから米などを育てて生きてきました。
育てることは年月のいることですが、途中までは順調でも、あっという間に台風がやって来て洪水になったり、寒波が襲ったり、日照りになったり、地震・津波や噴火などの天災で、それまでの苦労が水の泡と化すことがあったはずです。

 ただ、今の私たちに繋がっている先祖の多くは、それをも乗り越え、家族を守って生きてくれたから、私たちが存在できているということです。
つまり生きている私たちには、先人の「失意にも打ち克つDNA」が刻まれているということなのです。

 高校球児ばかりではありません。
私たちは、先のことをある程度考えて生活していますが、自分の想像通りには進まなくなることがあるものです。
その時に、なかなか気持ちが切り替えられなかったり、重たい気持ちのまま前進できない時には、そこに関係しているマイナスの氣があるはずです。
ですから、そのような時には「そうかもしれない」と、そちらを意識して真氣光を受けてみる、そして小さなことでも良いから前進してみることでマイナスの氣はプラスに変わり応援のエネルギーとなるのです。

行持集にある数々の「誓いの言葉」

 政府は、39県における緊急事態宣言の解除と、引き続き東京など残りの都道府県に外出自粛要請を発表しました。
これを受け、私どもエスエーエスでは、ウイルス感染拡大のための予防策を取り入れながら、一部のセンターから条件付きで通常営業を再開する予定です。

 私の居る東京では、まだ外出自粛が続きますので、もう少し我慢の継続です。
ところで、今週の「い氣い氣ラジオ」では、掃除が元でイライラが爆発したという話から、清掃行法についての話をしました。
2006年までの真氣光研修講座を受講した人は、この行法を体験しているので、よく知っていることと思いますが、それ以降の受講者は、「真氣光&生活ヨガ行持集」には載っていても実際に皆で唱和したことがないので知らない人もいるのでないでしょうか。
1992年に私が受講したときにもあって、皆で「誓いの言葉」を大きな声で読んでから実際に掃除をするという行法に、新鮮な驚きを感じた記憶があります。
最近では研修施設の都合でできなかったのですが、十数年ぶりに先日のオンライン研修講座では、皆さんに御自宅の清掃行法に取り組んで貰いました。

 その「清掃行法の誓い」を見てみると「ただいまから私は、清掃行法を行わせていただきます。
この清掃行法を通じて、心と生活の清めを誓います。
清い心とは求めない心です。
他に自分を捧げる心です。
一切のものに感謝する心であります」と、書かれています。
「清い心とは求めない心」とありますが、清い→氣良いにも通じるもので、自分ばかりでなく家族などが同居しているような場合には、ついつい「ナゼ自分ばかりがやらなければいけないの」とか、「少しは協力してよ」と他に求めてしまうものです。
さらには、私のように一人で生活していても、ついつい面倒な気持ちになったりするもので、一切のものに感謝する心を忘れてしまうことがあります。
掃除のたびに、このような心の持ち方ができると、マイナスの氣を遠ざけプラスの氣の応援が受け易くなるというものです。

 この研修講座受講者に配布している行持集の中の「誓いの言葉」は、沖ヨガを創設した沖正弘先生によるものだと、龍村修先生から聞いています。
いろいろな「誓いの言葉」がありますが、簡潔な言葉の中に、ハッとさせられるものが数多くあります。
毎日繰り返される生活の中で、真氣光を受け精神性を向上させる努力が、自分自身の輝きを強くします。
マイナスの氣が蔓延しやすいときですから、講座を受講した人は、もう一度、見直してみるのもよいのではないでしょうか。

(67)対岸の火事

 第2回オンライン研修講座を5/4〜6の期間で開催しました。
今回も参加者の皆さんのご協力のもと、「大」盛会のうちに終えることができました。
ありがとうございました。
これまで、なかなか真氣光のエネルギーが浸透していかなかったところにも、オンラインという毎日の生活の中で受講できたことで、たくさんの真氣光が届いたようでした。

 ところで、対岸の火事ということわざがあります。
当事者には大変なことでも、自分には少しの影響も、関係もないことのたとえですが、大きな川を挟んだ向こう側で、どんなに大きな火事が起こっても、こちら側では気づくことすらないかもしれません。
今回の新型コロナウイルスも12月初めの時点では、中国それも武漢にある市場という遠いところの「お話」としか、私たちの頭にはなかったのではないでしょうか?その時、対岸の火事にすることなく、そこから多くを学べれば、もっと準備ができて被害も最小限にできていたかもしれません。

 氣の観点からみると、このことわざは興味深いもので、私は「意識する」ということが鍵だと思っています。
より自分のものとしてリアルに想像し意識できるかどうかであり、意識できればできる程、氣は届きやすくなるものです。
オンライン研修講座では皆さんが、私との距離、参加者同士の距離、ご先祖様との距離、生活の場、その土地という場をとても近くに意識できたことで氣が届きやすくなったのです。

 また、氣を考えるうえでは、対岸の火事・意識を向けない方が良い場合もあるものです。
それは自分とは縁の遠いマイナスの氣です。
小さなマイナスの氣でも、いつもそちらに意識を向けられていくと、どんどん大きなものに蓄積してしまいますし、さらには強い大きなマイナスの氣と縁ができてしまうと、一時的にたいへんになってしまいます。

 私たちが取り込む真氣光は、無尽蔵にある宇宙からの目には見えない光のエネルギーで、自分の中に入ってくるばかりか周りにも拡がっていきます。
しかし、これには優先する順番があります。
自分もしくは周りの人が大変な状況で、とても暗いマイナスの氣に光がどんどん吸収されていては、いつかは解決するのですが、それまでこちらの身が持ちません。
ですから、縁の遠いところは時期が来るまで意識を向けなくても良いでしょう。
つまり、自分がより幸せになっていくために、より現実的な毎日の生活の中で縁あるところをしっかりと重視して、真氣光を受け洗心のための指標を参考に、光を増やす努力をすることです。
それにより、順に関係しているマイナスの氣に光が届き応援団となって、大きなマイナスの氣にも光が浸透していくのです。