(36)平和を願う魂2

その魂は、最初は自分自身の辛さを、どこにぶつけたらよいかという感じでしたが、冷静さを取り戻したようで、「攻撃する強さよりも、それを受け入れる強さというものがあったんだ。」と言ったのです。そして「敗戦を受け入れ復興に力を注いだ日本人の強い心を大切にしてほしい。私も光を送ります。」と言い残して逝かれたのでした。彼(彼女かも知れません)は、原爆という見たことも聞いたこともない爆弾が降ってくるとは思ってもいなかったでしょう。そして、その後たいへんな苦痛を味わい、身に降りかかった悲運を嘆き悲しんだことでしょう。ですから私には、その言葉がすごく印象的でした。生きている私たちの一般的な考えでは、物理的な力としての強さを問題にしていますから、たくさんの人を殺せる武器を持っている方が強いと思うのです。だから原爆を落とされた日本よりは米国の方が強かったと、たいていの人は思うでしょう。しかし魂のレベルで考えると、そういうことにはなりません。いろいろな状況に置かれたときに、それを受け入れられることの強さは、魂のもつ光の強さです。魂に輝きがないと、マイナスな出来事を受け入れることができず、ただ悲嘆にくれ憤りを他にぶつけるしかないのです。彼は真氣光のエネルギーを受けるうちにそれに気がつき、自分が被爆して死んだことを受け入れるとともに、私にそのことをあらためて考えさせてくれました。 生駒での研修講座では、参加者全員が真氣光という光の中継を実習します。その考え方は、まず自分自身にたくさんのエネルギーを充電し自らが気づき、そして他の存在にも光を与え気づきを促すというものです。戦争に限らず、私たちは自分に余裕がないばかりに、他の人を受け入れられなかったり、自分の思い通りにならない一見マイナスな出来事を受け入れられない事が多々あります。しかしそれを受け入れる事で自分自身の光が大きく増し、それができたなら他の存在にも光を与えられるのです。真氣光というエネルギーは、それを強く応援してくれる力なのかもしれません。 まだまだ戦禍が絶えない、この地球です。“強い”米国に対してノーと言ったり激しく抵抗する必要はありませんが、どんな事でもイエスと言うことはありません。イエスと言わない、日本人ならではのアプローチもあるのではないでしょうか。“受け入れられる日本人”として次のアプローチである、光を与えられる国になりたいものです。来月には終戦記念日やお盆があります。私たちがたくさんの先祖に光を送るとともに、あちらからますます多くの光が降り注がれることでしょう。今回の選挙が、よりよい日本に変わるきっかけになることを願ってやみません。