「人を呪わば穴二つ」ということわざがあります。これは、人に危害を加えたら自分も害を受けるものだというたとえでしょう。このことわざですが、氣の性質をよく表している表現なので、私は氣を説明する時に使うことがあります。ことわざ辞典で調べると次のように書いてありました。「幕末の河鍋暁斎の『狂斎百図』という絵に、人を呪い殺すために藁人形に釘を打ちつける丑の刻参りをした女に対して、傍らの魔神が二つの穴を指し示しているようすが描かれている。昔はふつう穴を掘って埋葬する土葬だったので、呪いを受けて死んだ者が入る穴が一つと、そして呪った者自身が入る穴がもう一つというわけである。この墓穴説は江戸中期の平元正信のことわざ解義書がすでに述べている。」
氣は電波のように発信すると、それと似たような氣が同調するように集まってくる性質があります。だから、呪いというマイナスの氣を出すと、それを出した人のところにマイナスの氣が集まって来て、その人もそれにより死んでしまうということなのです。科学が進んだ今の時代では非科学的と一笑に付されてしまうかもしれませんが、昔の人は経験的に氣の事を分かっていて、呪いという氣の効果を認めるだけではなく、さらにはそれを簡単に使わないよう戒めたのだと思います。
今では呪いというような強いマイナスの心を持つ人は少ないですが、不平不満、咎め、怒り、ねたみなど日常の生活で、ついついマイナスの心を持つことがあります。そのような時には、強くはないですがマイナスの氣に影響されるので、知らず知らずのうちに疲れの元になっていることがあるのです。「私にはストレスはありません」という人も、何らかのマイナスの心がマイナスの氣を集め、それが何年も経つうちに積もり積もって身体のいろいろな症状として現れることも考えられますから、注意したいものです。
また逆に考えると、プラスの氣となる心を持てばプラスの氣が集まるということが言えます。例えば他人の幸せを祈る心を持てば、プラスの氣が集まってきて、その人自身も幸せになれるでしょう。自分が幸せになりたいから他人の幸せを祈るのでは本末転倒ですが、見返りを期待することのないプラスの心をたくさん持ちたいものです。真氣光は高次元からのエネルギーですが、それを受けることにより自然にマイナスの心が少なくなり逆にプラスの心が多くなる不思議な氣です。この真氣光を使って、自分も周りもたくさんの人が幸せになって欲しいと思うのです。