(26) 何の価値もない

 最近、左の手足が痛いと訴えるAさんに私が氣を送っていた時の事です。彼女は氣を受けて少々痛みが増したようで、少し苦しそうな表情になったかと思うと、急にすすり泣きを始めたのです。私は直感的に、これは氣を受けているAさんではなく、どなたかご縁のある魂さんが出てきていると思いました。案の定、彼女は泣きながら「私は手も足も動かなくなったんです。私にはもう生きている価値がない。」と話を始めたのです。事故なのか病気なのかはわかりませんが、どうも手足が全く不自由になって亡くなった方のようです。私は氣を送り続けました。その魂さんは「手足が動いているときにはわからなかったけれど、手や足が動くという当たり前の事がとっても有り難いことだったとわかりました。」と言うのです。さらに「自分一人では、何もできなくなったから、いろいろな人にたくさんの事をしてもらいました。だから感謝、感謝…毎日毎日たくさん感謝しています。だけど、動かなくなった手や足はもう元にはもどらない。動くことはないんです。だから、もう誰にも何もしてあげられない。私には何の価値もないんです。生きている希望もない。」と訴えるのです。私は思わず、その方の生きていた時の様子を想像しました。ベッドに寝たきりの状態になって、自分のできることを見失い、すっかり生きる希望を失ってしまったのでしょう。感謝するということは光になるのですが、自分には価値が無いという大きな絶望感が、その方の魂から光を奪っていたのです。私は「もし自分がそうなったら、どうするだろう」と考えると慰める言葉も浮かばず、出てきている魂さんに光が届くよう、ただひたすら氣を送ることしかできませんでした。「・・・」少し沈黙の時間があった後、「あーっ。私にも人の為にできることが一つだけあったんだ。」と言うではありませんか。真氣光の光がAさんを通して、その魂さんに届いたのでしょう。「手も足も動かない、こんな私にも悲しむ人の話を聞いてあげることはできたんだ。アドバイスできることは何もなかったけど、『聞いてくれてありがとう』って言われた。」と言うのです。真氣光が、忘れていた記憶の中から氣づきをもたらしたのです。「どんな人だって生きていれば誰かの為にできることがあるのです。だから生きている限り希望を失って欲しくない。」最後に、そう言ってその魂さんは逝かれたのでした。“人の話を聞かせていただく”ということさえも喜びにでき、そしてそれは本当に強い光になるのですね。