そろそろお彼岸です。 甘党の私などは秋分・春分の日が近くなると、おはぎとぼた餅を思い浮かべます。 秋は萩の花から「おはぎ」、小豆の収穫に合わせ新鮮な豆そのままの粒餡を使い、一方春はこし餡を使って春の花である牡丹から「ぼた餅」と言うようになったとの一説がありますが、私はどちらも好物で、名称や餡の種類には何のこだわりもございません。
ところで、「棚からぼた餅」という、ことわざがあります。 ことわざ辞典で意味を調べてみると、「思いがけない幸運のたとえ。 またその幸運に出合うこと。 棚のぼた餅が偶然落ちてきていい思いをしたことから。 ……ぼた餅は江戸時代には、人気の食品だった。 現代では、それほどではなくなったが、「棚ぼた」と言われ最も普及していることわざ」と、あります。 普及しているということは、現代人は棚ぼたを望んでいるのか?感じているのか?私は氣の観点から、二つのポイントがあるように思います。
一つ目は、辞典に「思いがけない」とありますが、この思ってもみなかったという気持ちが大事です。 「洗心のための指標」にある「プラスの氣を引き寄せる心」の中に「…我を折り、よろしからぬ欲を捨て…」とありますが、あまりに我・欲から願うと、それがマイナスの氣を引き寄せ、プラスの氣の応援を受け難くなることがあるからです。
もう一つは「幸運」です。 幸運は、プラスの氣によるものですが、直ぐにではなく後になってわかるということが多々あり、広く捉えることが大事です。
例えば、棚から本が落ちて来て、その本に真氣光のことが書いてあって研修講座を受講したという人がいました。 棚から「ぼた餅」ならぬ「本」なのですが、後々真氣光により人生がすっかり好転したとなれば、これは思いがけず幸運なことだった、つまり棚ぼたの域に入るわけです。
これまでを、振り返ってみてどうでしょう?自分の意志で生きて来たと思いがちですが、偶然が重なるようにして、いろいろなことが起こってきたはずです。 ある家に生まれ、家族の中で育ち、結婚して、子どもや孫がいる。 少々問題はあっても、いまの生活に満足していたり、感謝できたとすれば、そこに繋がっている過去も幸せなことのはずです。 つまりは、自分の意志ではない、思いがけない幸運ということで、つまりは棚ぼたの連続だったということに感謝でき、それにより更にプラスの氣の応援が受け易くなるのです。 また、いま身の周りに幸せを感じられない人も、真氣光を受け、いいとこ探しをすることで良いことが多くなります。 今が幸せになり、少しずつ過去も変わるでしょう。 真氣光をうまく利用して、そのような棚ぼたの連続を感じたいものです。