目には目を歯には歯を

 体と心と氣は、相互に強い関係があります。
ですから、体のいろいろな部位にマイナスの氣の影響を受けると、その部分の見えない光のような氣が下がり体の調子が悪くなることがあります。
時には、私たちの心と、マイナスの氣の心や気持ちが関係することがあり、それが体の症状となることがあるものです。
例えば、地団駄を踏んで悔しがると言いますが、悔しがったり怒ったりして激しく地を踏むような気持ちのご先祖がいたり、ご先祖が誰かにそのような思いを向けられていると、その人に悔しい気持ちが多くなったり、足が痺れたようになるのです。
さらには、歯を食いしばると言いますが、苦痛や無念さなどを懸命にこらえてきた方の影響を受けると、歯の調子がわるくなったり、かみ合わせや額関節症のような症状がでたりなど、すべてがこのようになるとは言えませんが、とても興味深いことです。
マイナスの氣は、苦しさや辛さを生きている人に知って貰いたい、分かって貰いたい、恨んでいる魂であっても思い知らせてやりたいということですから、体の部位と心や思いとの間に何らかの関係性が生じるのでしょう。
 ところで、目に症状が現れる場合は、悲しいマイナスの氣の影響が多いものですが、やられたからやり返す、「目には目を歯には歯を」という言葉に関係することがあります。
この言葉を調べてみると、『受けた害に対して、同等の仕打ちをもって報いること。
ハムラビ法典の言葉。
旧約聖書の出エジプト記などにも見え…』とありました。
私たちは、やられたらやり返すものだと、それを正当化する時の言葉のように捉えていますから、マイナスの氣も、それを知っているのでしょう。
 やられたからやり返したり、倍返しなどにすれば、その時気持ちはスッキリするかもしれませんが、さらなる強い報復の連鎖となって、後々の自分や家族、子孫にまで及ぶものになります。
私は「償え」と言うマイナスの氣にも、「それを繰り返しても苦しくなるだけだ。
その代わり、この子孫に光を送って貰い、ラクにして貰ったらいい、それができますよ」と言い、真氣光を送っています。
どんどん光が届くうちに、自然に恨みの気持ちが消えラクになるものですから、最後、光に向かって逝くときには感謝の気持ちをむけてくれるのです。
目や歯に症状はなくとも、何かおかしいと感じたときには、背後のマイナスの氣を意識して、自分がじっくりと真氣光を受けることです。
マイナスの氣に光が届かなければ、同じようなことが繰り返されてしまうからなのです。
(中川 雅仁)
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