自分自身の意志と努力

 私の家の近所には学校が多いので、朝は通学の子どもたちをよく目にします。
入学式も終わり、新小学生もお父さんやお母さんに連れられて登校しています。
昨日、急ぎ足のお母さんに抱っこされた泣き顔の新小学生が前からやって来ました。
後ろからは、お父さんが「お友達はみんな歩いているよ、歩いてみたら・・・」そう言いながら歩いています。
お母さんは少々険しい顔をしていましたので、私が推測するには、どうやらこの小学生の娘の言動で、その子の両親までもが険悪になってしまったようなのです。
入学式から日が経っていませんから、こんなこともあるでしょう。
女の子も、これから少しずつ一人で考え行動できるようになると思います。
私は「3人とも早めに気持ちを切り換えて良い日にして欲しいなぁ」と思いながら、通り過ぎた朝の一コマだったのです。
 些細なことですが、これは氣の観点から考えると、とても大事なことなのです。
大人でも、たいへんな状況になった時に、どうしようもなくなって誰かにどうにかして欲しいと思うことがあるものです。
魂のエネルギーの状態は常に変化しています。
自分がどんなに幸せで、今の生活に満足し、感謝の日々を送っていたとしても、自分の思いとは別にいろいろな感情が湧いてきて、魂の状態は変化するものです。
なぜならそれは、人はいろいろな見えないエネルギー・マイナスの氣の影響を受けて生きているからです。
そしてその影響を受けずに生きていくのは不可能なことなのです。
さらに、そのマイナスの氣から学び気づくことで、魂は成長するのです。
だから自分が今の生活、人生に満足し幸せであることと、魂の成長とはあまり関係がないのです。
人は今どんな状況に置かれていても、そこで魂を成長させる努力をしなくてはいけません。
 そのためには自分自身の魂というものを、よく理解し、常に向上し成長するために何かをしなくてはいけないのです。
そして、その努力したことの効果や結果を、努力する前に期待したり、自ら決めてもいけません。
ましてや自分自身のことを、人に決めてもらったり、答えを要求してもいけないのです。
自分で気づき、感じることなのです。
自分の魂は自分自身の何ものでもなく、自分以外にはどうすることもできないからです。
だから常に自分自身の意思で、自分の努力で魂を成長させることが重要です。
決して他の誰か、何かに、自らの魂を委ねてはいけません。
必ず自分の意思を持つこと、そうでなければせっかくの努力は全て他のもののエネルギーによって使われてしまうからです。
私たちにはハイゲンキがありますので、それを十分に利用し、自ら気づいていくことなのです。
(中川 雅仁)
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