さくら舞い散る頃

皆さんは、もうお花見をしましたか?私も、カメラを片手に散歩をしながら、お花見をしてきました。今月の気配り画像は、その時に撮った桜の花を選んでみました。我が家の近くの公園に咲いていた、桜の木です。少々風は冷たかったのですが、良く晴れた平日の午後でした。若いお母さん達が子供達を公園で遊ばせながら、お花見をしていました。その向こうでは、大学生の女生徒二人がサックスの練習です。桜とサックスの音、さらには賑やかな子供達の声が、妙にミックスされて、私を平和な気持にさせてくれました。カメラを持っていると、どの花を撮ろうかと枝振りに注意が行きますから、上を見すぎて首が痛くなるほどです。文字通り“お花見”です。サラリーマンに成り立ての頃は、お花見と言えば先輩に場所取りを命ぜられたものでした。会社の近くの公園にゴザを持って行って場所を確保するわけですが、ゴザの下がデコボコしているようだと叱られるので、桜の花と言うよりは、ひたすら地面の方ばかりに気を取られていたのを思い出します。先輩達も花を見るよりビールの方が大事でしたが、毎年必ずお花見は欠かしませんでした。テレビでワシントンの桜のニュースをやっていました。あちらも桜が満開で、たくさんのお花見客で溢れています。その中でキャスターが、桜の枝を折って花を持ち帰る人が多く、木を管理する人たちが困っているという話をしていました。日本人が桜の木の下で飲み過ぎるというのもいかがなものかと思いますが、どんなにその下で酔っぱらっても枝を折るという発想にはならないもので、きっと日本人には桜を慈しむ心が自然に備わっているのでしょう。木などの植物も氣のエネルギーを発しています。こちらが木から良いエネルギーをもらおうと受信状態になると急激にその吸収力は高まります。美しい花をつけた桜であれば、もっと吸収力は上がるでしょう。そういう意味ではお花見は、日頃の疲れを癒す究極のヒーリングなのかもしれません。私が生まれ育った札幌では、ゴールデンウィークを過ぎないとお花見はできません。ですから小さい頃の記憶では、桜の花と卒業や入学のシーズンとはまったく関連が無いものでした。しかし、東京に住んで20年以上になりますと、すっかり季節感が変わってしまいます。桜が散る中を、真新しいランドセルを背負った小さな子供達が歩き始めると、今年も良い季節になったという嬉しさが湧き上がってくるものです。どことなくウキウキと何かにチャレンジしたくなるような希望に溢れる氣を感じるこのごろです。