強い意志が大事

 私は学生時代から、計画通り物事を進めるのが苦手でした。
ついつい甘えが出てしまい、いつしか仕事が遅れがちになって、いつも最後の最後で何とか頑張って間に合わせるということになっていました。
会長になってからのことですが、ある時こんなことがありました。
どうしても書かなければならない原稿があったのですが、その日はまったく何を書いたらよいか浮かんできません。
どんどん時間だけが経っていくのですが、まったく話がまとまらないのです。
夜遅くなってきたものですから眠気も増して、ますます頭はもうろうとしてきます。
しかし、眠ってしまっては穴をあけてしまうことになりますから、その時は気力だけで起きている感じでした。
そろそろ夜が明けるというのに、そんな調子で自分自身と格闘していたのです。
そのうちに寝不足からなのか、胃のあたりが気持ち悪くなってきました。
仕方がないので私はハイゲンキを持って来て、お腹に当てることにしたのです。
しばらく当てていると、グーッと気持ち悪い感じが増してきて、咳が出たかと思うと何も出ないのですが、何かをもどすように胃の中の空気を出していました。
何やら悪い氣が出たという感じです。
その後、何だかスッキリして、机に戻ってしばらくすると良い案が浮かんできて、結局原稿の方は何とかなったのでした。
 そのとき初めてわかったのです。
私は知らない間にずいぶんマイナスの氣の影響を受けてしまっていて、それらに話がまとまらないよう邪魔されていたのです。
マイナスの氣の中には自分の思う通りに身体を使いたいと思う霊的な存在もあるでしょう。
彼らは自信を失わせ魂のエネルギーを下げさせて、いつまでも権力をふるっていたいのです。
私は、そんなこととは夢にも思わず、「できない、できないかもしれない」と焦っていたのでした。
そしてさらにわかったことは、最初に重要なのは気持ち、つまりマイナスの方向に引っ張られても抵抗しようとする強い精神力だったのです。
それがマイナスの氣を引きはがすきっかけになり、さらにハイゲンキを当てられたことで、それが促進されたと思うのです。
 どんなときも、何かをやろうという強い意志には光が集まります。
そして真氣光の光が、それを後押ししてくれるのです。
「気合いだ、気合いだ…」というアニマル浜口のかけ声ではありませんが、ここ一番という時には、そうやって自分自身の気持ちを強く持つことが必要な時があるようです。
(中川雅仁)

(1)「Tears in Heaven」

音 楽は人を楽しませたり、リラックスさせたり、時には落ち込んだ気持ちを元気にさせてくれたり、音・リズムそして詩を通して、素晴らしい氣を運んでくれます。今 週の月曜日、ニューヨークを離れる最後の日の朝食を、私たちはブロードウェイにあるリンカーンセンター近くのカフェで取りました。ベーグルにスクランブルエッグ、少しのフルーツとコーヒーというセットメニューを注文して席に座って待っていると、それまでの陽気な曲に代わり曲調の違うこの曲「Tears in Heaven 」(ティアズ イン ヘブン)が流れ出したのです。私は思わず聞き入りました。こ の曲はエリック・クラプトンが、‘91 年にニューヨークの高層アパートから4 歳の息子が誤って落ちて亡くなってしまった悲しみを歌ったものです。‘93 年に年間最優秀曲に選ばれ、この曲を収録した「アンプラグドUnplugged 」も最優秀アルバム賞を獲得しました。十年以上昔の話になりますが、私もCD を買ったり武道館での来日コンサートに行ったことを思い出します。Would you know my name If I saw you in heaven?(もし天国でお前に会ったら、お前は私の名を覚えてるだろうか)という歌詞で始まるのですが、息子と過ごす時間が少なく何もできなかったのではないかという後悔と、悲しみを乗り越えて前向きに生きようとする姿が伝わって来る曲です。タイトルの「Tears in Heaven 」はサビの部分に出てきます。Beyond the door,there’s peace I’m sure,and I knowthere’ll be no more tears in heaven.ドアの向こう、つまり、天国には、安らぎの世 界があり、そこでは、涙などあり得ない、と言っています。少 しスローダウンしたやさしい曲調に、私はこの曲が作られた背景と昨日までのセミ ナーのこと、そしていろいろな人達の笑顔を思い出していました。不思議な縁で会った人 達、日本に居たら到底会うことが無かった人達、宗教もルーツも違う人達。そこに繋がる たくさんの国々に及ぶ先祖。そんな事を考えていると曲はいつしか終わり、再びアップテンポの曲調に代わっていました。店内は何事もなかったかのように活気づいていて、気がつくと満席です。私以外の5 人は、クラプトンの曲が流れたことに気がついたのか、気がつかなかったのか、みんな特に気にも留めない様子で、「今日はjewish holiday (ユダヤ教の休日)だ」という話から、そのうちにホロコーストで犠牲になった人達の話に発展していったのでした。私が偶然のように聞いたクラプトンの曲は、真氣光の光とともに天国から見守ってくれているたくさんの人達からのプレゼントのように感じたのでした。

(19)怪我の功名

先月のことです。人と待ち合わせをしておりました。私は車で高速道路を走って目的地に行こうとしていたのですが、ちょっとよそ見をしている間に、案内表示板を見落として、道を間違え遠回りの道路に入ってしまっていたのです。高速道路ですから、後戻りするわけにはいきません。「失敗したなぁ、時間がかかるだろうから待ち合わせ時間に遅れます」と電話しようか等と考えながら走っておりました。すると、どんどん道が空いてきたのです。間もなくすると、道路状況を現す電光掲示板が見えてきて、さっきの道が大渋滞していたという事がわかりました。結局、私はその後順調に走り、待ち合わせ時間の1分前に目的地に着くことが出来たのでした。なんと有難いことだったか、もし道を間違えなかったら1 時間は違っていたでしょう。これはまさしく怪我の功名です。私は、このような“怪我の功名”も氣と関係があると思っています。
ところで、このことわざについて調べてみました。意味は(1 )間違ってやってしまったことが思いがけずよい結果となること(2 )なにげなく行ったことが偶然良い結果を生むことのたとえ。とあり江戸時代初期から使われていたようです。かなり昔から使われていますから、それを体験してきた人が多いのでしょう。2000 年にノーベル化学賞を受賞した白川英樹筑波大名誉教授のエピソードは、実験の指示を取り違えた大学院生がとんでもないものを作ってしまった失敗がきっかけで、とんでもないものが発見されたというものでした。2002 年にノーベル化学賞を受賞した田中耕一さんは、間違えて試料を混ぜてしまい、「どうせ捨てるのも何だし」と言って実験したところ見事成功したというものでした。
世紀の大発見などには、この“怪我の功名”的といえるものが多いように思います。普通に考えるなら、手段、方法、過程に誤りがあれば、好結果を得る可能性は極端に低いわけです。しかし二人の科学者のように「常識の枠にとらわれない考え方」や「行動力」に加え「失敗からどれだけ学べるか」というものの見方ができる人だったからこそ発見できたのでしょう。さらにそれだけではなく、私には大きなプラスの氣つまり人智を越える何か大いなる存在が介在していたと思うのです。私たちには一見マイナスともいえることが、いろいろと押し寄せて来ます。時には失敗もあるでしょう。しかし、不平や不満といったマイナスの氣を自ら発することなく日々努力できることが、いつしか大きなプラスの氣を呼び込むことに繋がります。真氣光というプラスの氣 も、それを後押ししてくれるのです。

(54)永い年月を遡って届く光

今月7 〜9 日に開催したリーダー研修で、全国的な傾向として説明した魂のお話です。昨年から、私が氣を送っていると、とても強い恨みをもった魂達が浮かび上がって来ることがあるのです。その人たちが生きていた時代は、想像するに4 〜500 年前、つまり室町・戦国時代のようです。ある日の会長セッションで出てきた魂は、代々その家を恨み続けていて「一族を一人残らず殺すまでは…」と拳を握りしめ絞り出すような口調で言っていました。どんな場合でも出てきた魂達は真氣光を送っていると、だんだんその恨みと苦しみが減ってきて穏やかになり、最後には光の世界に旅立っていくのですが、最初の印象から察するに相当な恨みがある人たちだと、私は感じたのです。彼らの言う一族とは血筋や家、名字が同じなどという関係ばかりでなく、血縁関係になくてもかつて親しい間柄だったり一緒に戦っていたなど、少しでも縁のある人は全て一族と見なすということのようなのです。歴史にうとい私には、当時の人達がどうしてそのような強い恨みの念をもたなければならなったのか、よくわかりませんでした。そんな話をしたところ、ある人が清水克行著「喧嘩両成敗の誕生」(講談社選書)という本を貸してくれました。こ の本を読んで、いろいろな事がわかりました。日本の中世と言われるこの時代には、絶対的な権力者がいないばかりか、法が整備されていないがために、たくさんの人達の命が犠牲になっていたのです。大名から庶民まで刃傷沙汰は日常茶飯事で、今では想像もできないほど人命が軽んじられていたのです。実力者とのコネがものを言い、力の無いものは集団で戦い、切腹しなければ自分の正当性が主張できないような時代で、復讐が果てしなく繰り返されるのです。そんな中世が生んだ究極のトラブル解決法が、喧嘩両成敗法だというのです。話 は変わりますが、私は毎週NHK の大河ドラマ「功名が辻」を楽しみに観ています。激動の中を懸命に生き、死んでいく人達を観ると思わず涙してしまうこともしばしばです。今のこの平和な日本は、一足飛びにできたのではなく、歴史上たくさんの犠牲から成り立っているということをつくづく感じます。テレビ等で多くの人々が当時の事を知ることは、見えない光のような氣となって、少しずつ当時の人たちの魂に届きます。さらには真氣光という光を毎日受けることは、強い恨みをも自然に溶かします。永い年月を遡って光が届いたのは、皆さんの光が強まった結果だと、私は思うのです。

(18)二度あることは三度ある

先日雨が降る夜に、私は車を運転していました。路地から大きな道へ右に曲がって出ようとしたときのことです。まず左側を見て、次に右側から来る車が来ないことを確認しながら、発車しようとしたときです。凄い勢いで左側から私の車の前を走り抜けようとした無灯火の自転車がいました。慌ててブレーキを踏みましたが、もう少し発見が遅れていたら接触していたことでしょう。その自転車は雨が降るので急いでいたらしく、何事も無かったかのように走っていきました。その前にも、見通しが悪い交差点で左折しようと車を止めたところ、よそ見をしていて止まり切れなかった若い女性の自転車が突進してきました。結局、直前で自転車は止まりましたが女性のお尻が私の車にドシンとぶつかってしまったのです。彼女の身体の方は、お尻ということもあり痛むこともなく、大事にいたらず安心したのでした。ど うも私は、自転車との相性が悪いようです。それもスピードを出して走ってくる自転車に縁があるようです。サラリーマン時代、雨が降る中、夜遅く傘をさして帰宅途中のことでした。もう少しで家だと思った矢先に我が家の前で、後ろから傘をさして走って来た自転車にぶつけられ、跳ね飛ばされて転んでしまいました。私は仕事でヘトヘトでしたから文句を言う元気も無く、相手の人が心配そうに謝ってくれていましたが、早々にその場を後にしたのです。私のズボンは破れて泥だらけ、玄関を開けた家内が、「自転車にひかれた~」という情けない私の姿を見て、大笑いしたことを思い出します。
氣 は波動的な性質を持っています。自分の氣に波長が合って、いろいろなものが集まってくるわけです。何かマイナスの氣が在って、それが消えないと再び同じようなマイナスの氣が集まり、事が起こります。“二度あることは三度ある”ということわざがありますが、これはまさしく氣の法則を言っているのだと思います。江戸後期から使われているようですから、昔の人は経験的に解っていたのでしょう。
私 は幼少の頃、自転車暴走族(?)として鳴らしたものです。もしかしたら、ずいぶん周りに迷惑をかけ、その時にご縁のあったマイナスの氣の影響があるのかもしれません。このような場合、核となるマイナスの氣によって他の人よりも、似たようなマイナス現象に遭遇しやすくなります。ですから、より一層注意を払うとともに、もし現象が起きても“不幸中の幸い”に目を向けマイナスの心に引っ張られないことです。私も、何かに守っていただいたことを感謝するとともに、もう少し注意しようと思ったのでした。

(53)何も言わなかった

私が氣を送っていると、A さんは胸が苦しいと訴え始めました。最初は辛そうにしているだけで何も言えないようでしたが、次第に氣が届いたのか楽になったようでした。そして、何かを話し始めたのです。話に耳を傾けてみると、どうやらご本人自身ではなく、その人の口を借りて出てきている違う人、つまり魂だったのです。「私は、何も言わなかった。みんなが、困るようなことは何も言わないから…。だから私が居ても居なくても誰も困らない、何も言わないから。名前があっても、ただの物。言いたいことを言わないで、ずーっと生きてきた。それがみんなのためと思っていた。でも自分のためにならないことは、人のためにはならないの。自分が、ただ弱かっただけ。誰のせいでも無い。どうしたら良いかわからなかっただけ。」その人は、心にたくさんのものを溜め込み、苦しいまま亡くなったのでしょう。しかし、亡くなった後も苦しさが続いていて、たぶん似たような体験を持つA さんのところに来たのだと思います。「でもね、私、この人に、こうやって自分の気持ちを言える機会を与えてもらったの。ね、こうやって…。良かった。」と言って、その魂は涙を流すのです。私は、彼女の話す言葉がずいぶん変わって来たことから、真氣光がかなり浸透してきたと確信できましたので、黙って氣を送り続けました。するとA さんは、何度か激しく咳き込みましたが、その後また話し始めたのです。「人の心って難しいわねぇ。こうしたらいいって言う答えがないの。でもね、心に光の入り口をつけて、少しずつでも光が入って…、光って言うよりは風通しが良くなるのかな。そして息苦しさが少しずつ消え晴れやかな気持ちに変わって、気がついたら真っ黒で堅い石が、明るいそよ風が吹いている場所に変わっているの。そうなれば人の心は自由でしょう。たとえ周りが変わらなくても、自分の心が明るくなれる。何があっても平気よね…。」そう言って、その魂は光の世界に逝かれたのでした。人 の心は一人ひとり皆違い、感じ方は様々です。ですから、それを解決できる“ものの考え方”も、人によって皆違うということになります。ですから同じ悩みでも、ある人には効果がある言葉も、ある人には効果がないのです。しかし真氣光は魂に作用し、根底から心を軽くしたり明るくするのです。私は、彼女の話の中から、魂に真氣光の光が充電され、心にどのように作用するのかという事を教えられたのでした。

(52)幸せになった…

ある日の会長セッションでの出来事です。A さんに氣を送っていると、苦しがる魂がA さんの口を借りて出てきました。手も身体も動かず、さらには、目は見えないし耳も聞こえない、口もきけないようなのです。うんうんとただ苦しそうに唸っていたのですが、私が氣を送るうちに、だんだん少しずつ口がきけるようになってきました。どうも長い間植物人間のようにして晩年を送ったようなのです。やっと話を聞くと、何も出来ないことをしきりに嘆いています。私もかわいそうに思いながら一生懸命に氣を送り、話を聞いていました。その魂は、一切の事が出来なくて、とっても不幸だと言います。不幸だから、幸せなあの世には行けないということなのです。私は、「たいへんでしたね」と聞くとうなずきます。聞こえなかったはずの耳が聞こえているようなので、「耳は聞こえますか」と聞くと「聞こえない」と答えます。長い間聞こえなかったので、そのように思いこんでしまっているのです。私は、手や耳や目など身体が無くなってしまって、魂の存在になったのだと説明しました。つまり身体は失ってしまったけれど、魂として聞こえるし、光も感じられるということを話したのですが、それには耳を貸さず自分は不幸だと言います。私 は、魂にとっての幸せとはどんなことだろうと想像してみました。身体がないのですから生きている時のように、お金があるとか、おいしい物を食べられるとか、物質的に恵まれたからと言って幸せを感じることはないでしょう。嬉しい気持ち、晴れ晴れする気持ちになったとき幸せと感じられるのかもしれません。その魂は、ずっと苦しかったので、そのような気持ちがまったく分からなくなってしまったのです。そんな事を考えながら氣を送っていると、次第に真氣光のエネルギーが届いてきたのか、「ああ明るい、気持ちいい」と言い始めました。最後に「幸せになれました」と言って光の世界に消えて行ったのです。最 近、延命治療についての報道をよく目にしますが、人は死に方で、成仏できたり、苦しんだりするのではないようです。辛い亡くなり方をしても、あちらの世界を信じ、幸せ感に包まれるように気持ちが切り替えられる人は、あの世に向かう光のトンネルを見つけられるのではないでしょうか。あとは、遺される家族が会えない悲しみを克服することです。亡くなられた人は、私たちより少し早く旅立たれただけです。また会えるわけですから、それまでお互いが魂磨きの修行をしっかりとしなければなりません。旅立つ人にも遺された人にも真氣光の光が氣づきをもたらしてくれるでしょう。

(51)核開発者の苦悩

私は先週、月刊ハイゲンキの対談のために映画監督・鎌仲ひとみさんのお話しを聞き、新作「六ヶ所村ラプソディー」の試写会に行ってきました。鎌仲監督の活動については、小原田さんが(月刊ハイゲンキ2003年9 月号)行動派たちの新世紀のページで、映画「ヒバクシャ」について劣化ウラン弾の話を中心に取材しています。監督は「身体の中に放射性物質をとりこんだ現代のヒバクシャの終着点は私たちの足元、六カ所村だった。劣化ウラン弾は原子力産業から出てくる廃棄物から作られている。核の平和利用の副産物なのだ」と言っています。六カ所村に使用済み核燃料再処理工場ができ本格稼働寸前です。施設着工前には反対運動も盛んでしたが、今では大勢の人がその関連で生計をたてており、今では反対者も少なくなっているのが現状です。そんな六カ所村を、反対派・賛成派双方の目から撮られたドキュメンタリーでした。数 ヶ月前のことです。ある女性に氣を送っていたら、その方の口を借りて出てきた魂がありました。かなりの苦しみがあるのか、低い唸り声を上げています。私がしばらく氣を送ると、その魂は次第に楽になっていくようでしたので「楽になりましたか?」と声をかけたのです。すると「楽になってはいけない、私のためにどれだけの人が苦しんでいることか」と言うのです。何の事だろうと考えていると「私はたいへんな物を作ってしまった。それで多くの人があっという間に亡くなった。たくさんの人が苦しんでいるのに自分だけが楽にはなれない」と言ったのです。私はすぐに、核開発に携わっていた人だとわかりました。その人の強い自責の念を感じ、私は何とか力になりたくて「今は、あなたが作ったものの恩恵も受けています。あなたがやらなくても誰かが作ったかもしれない。今できることは、あなたも光になって地球の未来のために応援してください」と言ったのです。その人はしばらく躊躇していたのですが、こうしていても何も変わらないということが分かったのか、スッと光の世界に行かれたのでした。現 在私たちは大量の電気を使っていますし地球の温暖化も進んでいます。この問題は複雑ですが、人類が学び進歩していく過程で、どうしても通らなければならない道だと思うのです。今の満ち足りた生活に感謝するとともに、危険な作業に関わってくれている人たちに感謝し、かけがえのない地球であることを認識して行動することによりエネルギー消費を少なくしていくことが重要です。まずは多くの人が現状をよく知り、将来を考える必要があります。

症状別治療ハンドブック

真 氣光が始まって間もなくの頃に刊行された古い本に『症状別治療ハンドブック』(税込二千百円)があります。先代の会長である私の父と祖父の共著ですが、症状・病名ごとにハイゲンキを当てるべきツボの位置をモデルの写真の上に黒点で記した本です。父が治療家である祖父の影響を受けてハイゲンキができたわけですが、その出発点とも言うべきものです。ハイゲンキは皮膚の電気抵抗の変化からツボの位置を測定できるツボセンサーがついていますから、この本に照らし合わせれば“専門家でなくても誰でも簡単に鍼灸などで言うところのツボの位置を測定できるように”ということから刊行されたものです。私は時々本棚から引っ張り出して見ていましたが、最近はハイゲンキをするときにツボを測定しなくなりましたから、一般にはあまり読まれることがなくなった本です。先日家内が、この本にあったツボの位置にハイゲンキをしたら非常に良かったと言うのです。成り行き上、背中にあるツボなものですから一人ではやり難いらしく、胃上げの他にこのツボにも私ができるだけ毎日ハイゲンキをしてあげるということになってしまいました。(笑)昔 の真氣光は、ツボの位置を測定し、そこから氣を入れるというやり方が良いとされていました。しかし、特別な病気でツボの位置がわからないという人や、一人ではツボを測定するのが難しいという人、毎日測定するのはたいへんという人などが多いこと、さらには真氣光のエネルギーが増して特にツボの位置に限定されなくてもよい事や、人によってもっとも良いツボが違うこと、痛いところに当てるだけでも(さらにはお腹の上に置いておくだけでも)氣は入るということで、今では「ツボを測定しなくても良いです」と言っているのです。しかしツボの位置を知って、服の上からでも氣を当てられ ると、また新鮮な気持ちで氣が受けられるようです。その分、氣の吸収力が上がり効果 も出やすくなることでしょう。ハイゲンキの使い方がマンネリ化してきたような時に は、このようにちょっと視点を変えてツボから氣を入れてみるのも良いものです。 ま た、目に見えない氣をなかなか信じられないような人には、このツボの位置を使う やり方はとても有効です。真氣光は、だんだん新しいことがわかってくる・新しい物が 開発される分だけ、やり方が増えるという事です。いつもハイゲンキを使えるというこ とが大事で、一つの方法ばかりでなく、人や場所に合わせて適切なハイゲンキの使い方をしていただけたらよろしいと思います。

(50)なぜ嫁いできた

私 が会長セッションでA さんに氣を送っていると、A さんとはまったく違う声で出てきた魂がありました。その声は苦しそうに「なぜ来た、なぜ嫁いできた」と言います。A さんが、実家のB 家からA 家に嫁いだことを非常に厳しく非難し、怒っているのです。どうも過去にAB 両家の間には争いがあったようで、一方的にA 家が滅ぼ
されたことによりB 家への強い怒りと怨み、さらには報復の念が、時間を超えて延々と続いていたようなのです。怨みをもっていることで相当な苦しみがあり、苦しいからより一層怨みの念を持ち、その繰り返しが続いていたのです。私が氣を送るうちに、だんだん苦しそうな声が穏やかになります。「やっと楽になってきた」と言い始めたので、「どうして楽になったか、わかりますか。あなたが怨んでいた、この人から光が来たのですよ」と話すと、うなずきます。「もう怨むのは終わりにしましょう。これから、いろいろよろしくお願いします」と私が言うと、スーッと光の世界に消えていきました。後 でA さんに聞くと、そんなこととは全く知らないで、当時ご主人がとても良い人に見えたのでB 家からA 家に嫁いだということです。結婚してからお姑さんとの仲が悪くなり今では往き来しておらず、最近ではご主人との仲もしっくりいかなくなっていたようです。私は、A さんが真氣光を受けるようになって充電が進んだので、やっと強いマイナスの部分に光が当たり始め、抵抗する魂達の影響がご主人の態度にも現れているように思いました。二人が出会って結婚することになったのは、確率から考えると非常に低く全くあり得ないと考えても良いほどだと思います。A さんばかりではありませんが、全く知らない二人が出会って結婚するということは、その意味を氣の観点から考えると、両家に光を与えるためとしか思えないのです。たくさんの人が苦しんでいるのかもしれません。中には、なかなか分かってくれない先祖がいるかもしれません。しかし、真氣光の光が徐々に浸透し、さらには光の世界に行けた人も手伝ってくれるはずですから、必ず明るい未来があると思うのです。今を生きる私たちが、過去に向かって光を与えています。私は、セッションが終わった後に、光の世界に旅立って行った人に「二人を見守ってください」とお祈りすると同時に、A さんにはこの先も辛い出来事があるかもしれないけれど、挫けることなく真氣光を続けて欲しいと願ったのでした。