ラベンダー畑から

月刊ハイゲンキのカラーページ「新紀行」の取材で富良野に行って来ました。花々が見頃で、観光客でたいへん賑わっておりました。私は以前にも行ったことがあるのですが、ラベンダーで有名なファーム富田は、ずいぶん大きくなって変わっておりました。もう20年ぐらい前になりますから、当たり前のことですが・・・。ラベンダーの栽培は約50年前からとのこと。一時は天然香料が合成香料に押され栽培を断念する農家が続出。「生かしたい一心が、物づくりの道を教えてくれた」と言うことですが、国鉄のカレンダーで紹介されたのをきっかけに訪れる人が多くなり、オイルの抽出から化粧品や石けんの製造を手がけ苦境を脱したとのことです。ラベンダー畑に辿り着くと、目に奇麗な色彩が飛び込んでくるとともに、何とも言えない良い香りがしてきます。ハーブ効能事典を調べてみると「ラベンダーティーとして飲用すれば頭痛緩和、リラックス効果、失神やめまいも緩和する。またエッセンシャルオイルは消毒、鎮痛、沈静(例えば虫刺されや小さな火傷、凍傷、刺し傷)等に有効。マッサージオイルに混ぜたものは、炎症、皮膚のただれ、喉の痛み、リューマチ、不眠症、うつ病などの芳香療法の際に使われる。」とあります。真氣光の化粧品オイルと石けんにも使われています。普通いい香りを嗅ぐとリラックスしストレスは解消され、いやなにおいを嗅ぐと不快になりストレスは増幅されると信じられていますが、一概にそうともいえないようです。ストレスの原因を身体の酸化ととらえ、唾液中の抗酸化物質が増えているとストレスを解消でき、逆に低下していれば身体の酸化が進みストレスがたまっていくと考えた実験が「においと香りの正体」(外崎肇一著)に紹介されていました。アロマテラピーで使われる芳香を嗅がせると抗酸化物質は徐々に増えていくが、嗅ぐのをやめると以前の数値にすぐに戻ってしまい、逆に不快なにおいを嗅がせると抗酸化物質の量はそれほど減らず、嗅ぐのを止めると抗酸化物質が一気に増加するということです。においには慣れがあり、いやなにおいから解放されてホッとするのが、抗酸化物質の増加につながっているということで、この実験での結論は、人にとってストレス解消の良い方法は「変化」だというのです。そういう意味では、短い時間でもホッと一息できた今回の取材は効果があったのかもしれません。来月の月刊ハイゲンキでは、できるだけ写真をたくさん掲載します。良い香りはお届けできませんが、良い氣をお届けします。リラックスのための「変化」になりますでしょうか。お楽しみに。

真氣光は氣づきのエネルギー

私は、今週月曜日まで3泊4日の真氣光研修講座を開催しておりました。講座期間中、大きな台風と地震がやって来ましたが、幸いにも受講生には大きな影響もなく本当に良かったと胸を撫で下ろしました。ただ一部の地域では大きな被害が出ていると、帰宅してからテレビ報道で知りました。SASのセンターからの報告では直接被害に遭われた方はいらっしゃらなかったようですが、ご親戚やご友人の中に被災された方がおられるかもしれません。心よりお見舞い申し上げます。この地震では原子力発電所もストップしてしまいました。想定外の揺れだったとのことでしたが、特に大自然の前ではこの「想定外」はつきものですから人類にとって「これで万全である」というおごりは禁物です。ところで毎回の研修講座で、私が必ず話していることの一つに「神を信じ人を愛す」の話があります。先代が遺した言葉ですが、真氣光を実践する上でこの言葉無くしては始まりませんから、講座ではそれが持つ意味の説明に時間をかけているのです。「神を信じ」の言葉には、私たち一人ひとりは、大宇宙や自然あるいは高次元の存在とも言える神のような、何か大きな存在に生かされているということを信じるという意味が込められています。ですから先代が亡くなる前によく言っていたのですが、「身のまわりに起こること、特に一見マイナスの出来事は全て、私たちの魂の成長のために神が与えてくれた意味のあること」ということです。しかし、なかなかその意味には氣づけないものです。でも与えられたことに、こちらから氣づこうとしなければ氣づきのチャンスが無駄になってしまうのです。この時、氣づくためのポイントは、マイナスの出来事のせいにするのではなく、自分がどう変われば良いかを考えることにあります。先代は大きなヒントを遺しています。「人を愛す」です。家族や友人など身近な周りの人との人間関係において、自分がどこまで人を愛せるか?プラスの氣を発信できるか?という観点でも考えてみることなのです。高次元からの真氣光のエネルギーは、魂に入り成長を促します。音氣等の氣グッズやハイゲンキ、さらにはそのバージョンアップが力を貸してくれます。氣づきのチャンスだと頭でわかっても心からそう思えない時、心がそれを許さない時があるかもしれません。どんな心の状態でも、まず氣を受けようとすること、そして十分に氣を受けながら考えることによって、いろいろなことに氣づけるのです。ハイゲンキの源は宇宙に繋がっています。何か大きな力が助けてくれるのです。

ムッときたら氣の充電

4月26日付のこの紙面で、私はある新聞の特集記事「夫に言われて傷ついた一言」(1位は「君も太ったね」)について書きました。先日その新聞に今度は「妻に言われてムッとした一言」という記事が載っていました。どうも妻の言葉への夫の不満も取り上げてほしいという声が新聞社に多数寄せられたようです。結果は、1位「うちにはお金がない」「生活費が足りないわ」274人、2位「あなたはいつもそうなんだから」220人、3位「おなかが出てきたわね」203人…と、アンケート結果は15位まで続くのですが、我が家でも時々耳にする言葉が入っております。一方、妻に言われてうれしかった一言は、1位「ありがとう」411人、2位「いつもご苦労さま」「お疲れさま」300人、3位「いってらっしゃい」266人、4位「さすが!」183人、5位「早く帰ってきてね」180人…と、感謝や労いの何気ない一言が続きます。記事によりますと、短い一言は「長い言葉と違って、夫側が『本音は何だ?』など裏読みをせずに済むので素直に聞ける良さがある。妻が自分の味方であることが口調からも伝わり効果的」だそうです。男性も女性も嫌な言葉の中には、体型のことが入っていたり、「一生懸命やっているのに、これ以上どうすればいいんだ」という自分の気持ちをわかってもらえない事への不満が根底にあるようです。私は、妻の言う事に対して、つい「ごもっともです」と思ってしまう癖がついてしまったのか、滅多にムッとすることはないのですが、やはり疲れているときなどに聞くと嫌味の一言でも返してやろうかという気になるものです。マイナスの言葉にはマイナスの氣が集まり、プラスの言葉にはプラスの氣が集まります。言葉について、できるだけお互いに気をつけることが望ましいのですが、なかなか行動に移すのは難しいものです。私は、同じような事を相手から聞いても聞き流せるときと、やけに心に引っかかるときがあるということから、そのことを自分自身の状態に気づけるチャンスととらえるべきだとお話ししています。ムッとしたときには自分自身の波動を変えるよう、一呼吸置いたり、相手を思いやる気持ちを持てるよう努力することで、一つ魂のステップアップができるものです。もちろん、心に余裕を持つために少し多めに氣を受けることも忘れてはなりません。夫婦という身近な人との間で練習ができると、魂の成長も早くなるということでしょう。また、第三者に対してムッとしている相手を目の当たりにしたら、気づかぬうちにマイナスの氣をためてしまいますから、心に余裕を取り戻せるようお互いに注意し合えると最高ですね。

バカンス

今年も半年が過ぎ、7月に入りました。ニュースによりますと「成田国際空港会社は5日、夏休み期間中(7月13日?9月2日)の空港利用者が、過去最高の427万人に達するとの推計を発表した。9月2日が日曜日で小学校などの夏休みが長くなるため、前年比で約5万人増えるとみている。」ということです。この推計、休みが2日長くなると、こんなに増えるの?という感じですが・・・。旅行会社など夏の観光についての宣伝が目を引きます。インターネットで検索してみると、フランス政府観光局のサイトには「頑張った自分にごほうびするなら、フランスでのバカンス!」と銘打って、あちらこちらの美しい風景や食べ物の写真が掲載されています。ちなみにバカンス、バケーションを百科事典で調べてみると、「欧米では労働者の休暇の過ごし方の形として頻繁に使われるもの。平素の煩瑣な仕事の世界から解放されて、完全な休暇を楽しむライフスタイルのこと。休日とは違い、長期にわたり仕事や普段の生活の場所から離れ、田舎やリゾートに出かけて、そこに滞在型の休暇を楽しむもので、日本人の団体や家族での海外旅行のような周遊、回帰型の移動旅行とは異なったもの。」とあります。長期で留守にすると、いろいろなことが気になってしまい、私などにはもしかしたら無縁のことかもしれません。フランスでは景気回復策として、60年以上前からバカンス法を制定して国が奨励してきたという歴史があります。近年、日本でも徐々に言われていることなのですが、なかなか現実には難しいものがあります。バカンスについて、フランス人ジャーナリスト、ドラ・トーザンさんが書いている文章を見つけました。『人生を前向きに生きるためにバカンスは欠かせません。精神的ストレスを癒すには、日常から離れることが必要。仕事も肩書きも年齢も忘れ、素の自分を取り戻すのです。いいエネルギーと新しいものの見方を身につける事で、周りの人にもいい影響を与えます。大切なのは「今この瞬間を味わう」こと。翌日のことは気にせず、ひたすら今を楽しむ。そして偶然の出会いを楽しむこと。・・・日常生活では得られない新鮮な時間を、親子で共有することもできます。』これを読んでいて、まるで真氣光研修講座のことを言っているように思いました。バカンスのように何週間もの長い休みをとれない方に、真氣光のエネルギーが短い時間でも癒しを与えます。この夏、日常を離れ、思い切って3泊4日の研修講座を受講してみませんか。

(57)足をすくわれていた?

左足に限って、いろいろな不調に見舞われていたA 子さん。小学生の時に転んで、膝を大きく切るアクシデント以来、何度も転んだり足首を捻挫したりしていたと言います。本人曰く「不注意と言われればそれまでですけど、あまりにも左側に集中するので変だと思っていました。でも特に気にしてはいませんでした」よく話を聞くと、それは何か大事な事の前に起こっていたと言うのです。例えば、友人の結婚式でスピーチをしなければならないのに、その前日に洗濯物を干していて何かにつまずき竿を持ったままバランスを崩して大転倒。足首を捻挫したのですが、彼女はすかさずハイゲンキを当てたと言います。私もいろいろ経験がありますが、外傷など物理的な怪我にけっこう効くのです。彼女も最初はどんどん腫れて来たので、これは病院に行かないと大事になるかもしれないと思ったらしいのです。しかし、予想に反してハイゲンキが効果を発揮し、痛みと腫れが引いたと言います。翌日の結婚式も少々腫れていたけれど事なきを得たと言います。そんなA 子さんに、私が氣を送っていると、突然左足を揺らし始めます。そのうちに痛そうに顔を歪めて唸り始めました。私は、彼女にご縁のあった魂が、何かをわかってほしいのだろうと直感しました。案の定、「(今まで)苦しかった」と、訴え始めたのです。話を聞いていると、どうも小さい時に落馬して足を痛めたお姫様のようです。満足に歩くこともできず、正座もできず・・・結局お嫁にも行くことができずに、暗い気持ちのまま亡くなったのでした。永い年月が過ぎましたが、気がついたらA 子さんの所に来ていたようです。「少しでも私の苦しさをわかって欲しい」という気持ちや、少しは「私がこんなに苦しいのだから、この人も少し苦しんだらいい」という気持ちもあったかもしれません。A 子さんが楽しいと感じている時や、何か重要な事があると、いろいろな事を起こしていたようです。しかし氣を受けているうちに左足の動きも小さくなり、だんだん楽な表情に変わっていきます。最後にフッと何かが消えていったように、A 子さんは我に返ったのでした。A 子さんは、もしかしたら人生のいろいろな局面で、足をすくわれていたのかもしれません。今回このようなかたちで魂さんが浮かんで来られたのは、日頃から真氣光を充電して来た結果です。私は「怪我をした直後にハイゲンキを当てていたのも、魂さんの心を穏やかにする大きな効果があったと思いますよ」と、お話ししたのでした。

携帯電話に氣を

私は、うっかり忘れものをするということがあるらしく、家を出るときに家内が必ず「「財布持った?鍵は?携帯は?」と声をかけてくれるのです。有り難いことです。いつぞやは、財布は持っていたけれど中身が何も無いということもありましたが(笑)・・・。この、家を出るときの点検はサラリーマン時代からですから、もう20年近くになります。携帯電話がチェック項目に入るようになったのは、いつからでしょうか?おかげさまで私の場合忘れることは滅多に無いのですが、持っていても充電されていなくて使えなくなっていることがしばしばありますので、こちらは要対策というところです。今や携帯は、必需品になりました。公衆電話が街中から姿を消していますから、電話をしなければいけないときにはこれが無いと本当に不便です。私はあちらこちらからメールが来るので、メールの送受信機能も重宝しております。さらには出張のための飛行機や電車の予約、最近では、電車やバスに乗るのも、コンビニでちょっとしたものを買うのも「おサイフ携帯」ということで、ますます依存症になりつつあるのです。ある調査会社が街頭で『あなたは1日に携帯電話の画面を何回見ますか?』と、100人にアンケートを取ったそうです。結果は10回以上が46人、30回以上39人、50回以上9人、中には100回以上の人も・・・。私は時計の代わりに携帯で時間を確認しますから、それを入れると私も30回以上になるかもしれません。電車に乗っていても、携帯を見ていない人は居ないくらいです。現代人にとって、とても必要なものになってしまいました。肌身離さず使われる携帯電話に何とか良い氣を・・・と考えてできた一番最初の氣グッズが真氣光チタンゴールドシールだったのです。氣グッズばかりではなく本紙も2003年10月からファックスに加え、携帯電話にも配信するサービスを始めました。また昨年4月からは氣配り画像を待ち受け画面用に毎月一回配信し、氣を受ける道具にしてもらうというサービスも始めたのです。最近の携帯は音楽を聞くこともできるので、音氣を録音して聞けるようにしたいという要望もありました。そこで従来のチタンゴールドシールを小さく改良して、さらには音氣の音の波動に合わせて真氣光の氣が中継されるよう、ミニチタンゴールドシールを今月発売しました。これだけ大人から子供まで携帯電話が生活の一部になった今、少しでもそこから良い氣を受けていただけるように、これからも考えていきたいと思うのです。

氣になる本 『念ずれば花ひらく』

世の中には良い詩集がたくさんあり、ふとしたときに目にできることで、とても心が緩むものです。今日は、我が家の本棚にあって思い出深いものを、紹介したいと思います。坂村真民さんの「念ずれば花ひらく」(サンマーク出版)という詩集です。先代が亡くなり私が会長になったばかりの‘96年10月から‘98年にかけての話です。当時ご本人に快諾いただいたと聞いておりますが、月刊ハイゲンキに詩を掲載させていただいていたのです。 昨年12月に97歳で亡くなられたのですが、いつかどこかで紹介し、感謝の気持ちを伝えたいと思っていたのですが、今になってしまいました。真民さんは熊本に生まれ、8歳の時、小学校の校長をしていた父親の急逝によりどん底の生活に落ち、5人兄弟の長男として母親を助け、幾多の困難と立ち向かい、甘えを許さぬ一徹さを身につけたと紹介されています。 続けますと、「昭和6年、神宮皇学館(現皇学館大学)を卒業。25歳の時、朝鮮にて教職につき、36歳、全州師範学校勤務中に終戦を迎える。昭和21年から愛媛県で高校の国語教師を勤め、65歳で退職、以後詩作に専念する。四国移住後、一遍上人の信仰に随順して仏教精神を基本とした詩の創作に転じる。」と、あります。斎藤茂太著『プラス思考がその人を強くする』という本の中で、斎藤氏は真民さんが挫析と劣等感をバネに詩をつくって来たことに共感し、心から敬意を表し、次のように言っています。「真民さんの詩や文章には、人を包み込むようなあたたかさがある。それは真民さん自身が本物だからなのだ。」「どん底を見てきた人は、人間に対する眼差しに慈愛が満ちるのだろう。」 私も先代が亡くなった直後の、右も左もよくわからない時でしたから、真民さんの詩にはずいぶん励まされました。氣の観点から読んでも、共感できる詩がたくさんあります。ハイゲンキ誌での初回を飾ったのが、この「念ずれば花ひらく」ですが、いつかこの紙面でも紹介しました先代の「治療哲学」にも通じるものがあります。さらには次号に掲載された「すべては光る」という詩ですが、まさしく万物に宿る氣というものを表現しています。「光る/光る/すべては/光る/光らないものは/ひとつとしてない/みずから/光らないものは/他から/光を受けて/光る」詩を読んでいると、真民さんがきらきらと輝いているようです。私は詩集を開くたびに、ご縁をいただけたことに感謝し、ますます光り輝きますようにと、お祈りするのでした。

アメリカ、メキシコを回って来ました

私は、先月25日の大阪でのセッションを終え、翌日朝早く成田を出発、米国、バハマ、メキシコを回って、火曜日の夕方帰国しました。今年で12回ほどになるでしょうか。恒例になりましたが、龍村和子さんが米国で沖道ヨガと真氣光のセミナーを企画しており、それに参加するためです。今回は、米国マイアミからバハマ、フリーポートを往復する船中での3泊4日のセミナー、その後メキシコでの2泊3日のセミナーが主な目的でした。参加者は船でのクルーズがニューヨークやボストン、サンフランシスコなどから30人ほど、メキシコがニューヨークや現地メキシコの人を中心に15人ほどでした。限られた日程でしたが、今回は受講生とともに、私も現地での観光を少々楽しむことができました。 このような船中でのセミナーや、米国を離れメキシコでのセミナーは初めての企画です。私自身は十年ほど前にバハマやメキシコには行っており、いろいろ懐かしい思い出がありますが、今回もまた新たな体験ができました。その一つは3千人が乗った大型船でのクルーズです。船での生活は、食事や娯楽など至れり尽くせりの豪華なもので、乗客はゆったり船旅を満喫している様子でした。それを横目で見ながら私たちは朝6時から夜9時過ぎまで貸し切りの部屋でセミナーをやっていたのですが、時には船長が主催するディナーパーティーや寄港地でのフリータイムなどがあり、いつものセミナーとはちょっと雰囲気が違いました。 もう一つはメキシコでのセミナーです。会場のホテルはメキシコシティから1時間半ほどのテポストランというところにあったのですが、この辺りにはよくUFOが出没するという、ちょっと面白い不思議な街なのです。古い街並みに世界遺産に指定されている修道院などがあり、周りには切り立った山が散在しています。切り立った崖のような山の頂上には、古いピラミッドがあるのです。私たちは、3kmほどの道のりを登ったのですが、たまたま全員がピラミッドに着くとちょうど夕方5時(日本時間6/2の朝7時)で、ピラミッドの上から世界に真氣光を送る事が出来ました。これらの内容は来月の月刊ハイゲンキ誌面で紹介する予定です。 毎回、海外でのセミナーで感じることは、セミナーや旅行を通じて不思議なご縁でお会いする人たちです。それぞれの祖先を遡れば、いろいろな国がルーツになり、その数は計りしれません。真氣光は本人を通してご縁のある人や祖先に光を送り、苦しみや悲しみを取り除きます。短い時間にあちらこちらを周りながら、ますます全世界に光が行き渡りますようにと、祈ったのでした。

(56)収容所に向かう列車

会長セッションでA さんに氣を送っていたところ、急に腰を押さえ痛みを我慢するような仕草になりました。すぐに私はご縁のある魂の影響だとわかり、何を訴えたいのかと耳を傾けたのです。苦しみが強くて、なかなか声にならないのですが、氣を送り続けているとやっと「嫌だ、死にたくない」、次に「乗りたくない、嫌だ、乗りたくない」と繰り返していることがわかりました。船なのか?飛行機なのか?と尋ねると、「列車」だと言うのです。どこに向かう列車なのか?聞いても苦しみがこみ上げてきて、なかなか答えられません。さらに氣を送っていると、やっとの思いで絞り出すように発した言葉が「収容所」だったのです。その魂は、氣を送るうちに次第に楽になっていき、苦しみの中にまだまだたくさんの人が居ることを私に伝え、それを最後に光の世界に逝ったようでした。第二次世界大戦中には、強制収容所での大量虐殺がありました。この人も収容所で亡くなったのでしょう。「乗りたくない」と言うことは、列車で送られ殺されることへの強い恐怖が魂に刻まれたということだと思います。私は、亡くなった後も消えなかった苦しみに真氣光の光が届いたことの悦びと、戦争の無い平和な世界の有り難さを感じたのでした。 私 は以前、ある会員さんからもらった絵本を思い出しました。それは「エリカ 奇 跡のいのち」という題名で柳田邦男が翻訳したものです。要約すると「大戦中、ナチスによって貨車で強制収容所に送られていたユダヤ人の一団の中にいた若い母親が、生まれて二〜三ヶ月の赤ちゃんを、せめてこの子だけでも生き残ってほしいと毛布でくるんで、すし詰めの貨車の換気口から投げ捨てたところ、偶然目撃した沿線の村の住民が、奇跡的に怪我もしなかった赤ちゃんを拾って、密かにエリカと名付けて育てた。戦後50 年目にドイツを旅行していたアメリカ人女性作家が、たまたまエリカと出会い、その半生記を聞いて絵本ができた」というものです。 貨 車の中では、どんなに辛く悲しい状況だったことでしょう。その中で母親が、我が子を思うが故に絶望の中で一縷(いちる)の望みをかけてとった行動、そして危険を冒して拾い育てた村人の心。日本は、経済的に豊かで、平和な国になりましたが、死に直面することが減った分だけ“いのち”に対する思いが希薄になっていると思えてならないのです。真氣光は人にとって一番大切な“いのち”(魂)に直接エネルギーを与え、心を変えていくのだと思います。

研修講座通算200 回

‘90年3月から始まった真氣光研修講座ですが、次回2007年6月で通算200回を数えることになります。講座の開催場所は伊豆下田市、奈良県生駒市そして今の茨城県つくばみらい市と変わって、講座の内容も少しずつ変化し17年が経過しました。はじめは医療気功師養成講座ということで始まった真氣光研修講座です。当初医療に関心のある人、携わる人のための講座だったのですが、講座に行くと病気が治るということから、いろいろな人が参加するようになり、健康回復講座も同時に開催されるようになりました。私は‘92年に研修講座を受講し‘93年後半にはスタッフとして参加するようになりましたから、私自身も13年以上になりました。下田の時代には今とは内容がずいぶん違い、朝にマラソンの時間があり、途中息が続かず朝食に遅れると味噌汁の具が無くなってしまったなどということも思い出されます。しかし、開講当初から変わっていないことは、「健康な人も病気の人も真氣光のエネルギーをたくさん受けて自分自身の波動を変えよう」ということです。それによって周りにも良い氣が届くようになるわけで、先代は周りに良い氣を送れる“氣光師”をたくさん養成して氣の環境を少しでも改善したいと願ったのだと思います。下田の時代には気功師養成・健康回復と二つの講座が存在しておりましたが、‘94年にはそれらが統合され真氣光研修講座となりました。氣を送らせていただくことが自分自身の成長に繋がります。真氣光のエネルギーもより一層高まり、‘97年からは、受講生全員で真氣光の発光練習をするようになりました。私は、この通算200回を記念して、受講していただける方に何か記念品をプレゼントしたいと、あれこれ考えていました。記念の品ですから直ぐには手に入らない物が良いし、もちろん真氣光の氣を中継する物でないと意味がありません。何か無いものだろうかと、いろいろ探した結果、ガラス製の卓上型写真入れ(フォトフレーム)に決めました。ガラスの表面に私が「ますます光り輝きますように」の文字を刻印して、裏面にはSAS3連マークが100個エッチングされているパワーシートの小さいものを貼ります。家族やご縁のあった場所などに写真を使って氣を送りたい、つまり遠隔真氣光をする時には便利なものです。受講した方々が氣光師として益々活躍していただくにも最適かと思います。多くの方々の参加を、お待ちしています。