後悔と無縁になろう

春の卒業シーズンだからなのでしょうか、飛行機や新幹線にも、若い人の姿を多く目にします。最近は、卒業旅行で海外に行く人も多いとか…、私などは同級生数人で、よく調べもせずに、山中の古びた小さな1軒宿に行ったことを思い出します。図らずも混浴で、お爺ちゃん・お婆ちゃんの湯治客だけの所に、どこから来たのか場違いな若者達が登場した格好となり、何やらとても気恥ずかしかったという記憶があります。外に出ても周りは雪だけで、刺激的なものは泥のような温泉の湯以外何も無かったのですが、その分、皆でわいわいと盛り上がり、今となっては実に面白かったという良い思い出になっています。 ところで、過去のことを思い出すということについて、私の場合、真氣光を知らなかった時代と知った後では、全く変わってしまいました。昔は、「もしあの時こうすれば…」「もしあの時こうだったら…」と、過去のことを振り返り、嘆いたり後悔することが多かったのです。良くない事が多かったから、後悔ばかりが出ていたのかもしれません。しかし、後悔をすればする程、マイナスの氣の影響を受け、さらに後悔しなければいけないことが舞い込んで来るのです。後悔しながら亡くなった魂がとても多いので、後悔すればそれが引き寄せられるし、さらにその背後には、その人を恨んでいるようなマイナスの氣が居て、そのようなマイナスの氣を呼び寄せようと画策していることもあります。氣の世界を知って、その原理がわかり、自分が悪い現実を作っていたことに気がついたのでした。さらに真氣光を受けることで、マイナスの氣がプラスの氣に変わりますので、それによって良い状況になったり良いことが見えてくると言うものです。 また後悔のないように、しっかり考えて決めていきたいものです。「このように決めたのですが…、こんなふうになったのですが…、どうでしょうか」と聞かれることがあります。「決めることにはなったけど、それは自分の本意ではなかった」「決めた結果が正しいかどうかわからない」等々、いろいろあることでしょう。私はそのような場合、そうなったことは良かったこととして、未来に向けてたっぷりと真氣光を受けることが大事だと思うのです。自分の本意からの決心ではなくても、自分の気持ちがだんだん変わってくるかもしれないし、自分の気持ちにぴったりする方向に状況が変化することもあるでしょう。さらには、マイナスの氣の邪魔によって、そのような方向に動いていても、氣を受けることでプラスの氣の応援が受けられ、結果が良い方向に変わったり気づけることがあったり等、後悔とは無縁になることがあるからなのです。
(中川雅仁)

神様に報告できる生き方

何年か前に読んだ本の内容の一部だけが今でも頭の中に残っています。誰が書いたか?タイトルは何か?何も覚えて無いのですが、その一部分だけが記憶にあります。それは「貴方は神の子。周りにいる人も同じく神の子供です。その魂は神の一部です。貴方はそれでも周りの人を傷つける事ができますか?神の魂の一部を持ち合わせている人を。けなすことを。罵声を浴びせる事を。無理難題を押し付ける事を・・・それらをやってしまった事を神に報告できますか?」と、こんな感じの内容だったと思います(私が勝手にそう解釈しているのかも?)それ以来ずっと心の中で神様に報告できる生き方をしようと思い今まで過ごしました。しかし油断して「あっ!!やっても~た」と後悔した時が何度あったことか・・・また今日から神様に報告できる生き方を真氣光にお世話になりながら頑張ろうと決心してこのお便りを書かせてもらいました。
(岡山県 Mさん)

私の世界が広がってきました

ハイゲンキミニのパワーアップをして頂いて、一か月あまりが過ぎました。浄化のスピードがアップしたお陰でしょうか?私自身の心の面においても、今まで苦手だと思っていた人に相談することになったり、仕事で10年以上新たな展開を作って来なかったのですが、トライすることになりました。どちらも、苦手とか先行きが見えないと思っていたことだったのですが、やってみると、思い込みの部分がかなりあった事がわかり、苦手意識が消えていました。お陰で私の世界が少し広がって来ている気がして、楽しい日々が送れています。ずっとハイゲンキミニを身につけているわけでもありませんが、ずっと真氣光に守られている気がして心強いです。ここ数年の中では、一番効果が感じられています。ありがとうございます。
(大阪府 マッハGOGOさん)

母の笑顔が嬉しくて

思うところがあり少し前に94歳の母の名前でハイゲンキミニ・Pタイプを購入しました。母に光が届いたと思えるとても嬉しいことがありました。一年程前から母は初めて部分入れ歯を作るため歯科へ通っていましたが、その入れ歯が合わず肝心の食事の時には痛くて使えずに苦労していました。私が歯科に連れて行けない時にはコミュニティバスで一人で行く時もあったのですが、最近バスの路線が廃止になって行けなくなったり、近所の方から良い歯科があると教えて頂いたりし、新しい歯科医とのご縁ができ(送迎までしてくださる歯科です)、お陰様で今回ぴったり合う入れ歯を作って頂いたとのこと。「何でも食べられるようになった!嬉しい♪」と母が笑顔になったのです。毎日の食事のことですから母にとっては大きな出来事で、今は大変喜んで食事を楽しんでいます。まるでこの歯科医に出会うよう計らいがあったかのようです。私も母の笑顔が嬉しくて「本当によかったねー。」と何度も言いながらとてもとても有り難く幸せな気持ちになりました。また、母はこの歳になるまで一度も入院したこともなく今も「痛いところはどこもない。」というほど元気です。母に沢山の真氣光が届いたと同時に、私も新しい仕事が決まり私にまでも一緒に光を差し向けてくれたようで、真氣光と、いつも素晴らしいグッズを開発してくださる会長に感謝感謝です。
(福岡県 Mさん)

要介護認定が下がってビックリ

85歳の母の介護認定の結果がきて、要介護認定が下がっておりビックリしてしまいました。施設の方も、ビックリされたみたいですが、お世話して頂ける内容も変わらず、「時と場合で母にとって一番良い方向に!」と言ってもらいこちらにしてみれば、支払いも安くなるし、全てが良い方向で感謝です。娘の私と5分とて一緒に居れなかった母が、穏やかに、感謝の気持ちも持ち生活できるようになったのでありがたい限りです。会長セッションでの遠隔真氣光、去年は、一緒に研修にも参加させて頂き、たくさんの光を頂いたお陰。真氣光のおかげです。ありがとうございます。
( 長崎県 奏さん)

敬愛の心を持とう

これまで私は、いろいろな人に真氣光を送り、それを受けている人の口から出てくる魂の言葉を聞いてきましたが、ある時期から古い時代の宗教家と思われる魂が出てくることが多くなりました。そのような魂は、自分の信じていることが絶対なので、なかなか真氣光の光を受け入れられずに、より次元の高い世界に上がっていくことが難しいようなのです。 もともと彼らは、光を持ったプラスの氣という存在なのですが、見守っていたはずの人が真氣光を受けることで魂の光が多くなり、いつしかエネルギーが逆転し、見守っている魂のほうがマイナスとなり、生きている人の足を引っ張るような格好になってしまったのです。彼らは、頑なに自分達の伝統の上に培った光を信じ、「真氣光のような得体の知れないものは信じられない」、威厳のある声で「自分達が絶対だ」と言います。しかし、この宇宙で私たちは、いつまでも魂として成長していく存在ですから、絶対ということはあり得ないのです。私が彼らから学んだことは、謙虚さを失ってしまうと、そこからの成長が止まってしまうということです。 ところで、真氣光のエネルギーは、宇宙から「皆さん、たいへんな中を生きているので応援したい」と送られて来ます。真氣光のエネルギーを送ってくれている彼らもまた、「送らせていただいて、あなた方のおかげで成長させてもらっている」と伝えてきます。上下関係ではなく私たちと対等だと、つまり先生ではなく同じ生徒だと言っているのです。遙かに精神性が進んでいると思われる彼らであっても、さらに向上を目指そうとしている姿勢と、私たちに敬愛の心を持って接してくれていることに、私は感服しました。 敬愛とは、尊敬して親しみの気持ちを持つことという意味です。相手を敬うということは、偉そうな姿勢の対極にあって、人から学ぶことが容易になるということですし、皆が敬う気持ちを持てるということは、お互いを尊重し合えるということに繋がります。さらに親しみの気持ちを持つには、相手を理解し、その人の立場に立って考えるということが大事です。 氣の観点から考えると、誰もが、力を貸してくれているプラスの氣はあるけれど、暗い影のような何らかのマイナスの氣の影響を受けています。応援するプラスの氣が多ければ、それに反するマイナスの氣も多かったり、より暗かったりと、つまり体を持って生きているということは、それぞれが皆、たいへんな中を生きているわけです。それを理解して、真氣光を受けるとともに、誰にでも敬愛の心を持ちたいものです。(中川雅仁)

産まれた時から真氣光と共にあった私だが…

私は、見えないものを信じるってとても難しいことだと思う。真氣光もその1つ。産まれた時から真氣光と共にあった私だが、真氣光の効果について信じきれていなかった。それもあって、家で真氣光を受けていても、なんとなく気が抜けていたり、どうせ大して変わんないんでしょと思いながら真氣光を受けていた。しかし先日、東京センターで会長セッションに参加したのがきっかけとなり20年目にしてようやく、真氣光を信じることができた。眠りが浅く毎晩の様に唸ってしまう私なのだが、本気で克服したいと思い、初めて真剣に真氣光を受けた。その時は、記憶はあるのだが、寝ているかのような状態で、なんとも言えない初めての感覚であった。特に会長の手は温かく、黄金の光り輝く手の様なイメージがした。私に入っていた唸る人に、ただただありがとう、ありがとうと、唱え続けていた私。しっかり真氣光を受けたこともあってか、その日から唸ることがなくなった。7年位前から引きずっていたこともあって、まさかこんなに直ぐに効果が出るとは思ってもいなかった。それからは、水晶ペンダントを首に下げたり、自分からヘッドをあててコロコロしている。何事もまず信じてみることが大事だと気付かされ、これまで信じきれなかった分、より真氣光に期待してみようかと思う。(東京都 A.Sさん)

娘に真氣光のことを話せました

苦手だった娘と先日旅行先で2人で2時間程(10時の氣の時間の応援もあって)、いつもは、私の方が圧倒されて話が長続きしないのですが、ホワイトセラミックヘッドでずっと胸をコロコロしながら今までの私の人生の事、家族の事、これからの事、真氣光に出合ったいきさつ、それによっておきた出来事、変化、現在にいたるまでの話を、自分でも思いがけないくらい話せました。真氣光の事も、完全ではないけれど理解してくれた様です。ありがとうございます。(愛知県 Yさん)