(前半省略)
今朝、食後に支えて貰わないと立てないほどの腰痛に見舞われました。
ハッ!と気付き主人にヘッドを当ててもらいました。
腰が異常にくすぐったくて過剰に反応していましたが、以前会長に『くすぐったいのも氣の滞りだよ』と教えて頂いたのに忘れてました。
最初はびくびく反応しながら当ててもらってるうちに温かさに変わって来て、とても気持ちよく楽になってきました。
そのあと足の千里の辺りに両側5分ほどかけてもらい驚くほど痛みが和らいだのです。
(基本的な事だよ。原点に戻りなさい)と会長が話してるようでした。
こんなに効果が顕著に表れるなんて自分が恥ずかしくなってきます。
息子たちばかり気にして氣を送っていたのに自分の充電を忘れていました。
今夜は氣の枕とヘッドを腰に挟んで休みます。
氣付かせて頂き本当に感謝です。
(Sさん)
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真氣光で怒りを手放す
数日前から、『批判されたくない』という声が、胸のあたりから聞こえてきました。
理由がわからなくて、数日意識していたら、「『自分のせいじゃない』という気持ちがあるんだな~」ということがわかりました。
真氣光レッスンの遠隔を受けた翌朝「許さない!」という声が出てきて、光の量が増えて、出てきたマイナスの魂さんだとわかりました。
上にあがられたかどうかはわかりませんが、過去に私が母に対して感じた怒りに同調して、私に憑いていたか、ご先祖様への恨みを持つ魂さんかどちらかだろうと思いました。
同時に、数年前、私から言われたささいな一言に傷ついて、強い怒りの感情をぶつけてきた年配の男性のことを思い出しました。
その方は、私以外のたくさんの人の言動に振り回されて、退職されたのですが、怒りは結局その人の問題だと、改めて感じました。
私も多くの怒りに支配されてきましたが、今でも自分を傷つけた人の言動に怒っているというより、当時怒っていた感情がそのまま未消化で残っているのがわかります。
子どもの時は、怒りを外に出せずため込んでしまったようです。
「これは手放そうと思えば手放せるもの?」という気がしてきました。
そのためには、自分を癒すことが必要・・。
真氣光の応援をいただいて、過去のわだかまりが少しずつ溶けていっているようです。
(ペンネーム 月の光さん)
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実家のほうにも氣が届いた
先日主人のお母さんの命日が会長セッションの日に重なりました。
二人で墓参りに行く予定でしたが、私はセッションに、主人は墓参りに行く事にしました。
友人の会員さんが少し前に主人に氣を当てていたら、お線香が見えたそうです。
「実家に行ってお線香をあげてきて」と言われました。
私はセッションの一ヶ月前にお母さんの遠隔を申し込みました。
セッション当日主人は墓参りの後、実家に寄って仏壇を見たら、扉が開いていて、きれいに掃除してありました。
実家に住んでる弟がしてくれたようです。
今まで一度も扉さえ開けたことがなかったのに…。
ちゃんと氣が届いてるんですね。
不思議です。
主人も無事、お線香をあげてきたそうです。
それから一ヶ月後、仕事を減らされた主人に、一つですが以前の仕事に復帰することができました。
感謝、感謝です。
(すあま大好きさん)
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引っ込み思案が変わってきました
私は昔から引っ込み思案で、センターなどで知らない方に話しかけたりヘッドを当てたりする事が、お互いいい事だと頭で理解しながらも、なんだかやりづらいな~と思っていました。
しかしある時中川会長から、「縁には意味があり、波長が合う魂同士が引き寄せられる」という話を伺いました。
氣は影響されやすい人と、そうでない人がいるらしいです。
そう考えると、「隣で苦しんでいる方は、自分に関係する魂さんが影響しているかもしれない」とも考えるようになりました。(全てがそうではないとは思いますが。)
そうしたら、センターに来られる方々がなんだか他人のようには思えなくなって、いつの間にかお話したりヘッドを当て合ったり出来るようになっていました。
今は様々な方にお話を伺って、沢山の素晴らしいヒントを頂いております。
皆様いつもありがとうございます。
(Sさん)
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月刊ハイゲンキ7月号:訂正とお詫び
7月の氣の出る待ち受け画像配信
(67) 私が家を守ってきた
私が真氣光を送っていると、あくびや咳、涙など氣を受けている人にいろいろな反応が出ることがあります。
時には、周りに来ていた霊的な存在が、その人の口を通して実際に「話す」というかたちで出てくることがあります。
ある時「この家をずっと守って来た」という、とても苦しそうな人が出てきたことがありました。
日本において昔は、家というものが、非常に大事なものでした。
私には、その魂が家を守るために自分を犠牲にして、かなり無理をしてきたのではないかと思われたのですが、そればかりではありませんでした。
代々その家の人達もこの魂に従うために、自由を奪われ、多くの犠牲を払って来たのでした。
その結果、「家」というカタチは続いてきましたが、代々続く家の中で多くの家族は苦しい人ばかりだったため、彼ら先祖の苦しみの影響で、今生きている人も家族関係が悪くなり、多くのストレスを抱えて生きることを余儀なくさせられているということでした。
その魂には、家を守るという信念があったわけですが、それは光にはならず、結果として子孫達を苦しめていたのです。
それが真氣光を受けるうちに自分の過ちに気がついて、光の世界が見えてきたと消えて行ったのでした。
信念を持って生きる事は、とても良いことです。
でも時として、それは我になってしまうことがあります。
信念を持ってそれを貫く生き方ができれば、どんなにかすばらしく、魂の成長も積み重ねられ、光り輝く方向に行くはずなのです。
「信念」と「我」を比べると、そうであると強く自分の意見や態度を示す点においては、とても似通っているのですが、その根源になっているものが全く違っているのです。
信念とは生きる上で決める指針のようなものであり、我とはただただ意固地になって周りに迷惑をかけてしまうことで、そこには目の前のマイナスのエネルギーと強く結びついてしまう危険性があるのです。
だから何か強く自分の意見や意志を通さなければならない時、そう思った時には、なぜそうするのか、なぜそう思うのかを、良く考えてみることが必要です。
そして、その考えの基準は、世のため、人のためでなければ魂の成長にもならないばかりか、自らの我によって、マイナスのエネルギーに囲い込まれていくことになるのです。
まだはっきりとした信念が持てないということもあるかもしれません。
しかし、日頃から意識して事に当たっていると、必ず自分にあった信念が見つかるものです。
人は自分の為だけに生きるのではありません。
もっともっと意識を広げることが重要です。
宇宙からの真氣光のエネルギーが、それを助けてくれるのです。
(中川 雅仁)
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