「ひかり」「明るい方」と自分の背中に意識を向けて

いつもありがとうございます。
おかげさまで61歳にして、更に多くの事に気付かせて頂きました。
些細な事ですが、「てにをは」の使い方が自分とは違うと日常の会話の中で、ズレが出てきてしまいます。
言葉と行動で、動いて生活をしています。
「感謝されたい」のか「感謝したい」のか助詞の使い方で、微妙なところに気持ちが届きます。
自分に問いかけたり、対峙する相手の心中を想像したりします。
ふと、疑問を持つ自分が存在します。
相手を評価しているつもりは無いのに線引きをしているので『私の中のマイナスさんなのかな』と思います。
そんな時は「ひかり」「ひかり」「明るい方」「明るい方」と自分の背中に意識を向けて語りかけ、真氣光を送っていると、気持ちが楽になります。
(広島県  Sさん)

北海道での研修を終えて

 私は、北海道での研修講座を終え、昨晩東京に戻りました。
現地で、そして各地からオンラインで受講いただいた皆さん、ありがとうございました。
今回は、急遽オンライン講座も併催しましたが同時開催は初めての試みで、各地の受講者と現地会場の研修内容をできるだけ同じにし、どうしても現地でしか参加できないものは本社から違う講義内容を各家庭に配信しました。
何とか無事終えられたことで、私も胸を撫で下ろしているところです。
 何事も初めての事にチャレンジするということは、少々スリリングなものです。
慣れてしまえば何でもないようなことでしょうが、最初という時には全く経験がないのですから、「どうなるんだろうか」と、いろいろな不安材料が頭をよぎるものです。
やった結果は、失敗か成功か、0点か100点かのどちらかではなく、ましてやマイナス点になること等ありません。
たとえ失敗があったとしても、出来た事が、さらに次の事にチャレンジできる足がかりを作るのですから、「出来た事が素晴らしい」と、私はいつも考えるようにしています。
 ところで、同じような生活が続くと、また明日も同じようなものかと想像できますが、全く同じ日は二度とはありません。
そういう意味では、人は生まれてから死ぬまで、全く初めての事の連続なはずです。
学生の頃はだいたい予想できる道を進みますが、社会に出てから先は、新しい事が多くなるものです。
結婚するのも、出産するのも、子育て、仕事の内容、人との出会い、老いる事など、どんどん新しい事が舞い込んで来ます。
初めての事にストレスは付きものですが、それに負けてはいられません。
明治の時代に未開拓の土地だった北海道に渡った先人の思いとは、どのようなものだったか?新しい事に負けることなく、少しずつ世代を超えて出来た事の積み重ねが今に至ると思うと、凄い応援のエネルギーを感じるのです。
 研修から我が家に戻ると、5年に一度の国勢調査の記入票が届いていました。
5年前を思い出してみると、いろいろな初めての経験や生活の変化があったけれど、自分はより良いほうに変われただろうか?次の5年後には、どうなっているだろうか?世の中のすべてのもの、すべての事は変化していますから、同じ事の繰り返しだけでは取り残されます。
ストレスが多くなりマイナスの氣の影響を強く受けてしまうこともあるでしょう。
より良い変化のために、マイナスの氣に負けることなくチャレンジすることが、プラスの氣の応援を受け、更なる飛躍に繋がります。
昨晩の真氣光の時間には、そんなことが私の頭に浮かんでおりました。

大切な仲間

北海道の真氣光研修講座を、大阪からオンラインで参加させていただきました。
お世話になり、ありがとうございました。
現地と自宅の同時開催は初めてでしたが、スタッフさんの努力もあり、大変満足させていただきました。
中でも印象深かったのは、「おまえはいいなあ、仲間がいて。」というマイナスさんが出てきたことです。
仲間というのは真氣光仲間のことだと思います。
真氣光は、氣を受けるために続けてきたのですが、いつのまにかマイナスさんから羨ましがられるぐらいの仲間が出来ていました。
仲間からは多くの気づきをもらうこともあり、私を成長させてくれています。
大切な財産です。
真氣光ありがとうございます。
(大阪府 Kさん)

真氣光ありがとう

コロナ騒ぎになってから、センターには行っていませんが、家では思い出したらすぐに「真氣光お願いします」と言って真氣光を実践しています。
真氣光に出合って6年。
11月から7年目に入ります。
真氣光は、自分と周りだけでなく、最近は自分の内側、奥のほうに少しずつ浸透してきているように感じています。
少しご報告させてください。
「いいとこ探し」では、夫婦の関係性が劇的に良くなってきています。
お互いに「ありがとう」と笑いの多い毎日です。
それから、ちょっとした家事においても、前よりは落ち着いて丁寧にやれるようになってきています。
断捨離も少しずつ、実践しています。
些細なことですが、このような小さな事柄を大切にできることが大きいと思います。
有難い毎日です。
このように電話やメールでご報告させて頂くと、更に良い方向に向かうような氣がしています。
これからもよろしくお願いします。
ありがとうございました。
(愛知県 Y さん)

生きるために対応していくのが人間

北海道での真氣光研修講座参加は、本当に久しぶりです。
コロナ禍ではありますが、参加する事ができて、良かったと確信しております。
自分に関わる魂の存在を詳しく教えていただき、また心構えなどの説明もしていただき、会長ありがとうございました。
今回の研修では、会場の受講生とリモート、オンラインでの受講生とを繋ぐ、初めての試みとのことでした。
その初めての研修に参加したことも意味があるでしょう。
皆さんが新しいことへのチャレンジをしている大変さを、自分の眼で観ることでコロナ対応の気構えがわかりました。
受講の選択肢が増えますね。
コロナでいろいろなことが変わっていきますが、生きるために対応していくのが人間です。
これからもよろしくお願いいたします。
そしてありがとうございます。
(静岡県 富士山3さん)

初挑戦でしたが、氣に守られていました

仕事で、初めて商談の大きなマッチングイベントに出展しました。
3日間もあり、体力が続くかなと思いつつ、荷物には「ハイゲンキ6型」を忍ばせ、「ホワイトセラミックペンダント」を身に着け、「甘氣飴」を持参して参加しました。
夫は、疲れないように、6型のそばにいるようにしていたそうです。
たくさんの人に出会って、名刺交換して、お話ししてという状態でしたが、私は意外と大丈夫でした。
それに、一緒に参加した出展者や出会う人、不思議なくらい、親切にしてくださったり、有益なアドバイスを頂けたりして、とても励まされました。
コロナ禍でどうなることやらと思ったのですが、全く新たな世界にも心置きなく一歩を進めそうです。
以前なら、決してこうはいかないのが当たり前の私でしたから、20数年あまり真氣光を受け続けての効果だと確信しています。
真氣光、これからもどうぞよろしくお願いします。
(大阪府 はんこやさん)

(69)棚からぼた餅

 そろそろお彼岸です。
甘党の私などは秋分・春分の日が近くなると、おはぎとぼた餅を思い浮かべます。
秋は萩の花から「おはぎ」、小豆の収穫に合わせ新鮮な豆そのままの粒餡を使い、一方春はこし餡を使って春の花である牡丹から「ぼた餅」と言うようになったとの一説がありますが、私はどちらも好物で、名称や餡の種類には何のこだわりもございません。
 ところで、「棚からぼた餅」という、ことわざがあります。
ことわざ辞典で意味を調べてみると、「思いがけない幸運のたとえ。
またその幸運に出合うこと。
棚のぼた餅が偶然落ちてきていい思いをしたことから。
……ぼた餅は江戸時代には、人気の食品だった。
現代では、それほどではなくなったが、「棚ぼた」と言われ最も普及していることわざ」と、あります。
普及しているということは、現代人は棚ぼたを望んでいるのか?感じているのか?私は氣の観点から、二つのポイントがあるように思います。
 一つ目は、辞典に「思いがけない」とありますが、この思ってもみなかったという気持ちが大事です。
「洗心のための指標」にある「プラスの氣を引き寄せる心」の中に「…我を折り、よろしからぬ欲を捨て…」とありますが、あまりに我・欲から願うと、それがマイナスの氣を引き寄せ、プラスの氣の応援を受け難くなることがあるからです。
 もう一つは「幸運」です。
幸運は、プラスの氣によるものですが、直ぐにではなく後になってわかるということが多々あり、広く捉えることが大事です。
 例えば、棚から本が落ちて来て、その本に真氣光のことが書いてあって研修講座を受講したという人がいました。
棚から「ぼた餅」ならぬ「本」なのですが、後々真氣光により人生がすっかり好転したとなれば、これは思いがけず幸運なことだった、つまり棚ぼたの域に入るわけです。
 これまでを、振り返ってみてどうでしょう?自分の意志で生きて来たと思いがちですが、偶然が重なるようにして、いろいろなことが起こってきたはずです。
ある家に生まれ、家族の中で育ち、結婚して、子どもや孫がいる。
少々問題はあっても、いまの生活に満足していたり、感謝できたとすれば、そこに繋がっている過去も幸せなことのはずです。
つまりは、自分の意志ではない、思いがけない幸運ということで、つまりは棚ぼたの連続だったということに感謝でき、それにより更にプラスの氣の応援が受け易くなるのです。
また、いま身の周りに幸せを感じられない人も、真氣光を受け、いいとこ探しをすることで良いことが多くなります。
今が幸せになり、少しずつ過去も変わるでしょう。
真氣光をうまく利用して、そのような棚ぼたの連続を感じたいものです。