明日から1泊2日でディズニーランドに行ってきます。
今まで自分の体調が不安で泊まり行事に行けなかった私にとってのお試しだと思います。
友だちが、「みんなでディズニーランド行こうよ!」って言ってくれた時、行きたい!って思いました。
そして泊まりで行ってみようと思えました。
前の自分だったら行きたくても断っていたと思います。
でも行こうと思えたのは、真氣光やスタッフさんのおかげです。
そして4月1日に大学に入学しました。
高校生の時よりも人に話しかけたり、話すことが得意になれた気がしますし、心配心が出てきても、すぐ飛ばせるようになりました。
不思議ですが、昔の自分に戻れている気がします。
マイナスさんに光が届いたんだと思います!今まで受験の応援ありがとうございました(^-^)
(東京都 8さん)
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ひとくち歳時記「穀雨」
「穀雨(こくう)」は二十四節気のひとつで、4月20日頃の穀物の種まきの時期を迎える頃の春の雨のことです。
穀雨の名に込められているように、春の雨は作物にとって恵みの雨です。
それだけに、この時期にはさまざまな雨の名があります。
穀物を育む雨を瑞雨(ずいう)と言い、草木を潤す雨を甘雨(かんう)と言います。
春の長雨は、春霖(しゅんりん)。
早く咲いてと、花に促す催花雨(さいかう)。
菜の花が咲く頃に降る菜種梅雨(なたねづゆ)。
長く降りすぎて、うつぎの花が腐ってしまうほどという「卯の花腐し(うのはなくたし)」。
数ある雨の呼び名からも、人々の雨に対する思いが伝わってきます。
(本社 加藤)
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どんなに強いマイナスの氣も変われる
月刊ハイゲンキ5月号の私との巻頭対談は、ビリギャルで有名な小林さやかさんでした。
さやかさんのことを書いた『学年ビリのギャルが1年で偏差値を40上げて慶應大学に現役合格した話』という本が100万部以上売れ「ビリギャル」というタイトルで映画化され有名になった方です。
さやかさんの努力は並大抵なものではなかったことでしょう。
さやかさんは、本と映画がきっかけで、今ではあちらこちらで講演することになり、中学生や高校生の子は、「私にもできそうだからがんばる」と言ってくれるようになって、とても嬉しいと言っておられました。
私は、さやかさんの努力も、もちろんですが、それを支えた坪田先生とお母さんも、さやかさんの可能性を認め、それを信じていたということ、つまりプラスの氣を送りながら支えられたということが本当に素晴らしいと思うのです。
誰かに変わってほしいと思ったときは、どれだけ言っても、怒ってもダメなものです。
こちら側に、どんどん咎めの気持ちが出てきて、両方がマイナスの氣の影響を受ける結果になってしまいます。
本人に気づいてもらう、感じてもらうしかありません。
さやかさんのお話を聞いて、自らの行動を大きく変えられるときは、2つのポイントが重要だと思いました。
一つは「目標ができたとき」で、自分自身が心の底から「この学校に行きたい」「こんな人になりたい、こんな仕事を成し遂げたい」と思える目標を見つけられると変われるのでしょう。
もう一つは、「危機感を持ったとき」で、さやかさんも模試の成績で「このままではまずい!」と本気で思ったので、行動が変わったのだと思います。
話は変わりますが、私が氣を送っていると、その家を恨んでいるような強いマイナスの氣が、氣を受けている人から出てくることがあります。
たいへんな恨みを長い間つのらせているので「光などで、俺たちの気持ちがおさまるか」と言って、最初は私の言葉も聞き入れようとはしません。
しかし、彼らの苦労を知って、それを理解しようとしながら、真氣光を送ると少しずつ変わって行くものです。
「怒りがおさまらん、光など見えるモノか、光はいらん」と言っても、彼らも変われるということを信じて、「光は敵ではない、光を探してくれ、よく見てくれ」と一生懸命に氣を送るのです。
そして魂自身が「皆に光が必要だ、あちらの世界から救える」と目標がわかると、どんどん光が増えていき、どんなに強いマイナスの氣であっても変わっていかれるのです。
さやかさんの話は、私も体験していることだと類似性を感じながらお話を伺ったのでした。
(中川 雅仁)
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ハイゲンキミニを使って
私の叔母は、私が障害を持って生まれ、「どうにか少しでも良くなって欲しいという想いがきっかけで真氣光を始めたんだよ」とよく話してくれます。
叔母のおかげで、小さい頃に先代の会長様ともお会いでき、真氣光と繋がってこれました。
3月25日が私の誕生日で、叔母が今年3月25日に届くようにとハイゲンキミニ・ハンドルタイプを送ってくれたのです。
感謝してもしきれません。
叔母にはハイゲンキミニ・ハンドルタイプを使って氣を受けてから連絡しようと思い、10分間程氣を受けてみました。
すると直ぐにどんどん涙が溢れてきました。
言葉は喋らずとも何度も何度も大きく頷き安堵のため息をつきながらそして何度も頭をさげるのです。
もちろん私自身も叔母や真氣光や中川会長様に対して本当に感謝でいっぱいでしたが、この時涙を流しながら頭を下げたのは私の中におられる光が欲しかった何人もの魂さんだとすぐに分かりました。
この後すぐに叔母に電話をし、お礼とこの魂さん達の話を報告しました。
叔母の想いそして魂さん達のこの喜びを無駄にしないようにしっかりと氣を受けていこうと強く思います。
(鹿児島県 Hさん)
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土地に氣を届ける
実家に帰ってまいりました♪
母は会うたび物忘れがすすみますが、いまは顔色もよく、明るいので、わたしも合わせてよく笑います。
この間も外で転んだらしく、おでこにたんこぶを作っていましたが、それだけで大事に至らなくて良かったです。
四番目の兄は真氣光のことをあやしがって私をからかい、父母のために買った氣の(フェイス)タオルや氣の1/8マットはどこかに消えてしまいましたが、理解できないなら仕方ないと受け入れています。
ベッドには氣シールを貼ってあるのはわからないだろー(笑)って喜んでいます!!なによりイライラしにくくなったわたしに光が届いているなとありがたく思います。
家を神社のような空間にしたいなと思います♪真氣光ありがとうございます♪合掌。
(大阪府 Sさん)
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「ありがとう」のシンクロニシティ
「ありがとう」と言葉で伝えよう
私の家の近所では、やっと桜が満開になり、大勢の人で賑わっています。
東京では、今日が入学式の学校が多いようです。
この季節は、卒業式に続いて入学式と学校行事が多いときです。
私の父、先代は、私の進学に合わせて小学校、中学校、高校とPTAの会長をやっていましたから、私にとって、春はちょっと複雑な気持ちになる時期でした。
卒業式や入学式さらには運動会など行事がある度に、父が生徒の前で挨拶をするのですが、あまり目立ちたくない性格だった私は、「中川の父さんだ」と、友達に言われるのが嫌だったのです。
小学生の頃、どんな話をするのかと父に聞いたところ、「前回は話そうと思ったことを校長先生が言ったので、前もって考えないことにした」と言うではありませんか。
私はそれから、何を言い始めるのかと、ドキドキしたものでした。
今から考えると、父は、自分の仕事が忙しいはずなのに、私たち子どもに多くの時間を割いてくれていました。
当時は、気がつきませんでしたが、感謝したいことが山のようにあります。
しかし大人になっても、面と向かって「ありがとう」と言った記憶はありませんでした。
言わなくても分かってくれているだろうとか、少々照れくさいということもあって、父は急に亡くなりましたから、とうとう言わずじまいになってしまいました。
感謝できること、さらにそれを言葉など行動にできることはプラスの氣を集め、自分自身の氣のエネルギーを高めるばかりか、それが周りにも届いて行くのです。
ですから「ありがとう」の言葉を、周りの人に伝える機会を多くしたいものです。
特に、毎日の生活の中で、少々難しいことかもしれませんが身近な人にも…私はできなかったのですがお父さんに、さらにはお母さん、奥さん、ご主人、お子さんに…いかがでしょうか?口に出して伝えるのが難しい人は、一文でも良いでしょう。
来月、再来月には母の日や父の日がありますから、良いチャンスです。
私は、父の跡を継げて本当に良かったと思っています。
父のやりたかったことを、私ができることで、あちらの世界の父にも喜んでもらえていることでしょう。
私のように、ありがとうと言いたかったけれど言えなかった、身近な人が既に亡くなってしまっている人は、心の中で感謝の気持ちを持つことで、それをプラスの氣として伝えることができます。
さらには真氣光のエネルギーを受けながら、それができることで、より一層多くの光が届けられるのです。
(中川 雅仁)
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まさに絶望が希望に変わった日でした
3月15日の宇都宮での会長の真氣光セッションでは、会長をはじめ、スタッフさん、会員の皆様ありがとうございました。
会長さんが宇都宮に来ることで、前日から全身のしびれとだるさで魂が反応しているのかなあと思いました。
案の定、たくさんの反応が出て、極めつけは最後の反応でした。
数日前より頭がフラフラ、イライラ、しびれ、だるさ、泣き叫びたい気持ちは抑えきれずコントロールできなくなっていました。
会長さんや会員の皆さんに氣を当ててもらいながら私が泣き叫んでいると「こんなに辛いとは思わなかった」と魂さんが出てきました。
たくさん氣を送り、その後は体がとてもスッキリしました。
このたくさんの反応のなかには、会長さんが来るのをずっと待っていた方もいたのかも…。
そんな氣がしました。
皆さん、本当にありがとうございました。
その2日後の15日、職探しをしている主人が面接に行き、その場で採用が決まり、びっくりしています。
まさに、絶望が希望に変わった日でした。
ありがとうございます。
感謝しています。
(茨城県 絶望が希望に変わったさん)
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