どうやって苦手な人を克服すればよいのか

私には日常生活で苦手な事が沢山あります。
食べ物・香り・場所・人、等々です。
中でも一番困るのが「人」です。
避けようと思ってもどうしようもない時が有り「嫌だな」という思いが一番によぎります。
そんな日は一日自分を責めて憂うつになります。
どうやってこの苦手な人を克服すればよいのか考えていたら、やはり「氣」を受ける・受け続けることしか頭に浮かびません。
まだまだ課題は山積みです。
とにかく真氣光のエネルギーをしっかり活用しながら、氣を受け続けて頑張ります。
(岡山県 Mさん)

今年の夏も元気に乗り越えたい

真氣光バイオを飲み始めて1年弱になります。
1日3杯を、朝はストレッチの後、昼は食後、夜は少し手を加えてリンゴと人参にバイオを加えてミキサーにかけ、お手製のジュースにして入浴後に飲んでいます。
便秘気味の時は少し濃い目に作っています。
こんな風に続けて飲む様になってから疲れにくくなり、元気に毎日過ごせています。
それまではセンターで何気なく飲んでいたバイオですが、瓶をよく見ると乳酸菌のLカゼイ菌・ローヤルゼリー・はちみつ・クロレラエキスなど元気になれる栄養が沢山含まれていて、同時にうんしゅうみかん果汁やレモン果汁などで飲みやすい工夫がされていることに気が付きました。
真氣光のエネルギーにそれらがプラスされているので元気で過ごせる訳ですよね。
これからの季節にもぴったりなので、今年の夏も元気に乗り越えたいと思います。
(大阪府 Cさん)

明るい氣の応援を感じよう

 6/9から鹿児島県は姶良市の「真氣光庵あかり」がスタートしました。
この「あかり」につきましては、3/25付の1233号に創設の経緯を書きました。
私は、毎月一回の真氣光レッスンの時には、センターに出向くことにしたのですが、先月は熊本センターに行き、そのついでに鹿児島にも寄ってみたのです。
その様子を私のYouTubeチャンネル「それ、気のせいです」で紹介していますので、ぜひご覧下さい。
当日は、スタッフ河地さんのお兄さんご夫婦も来てくれて取材が出来ました。
映像編集の関係から全収録が入らず続編ができてしまいましたので、またの機会にアップしたいと思います。
 ところで、河地さんに話を聞いている中で、既に亡くなっているお母さんが、真氣光を受けている時に出てきて、「この家を使って欲しかった」と伝えて来たという話があります。
今日はこれをたとえに氣と真氣光の話を説明します。
 私は、見えない、科学でも捉えられないけれど何かしらの働きがある、ですからエネルギーと言っていますが、このようなものの総称を氣と定義しています。
 氣は、いろいろなところに存在していて、私たちは、それを感じることができます。
目には見えないけれど光のようなものと考えると分かりやすく、明るい氣は心をラクにして、暗い氣は気持ちをネガティブにします。
自然の中で清々しいと感じたり、嫌な雰囲気の場所があったり、思いや念みたいなものも氣です。
また、私たちの体の中にも生命エネルギーと呼ばれる氣があり、この氣は死を迎え体が消滅しても、氣として残ります。
 真氣光は、この空間や宇宙にある氣ですが、氣中継器や氣グッズを使って取り出すことができ、それは私たちの氣を増やす方向に作用することが経験的にわかっています。
真氣光を受けると、自分の中の氣が高まる(明るくなる)ばかりか、周りにも明るい氣が増えるのですが、いつも真氣光を受けることで、この明るい氣が力を貸してくれることも多くなります。
周りに存在する氣を感じやすくなることもあり、周りの氣つまり魂など霊的な存在が真氣光を受けている人の口を借りて声として出てくることがあります。
河地さんのお母さんは、伝えておきたい気持ちが強かったので知らせて来たのだと思います。
明るい氣となっている魂は、氣のエネルギーが増えているので、できることも多くなりますから、河地さんたちに、自分の思いを伝えるばかりか、その前からいろいろなことを計画してくれていたのでしょう。
このように、私たちは真氣光を受けることで、ご先祖にも氣が届き、たくさんの応援をいただけるということになりますから、良いことを見つけ、感謝という明るい氣を送りたいものです。

より強く生まれ変わって戻って来るように

新しい目標ができました。
これまでもハイゲンキ本体のパワーアップなどしてきましたが、旧ゴールドヘッドは何度もパワーアップをして、お金もかかり、長いこと使い続けた思い入れがあり、勿体ないと思って、ずーっと持っているつもりでした。
しかし最近になって、研修講座での会長の講義の中で「勿体ないと思うのはマイナスの存在が思い込ませたかも」との言葉を思い出して、「あぁ~自分もそうなんだ」と気づき、長いこと光を届けてくれたゴールドヘッドに感謝を込めて下取りに出して、より強く生まれ変わって戻って来るようにと、資金を貯める決心をしました。
(静岡県 富士山3さん)

真氣光は宗教ではないところがいい

強力に氣の波動が上昇し、世界の著名な宗教家が浮かび上がっています。
この方々は命をかけて人を救わんと想像を絶する修行をされ迫害も受けてみえ、また、人として生まれた以上、人としての苦しみをたくさん背負ってみえます。
それ故に本心は光を求めてみえるのに光への抵抗が強く、私自身もその影響を受け、知らず知らずに真氣光から離れるよう実に巧妙に動かされていて、スタッフのセッションのお陰で気づかせて頂きました。
ゴーマンですが、この方々の苦しみに寄り添いたいと、それに関する書籍をたくさん買い求めています。
尊い学びの中で、彼等の望みがわかってきました。
それは彼等を、仏や神と崇めないで欲しい。
同じ凡人と知って欲しい。
自分達への依存から抜けて成長して欲しいということです。
私は、真氣光が宗教ではないところが一番気にいっています。
これからも、宗教を乗り越えた素晴らしいこの光を集めていきます。
(愛知県 Yさん)

何かがスーッときて痛みが楽になっていく

3ヶ月前に、私の家族は仲が良いということを書いたものを、この真氣光ニュース紙面に載せて頂きました。
その後、大変なことが起こりました。
母が自分の部屋で転び、その拍子に右肩を外してしまったのです。
私は居ない時だったのですが、すぐに救急病院に運んでもらい、相当な痛みだったようで母はもう大騒ぎ。
3回も麻酔を打ってもらいながら、お医者さんと看護師さん達、計4人がかりで2時間余りかけて、母の右肩を元の位置に入れてもらったそうです。
しばらくの間、母はハイゲンキ3型プラスにも、ホワイトセラミックヘッドにも近寄ろうとせず、私が「当ててあげようか、楽になるから」と言っても、「嫌だ、余計に痛くなる」と言って逃げるのです。
ある時とうとう、「はい、これ持って」と無理やり母の右手にヘッドを持たせました。
すると「え、気持ちいい」と言って母は茫然としてヘッドを握り締め、「持っているだけで何かがスーッと肩まできて痛みが楽になっていく」とも言い、もう離そうとしないのです。
「これは何てすごい機械なんだ。」と、ぶつぶつ独り言を呟きながら、おとなしく一人で氣を受けているのです。
以前よりも熱心にハイゲンキを使い始めました。
(本社 斉藤)

魂に浸透するエネルギー「真氣光」

 昨日の朝、親友が亡くなったと連絡があり、私は「もう会えないのか」と思うと悲しみで一杯になってしまいました。
彼とは、中学から予備校、大学まで、共によく遊び、いろいろなことを学んだ仲でした。
社会人になっても、時々家にやって来て面白かった昔話をしては、私を楽しませてくれる、気使いの上手い男でした。
彼は3年前にガンがわかり、このコロナ禍で会えない状況が続く中もメールで近況をやり取りしていたのですが、「連絡が来ないなぁ」と、ちょうど気になっていた矢先でした。
彼には、してもらったことは多いのに、何もしてあげられなかったと、いろいろな後悔が湧いてきて悲しくなります。
 いま私にできることは、真氣光を受け、彼に送ることです。
音氣をかけながら氣中継器ハイゲンキを胸の上に置き、目には見えないけれど光のような真氣光のエネルギーをイメージしながら、自分にエネルギーを取り入れ、彼に送っておりました。
 人の体の中には、目には見えないけれど、光のような氣のエネルギーがあります。
人はいつか体を失いますが、体が無くなっても、心(意識)とともに氣のエネルギーは残ります。
意識が死後も継続するのですが、死んだからといって急にそれが変化することはありません。
辛い気持ちが強ければ、氣のエネルギーが落ち暗い魂となって、ずっとそれが続きます。
気持ちの切り替えが、生きている人よりも難しいのです。
だから、生きている人が、故人のお墓参りをしたり供養をするわけです。
気持ちが明るくなれば、氣のエネルギーとともに自由になる度合いも増え、天国とも言うべき、光に満ち溢れたところに逝かれます。
 真氣光という、この宇宙からの見えない光のエネルギ−は、先代が白髭の老人の夢に教わり氣中継器ハイゲンキを作ったのが始まりです。
空間からエネルギーを取り出す機械ですが、これを使うことで、私たちの体の中ばかりか既に体を失っている魂にもエネルギーが浸透し氣を高めます。
そして、この真氣光を集中的に受けると、誰でもこの氣を出せるようになるのです。
真氣光を人に送ることで、その人の口を借りて、思いも寄らない言葉が出てくることがあるのですが、私はそれを魂の言葉として聞くことで、このような魂のしくみと真氣光というエネルギーの役割がわかりました。
 遺された人が、悲しんでばかりいては、亡くなった人は気になってしまい光の世界には逝けません。
真氣光は魂に浸透するエネルギーですから、私のような者の救いとなります。
私自身、真氣光を受けながら、彼の旅立ちを力一杯応援したいと思うのです。