先週の週刊真氣光ニュースの記事で、真氣光バイオを炭酸水で割って飲むとおいしいと教えていただき、早速やってみました。
とてもおいしかったです。
これからの暑い季節には真氣光バイオで作るシャーベットもお勧めしたいと思います。
バイオ原液をすこし濃いめに水または牛乳で薄めて、製氷器にいれるだけ!とても簡単にできます。
一度にそんなに食べられないという方には、製氷器ではなく蓋のある小さいタッパに入れて作るのもいいです。
ぜひやってみてください。
(匿名希望)
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安心して天国に逝ったお母さん
今年の1月29日、母が亡くなりました。
あっけなく逝ってしまいました。
もっと長生きすると思いましたが、この冬の寒さに負けてしまったのか、この世を去りました。
母は私が子供の頃、私を歩けるように、病気を治そうとして、医者を掛けずり回ってくれましたが、結局は「あなたは歩けなかったね」と言って、残念がっていました。
でも死ぬ前には、「ご主人もいるし、介護者もいっぱいいて、お風呂もちゃんと入れて、ええ感じの食事もしてるし、子供達の中であんたが一番心配ないわね」と言ってくれました。
私は母に苦労ばかりかけましたが、これからは、皆さんの力を借りて、生きて、良い人生を送りたいと思っています。
最期のお母さんの死に顔は、ものすごく綺麗でした。
安心して天国に逝ったんだなーと思えて、私も嬉しく思いました。
上で私達を見守ってくれると良いです。
「ありがとう お母さん 心から感謝しています。」
(Mさん)
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友達が亡くなって
大学時代の友人が亡くなりました。
彼女とは随分前にちょっとした行き違いで疎遠になっていました。
でも亡くなって彼女のことを考えてみると、それは私の誤解で、他の友達から、亡くなる数年前は体調が悪く家にこもりがちになっていたことを知りました。
もし、私の誤解にもう少し早く気づけていれば、彼女ともっとお友達でいられただろうし、こもりがちだったという彼女に真氣光のことも紹介できたのにと思うと悔み切れない思いがしました。
そんなことを他の会員さんに聞いてもらうと「真氣光が有難いのは亡くなった人にも氣を送れることだよね」と言ってくれました。
彼女に遠隔で氣をお送りしながら、後で後悔しないためにももっと真氣光を伝える努力をしないと、と思ったのでした。
(Mさん)
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自分自身が輝くことで先祖にも光を
テレビを見ていたら「問い合わせ殺到 都立霊園初の樹林墓地」というニュースを取り上げていました。
遺骨を樹木の下に共同で埋葬する「樹林墓地」と呼ばれる新しい形態の墓が都立小平霊園に整備され、料金が13万円程と安いことから、墓代を抑えたい人に人気だということです。
このような樹林墓地、樹木葬は、1999年から民間の霊園を中心に広がっていて、墓石のかわりに樹木や花を植えて墓標とし、遺骨は土にそのまま埋葬するということです。
限られた敷地を効率的に利用できる自然を壊さない墓地として、環境にもやさしいと注目されているようです。
さらには現代人のいろいろな事情、つまり『先祖のお墓は守っていきたいけれど後継者がいない、迷惑をかけたくない。「○○家の墓」に入るのは抵抗がある。霊園・墓石はお金がかかりすぎる』などがあるようです。
昔ながらの「家」という概念が薄れ、核家族化、少子高齢化に拍車がかかっている時代ですから、海への散骨、ロッカー式の納骨堂、永代供養墓……さまざまな埋葬方法が提案されるようになったのだと思います。
ところで、私たちは目に見えている体の他に、目には見えない魂とも言うべき氣のエネルギーと心から成りたっています。
昔から人々は、この目には見えない部分のことを考えていたから、お墓というものが存在しているわけです。
つまりその根本は、体が無くなっても亡くなった人を大事にしたい、大事にしてもらいたいということであり、実際には、生きている人と亡くなっている人との間には、お互いの事を「思いやる」ことにより、見えない光のようなものを上げたり貰ったり、つまり氣のエネルギーの交換があるのです。
お墓参り、法事・法要というものが、より強い思いを先祖に向けられるということだったのですが、だんだんそれも機能しなくなってきているということでしょう。
氣の観点から言えば、立派なお墓を建てるのも、樹木葬にするのも、お墓にはどんな形態があってもよいと思いますが、重要なことは、その家に生まれたことで先祖からの影響は見えない縁で繋がっているということです。
真氣光という宇宙からのエネルギーは、魂に浸透するエネルギーです。
それを利用できる私たちは、先祖を敬愛する気持ちを忘れることなく、日々真氣光を受けるとともに少しでも充実した人生を送れるよう自分自身を輝かせることです。
その光は、少しずつ周りに広がり、はるか遠い先祖の魂にも繋がっていくのです。
このような時代だから、ますます真氣光のエネルギーが必要なのだと思います。
(中川 雅仁)
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パワーコネクタを購入してから行いに変化
真氣光バイオの炭酸水割りもいける
100点満点で運転免許取得にびっくり
自動車教習所に通っていた時のことです。
第二段階(仮免)の筆記試験がある前日に、会長セッションを受けました。
翌日の筆記試験は、あまり手応えもなく、なんだかよく分からないような感じでした。
採点後、先生が「この中に100 点だった人が1人います。100 点は年に2~3回見るか見ないかです。教員でも100点はなかなかとれません。」と言われました。
そんな人もいるのだなぁと思いながら、クリアできるのだろうかとドキドキしながら答案をもらうと、なんと100 点でした。
これは前日の会長セッションのお蔭に違いないと思いびっくりしました。
その後、無事運転免許がとれました。
運転する時には、しっかり注意しながら安全運転をしようと思います。
(ぺんぎん)
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怒りっぽい兄が穏やかに
家を追い出されて関西にやってきて三年経ちました。
特に四番目の兄は電話にも出ない絶縁状態。
昨夜、母に相談事で電話をかけたら、その兄が電話口に出て、「元気か?世の中そう怒らずにみんなと仲良く楽しくやればいい、そうできんこともあるけど、それだけなんや。一回帰って来いよ。」と優しく言うのです。
あんなに怒りっぽかった兄に言われ拍子抜け。
涙がこみ上げて、ありがとうと何回も言っていました。
ところで母に用事って?→「実は病気が出来て…」兄は大爆笑!その病気とは、痔です。
ちょっと楽しい?(苦しみの最中の方申し訳ない)笑える病気で良かったな~もしかしてこれも先祖の粋な計らいなのかな~と笑いに変わりました。
本当に感謝です。
自分が変われば世界が変わるって本当。
素晴らしい!ありがとう真氣光!
(らっきょの逆立ち)
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金沢での久しぶりの真氣光セッションで氣の充電
先日は、3年ぶりの金沢の会長セッションをありがとうございました。
参加者の半数が「会長セッションがあると知り初めて来ました」という方々でした。
会長の[氣]に関わるお話を改めて聞かさせて頂いて、起こる事全てに気付いて欲しい、気付かなきゃいけないものがあり、見えないものの影響を受けているのだと、再確認しました。
色々な出来事が、色々なアドバイスへの学習となり、伝えていく為の糧になるのですね。
当日は、受け入れが難いと思われた方も参加され、変化を感じて頂け、今後に繋がっていかれたら素晴らしいなあ、と思いました。
久しぶりの会長セッションに、充電も満タンになりました。
これからも、多くの方々に氣の大切さを伝えて、繋がっていけるようにしていきます。
今後とも宜しくご指導お願いいたします。
(Yさん)
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時には気合を入れて
私は50歳を過ぎて、お腹が重いのか、筋力が落ちたのか、はたまた元来の面倒臭がりの性格が強力になったのか「ヨイショ」「ドッコラショ」とばかりに気合?を入れなければいけない場面が多くなりました。
家内にも聞いてみましたが、彼女の場合は、毎日、掃除・洗濯をするにも、食事を作るにもすべての場面において、少々の「気合」が必要とのこと。
私はその言葉を聞いて「確かにいろいろ忙しく仕事をこなしているから仕方が無いねー」と言って日頃の労をねぎらってみようかと思ったのですが、付け焼き刃的な言葉に反って嫌味ととられ反感を買いそうで、言葉を飲んでしまったのでした。
ところで気合とは国語辞典で調べてみると、『精神を集中させて事に当たるときの気持ちの勢い。また、そのときの掛け声。「―がこもる」「―をかける」』とあります。
そうすると私や家内の場合は、精神を集中する程では無いけれど、かけ声を自分自身に言い聞かせて、その反動を利用するぐらいの事でしょうか。
しかし、時には精神を集中させて事に当たらなければ、どうにもならない場面があります。
私の場合、あれもこれもといろいろな仕事が立て込んで来るときなど、ただ順番にこなすのにもこの「気合」が必要です。
心と体は別物です。
心で思うのは簡単でも、物理的に事を成すには、相当なエネルギーがいるのです。
ですから強く思うことが重要で、ここに精神を集中するということが必要になり、つまり気合ということばが生まれて来たのだと思います。
私たちは、考えているだけではダメで、体を動かしてはじめて魂が光を放ち、それが成長につながります。
しかし体や心にマイナスの氣が影響を与えると、体が重くなったり、気持ちが乗らない、など体を思い通りに動かすことができなくなります。
光を失ったマイナスの氣は、その人の光が増えると眩しくて居られなくなるので、その人の側にずっと居たいから、変わって欲しくないから、邪魔をするようなマイナスの影響を与えるのです。
真氣光を受けると、自分自身の魂に見えない光のようなプラスのエネルギーが入り、影響を与えるマイナスの氣が消えていきます。
しかし時には気合を入れないと、強いマイナスの氣は、なかなか消えて行かない時があるものです。
ですから、「時には気合を入れて」欲しいと思うのです。
また、強いマイナスの氣の影響を受けているときには、気合を入れて真氣光を受けなければならない時があるかもしれません。
そのような時には、真氣光研修講座への参加をお薦めします。
(中川 雅仁)
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