今日から志賀島での2泊3日の真氣光研修講座が始まりました。
人は氣・心・体の三つの面から成り立っているので、研修ではそれぞれを高めるための講義や行法・実習を行っています。
毎朝呼吸法として、いろいろな良い言葉を読み上げていますが、その中に「宗教心体得の誓い」があります。
「…宗教心とは、最上の生き方の工夫と努力をすることであることを自覚させていただきました。ただ今からの私は、あらゆることを通じて正しい生き方の工夫と、実行をさせていただきます」というものです。
私は、これには終わりはなく、人生を通して続けることが大事だと考えています。
最近、宗教に関係する人が、氣を受ける人の口を借りて出てくることが多くなってきました。
女性に氣を送っているのに「ワシには、こんな光はいらん」と、男の人の強い口調で拒否します。
話を聞いていると、偉いお坊さんのようで、宗教のようなものの頂点を極めたような方です。
弟子のような人達に、いろいろなことを教えてこられたのでしょう。
「教えることはあっても教えて貰うことなど無い」という人に、私は「この光を利用して、より高みを目指していただきたい」と伝えました。
最初は「その必要はない」と言っていましたが、真氣光の光が真の苦しみを浮き出させるのか苦痛で顔を歪め、その後だんだん氣が浸透し意識が変わって、最後には光のほうへ逝かれたのでした。
たぶん、その方は「道をきわめた」というところで止まってしまっていたのでしょう。
魂を成長させることに終わりはありません。
毎日の生活では、体の調子が悪くなったり、誰かに嫌な事をされたり・言われたり、落ち込むようなことが起きたり…いろいろなことがあります。
そのようないろいろな局面に応じて「最上の生き方の工夫と努力」をすることなのですが、この「工夫」と「努力」が実際には難しいものです。
真氣光のエネルギーは、魂への浸透力が高く、その光を強めるという特長があります。
しかし、グッズを利用して真氣光をしっかり受けるなどプラスの氣を取り入れても、心がマイナスに傾いて、周りからどんどんマイナスの氣を引き寄せていたのでは、非常に効率が悪く、なかなか魂は輝きません。
やはり氣・心・体の三つの面から最上の生き方の工夫と努力が大切なのです。
まずは自分から、それが自分の周りをも明るくすることに繋がります。
私たちは研修講座ばかりでなく、各地のセンターや体験会が利用できます。
真氣光を受け自分もその難題に向き合っているし、そこに集まる人もまた同じように向き合っている…そのようなお互いが影響しあって、効率の良い魂の成長はあるのだと思うのです。